みんな寿命を全うしようぜ

みんな寿命を全うしようぜ
西表島で会った昼の蝶

2010年2月28日日曜日

桜の花見をしながら同窓会の総括会議


6日の高校同窓会の幹事が集まり伊勢崎市内の居酒屋友栄で総括会議を開いた。
目玉は店の中で咲いている桜の花、まだ5分咲きだが春の風情を冬に楽しめる
のはうれしい。
 同窓会の話は少しは出たが、あとはいつものように雑多な話に花がさく。特に
夕べは店のママがいつになく饒舌なのには驚いた。市内で15人くらいで目撃した二つ
の月の話。そのうちのひとりはプロの写真家で、二つの月を撮って現像したとこ
ろ一つしか写っていなかったという。目の錯覚だろうと言うと、15人全員が見
たのだから、とその不思議さをいう。
 そして「きつねの嫁入り」の話をするママは倉渕村(現高崎市)の池田性出身で、山の
峯をなぞるように色んな灯りが現れる現象を何度も見たという。嫁いで倉渕から出るとき、
「きつねの嫁入りの話はしても笑われるだけだからしないように」村人から言われた。
 今度は同級生からも火の玉の話やらが飛び出し、怪奇現象の話に花が咲いてしまった。
 二次会はこれまた不思議な雰囲気のスナック、若い人はまるでいない、70過ぎの爺さん
が若作りの80過ぎの女性客を口説きだすなどの奇っ怪な店、しかも満員状態。庶民はあきれるほどしたたかかだ。
その店に月に一度顔をだす齊藤君もたいした者。どんな政権下でも生きていけると感服します。奇怪な一晩でした。

2010年2月26日金曜日

あの「秘密」はどこへ行った?

ベルリン国際映画祭は「キャタピラ-」(若松孝二監督)出演の寺島しのぶを女優賞受賞者として選出した。
若松監督といえば、学生の側から「日本赤軍・浅間山荘への道程」を制作した人だ。徹底破壊された浅間山荘には、自分の別荘を使用した。「映画人生の中で建てた別荘は映画で壊してもいいだろう」との言い分らしい。まあすごい人物であることは事実。
 重信メイが書いた「秘密」という本がある。高校の同級生の岩崎から借りた一冊だが、読み出すと興味深い話がたくさん書かれていた。彼女は重信房子とパレスチナ人の間に生まれ、難民キャンプで無国籍として少女時代を送った。成長するにつれ、いろんな「秘密」をかぎ取ってしまう訳だが、母親には何も知らないことにしていた。大人になり母親から事実を告げられたとき「知ってたよ、あえて聞かなかっただけ」と答える。そして母から日本へ帰るように言われ、日本国籍を苦労して取得、成田空港で迎えてくれた人が若松監督だった。パレスチナの苦悩を知り尽くしている彼女は母親とは違う方法で世界の貧困、差別、戦争と向かい合う決意をしている。
内容が肩肘張らず分かりやすく、夢もあるので、理解してくれそうな友人にひとり、ひとり貸しては返してもらっていた。評判はすこぶるいい。しかし、無期限の貸し借りなので今、あの「秘密」がどこに行っているのかわからない。どこかにとどまっているのではなく、色んな人の目にとまっていることを願うのみだ。

 追伸、映画「ドキュメンタリー頭脳警察」というチラシを手に入れた。そのうちシネマテーク高崎で上映されるだろう。私が学生の頃、叫んでいた反逆のロックグループ、とにかく聴く方がぶっとんでしまう。初めて聞いたとき、こんなことを歌にしていいのかよ、と思ったくらいだ。その頭脳警察がまだ演奏活動を続けているというから驚きだ。ファンがいると言うことなんだろう。あれから一回りして時代が頭脳警察の登場を求めているのかもしれない。その中で、重信房子の詞に曲をつけ、アルバムを制作、娘メイを迎えてレコーデイングをした。さらにフセインの孫にあたる14才の少年が、ひとりで200人の米兵と戦った実話を基に生まれた「7月のムスターファ」では、カメラは凍りつくような殺気を記録したという。
 私たちは日本に住み、様々なものを「これが当然」と思い込まされている。しかし、それらのものは「日本人」にとり耳障りは良くても、国際感覚からはずれていることが多い。現に隣国との摩擦解消には役に立っていない。名前を挙げて悪いが、若松監督やら、重信メイ、頭脳警察、在日、滞日外国人をどこか「周辺の人たち」という感覚で見てはいないだろうか。しかし、丸い地球、どこをとっても中心になるのだ。現在の難しい国際情勢を読み解く鍵は、実はこうした、一見「お行儀の良くない人たち」の発言と行動にあると考えている。何しろ国際感覚が「日本人に没頭する人たち」以上であることが多くの場合言えるからだ。
スポーツの世界を見たら明らかだ。ほとんどの選手のコーチはあえて外国人を選んでいる。

2010年2月24日水曜日

高校授業料無償化について朝鮮学校生だけを排除するな

李さんより資料をいただき、早速、富岡由紀夫、桑原功、三宅雪子議員の東京・群馬事務所へ送付した。こんなことをして何をどのように解決しようというのだろうか。あきれ果てている。

高校無償化について朝鮮学校生徒に就学支援金の支給を
排除しないことの申し入れ書
鳩山由紀夫総理大臣様
川端達夫文部科学大臣様
平野博文内閣官房長官様

 2010年2月21日の報道によれば、中井洽拉致問題担当大臣の要請を受け、4月から実施予定の高校無償化から朝鮮学校生徒を対象からはずす検討を川端達夫文部科学省大臣など政務三役が始めたと伝えられました。
 昨年10月ごろの報道では、川端文部科学相は外国人学校を含む「高校と同等」みなされるすべての学校を高校無償化すると表明されたと伝えられました。その方針が実施直前になって特定の学校のみを排除するという転換は、全く理解できることではありません。
 そもそも教育は日本という地域にすむすべての人が平等に受けられるものであり、どの学校を選ぶかは、本人あるいはその保護者が選択するものです。その選択を排除するかのような特定の学校には対象外にすることは許されることではありません。
 憲法は「ひとしく教育を受ける権利」を明記し、教育基本法でも機会均等を主要原則に掲げています。
 この観点からも政府におかれては教育の機会均等の原則に基づいて、特定の学校を排除すなどという明確な憲法違反、教育基本法違反をすることなく、高校無償化法案に明記されているように「高校と同等」みなされる朝鮮学校も含めた全ての学校生徒へ「就学支援金」を支給されますよう強く要請します。

2010年2月21日
朝鮮学校を支える会・京滋
             共同代表 仲尾 宏 末本雛子
 連絡先:〒606-8313 京都市左京区吉田中大路町6
     FAX 075-752-1055



日弁連総第98号
2008(平成20)年3月24日
内閣総理大臣 福 田 康 夫 殿
                          日本弁護士連合会
会 長  平 山 正 剛
勧 告 書
 当連合会は、学校法人横浜山手中華学園、学校法人東京朝鮮学園及び学校法人神奈川朝鮮学園並びにそれらに通う児童・生徒の各保護者の会からの申立に基づいて調査したところ、中華学校及び朝鮮学校は、自らの属する民族の言葉によりその文化・歴史を学ぶ権利をも実現するもので、確立したカリキュラムの中で安定的に教育を行ってきたものであるにもかかわらず、指定寄付金制度等の適用から排除されているものであり、また、朝鮮高級学校の卒業生ないし卒業見込生に関しては、大学・専門学校の入学試験を受験する資格の一律の認定の適用から排除されている。このことは、欧米系評価機関の認定を受けたインターナショナルスクールなどが指定寄付金制度等の適用を受けていることに比しても、また、他の外国人学校の卒業生ないし卒業見込生が入学試験を受験する資格を一律に認められていることに比しても、差別的な取扱いに当たるものであり、これらの学校に通い又は通おうとする生徒の学習権を侵害することとなるものである。
 よって、次のとおり速やかに善処されるよう勧告します。

[勧告の趣旨]
1  日本に所在する中華学校及び朝鮮学校並びにこれらと同等のいわゆる外国人学校について、所得税法及び法人税法上の指定寄付金制度の適用対象法人等に該当しないとの取扱いを改め、指定寄付金制度の本旨に従って、関連告示を改正するなどしてこれら学校が適用対象に該当するとの取扱いを行うべきである。

2  同様に、日本に所在する中華学校及び朝鮮学校並びにこれらと同等のいわゆる外国人学校について、所得税法及び法人税法上の特定公益増進法人に該当しないとの取扱いを改め、特定公益増進法人制度の本旨に従って、関連告示を改正するなどしてこれら学校が適用対象に該当するとの取扱いを行うべきである。

3  日本に所在する朝鮮学校の卒業生ないし卒業見込生の大学・専門学校の入学試験を受験する資格について、学校教育法上、「高等学校を卒業した者と同等以上(に準ずる)」とされる対象となる学校に朝鮮高級学校が該当しないとの取扱いを改め、関連告示を改正するなどして同学校がこれに該当するとの取扱いを行い、もって同学校の卒業生ないし卒業見込生が個別審査によらずとも一律に大学・専門学校の入学試験を受験する資格を得られるようにすべきである。

4  なお、上記1項及び2項の関連で、現行の私立学校助成制度が学校教育法1条に基づく認可を受けた学校と認可を受けていない学校との間の大きな格差を出現させている問題については、当連合会が既に1998(平成10)年2月20日付け勧告書をもって勧告しているところであるが、未だ改善されていないことから、この点についても引き続き改善が図られるべきであることを、改めて付言する。

2010年2月23日火曜日

水戸偕楽園へ梅の花詣で

何年かぶりの水戸行き、20日は大洗町の民宿でアンコウ鍋を囲み冬の海の音を聞きながら、といえば聞こえが良すぎ、隣人、隣室のいびきに波音がかき消されながらも、寒い夜、ここは海辺の町なんだと言い聞かせながらの夜を過ごした。北関東道がかなり整ってきたので到着時間も短縮できた。

21日は混雑するだろうと、9時半には偕楽園へ到着。広い公園に植えられている木々の名前やら手入れの仕方など密照さんに聞きながらゆっくり歩いた。弘文亭は歴史の中で優雅なたたずまいを今に残している。梅はまだ二分咲き程度だが、天気も良いためか訪れる人も多く、軒を並べる茶店などは繁盛している様子だった。
近くの徳川記念館を訪れ1時間ほど見学、やはり「大日本史」をつくった水戸藩は根っこからの保守、笑っちゃうくらいの保守。当時の国際情勢を読み切れず、攘夷一辺倒で歴史の中で憤死したようなもの。しかし、興味をそそる人物を続々生み出したことも事実だ。「桜田門外の変」等を実行した歴史を画する爆発力があった。天狗党の進軍などには興味が尽きない。自分自身あの時代、水戸に生きていたら、確実に激派になっていただろうと思えてならない。これからも幕末の水戸藩への接近は続く。

2010年2月22日月曜日

箱石地蔵様祭り

21日は箱石地蔵様祭りで小学校の生徒達が村の中を「地蔵様」を担いで練り歩いた。昔、疫病が流行したとき、養命寺の北向き地蔵に願いをかけたら疫病が治まったという話をもとに、長年、小学生達が「地蔵様ワッショイ」とかけ声をかけながら、一件一件の家を廻り、線香をたてて無病息災を祈ってもらう行事として今日まで続いてきた。時代は変わり、祭りが始まった当時の想いはなかなか今には伝わってこないかもしれないが、地域コミュニテイーがこんな形で保持されて行くのかな、などとも考えている。私の親の時代も子ども達が地蔵様を担いでいたのは確かなこと。私も担いだ。そして上級生からお賽銭を分けてもらった。上級生になると、お賽銭の下級生への配分もしなければならない。成長の過程で子ども達が学び合うこともできる村祭り。結局、このような祭りが時代を超え世代総掛かりで先人の思いを現代から未来へと引き継ぐ橋渡しをしているのだ。迷信でも非科学的でもそれがいい。

2010年2月19日金曜日

映画「犬と猫と人間と」

 一人の猫好きのおばあさんの「不幸な犬猫を減らしたい」いう思いから生まれた映画。その人の名は稲葉恵子、ドキュメンタリー映画「あしがらさん」で路上生活者に寄り添った飯田基晴監督を見込んでの撮影依頼だった。動物愛護と言葉で言っても、現実は甘いものではない。殺処分される犬、猫の数は年間30万頭以上。その現実を知ることからはじめなければ、と持てる資産を、「とりあえずは命を救うことではなく、現実を映画で多くの人々に知らせる」ことに使用した稲葉さん。
人間が抱えるエゴと愛の狭間で多くの犬や猫が飼われ、そして捨てられている。捨てられた命を懸命に救おうとする人たちの存在。捨てる人たちも犬が嫌いな訳じゃない。動物の殺処分を担う人たちも動物に対する愛情がいっぱいある。映像は「かわいそう」という感情を乗り越える、ささやかな希望を観る人に与えてくれる。
 シネマテーク高崎で2月26日まで上映、「童貞放浪記」は本日で終了、結構、楽しめました。「戦場でワルツを」は、中東の現実を知らしめる一作で、私たちに決して目をそむけてはいけないと教えてくれる。これも本日終了。

2010年2月17日水曜日

玉村町物産館を論議

議会全員協議会を開催し、特に町が模索している高崎スマートインター周辺への玉村町物産館建設について、町課長と議論した。結論的には、町の計画をそのまま推進しろといういう意見は極めて少なかった。、むしろ、位置や経営主体、対象顧客、売産物、伊勢崎、高崎との関係、町内業者への影響など、肝心なところの検討がほとんどされていないことが判明したようなもの。農業者や商業者、消費者の考え方を時間をかけて聞き取り、計画を再検討すべきではないのか。

2010年2月16日火曜日

朝・日友好親善新春の集い

昨日、高崎市内ビューホテルで朝鮮総連西毛地区の新年会が開かれ、さまざまな地域から300人ほどの参加者で賑わった。玉村町からも町長、議長他3名の議員が参加した。高崎市長は相変わらず元気、あいさつに立った三宅雪子衆院議員、角田義一弁護士、締めのあいさつの富岡由紀夫参院議員と政権交代の威力を見せつける陣容だった。今年は「日韓併合」から100年、そのことを抜きには語れない一年だ。角田義一弁護士は、当時、朝鮮人の側に立って弁護士活動を行った布施辰治弁護士のドキュメンタリー映画の制作紹介を通じて、当時の厳しい植民地政策を語り、その真の反省は、今から、在日朝鮮、韓国人とどのように向き合うのか、に問われていると語った。
 三宅議員が「日朝国交正常化」をはっきり言うなど、昨年までとは違った勢いある発言が相次いだ。角田義一さんの存在の大きさが改めて示されたようだ。
 現在、在日朝鮮人の置かれている状況は生やさしいものではない。この間の経済制裁などで何かが改善され、解決へと少しでも進んだだろうか。誇り高き国に対しては、そのことの配慮なしに一切は進まないことを学ぶべきだ。拉致問題に関して言えば、蓮池透さんの発言に注目したほうがいい。
 朝鮮戦争は今だに休戦中という状況の中で、すべてのことは起きていることを認識しなければならない。日朝国交正常化から朝鮮半島の南北統一まで視野に入れた行動が求められている。これまでの政府の対応は全く短絡にすぎる。朝鮮半島との歴史的関係を正しく理解し、人間同士が信頼の中でお互い生きて行く環境をこそ早急に作り上げるべきだ。歴史の歯車を前に進めよう。

2010年2月13日土曜日

絶賛・坂本龍馬にだまされるな

「竜馬がゆく」がえらく売れているという。司馬遼太郎は龍馬を悪人として書く事はせず、青春応援小説」として書いただけのこと。佐高信、新井喜美夫の表現からいくつか拾い集める。

 龍馬はみんなが持ち上げるほど立派な人ではなく功績も残していない。「竜馬がゆく」で描かれている龍馬にまつわる話はほとんど架空のことにすぎない。もっともずれのあるのは龍馬が「武器商人」だったという事実。幕府と薩長が緊張してくると武器納入が利益を産むことになり「武器商人」が絡んでくる。龍馬は彼らと手を組んで暗躍した。この頃、一儲けを企んでイギリス政府をアヘン戦争に導いたイギリスの商社ジャーデイン・マンセン商会が香港にあった。同商会が支店長として日本に送り込んだのが長崎のグラバー邸の主グラバー。少し前、アメリカの南北戦争が当初の予定の5年より1年短い4年で終わったため、アメリカ政府が5年分発注した武器が1年分不良在庫として残った。これを知ったグラバーは、日本でグラバー商会を立ち上げマセソン商会からの独立を企てる。薩摩と長州に、南北戦争で売れ残った武器を買わせ大もうけしようという魂胆で、その「手先」として引き入れたのが坂本龍馬。龍馬が薩長連合に腐心した本当の理由が金儲けということ。事実、龍馬はグラバーを通じて膨大な利益を得た。弟子の中江兆民によれば、龍馬は儲けた金を派手に使い、当時日本一の遊郭「丸山」で豪遊し果ては梅毒に感染したという。
 龍馬は機を見るに敏で、「商才」はあったかもしれないが、英雄でも偉人でもなかった。むしろ善良な日本人が大量に死ぬことになる内戦にこの国を導いた張本人だった。「海援隊規約」にいう。「目的は運輸、射利、開拓、投機及び藩の支援」と。当時は、商人でも儒教道徳の社会ゆえ「利益追求」はハッキリとは言いにくい時代だった。手段を選ばず利益を得る「射利」ということをドーンと打ち上げるところが、龍馬らしい。要はトッポイのだ。海援隊誕生直後に起きた「いろは丸事件」はひどかった。龍馬は大洲藩から「航海5日間について500両」の賃貸契約を結び「いろは丸」を借りた。その船が4月23日の真夜中、紀州藩所有の軍艦「明光丸」と衝突、重量が5分の1に満たないいろは丸は沈没しかけていた。龍馬は、本来なら部下の救助や生死の確認をすべきところ、「明光丸」に乗り込み、乗組員に「当直士官が甲板にいなかったろう」等誘導尋問をしたり、後の賠償責任を有利にするための工作をする。むしろ龍馬こそ船長として「いろは丸」にとどまるべきなはずだ。そして結果として、賠償金として、紀州藩から83000両(後に7万両)も分捕ったのだ。
 こういう張ったりで巨額な儲けをもくろむ人物は現在もいる。龍馬にとり、儲けるためには「江戸時代」は古臭いと映っていた。新しい時代で大儲けしようという壮大な野望はあったかもしれない。
 「明治維新は年貢半減を農民にもたらす」として農民の支持を懸命にとろうとして、逆に「ニセ官軍」に落としめられ斬首された「赤報隊」の相楽総三と比べると、龍馬は明らかに、農民と反対の側にいたことは事実だ。英雄なんてとんでもない。NHKにだまされるな。

2010年2月11日木曜日

保坂展人さんを講師に八ツ場ダム学習会

前橋市総合福祉会館において、「どこに向かう連立政権ー靖国・沖縄・憲法」と題し「2.11市民集会」が開かれた。会場には多くの参加者がいて、私の知り合いもかなり来ていた。自民党から民主党へ簡単に党籍変更するような気分で多数派工作をしていていいのかという疑問は誰もが持つところだ。自民党も民主党もその基本のところでの違いがない保守党になってきている。だから護憲派にとっては現在の情勢に危機感を深めているところだ。5時からの「八ツ場ダムを考える県連絡会」の学習会も満場の人が参加し、八ツ場への関心の高さを現していた。前衆院議員の保坂展人さんは両方の集まりの講師でもあり、集会の持ち方としては極めて効率はよかった。ダム建設予定地上流にある強酸性水の中和ダムの土砂に含まれるヒ素に関して話をした。この情報が取れたのも政権交代のおかげであり、今後も隠されている国交省の情報を暴き出すよう行動するそうだ。後藤克己、角倉邦良県議の熱の入った話もあり、県議会での活躍ぶりがうかがえた。




2010年2月9日火曜日

ドキュメンタリー映画「弁護士・布施辰治」制作趣意書

友人の李和雨さんの事務所に立ち寄ったとき、映画の制作趣意書をいただいた。
「生きべくんば民衆とともに、死すべくんば民衆のために」を副題にした「生誕130年韓国併合100年企画」だ。
もちろん布施辰治という名前くらいは知っていたが、その詳しい人となりは知らなかった。
1880年宮城県石巻市生まれの布施は弁護士となり、弾圧と闘う弁護士としてその生き方を終生貫いてゆく。1920年3月1日、朝鮮独立宣言書が発表され、大運動が起きた(万歳事件)。それに対する弾圧は激しくなり、布施はその弁護を引き受けつつ、朝鮮に渡り各地で痛烈な政府批判を展開する。23年の関東大震災下における朝鮮人虐殺の真相究明の闘い、借家人同盟結成への尽力、石巻小作争議や岩手県北上山地の入会権紛争の調停も行った。
戦後は三鷹事件の弁護団長を務め、松川事件、メーデー事件の弁護にも関与していく。
虐げられる者、弱者の側に身を置き、人間の権利と尊厳を守るために闘い続けた姿が浮かんでくる。
 その流れは角田儀平治弁護士から角田義一弁護士へとつながれていく。
 先日、角田事務所に行ったとき、「映画の撮影で東京に行ったので留守」と事務員さんから聞いたが、この制作趣意書を読んで話がつながった。
 総制作費は5200万円、出資者、協賛者を求めている。監督は池田博穂氏、主演は赤塚真人氏。

2010年2月8日月曜日

高崎市議会東部分科会との交流会

2年ぶりの高崎市議会東部分科会との交流会が高崎市のビューホテルで行われた。高崎市議会からは11人、玉村町議会は16人全員が参加、「高崎スマートインターチエンジ及び東毛広域幹線道路について」と題し講演をいただき、高崎市の将来への意気込みと戦略を知ることができた。
講演後は交流会で親睦を深めた。

交流会後、私はシネマテーク高崎で「神童」を観た。高崎市をロケ地として作られた映画を今週は特集している。うたの同級生の少年は結局彼女にふられた?んだよね。青春は特に、好きな人からはふられ、その気のない人から好かれることの繰り返しで成長するんじゃないかな。人生なんてふりふられの繰り返し。上映後のバイオリンコンサートはよかった。明日は「リンダ・リンダ・リンダ」かな?

2010年2月7日日曜日

3年ぶりの高校同窓会

昨日の午前中は、夫を亡くし、生活保護を受けているひとり暮らしの高齢女性に関する相談を受けた。背景には借地権、滞納、健康、孤独といった課題が複雑に絡み合っているので問題の解決はなかなか難しいが、このような人が相当数いることが予想される。ひとりひとりがどのような人生を生きてきたか知らないが、自己責任論だけで対処すべきではない。社会、行政全体の理解度を高める中で解決を図ることが求められる。社会や行政には寛容さが本来的にはあるはずだから。

夕方からは伊勢崎市内で3年ぶりの高校同窓会。83歳の恩師、小此木智先生、毛呂實先生の参加も得て、賑やかに友との再開を楽しんだ。経済状況の影響もありリストラされたり、されかかったりとなかなか大変な様子だが、同級生との語らいは、生きる力がわいてくるようだ。
次回は還暦同窓会となる。両先生からは、「還暦から楽しむ」と題し激励をいただくことになったので、先生方にも元気でいてもらわなければならない。お互いがいい課題を背負ったということか。こんな形で恩師と今だにおつきあいできるのだからなかなか面白い師弟関係だとつくづく思う。
久しぶりにゆったりとした感覚を味わえたひとときだった。

2010年2月3日水曜日

平居塾塾長平居照朗先生を病床に見舞う

正月に会ったときは「腰は痛いけどイスに座って講義はできるから」と資本論の最終講義を予定していた平居先生から昨日、元気な声で「入院している」との知らせがあり、驚きつつお見舞いに上がった。
   秋山君の呼びかけで始まった資本論勉強会、当初は1,2回で終わってしまうのではないかと思っていたが、今年で5年目、何と全編の通読解説を終えてしまった。「経済学・日高普著」から経済学の考え方を学び、「経済原論・宇野弘蔵著」と「資本論」を並行しながらの勉強会だった。内容を理解したなどとはお世辞にも言えないが、一人の脱落者もなくむしろ塾生が増える中での勉強会だった。
 宇野弘蔵経済学派に属する平居先生は事業をしながらも時間があれば、読書、読書、読書で雑知識も豊富、朝鮮語、中国語も堪能な在野の経済学者。講義に対する報酬も拒否するなど、塾生にとっては申し訳ないことばかりだった。「今だからこそ資本論」という熱い想いで私たちを指導していただいた。
 一昨年の「リーマンショック」のとき、資本の暴走とその無責任性を資本論はその分析のなかで当然予測している、との議論にもなった。
資本論のなかではさまざまな言葉が書かれているが、「資本家の態度は、我亡き後に洪水よ来たれ。あとは野となれ山となれ」にはうなってしまう。
 社会の主体を資本から人間に変えることが現代の課題だという主張には全員「異議なし」だ。

 先生は明日から本格的治療に専念する。桜の花の咲く季節には塾生を集めて講義をする予定なので、塾生一同復習と予習をして先生にきちんとした質問ができるよう準備をするようお願したい。

2010年2月1日月曜日

白鳥の湖・多々良沼を歩く

所用で行った先からほど近い館林市の多々良沼で、羽を休める白鳥の群を観ながら沼周辺を散歩した。久しぶりだがきれいに手入れされ、1年中楽しめるよう工夫されていた。シベリアやアラスカの寒い冬を避けるため、はるばる日本に渡ってくる白鳥の群。玉村にも来ているがその規模が違う。1月18日現在約170羽にのぼるという。国境がないというのはいいねえ、実に。

2月7日(日)には「白鳥まつり」が催される。
場所は多々良沼の北岸・野鳥観察棟
午前10時から午後3時まで