みんな寿命を全うしようぜ

みんな寿命を全うしようぜ
西表島で会った昼の蝶

2011年6月30日木曜日

知事選も最終番、吠えろ、叫べ 後藤あらた

いやあ暑い中、そして月末の忙しいなか、思いもしない人からの応援も得て、街頭にも立ちもします。ビラ入れもします。反応がいいんだ、マスコミ予想なんか吹き飛ばせ。

東京電力からの「原発とめよう群馬」への返答も届いたが、内容は無難なもので我々の危機意識を共有するものではない。後でジックリ検討するとして、今は知事選、圧倒的な陣容の現職に挑む後藤あらた50才、いい心臓している、とことん進め、進め、残り2日、群馬県内の総人脈にあたりをつけよう。勢いだぜー。

2011年6月28日火曜日

芸術は爆発だ。犬小屋テント劇場 劇団どくんご公演 県立女子大

こういう芸術は評価は分かれる。玉村塾の町田さんからチケットを入手し行ってきた。
女子大の広場に貧相な小屋を建てその中で歌い踊る公演だが、始まった6時半頃はまだ暑さも残り汗も噴き出すほどだったが、日も落ちるころには涼風となり、一時は雨も降るといった天候すら演出にしてしまうすごみの公演だった。
出し物は「ただちに犬}、2時間に及ぶ熱演には圧倒された。非常に内容が「豊か」で「サイケ」で一晩では消化しきれない程だ。一緒に観た土田君、「麻薬でも打たなきゃ理解できない」そうだ。
 29日も夕方6時15分から女子大で公演するので、「現代の芸術」を観覧して欲しい。
「芸術は爆発だ」

県知事選もいよいよ大詰め、こちらだってほとんど主観の世界。後藤あらたで突っ込むだけよ。

2011年6月25日土曜日

後藤あらた玉村支部、朝から総決起集会で盛り上げる

昨夜はかねてから予定されていたルネサス高崎の友人達と暑気払い、流れのままに何年ぶりかの中国人スナックへ行き、帰宅したら午前2時前、というわけで眠いなかでの後藤あらたの集会準備となったが、大勢の人の協力も得て250人を越える参加者となった。
 現職のぶ厚い壁に単身挑む50才の後藤候補の思いは熱いものがある。県内全域を巡ってきたので各地の様子も感じ取っている。その意気を感じてだろうか、彼の先見性への期待だろうか、評判は結構いいのだ。大政党が機能不全の状況での完全無所属こそが県政を担うにふさわしいと感じているのだろうか。とにかく動くこと、訴えることしか後藤あらた勝利への道はない。

 そんな折り、10年ぶりに「タカラジェンヌ」から連絡があり、今日の集会があることを言うと、是非、「後藤さんに会いたい。前から会いたいと思っていた」ということで、前橋市文京町の「タカラジェンヌ」の登場となった。彼女の人脈は結構広い、けったいなものもあるけど、勝利に向け一歩前進したことは間違いない。4月の県議選のときは彼女のことが全く念頭になく小川晶さんを紹介できなかった。今度会った時、県議選は誰を書いたのか聞いてみよう。違う人を書いたとしたら、今後正しく指導しなくっちゃ。




 朝、角倉選対本部長から「明日、朝、河村たかし名古屋市長が高崎に後藤あらたの応援のために来るので対応をお願いしたい」との電話が入る。あの河村たかしねえ。減税かい。
午後には、これまた4月前橋の小川あきら選挙をともにたたかった松村健助さんからの戦況報告があった。ああ元気でやってるね、という感じだ。選挙通の松健さんの話はとても楽しい。それぞれがそれぞれのやり方で動き出している。
ここまで来ると、「小異を置いて、大同につく」と言うことですか。

2011年6月23日木曜日

群馬県知事選 6月25日午前10時玉村町文化センター小ホールへ総結集を

境町の岩崎の家へ行くと彼が晩酌していたので、上がり込みいつもの雑談。当然話は原発のウソはひどいということになっていく。これを読めよ、と渡されたのが広瀬隆著「原子炉時限爆弾」(大地震におびえる日本列島)。昨年8月に出版されたもので、8月の「広瀬隆講演会」に向けて予習をしておこうと考えていた本だ。岩崎の感性はなかなかなもので、「パパラギ」や「ノーム・チョムスキー」「秘密」などを教えてもらっていた。
その岩崎、「知事選については現職はだめだよなあ」の一言。

圧倒的な支持団体を得ている現職知事だが、本当のところ何も見えてこない。八ッ場ダムの推進などと言っているようじゃあきません。私が生まれた58年前に決定されたダムが未だにできないということは、もうできないということ、無理だからできないのだと言うことを理解できないのだろうか。ここで多くは書かないが無理なんです、八ッ場ダムは。
 
対する後藤あらた、「脱原発」「TPP反対」、これだけでも現職よりずっといい。政党が機能不全になっているとき、「無所属」で県政に挑む姿の方が支持されるだろう。まさに県民の代表だ。自民党の鎧を脱いだだけの無所属とは全く意味が違う。事実、行く先々の評判がすこぶるいいのだ。
定数50人の県議会議員の9割程の支持を得ている大沢知事が再選された場合、「翼賛的議会」となり県民の思いは全く県庁には届かなくなるだろう事は明らかだ。
 3.11震災後の県政はこれまで通りの有り様では時代に対応できない事を認識しなければならない。「これまでの大沢か、これからの後藤か」未来を見据えた重大な選挙戦だ。

 これはいけるかもしれない。政治を庶民の手に取り戻す大きなチャンスかもしれないという感じが強くしてきた。
25日(土)午前10時から玉村町文化センター小ホールで、本人の参加を得るなか、後藤あらた総決起集会を開くので多くのみなさんの参加をお願いしたい、です。

2011年6月22日水曜日

国政がメルトダウンしても地域はどっこい生きている。芝根地区懇談会

芝根地区懇談会が保護者を中心に地元区長、民生委員、学校評議員、議員も参加し開かれた。毎年開催されるもので、子ども達の安全・安心の地域づくりをみんなで図ろうとする懇談会だ。今年はやはり原発事故が話題になった。放射能被害の本当のところがなかなか判らないので小さな子どもを持つ人たちの不安は大きい。技術としての安全すら疑われている今、安心感ある社会を築くのは本当に難しいと実感する。政治が信用されていないのだ。
地域から政治を取り戻さなければならないとつくづく思う。地域から真っ当な議論を発信することだと思う。

6月8日、横須賀を母港とする原子力空母ジョージ・ワシントンから放射性廃棄物を入れたコンテナが運び出された。「放射能にさらされた物質は、通常、外国の港にある間は、原子力潜水艦から搬出される事はない」
これは1967年アメリカが日本政府に対し提出した覚書「エード・メモワール」に記載されている。
アメリカは、陸揚げしないから良い、と言うが艦船そのものから出た時点で違反行為となる。そもそも放射性廃棄物が発生したのは、本来、横須賀基地では行わないとされた空母のメンテナンスが行われたためだ。
母港化を図る際、アメリカが横須賀市に差し出した「エード・メモワール」もどんどん骨抜きされているのが実態だ。国政がメルトダウンしていると、日本のどこで原発災害が起こるかわからない。危険なのは福島だけではない。

2011年6月19日日曜日

あぜ道のダンデイ

シネマテーク高崎で「あぜ道のダンデイ」を観る。上映初日、しかも監督・俳優の舞台あいさつもあるとのことで早速足を運んだ。
光石研さんとは玉村小学校をロケ地とした井筒監督の映画撮影で会ったのが初めて。その後、「それでも僕はやってない」「キャッチボール屋」の上映会をしたとき、わざわざ町まで足を運んで頂いた。演技のうまさと人柄の良さのためか映画の出演本数は数え切れない。しかし、今度は30年ぶりの主役だ。50男の見栄と優しさを描く家族の話だが、子どもが成長する過程での葛藤を含め描いている。ロケ地は高崎、前橋が多いが玉村町の医院での撮影もある。
その監督が「川の底からこんにちは」を作った27才の石井裕也さんだ。映画館の外で話を聞くと光石さんをとても高く評価している。光石研さんのための映画で全精力を注いで作ったそうだ。
「タラッタラッタラッタウサギのダンス」がいい。

2011年6月16日木曜日

久しぶりの梅の収穫

昨年は時期を外してしまったが今年は何とか大粒の梅がなった。ほとんど手入れをしない梅畑には申し訳ないが今年は頂きます。もう少し手をかければもっと元気な梅林になるとは思うのだがそこは天性のものぐさ、根が続きません。しかし、自然の巡りはすばらしいものを生み出してくれるとつくづく思う。一秒一秒の歩みがあらゆるものを生み出し、成長させ、命の限り生きさせ、そして最後は死滅する循環のなかで生きている。そのことを理解できれば、もう少し謙虚に穏やかにみんな生きられると思うのだけど、現実はすさまじいばかりの喧噪と闘争、嫌ですねえ。

 福島原発事故を契機にイタリアでは原発の是非を問う国民投票が行われ圧倒的多数(9割以上)が脱原発を選択した。すごいねえ。逆の事が、ヨーロッパで大きな原発事故が起きたとして、日本では国民投票とはならないだろう。過酷な原発事故が進行中にもかかわらず、全く頼りにならない政治状況に多くの人が苛立ちを深め、政治を民衆の手に取り戻すその道を歩み出したことも事実で、このことはメデイアからは意図的に伏せられる。
「この道を行け、人にはその言うにまかせよ」だ。

2011年6月12日日曜日

脱原発全国一斉100万人行動を前橋で打ち抜く

福島原発の過酷事故が全く収まらないなか、全国で事故から3ヶ月の昨日を期して反原発集会が催された。前橋では原子力資料情報室の古川路明さんの講演が行われた。「放射線が安全なわけがない」が基調の話だが、どこまで進行するか全く予想もできない状況を反映して参加者も真剣なまなざしで話を聴いていた。若い人の参加も多く、彼らの世代の問題なんだということが分かる。しかし、若い彼らにその責任はない。我々の世代が原発政策を押しとどめることができなかった事が重大なので、これだけの事故を経験している今、全世代の未来への責任として脱原発社会を目指し社会そのものの有り様を変えていかなければならない。
若い世代のデモ感覚はすごい。不安と怒りをうまく表現している。
 8月21日、玉村町文化センターで広瀬隆さんをお呼びしての講演会とイベントを予定している。何をしようかなどは全く今のところ未定なのでアイデアを出して頂きたい。

2011年6月11日土曜日

「後藤あらた」玉村集会から「6.11脱原発全国一斉100万人アクション」へ

昨日、県知事選に向けた「後藤あらた」玉村支部集会が開かれた。急な呼びかけにかかわらず多くの参加者があり、発言者もそれぞれの思いを伝える話をしていた。前橋での2000人集会を終えた角倉県議も来賓として発言に立ち、「何故、今後藤あらたなのか」を訴えた。
後藤さん自身も「脱原発」を大きな政策の柱として積極的に県政を変えてゆく熱意を訴える有意義な集会となった。圧倒的な現職の壁に立ち向かう彼の胆力はすごいものがある。それは確かな展望を確信しているからだ。
16日の告示後は25日午前10時から玉村町文化センター小ホールで総決起集会を開く。

 誰が言い出したか知らないが、震災から3ヶ月の今日は「6.11脱原発全国一斉100万人アクション」の統一行動日だ。原発の過酷事故が全く収束できないなか、市民が反原発の強い意志を表明し運動として形成し、政治を獲得するのものとして勝ち取られなければなならない。これから前橋教育会館に行く。

2011年6月7日火曜日

東京電力群馬支店への申入れと記者会見

今日から議会のため参加できなくて全く申し訳なかったが、我が友・角倉邦良県議を先頭に9人の個性的な面々が東電群馬支店への申し入れ行動を行った。
一連の福島原発での重大事故を受けて5点の事項を申し入れた。
1.東電は、原発の全情報を開示すること。
2.東電は事故責任を認め謝罪し、全被害への補償を直ちにすること。
3.放射能汚染の原因者として放射性物質の除去、除染を行うこと。
4.ただちに東電の運転するすべての原発を停止・廃止すること。
5.東電と関連会社の労働者の待遇を改善すること。賃下げ、リストラをしないこと。
  概略すると以上のような内容だ。
加賀谷さんは「脱原発ダルマ」持参だからその思いの強さが理解できる。9人のうち女性が7人という構成もいい。東電の対応はまずまずだったとか、そりゃ居直れる状況じゃないよ。どんどん深刻な事態になっているのだから。収束と言葉では言うけどかなりそれも厳しいようだ。
 申入れ行動の後、県庁で記者会見をした。東電への申入れと11日午後1時から教育会館で行われる原発勉強会(講師は原子力資料情報室の古川路明さん)とその後の「原発なくてもエエジャナイカ大行進」のお知らせだ。

シネマまえばしで鎌仲ひとみ監督作品「原発を考える三部作」を緊急上映している。「六ヶ所村ラプソデイー」「ヒバクシャ・世界の終わりに」「ミツバチの羽音と地球の回転」だ。全部見たがどれもいい。監督の目線の正しさと真面目さが伝わってくる。特に「ミツバチ・・・」は24日まで上映しているから是非観て欲しい。勇気がわくぜ。11日の勉強会ではその映画の紹介もさせてもらうつもりだ。

悲しい程、既成政党が原発事故に対して何の行動も起こせない中、個人の呼びかけ人形式で始めた運動だが、大きな力に突き動かされている感じがする。このままじゃ社会が終わってしまうという現実的な危機感からだろう。政党のために社会があるのでは断じてない。人間がつくった矛盾に満ちた社会なら人間が変えればいい。「人の前に道はない」のだ。細くても確かな道を若い人たちを先頭につくりだそう。その道筋をつくり出す運動にしたい。

2011年6月5日日曜日

北信州植樹祭と志賀高原

4日、玉村町と姉妹提携している長野県山ノ内で開かれた北信州植樹祭にバス1台で参加した。朝7時頃町を出発したバスは9時30分前には現地に到着し、会場で知り合いの山ノ内町の人たちと歓談した。特に、姉妹提携当時、議長だった小林議員とは、当時からのつきあいになるので4年ほどになる。元気そうだった。天候も良く植樹祭には絶好の日和だ。式典の後、「玉村町民の森」へ歩いて移動し植樹した。私が議長当時植樹した木も元気に生長している。
途中、鳥の声に混じりセミのような声も聞こえるので係の人に尋ねると、「春蝉」だという。山ノ内はもう夏模様だ。「町民の森」は夕日山(1050メートル)への遊歩道もあり、歩いて1時間程度という。山歩きをする機会を是非つくり、温泉で1泊という計画を立てたい。とりで街道という古い街道の碑などもあり、ここにも人々の歴史があることを教えられる。
 午後からは志賀高原(1600メートル程度)散策。専門ガイドさんの説明を受けながらの「森林セラピー」も良かった。森に癒されるとはこういう事か。

2011年6月2日木曜日

永田町の茶番につきあっていられません。

昨夜から今日の昼頃までは、小沢一郎を中心としたグループは菅首相不信任の可決に向け息巻いていたが、「震災対応に一定のめどがついたら自発的に辞任するという」菅発言の後には、全く腰砕けになり不信任反対に寝返り、自民・公明の提出の不信任案を否決した。小沢は欠席、造反議員はひとりだけという惨憺たる状況。
この国の政治はどん底だ。被災地と被災民を人質にして権力闘争をしている。それも次の「名ばかり指導者」さえ示せないなかで高い税金使っての「お遊び」には怒りしか沸かない。
 福島原発事故の収束のため命がけで働いている日雇い労働者群のことを思えば、犯罪的ともいうべき政争をくり返している国会議員連中を訓練し、原発労働に従事させた方がいい。しかし、そんな大変な作業ができるわけないから国会議員をしているなんて事になったら、ホント目も当てられない現実だ。

こちとら、昨夜は物資販売オルグで群馬に入った国鉄千葉動力車労組長田書記長と懇親会を開いていた。国会議員のお偉いさんより彼からの方が現代の情勢分析、歴史認識、組織論、運動論等学ぶものが多く、この混迷した時代を未来に向け突き破っていく力を持っているのは一般労働者なのだということが理解できる。事実を見つめる姿勢、勇気が求められる時代だ。