2012年5月29日火曜日

「昼下がり、ローマの恋」「ブラック・サンデー」

「ブラック・サンデー」は先週ムービックス伊勢崎「午前10時の映画祭」で観た映画。
パレスチナゲリラ「黒い九月」との戦いを描いたものだが、目が離せなかった。
一人の女性をあそこまで反米の塊にさせたのは間違いなく、イスラエルであるし、それを支援するアメリカだ。
その辺も表現しているが、最後はゲリラたちは殺されて攻撃はぎりぎりのところで失敗する。
 商業映画だからそうなってしまうのだけど、内容はとても興味深い。
現実の世界はもうたまらなく嫌になるほど暴力的だ。

そして「昼下がり、ローマの恋」は3人の大人の恋を描いたものだが、これが面白い。
 恋人のいる青年弁護士が出張先の小さな村で奔放な娘(実は人妻)と恋に落ちる話、周りにたむろする欲のない連中の存在が暖かい雰囲気を醸しだす。
 2人目は、中年有名キャスターがエキセントリックな女性につきまとわれ、恋の大騒動を起こす話。
 動揺した中年キャスターが「オサマ・ビンラデイン」を「オバマ・ビンラデイン」と発言し降格、果ては特派員としてアフリカに派遣され捕虜になってしまう。
 最後は高齢の歴史学者が、パリから帰国したアパート管理人の友人の娘と恋に落ち、ドタバタしながらも結婚、子供までつくってしまう、という話。


還暦すぎのおじさん、おばさん必見の映画だ。
一夫一婦制社会でもこういう枠におさまらない男女の関係があるから、世の中は豊かで面白い。
 シネマテーク高崎で6月1日まで上映。

2012年5月28日月曜日

友の還暦祝いと「太陽がいっぱい」劇団どくんご公演チケット

今年某月某日某所での還暦祝いの秋山局長

秋山君の還暦祝いの写真が届いた。ちと早い感じもしたが、いや、そうでもない、彼が還暦なら私もそうだ。
思えば、よくもここまで生きながらえて来たとつくづく思う。比較的好きなように生きてきたが、まだまだ足りない。
まだまだ現役で走れる。吠えることもできる。
 過ぎた日を感慨深く思い出す余裕もない。
どこまで生きるかわからないが友人たちに言う。「誰が先に逝っても恨みっこなしだ」と。
〈私は今日まで生きてみました
時には誰かの力をかりて
時には誰かにしがみついて
私は今日まで生きてみました
そして今私は思っています
明日からもこうして生きてゆくだろうと
  ・・・・
私には私の生き方がある
それはおそらく自分というものを
知るところから始まるのでしょう
けれど それにしたって
どこでどう変わってしまうか
そうです わからないまま生きてゆく
明日からの そんな私です〉

 どうしても吉田拓郎の歌に行き着いてしまう。

そうこうしていると玉村文化人の町田さんから、劇団どくんごの女子大での公演があるというので早速、似非文化人のような顔をして1枚ゲットした。
今年は「太陽がいっぱい」という夢満載の(ような)演目だ。
しかし、昨年の芝居は私の回りでは酷評ばかりだった。
「何を言わんとしているのかわからない」「恰好が汚なすぎる」等々だが、現実社会の実態こそがそうではないか。正直に抽象的に描くと、あんなもんでしょう。
 この一年劇団どくんごが生存し続けて来たこと自体がすばらしい。わかってくれる人も同情している人もいるということ。
綺麗ごと一色に染まった社会の気持ち悪いことよ。
 酷評の張本人土田君を呼び出し、心の窓を開くよう諭しながら
一枚販売、次は還暦の秋山局長にも1枚つきあってもらい講評を頂こうか。

6月19日(火)、20日(水)毎夕6時20分開場、45分開演
群馬県立女子大広場にて


2012年5月27日日曜日

ぐんまふれあいフェステイバル IN いせさき


開会の挨拶する連合伊勢崎地協渡辺議長

 連合伊勢崎地域協議会主催の今年のふれあいフェステイバルは昨年同様、あずま総合運動公園で開かれた。
 暑いくらいの陽気のなか、昼頃には会場は参加者であふれるほどになった。
「東日本大震災復興支援」を大きなテーマとして掲げ、働く者の連帯を参加者に訴えるものとしての成果はあったと思う。
会場で元気な本郷たかあき君にも会い、久しぶりの話も弾んだ。五十嵐伊勢崎市長、貫井玉村町長、塚越県議、矢島、多田伊勢崎市議も参加した。

 その後、玉村町の北部公園フェステイバル会場に回り、午後からは玉村町消防団消防ポンプ操法大会に来賓として出席した。
 とにかく暑い日だったので、競技に参加する団員にとり、かなりきつい状況だったと思う。
 火事はいかなる時起きるかわからないことを考えれば、それでも頑張れ、というしかないが、消防団員はそれぞれの仕事を抱えながらの使命なので、そのキツサと強い思いには敬意を表したい。

2012年5月24日木曜日

たばこ1箱万引きの罪と罰 寛容さはどこへ

たばこ1箱を万引きしたとして消防署員が逮捕された。「犯罪は犯罪だ。まして社会に範を示す公務員なのに」との論調になるのだろうか。
 誰だってあるだろう。次の信号を曲がろうとしていながら、その直前、ふと違うことを考えてしまい、曲がり損ねてしまったことは。
 その一瞬、思もしないことをしてしまうことは、誰にもあること。「魔」が差したのだ。
 この事件、「故意」か「魔」が差したのかは分からない。
しかし、この程度の事件、数十年前の日本社会だったら、周囲の人々が「魔が差したのだから」と寛大に解釈し、許してくれた。
先人は「魔が差す」という寛容の知恵を授けてくれた。
その知恵を排除する非寛容の社会になろうとしている。
 この件は性犯罪や破廉恥事件とは違う性格のもの。
 社会の寛容さは、魔が差して罪を犯してしまった人を許し、教育する力を持っていた。許された人が今度は他の人を助ける。寛容は悪いことではない。
 微罪を許す寛容さを失った社会の行き着く先は、誰も信用することができない、友にも本当のことを言えない、建前だけの息詰まった社会になってしまう。社会は活気を失い衰退する。これでは暗黒ではないか。
こういう結果も新自由主義の特徴だ。
 この事件で厳罰となってしまったら、彼の人生、たばこ1箱で、全てを失うことになってしまう。
 罪と罰、それは罪に見合った「罰」こそが公平であり、それこそが本人に反省を促し、又、社会の健全性を示すものとなる。
決して見せしめにしてはいけない。許しあえることは社会生活上大切なことだ。

 はたまた、橋下大阪市長、今度は市職員の政治活動に制限を加え、罰則も盛り込んだ条例を準備しているという。
 政治活動は誰もが有する基本的権利であり、まして、お上の許しを得てするものではない。
 自分の意にそわない者を容赦なく排除するという橋下の手法に、ますます怒りがわいてくる。
 職員側もキチンと対応すべきだ。権利の上に眠る者は保護されない。長いの闘いの中で獲得した政治的権利を何の抵抗もなく放棄するなどということがあってはならない。
 先に維新の会が提出した家庭教育支援条例の差別的な内容が全社会的に批判され、取り下げたばかりではないか。
 全く懲りない橋下の権威主義的手法が破綻していることに多くの人は気づく時だ。

2012年5月22日火曜日

7月14日【Fiesta Del Sol ・太陽の祭り】 前橋公園

【Fiesta Del   Sol ・太陽の祭り】が 7月14日(土)、前橋公園で開かれる。
 その大まかな日程が決まってきた。
1部はトーク&ライブ「女性による脱原発」
 出演者は音楽評論家の湯川れい子、ヨガインストラクターの千葉麗子、女優の仲代奈緒、制服向上委員会会長の橋本美香

2部のトークは「生き残れ!放射能時代」と題して、おしどりマコリーヌ・ケンパル(夫婦漫才)、DELI(ヒップホップ)、横川圭希(オペレーション・コドモタチ代表)、山川健一(ロック評論家、東北芸術工科大学教授)

 ここまで膨らんできたが、私自身、全く聞いたことのない人もいる。
 これに地元のうるさ型ミュージシャン群が参戦するのだから暑いことこのうえない真夏のライブの一日となるだろう。
 時間は午前10時から午後5時までぶっ通し。出店もあるので、多くの人たちに気楽に参加して欲しい。
 主催は〈原発とめよう群馬〉
 最高にエエですよ。

2012年5月21日月曜日

杉を伐採し瞬悠庵への出入りがかなり楽になったが...


伐採前

伐採後の様子

確かにヒマラヤ杉があることにより出入りに不自由したことは事実だが、伐採してしまうと何かひとつの軸がなくなったようで、寂しいものがある。
50年以上つきあって来たこともあり、無意識のうちにも通わせる何かがあったのだろう。
 出入りする人たちが勢いよく道路側に出て、川に落ちなければいいと心配してしまう。
 これも時の流れだろうか。

2012年5月20日日曜日

高崎映画祭最優秀作品「サウダウヂ」を観る



2007年12月三和食堂で、右から2人目が光石さん
 「サウダーヂ」は第26回高崎映画祭最優秀作品だったが見逃してしまったので早速シネマテーク高崎へ駆けつけた。
 長引く不況のもとでの日当暮らしの土方仕事の若者たち、外国人労働者の追い込まれた状況と日本人との対立、ラップを通じた若者の社会への怒りなど日本社会の実相を多数の場面展開で観る者に迫ってくる正直な映画だ。
 新自由主義が世界を覆い尽くし、どこに居ても逃れることはできない。
若者同士が国籍の違いなどで対立している時ではない、と訴えているようだ。
 1972年生まれの富田克也監督自身苦労人なので、目線が評価出来る。
 帰り際、志尾さんから、今夜10時頃、富田監督の舞台あいさつがあるので、是非、と誘われたが、さすがにお断りした。
 〈 シネマテーク高崎で6月1日まで上映予定〉


 沢田研二の新曲「カガヤケイノチ」を買おうと4店ほど回ったがどこにも置いてない。
仕方ないので注文しつつ、何故ジュリーの新曲を置かない、と抗議はしてみたが、これも時の流れだろうか。とほほの事よ。
 ついでに安田浩一著『ネットと愛国ー在特会の「闇」を追いかけて』も注文。読んでやる。


 家へ帰ると妻が俳優の光石研さん宅へ、新鮮セロリを大量に宅配の準備中、何やら奥さんとの電話声も聞こえた。
「今度、玉村町を舞台にした映画を作ることになったんだけど、光石さんにも・・・」


 6月議会での一般質問もほぼ準備出来た。
原発事故がもう遠い過去のように考えている人も結構いる。とんでもないことだ。特に第4号炉の使用済み核燃料貯蔵プールの状況には危機感を持っている。
 報道管制により、事実から眼をそらさせられてはいけない。
注意喚起、警鐘の意味も込めた内容にしたい。

2012年5月19日土曜日

金環日食に思うこと

21日早朝、例えば名古屋では932年ぶりの金環日食が見られるという。平安時代にそれを見た人たちは何を思ったろうか。東京では173年ぶり、大阪では282年ぶりだ。
 宇宙にはそれこそ無数の惑星が存在し、宇宙の摂理に基づいて軌道を描いている。
 地球人は太陽、月、地球が一直線に並びしかも太陽の輪郭をリング状に残す現象を金環日食と名付けた。
我々はその時に丁度居合わせただけ。そのことを味わえばいいだけのこと。
 宇宙は地球人のためだけに金環日食をサービスしてくれているわけではない。
 近くの惑星に知的生命体があれば、またそこからも金環日食やそれに似た惑星の並びの美しさを発見、見物出来るかもしれない。地球の近くに知的生命体が住む惑星がないから気づかないだけのこと。
 どこかの記事で読んだが、記憶に間違いなければ、現代科学は宇宙の暗黒物質の未だ5%も解明していないそうだ。
全宇宙を解明するには未だ駆けだしと言った方がいい。しかし、それでもこれだけの事が分かってくるのは楽しいこと。
 謙虚さや寛容さこそが自然のなかで生き死にするあらゆる生物にとって最善の智惠と考える。
 喜び、悲しみ、憎しみなど人類が経験した過去のさまざまな瞬間の積み重ねが現在となり、悠久へと連なっていく。
 瞬悠庵の名前はここからきた。

地球は宇宙の絶妙なバランスのなかで存在していることにどれだけの畏敬の念を果たして我々は抱いているのか。
 現代世界の生産力をすれば、地上から飢餓はなくなるはず、資本の論理により公正な分配が極端に阻害され、差別や収奪、貧困そして戦争が世界を覆っていく。
「国益」の争い事に終始している現代世界の現実はなんとも情けない。
 国家の存在こそが人類進歩の阻害物となっている。

金環日食から世界を見る眼を問い直したい。

2012年5月15日火曜日

まち映画をつくる準備会・藤橋誠監督

藤橋監督による説明
ここから始まります
鬼石町を舞台にした映画「しゃんしゃんしゃんしゃしゃしゃんしゃん」 を3回観た。
 そんななか顔見知りになってしまった藤橋誠監督から玉村町での映画制作の話を提起され、仲間といろいろ考えたが、上映会ばかりではなく映画制作の現場を経験することも価値あるものと考え、一歩踏み出そうか、という意味での準備会を役場3階の会議室で開いた。
 会場で千代田町を舞台にした藤橋監督作品「あおとんぼ」をみんなで観た。20分程だが「うーん」とうなるほどの秀作。
 参加者の多くは、「玉村でもこういうものが作れたらいいなあ」と思ったようだ。
 しかし、多くは言わないが、私が求めている映画は悪いけどこれ以上の作品。

 藤橋監督が考えている映画のタイトルは「漂泊」、あらすじを見せてもらったがなかなかいい。
 しかし、海千山千の参加者、あれはダメ、これも入れろ、こういうのもある、との意見続出。
 とにかく、船を進めます。
 その後の二次会で一層盛り上がる。ロッカー小林頼司さんのシャイさもいい。

 今年の花火大会あたりから、監督は頻繁に町に通うことになるだろう。
 秋あたりに予定のオーデイションは女子大や町内の住民を対象にするということもあり、徐々に地熱を高くし、少しずつ制作に関わる人を増やしていきたい。
 


2012年5月13日日曜日

7.14さよなら原発アクションat前橋公園

現在、全原発が停止しているが再稼働を模索する動きがある。政府と電力業界を中心にした勢力だが、この動きを封じる行動が必要だ。
 7月16日東京・代々木公園で10万人集会が計画されているが、それを前に、7月14日(土)前橋公園で〈さよなら原発群馬アクション〉を開催する。
今回はコンサート企画が中心となり、「ウッドストック」並みの勢いをつけて、16日の代々木集会へと大挙参加しようとする試みだ。

詳細はこれからだが朝10時から午後4時まで音響使用は可能なので、存分に楽しみたい。

現在までの参加者は、音楽評論家の湯川れい子、ヨガインストラクターの千葉麗子、制服向上委員会5代目リーダーの橋本美香などが決まっている。
勿論、地元バンドがうなりを上げて参加するので楽しみにしている。

2012年5月11日金曜日

正岡子規の終焉の風景に学ぶ・ 安保博史教授

県立女子大の安保教授

第4回の遊学塾は正岡子規の「病牀六尺」の解説だが、いつものように話は逸れ、五木寛之、養老孟司、姜尚中に触れながら、「書けなかったことを書く」までに至る心の葛藤とそれを乗り越えたときの全く新たな感覚・地平を解き明かす。

畢猶(おわりなお)
華の面影 宿すかな (吉野 弘)

高く心を悟りて 俗に帰るべし(松尾芭蕉)

諸事の物に情あり。気をつけていたすべし。
不断の所に むかしより伝ひ残したる情山々あり
                   (芭蕉最晩年の言葉)

安保教授の希望学の神髄に触れるような2時間だった。その評判もあってか貫井町長も参加していた。



2012年5月7日月曜日

だいち君登場 夢に挑戦する若者を応援したい。


小林だいち

小林日出幸さんがCDを2枚持ってきた。「ダンデライオンガール」「黒チョウチョ」「本音~ジャなきゃダメ~」の3曲がはいっているもので歌っている人は長男のだいち君(26才)。


午後は体調管理のため早めに帰り、家で3曲を立て続けに5回ほど聴いた。
いいじゃない。


(心が折れそうな時、今にも泣き出したい時、苦しくて耐えられない時、思い出して・・・。
雨雲がこぼした雨露、 狭い世界で悩みを抱えていることに嫌気が・・・涙に重なり
繰り返し繰り返し繰り返し 回り行くのはどこまで続くの
止まらない日々の時の中で 見つけたものは


 黒チョウチョ FAR AWAY AND IN THE  SKY
I WILL BE THERE  
I WILL BE THERE
I WILL BE THERE
黒チョウチョ FAR  AWAY AND IN THE  SKY
I WILL BE THERE  
I WILL BE THERE
I WILL BE THERE)
【黒チョウチョ】


私はだいち君とは面識はない。小林さんからもそう詳しい事は聞かなかった。何年か音信不通の状態があったのだという。
青春期の親子の葛藤だと理解したい。しかし、数年間、いろんな思いの中、親と連絡を取らずに一途に生き、住処と仲間を見つけ、ここまでこぎ着けた。
 極端な競争社会、御身大切で自分の夢さえ追えない若者がたくさんいる中、だいち君の経験は貴重な人生の糧となって将来きっと活きるだろう。


「夢に挑戦する若者は無条件で応援したい。」これは私の思い。
「ここまで来たらメジャーにしたいよね。」これは父親の想い。
 親の同じ思いが本人にとり、負担になる時期と応援になる時期がある。今がその端境期かもしれない。
いや、いや、日出幸さんこそ、一生夢を追える希有な人です。


 藤橋誠監督からメールが届いた。
玉村町で行われている「水神祭」や「祇園祭」を入れて中編映画製作を企画したいという。
 大崎章監督も玉村町を舞台にした映画を企画しているようだ。
藤橋監督30代、大崎監督やっと50代、まだまだ若い。

 玉村町をいろんな思いの人が縦軸、横軸、縦横無尽にクロスしていると思うと実に面白い。

小・中時代の同級生が集う

玉村町芝根小・中学校の同級生は60人くらいだ。町に残っているのは半数くらいだろうか。身近な友人もこの3月で60才を前に退職した人が何人かいるので、声掛けしたら、9人程集まった。
 風邪も治りきれないなかで、万全の体調ではなかったが、また万全の体調で臨むほどの集まりでもないので、軽い気持ちで会食をした。
場所は使い勝手のいい瞬悠庵、今回は4人の女性同級生が参加したことが特徴で、さまざまな話に花が咲いた。両親がもういない人や介護中の人もいる。「それが終われば俺たちの番だ」が共通の意識なのか、妙に話が合う。
 自分たちの体がまだまだ動く今のうち、久しぶりに同窓会を開こう、という結論になり、木暮博道、新井淳ちゃん、恵子ちゃん、郁代ちゃんあたりに中心になってもらい準備をしようという事になった。


高校の同窓会は3年ごとにしているが来年は「還暦同窓会」、12日には万年幹事として会議を伊勢崎市内の安居酒屋・友栄で開く。
1年に少なくとも2、3回幹事会を開き、幹事でもない連中も入れて飲んでいると、本当の幹事は誰だったか分からなくなり、最後はいつも飲んでいる仲間全員が幹事として責任を取りきるというすばらしい体制が出来ている。


 還暦などという言葉が我々にも当てはまってくるほど遠くへ来てしまったのかとつくづく思う。しかし、全然若いのには自分自身驚く。まだまだ走れるぜ。
 
 フランスの大統領選で現職サルコジ大統領に社会党が勝利した。社会党の勝利というより労働者に一切の犠牲を強いる緊縮財政政策一辺倒のサルコジ政権に否を突き付けたということ。
フランス革命の歴史を持つ国のドラスチックな動きにはいつも注目している。
 日本でも消費税増税などと、大資産家連中をそのままにしておいて苦しむ庶民大衆から一層むしり取ろうという政権に対しては、断固とした対応をとることになるだろう。自民党も民主党も同じだ。
 現在を資本主義の最末期ととらえる立場からすると、これからの展開状況を指をくわえて見ているだけではいられない。

2012年5月4日金曜日

自宅静養の護憲記念日

 毎年の5月3日は護憲集会に行くところだが、風邪気味でもあったので静かに自宅静養、外と一切の連絡を絶った一日だった。
 じっくり寝て休養を取るとかなり回復するのは、まだまだ体が若いからか、それとも風邪が初期のためだったのかはわからないが、回復に向かい大きく好転したことは事実だ。

 護憲派として東京、朝日、読売、上毛4紙を比べると、新聞の姿勢としては東京新聞が断トツだ。
1面に憲法13条(幸福追求権).25条(生存権)をドーンと書き出して、「今こそ憲法の出番」とくる。
幸福追求とはかけ離れた仮設住宅での生活の困難さを訴え、「生命の脅威を排除する観点からは原発は違憲」という法律家の伊藤真の言葉を載せる。
 右に左にウロウロする他紙に比べ、これくらいスッキリした論調の方がいい。


 「この道」を連載し終えた瀬戸内寂聴の話がまたいい。
(昔、瀬戸内が書いた魅力ある女性たちの烈しい生と美しい死をいま一度、今の若い人たちに読んで欲しく、わかりやすく書いた。
 昨年は1911年の大逆事件から100年に当たり、1月18日には判決、それから1週間もたたず、24日と25日に12名が処刑され、世界中の非難を浴びた。
その同じ年に平塚らいてう主宰の女性同人誌「青鞜」が誕生した。
 厚い因習の壁に取り囲まれて自由に勉強もさせてもらえなかった女たちが「青鞜」に結集して因習打破の女性解放運動を開始したのだ。
「新しい女」と揶揄に満ちた男達の嘲笑の的にされつつも、彼女たちは自分たちの生き方を発見し、世間の非難や圧迫などものともしなかった。平塚たちが「青鞜」をつくらなければ女性解放の思想はもっと遅くまで眠らされていただろう。
 そして100年後の現在、日本は最悪の時を迎えている。国民は政府を信用していないし、政府は原発事故の真実を国民に教えない。
 若者達は夢を失い、男たちは草食系とかいって生殖の情熱も失っている。
 女たちは100年前に比べたら信じられないほど自由に見える。しかし、100年前の女たちの真剣な因習との闘いにさえ無知である。
 自由らしく見える外形に比べ、内心のむなしさはどうだろうか。
 マスコミさえ2つの100年前の事件を振り返ろうとさえしないなかで、ならば私が書こう、ということで「この道」を書いた。)


 90歳になる瀬戸内寂聴が経産省前テント広場で原発再稼働阻止に向けハンストを闘っている人たちの応援に駆けつけ、一日ハンストを闘った。
「こんな悪い社会を若者に引き継ぎたくないから」と若者に対する決起を体を張って呼びかけた。



2012年5月2日水曜日

メーデーはどこへ行った

1886年、10時間以上の労働に耐えかねたアメリカの労働者が8時間労働を求めてストライキに決起したのがメーデーの始まり、その後、労働者の国際的連帯日として5月1日はデモンストレーションを含めさまざまな催しが各国で行われてきた。
 そのメーデーですら元気がないのが日本の現状、8時間以上の強労働にさらされ、無権利状態の労働者が山ほど出来てしまったではないか。
 自殺者3万人以上が14年連続などという恥ずべき現状に労働組合は何をしていると言いたい。
新自由主義のなれの果てが今の現実、大資本によりバラバラにされてしまっている労働者の現実、特に若者の行き場のない状況を打破する事が決定的に重要だろう。
このままでは自暴自棄になった社会で事件、事故の増加ばかりが予想される。
疎外された環境から信頼・連帯できる社会ヘ。それは可能だ。

新自由主義を突き破れ。