みんな寿命を全うしようぜ

みんな寿命を全うしようぜ
西表島で会った昼の蝶

2012年7月30日月曜日

酷暑の中、ロンドンオリンピックを単純に楽しんでいる

 土曜日の雷による停電のためか、インターネットが使えなくなり、身近な知り合いに直せるか見てもらったがやはり無理そうなので、プロに依頼するとさすがにすっきりと修復してくれた。
とにかく、コンピュータというものに対して根底的に腰の引けているところがあり、基本もわからず、しかし、ある程度使えないと、仕事にも何にもならないので使用しているにすぎない。
それはそれで便利だが、自分にとって必要な範囲しか使えないというのが実情。
 しかし、そこはよくできたもので、「わかんない、教えてくれえ」と言える仲間を何人も持っている強みがある。
平気でどんどん聞いてしまうのだ。こうした楽な関係の友人を複数持っていると非常にいい。
「アンタが頼りだよ」と持ち上げながら楽に生きられる。


 そしてオリンピック、鍛え上げたその道のトップクラスの競技だから、見ていてその迫力に心を揺さぶられる。それはスポーツの祭典とはいえ国際政治が色濃く反映していることはある程度わかる。
しかしこの酷暑の毎日、テレビで競技を楽しんで見られるだけでうれしい。水泳はいいね。
そういえば、イタリアやフランスの競泳選手には入れ墨している人もいた。橋下徹はどのような思いで見ていたろうか。
世界はひろいのだ。
 銅メダルに終わり悔しがって見せる選手より、順位はともかく「思いっきり泳げた」と笑顔の選手の方がいい。
期待される選手との差かもしれないが、メダル、メダルと煽るテレビにはひんしゅくだ。


 孫基禎という選手を知っているだろうか。朝鮮植民地時代の1936年、ベルリンオリンピックの日本代表として金メダルを獲得した人だ。
「マラソン世界制覇ー孫選手の力走」(朝日新聞)などと号外を出したが、「東亜日報」はユニフォームの日章旗を塗りつぶした写真を掲載して無期発行停止に処せられた。
朝鮮独立の象徴となることを恐れた官憲は彼を監視下に置き、公の場で二度と走らないことを条件に明治大学留学を許した。
「国がない状況で走ることは、孫さんにとりどういう意味があったのか」、という質問に対し、83歳の彼は「日本人の皆さんのお耳に障ることをいう必要はない。マラソンの金メダルをとったなかでは世界で一番苦労した男だよ」と答えた。 
2002年11月13日、孫基禎は亡くなった。
 日本は今でも孫基禎の金メダルを日本のものとしてカウントしている。
 日本の慣例では、金メダリストが亡くなった場合、JOCや日本体育協会から表彰や顕彰があるそうだが、彼の死に際しては、表彰や顕彰はおろか、弔電や供花すらなかったという。
今年はその「孫基禎」の生誕100年。
こういうこと知っておいた方がいいと思う。

2012年7月25日水曜日

玉村町・映画「漂泊」製作委員会結成



総会後のメンバー

 3度目の会議で玉村町・映画「漂泊」製作委員会の結成にこぎつけた。
 会長に就任した小林日出幸さんを中心に、ぼちぼち、しかし確実に映画製作の輪を広げ、たくさんの人たちに協力してもらいながら来年の映画完成を期したい。
 11月オーデイションシート配布、対象は中学生以上の県内在住者、2月オーデイション、6月、7月で撮影、秋には完成試写会という流れの予定。
 藤橋誠監督もこの間10回以上、町に足を運んでいる。
水神祭りで、麦わら舟づくりから利根川に流すまでの一連の過程を見る中で、これまで考えていた映画のイメージに変化もあったようだ。
 就職もままならない不安定な状況に漂流しているかのような現代人の日常を、うねりながら流れる利根川と、そこに生きる人びとを過去から未来へ交差させながら描こうとする「漂泊」。
さあ、どういう映画になるだろうか。
 
 

2012年7月22日日曜日

五料・水神祭りを藤橋監督が撮影

 15日に五料の飯玉神社で造られた麦わら船(水神様)は、そのまま境内に奉納されていたが、いよいよ今日が水神祭り本番、多くの村人や祭りに関心を持つ人々に見送られ、午後6時30分頃利根川に流された。
 今年はうまく流れに乗り下流まで静かに流れていった。
この水神祭りにいたく感動した藤橋誠監督はこの祭りを背景にした映画「漂泊」を構想している。
 すでに15日の麦わら船製作の様子もカメラに納めている。
船を土手から降ろす

カメラを回す藤橋監督

いよいよ利根川へ


船の姿をぎりぎりまで追う監督

水神船のひとり旅
今日も熱心にカメラを回していた。
 この時期はお祭りシーズンなので、途中、玉村ふるさと祭りの山車も撮影。
 いよいよ2年がかりの映画づくりの土台の部分の撮影も本格化する。
 24日には「映画製作委員会」を開き支援態勢をつくる。

 昨日は玉村町出身の大崎章監督も祭りを見に来ている。映画人にとって魅力ある町なのだろう。

 今日は箱石の「地蔵様祭り」でもあり、出発点である養命寺に朝出向き、子どもたちや関係者と一日の無事を願った。

2012年7月21日土曜日

川俣町議会の視察来町で知る原発事故の深刻さ

議会だよりの作成に関し、福島県川俣町議会が視察研修に来た。吉岡町と玉村町はその評価は高いらしく、過去においてもいくつかの議会の視察はあった。
 しかし、川俣町の議会だよりを読んだとき、全く違う感想を持った。
 川俣町は事故原発から40キロから50キロに位置する。原発の交付金等の恩恵はまるでないなか、事故被害により今も大変な状況にあるということ。
 NO141号平成24年5月1日発行の議会だよりに「原発事故現場を視察」という記事の一部を抜粋する。
<町議会は去る3月27日東電福島第一原発事故現場を視察した。町議会のみならず町当局も同行すべきという観点から町長や課長など22名で現場に向かった。
…中略・・・原子炉建屋に近づくとバスの中の線量計の数値は跳ね上がり230マイクロシーベルトから300マイクロシーベルトという高い線量であった。現場の状況はまさに百聞は一見にしかずである。
 津波によって電源が消失したと言っているが、津波の直接被害は海側にあるタービン建屋であり、原子炉建屋は山側である。
 それは1号機原子炉建屋裏側の送電線鉄塔が地滑りで倒壊し電源を喪失したものであり、津波が来る前に原子炉建屋内部では地震による配管の破壊や変形、ずれによりトラブルが発生し、メルトダウンに繋がったことが現場を見れば一目瞭然である。
 津波のせいにするのは原賠法の保険免責事項を適用させるためのものであることは明白である。
 今、マスコミなどでコメントを出している学者や評論家は一度現場に足を運ぶべきだろう。
 現場を知らない者が現場を説明するから混乱が起こるのである。
 一人でも多くの人が未だに高濃度放射線を放出する事故現場に注視すべきである。(総務文教常任委員会)>
 地震による地すべりで倒壊した外部電源用鉄塔の写真もある。

 出席した議員に町全体がこのような認識なのか尋ねると、そうだ、と言う。 
 政府や東電が「津波原因説」を吹聴しているが、現場を知る人をだますことはできない。
 問題なのは、原発事故現場から遠く離れて生活している我々の意識だ。
 原発事故一色に染められてしまっている周辺自治体の住民の怒りや不安をどのように共有し、安全な未来へと向かっていくのかという大きな課題は、まず、現実を直視することであり、原発再稼働ではないはずだ。
 その意味でも毎週金曜日の首相官邸前での抗議集会の意味は大きい。
 福島も沖縄も日本にとりかけがえのない地域なのだから、みんなで守るという意識が必要だ。

2012年7月18日水曜日

迫力の鬼石夏祭り(関東一の祭り囃子)

新田坂駆け上がり

勢いのバチさばきで気合いをいれる

5台御輿の大競演
15日、秋山局長の一声で学友が3人集合、桟敷席に陣取り、鬼石祭りはどんなものかいな、てな軽い調子でビールを飲みながら歓談。
「秋山に誘われたので桟敷席を付き合ったが、来年はもういいよ」程度の観覧だった。

 あたりはまだ明るい中、神輿が動き出す。
勢いつけての神輿の新田坂駆け上がりの迫力はすごい。
綱を引く人、太鼓をたたく人のかえ声が沿道に響く。
夏の暑い空気を切り裂き、次々5台の神輿が競うように坂を駆け上がる光景は迫力満点。

一息ついて、お祭り広場に集結した5台の御輿の1時間を超える壮絶な大競演には誰もが圧倒された。終わったときはすでに9時半。
 この日のために、鬼石町を出た若者たちもバチを片手に祭りに参加するのだという。
 ふるさとの夏は暑い。

 映画「しゃんしゃんしゃんしゃしゃしゃんしゃん」のワンシーンを思い出した。

 「来年は来ない」といっていた今市の学友も「この桟敷料は安い。もっと上げてもいいくらいだ。来年は孫に見せよう」と絶賛。
 

 さて、今週は玉村ふるさと祭り、ひと味違ったものにしたいなあ。

2012年7月17日火曜日

代々木公園埋め尽くす17万人の脱原発の声・声・声

 時代が大きく変わる予兆なのか、この間の首相官邸前デモ(毎週金曜日)の迫力をそのまま、いやそれ以上の迫力を込めての昨日の大集会だった。
 暑い、暑い、暑いなか、巨万の大衆が動き出した手ごたえは確かにある。野田政権や自民党を必ずや追い詰めるだろう。
 歴史から飛び出せ。

たかが電気のために、なんで命を危険にさらさないといけないのでしょうか。子どもや美しい日本の国土を守ろう。(坂本龍一)
 
原発が停止し、今後大きな地震があったら大事故が起きるかもしれない危険のなか、まだ原発にこだわっている。
 国民の生命と財産を無視する政府を徹底的に弾劾する。
原発は直ちにゼロにすべきだ。(鎌田 慧)

750万人分の署名の大半を首相あてに提出した翌日、野田政権は原発再稼働を決定した。
 大飯原発を再稼働させ、さらに再稼働を広げていこうとする政府に、侮辱されていると感じた。
 政府の目論みを打ち倒さなければならない。(大江健三郎)

野田政権に聞く。あなたたちが国民という時、誰を見て言うのか。今日ここに来ているのが国民であり、市民だ。
性懲りもなく原発を推進する人たちに、本当の民主主義は何かを教えてあげないといけない。(落合恵子)

政府に言い分があれば、口に出していいし、体に表してもいい。
たとえ空しいと思う時があっても、めげずに頑張ろう。(瀬戸内寂聴・90歳)












炎天下の集会

炎天下にもかかわらず集会に集中
 民主党の参議院議員3名が民主党を離党するという。
野田首相の原発再稼働への異議申し立てだ。
まっとうな議員は野田の元ではやっていられない。
 一連の脱原発の運動が、このようなことの引き金となっている。
恐れることはない。政治をもっともっと流動化させよう。
      【POWER TO THE PEOPLE】

2012年7月14日土曜日

汗だくで玉村花火見物

田園花火は素晴らしい


大勢さんの見物人
 昭和村村長及び議会議員と交流の後、花火大会本部会場での花火見物。長野県山之内町長と議会の方々とも一緒だった。
今年の花火もすごい迫力だ。
 藤橋誠監督もこの花火を撮影している。相当いい映像を撮ってくれていると思う。
終了後は忙しいらしく連絡も取れないが、こちらは友人から「ホルモン屋にいるから来い」との電話で、不本意ながらこれから赴く。もう水を飲むだけで充分だ。暑い一日だった。
 今日から夏の一連の行事が始まる。

Fiesta Del Sol (太陽祭)仲間の団結力で貫徹



福島から来た IN THE WIND
 


橋本美香

左から湯川れい子、千葉麗子、仲代奈緒、橋本美香

暑い中、話に聞き入る参加者

「三宅雪子も入った脱原発女子会」

 天候も心配されたが何とか雨にも降られず「太陽祭」を、多くの参加者を得て貫徹できた。
 雨が降らなければ降らないで、これまた蒸し暑い一日だったが、100人規模のスタッフは打ち合わせ通り、早いグループで午前7時集合、テント張りから準備を開始し、予定通りのスタートとなった。
 「原発とめよう群馬」で新たに購入した放射線測定器による放射線量の検査もした。
 音楽とトークショーの企画は初めてだったが、この種の人脈に通じている人たちがいて、このような幅広い人士の参加となった。
 声高には言えないが、ほとんど無報酬参加であり、各人がいかに原発事故を深刻、真剣に考えているかを現しているようだ。
 出店販売も20店ほどあっただろうか。みんな環境問題に深い関心を持つ人たちの集合企画でもあり、どのブースも賑わっていた。
 今帰ったばかりなので、まとまりはないが、原発のない社会を本気で目指す多くの人々の思いを結集するイベントは今後も継続する必要があり、当面は16日(火)代々木公園での「さよなら原発10万人集会」を大成功させることだ。
 大、中、小の脱原発集会を積み上げ、大資本にしか目を向けない野田政権を揺さぶり、倒すことがまずは手始めだ。

 一考として、この一文を添えたい。
【人々が街頭にあふれだしてきた。
 やむにやまれぬ思いで。  いても立ってもいられない氣持ちに圧されて。
 こんなことがあっていいわけがない、だから、他人頼みをしないで、自分で意思表示をする。
 こんな動きは いったいどれだけぶりだろうか。日本がまた徐々に熱く変わろうとしている。
 わたしは当日東京にいない。
 痛恨の思いだか、東京だけが日本ではない。
 日本中で同じ思いを抱えた人たちが 思いおもいの行動に出るはずだ。
 権力よ、わたしたちを あなどってはならない。】
    上野千鶴子・社会学者出典・週刊金曜日2012年7月6日通巻917号
 


  1. 不ぞろいの二人

2012年7月9日月曜日

14日は前橋公園で《フェスタ・デル・ソル》

 大飯原発3号機(118万キロワット)が再稼働し、9日午前1時原子炉の出力が100%になるフル稼働となった。
 野田首相は首相官邸前に毎週金曜日に集まり、再稼働に抗議を続けている巨万の人々の声を無視し、原発再稼働の既成事実を押し付け、無力感を与え、運動をつぶそうとしている。
そして今後も次々と他の原発の再稼働を目論んでいる。
 しかし、そうはいかない。福島原発の事故を契機に今回ばかりは本気で多くの人々が全国で、原発のない社会を目指して動き出している。
 16日代々木公園での大集会を前に、14日前橋公園で脱原発《フェスタ・デル・ソル》が開かれる。
 地元の午前10時から始まり、地元のバンドが続々登場する。
午後1時40分からは、第1部トーク&ライブ「3.11後の女たち・脱原発女子会」 
出演は湯川れい子、千葉麗子、仲代奈緒、橋本美香。
第2部トークは「生き残れ・放射能時代」として、おしどりマコ・ケン、DELI、山川健一、横川圭希、Kダブシャインが出演し、熱い思いを語る。
 この太陽祭《フェスタ・デル・ソル》はかなりダイナミックな企画と自負している。
 真夏の一日、大勢の人々に参加していただき、脱原発社会を実現する息切れしない運動をつくる一助になれば大変うれしい。

 14日は午後8時から玉村町の花火大会、夏を告げる花火として定着の感があるが、これも楽しみのひとつ。
 15日は午前中、平和行進、午後からは秋山局長の指令で鬼石夏祭り会場で古く遠い学友たちと集い、16日の代々木公園へと向かう予定になっている。

2012年7月7日土曜日

群馬県立女子大学長を囲む会

 貫井玉村町長と原玉村町商工会長を発起人とする濱口富士雄県立女子大学長を囲む会が賑やかにに開かれた。
 参加者は発起人二人が任意に人選したもので、形式にとらわれた人選ではなかったのがよかった。
 町づくり玉村塾や町映画づくりも視野に入れた人選でもあったようだ。北村上毛新聞副社長も参加していた。
町の課長も全員参加していて、もっと積極的に町づくりに関われ、と町長が促しているかのようだった。
 その濱口学長の専門は中国古典学、挨拶の中でも造詣の深さの片鱗を見せていただいた。
 今、大学も生き残り競争まっただ中、地域との共存のなかで成果を出すことも大切な要素となっているようだ。玉村町と女子大の連携を今後も深めていこうという試みの集まりだった。
 女子大は入ってみると、以外に敷居は低いように感じる。
大学として相当な知識の蓄積もあるはずだ。生涯学習を望むのであれば、聴講生になるのも一つの方法。
 先生方もいろんなところから来ているから、情報量も発進力もある。
 しかし、濱口学長も北村副社長も玉村町在住とのこと。
知らなかった。失礼しました。

2012年7月5日木曜日

非核・平和のための行進

庁舎前での報告集会
 核兵器も原発も基地もいらない、子供たちに核も戦争もない未来を目指す非核・平和のための行進が玉村町に要請行動を行った。
 毎年のことだが、こうした要請行動により自治体は緊張感を持ち、記憶の中で遠くへ行ってしまった戦争の記憶を呼び起こす。
そして現在がどういう状況にあるのかを確認する。
 町長、議長が別の行事で不在のため、横堀副町長、島田副議長と石川が対応した。
  今年は特に原発事故の深刻さと原発再稼働が許しがたいものであること、米軍が沖縄に配備しようとしているオスプレイの危険さが話題になり、これらの問題を自分のこととして考えることの大切さが議論された。 
 庁舎前での報告会で島田副議長は、玉村町議会が昨年12月定例会で住民からの脱原発に向けての陳情を全員一致で採択、政府に玉村町議会として脱原発の意見書を提出したことを報告した。
 一連の要請行動は群馬県平和運動センターが主催するもので、4日から6日までかけて県内の自治体をまわり平和行政の推進を訴えていく。

2012年7月4日水曜日

中学校総合体育大会開会式

観覧車を背景にした1場面
 今年も夏を告げる伊勢崎佐波中学校総合体育大会が始まる。期間は23日まで。
今日は開会式だ。真夏の日差しの中、整然と入場行進する姿は彼らの成長ぶりを感じさせる。
伊勢崎市陸上競技場は私が高校生の時造られたので、もう40年は過ぎている。
その意味では多くの人たちが走り込んだ歴史ある競技場といえる。
 いつものことながら映画「チルソクの夏」を思いだし青春時代を懐かしんでしまう。
 しかし、人生をここまで生きてきた人間として、どうしても腑に落ちないのがそのスローガン「規律を守ろう。強いからだをつくろう。友情を深めよう」だ。ここは教育の場であり、調教の場ではない。
 何故、規律を守ろうが最初に来るのか、「ともに生きよう。自由に生きよう。真理は人を自由にする。だから学ぼう」の方がずっといい。
 人生はパソコンや機械の操縦ではない。
マニュアルの中でしか考え、生きられない若者を大量生産してしまったら、人間が未来を生きぬくために必要な本当の改革の力を奪ってしまうことになる。
それこそ社会にとり大きな損失だ。
 入場行進をため息をつきながら見ていた。しかし、しかしだ。
未来はやはり若者のものだ。
 気を取り直そう。


2012年7月3日火曜日

自民党野田派こそ除籍しろ

消費増税や原発再稼働に対して自民党は何の異議もはさまない。
それはそうだろう。自民党こそが望んでいたものだからだ。
野田政権は小沢グループを追い出しても自民党と一体になり原発再稼働、消費税の増税に突き進む構えだ。
彼らの眼中にあるのは財界のみであり、国民大衆の思いなどは二の次だ。
 保守政党である自民党に対して民主党は少なくともリベラル政党であるべきだった。民主党内はどうも自民党と寸分も違わない保守派議員に主導権を握られているようだ。
 小沢一郎の政治手法により嫌というほど煮え湯を飲まされた人はいるだろう。しかし、自民党野田派として自民党とともに消費増税に血道をあげる民主党保守派に対し、まとまって抵抗するその姿勢は大いに買いたい。
 除籍されるべきは野田グループだろう。
 群馬県からは三宅雪子が小沢に同調した。それに比べ、小沢を「革命家・師」として仰いでいたわが選挙区の石関たかしは、本会議は欠席、小沢にも同調しない。なんと腰のはいらないことか。
これだから彼は信用されないのだ。
 ここから、このカオス状況から新たな政治が始まる。
ここに大衆運動が絡んでいくと星雲が形づくられていく。
これが歴史の歩んできた道だ。
国会の中だけですべて決まるなどということはまるでない。