みんな寿命を全うしようぜ

みんな寿命を全うしようぜ
西表島で会った昼の蝶

2014年9月27日土曜日

芝根小学校運動会

竹取物語、最初はすばやく竹を取り合う
竹棒が少なくなると密集し出す
最後の一本は総力戦
久しぶりの足利学校

 秋日和にも恵まれ、県下一斉小学校運動会、私は母校の芝根小学校へ行く。
 子どもの減少傾向のためか、会場を取り巻く保護者応援団が毎年減少傾向のようだ。少子化がいよいよ深刻段階へと向かっていることがここでもうかがえる。
 もっとも昔は、運動会は小、中学校、消防団、女性部の舞踊まであり地域総出の村祭りの様相をしていた。その頃と時代がまるで変わっていることも事実。
 少子化時代に対応する地域社会づくりも視野にいれることも必要かなと思う。
 子供たちの竹取物語は実に面白い。力だけでは勝てない知恵比べの競技でもある。
 
 午後は考えるところもあり足利学校と鑁阿寺に行く。歴史散策はいいものだ。
 

2014年9月26日金曜日

群馬の森の「朝鮮人強制連行犠牲者追悼碑」についての記事

2014 とくほう・特報

群馬県立公園「群馬の森」 朝鮮人強制連行犠牲者追悼碑撤去の動き

歴史の真実否定するのか





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 アジア・太平洋戦争での日本の加害記述をめぐって、外部からクレームがあったことなどを理由に、一部自治体が事実を記した碑を撤去したり、説明板の文字を削除したりする動きが起きています。その一つ、群馬県立公園「群馬の森」(高崎市)にある朝鮮人強制連行犠牲者追悼碑について、県は7月、碑の設置許可を更新しないと発表、市民団体に碑の撤去を求めました。この問題の背景を考えます。
 (党学術・文化委員会事務局 朝岡晶子)

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(写真)「群馬の森」(高崎市)にある朝鮮人強制連行犠牲者追悼碑

全会派賛成で建立

「群馬の森」の朝鮮人追悼碑は、東京ドームの5・6倍(26・2ヘクタール)の広大な面積を有した公園の中心部から、少し離れた静かな場所に建っています。2004年に市民団体が県の許可を得て建立したもので、今年が10年間の設置許可の更新をする年でした。
 1937年に北京郊外で起きた盧溝橋事件を機に日中戦争=日本による侵略戦争が中国全土に広がり、さらに41年、アジア・太平洋戦争へと拡大しました。この戦争で日本人男性の多くが軍隊に召集されたため、国内では労働力不足に追い込まれます。そこで日本政府と企業が行ったのが、朝鮮人・中国人の「強制連行」です。
 群馬県には当時、世界有数の航空機メーカーだった中島飛行機の工場が数カ所ありました。これらが米軍の爆撃から逃れることを目的として地下工場をつくるため、多くの朝鮮人が県内に強制連行されてきました。
 こうした歴史を「広く国民に伝え、正しい歴史認識を確立する」ことを目的として結成された「群馬県朝鮮人・韓国人強制連行犠牲者追悼碑を建てる会」(碑建立後「記憶 反省 そして友好」の追悼碑を守る会に改称)が2001年2月、県議会に追悼碑建立の請願を提出し、全会派が賛成して採択されました。

「政治的発言」理由に

写真
(写真)広大な「群馬の森」の敷地。この一角に朝鮮人強制連行犠牲者追悼碑があります
今年なぜ、県は追悼碑の設置許可を更新しなかったのか―。
 「追悼碑を守る会」は毎年、碑の前で追悼集会を行ってきました。この集会の中であった発言について、「公園の設置許可条件にある政治的行事はしないことに違反している」などとして、三つの団体が「追悼碑の設置許可取り消しを求める請願」を県に提出したのです。
 永井正取・日朝協会群馬県支部会長は「追悼集会での政治的な発言とされているのは、『朝鮮高校の授業料無償化を求めたい』『平壌宣言にのっとって日朝国交回復を望みたい』という朝鮮総連の方のあいさつ。これは事実に基づいた訴えであって、この発言のどこが政治的なのか。たとえこれを政治的だと言う人がいるとしても、そのことによって碑を撤去するなどという偏狭な県民であっていいのかと問いたい」と言います。
 県は、碑文の内容に「反日的だ」というクレームが寄せられていたことや、碑文に反対する団体が公園内で抗議行動を行ったことなども更新不許可の理由に挙げています。しかし、この碑文は「建てる会」の原案に県が数点にわたる意見をつけたため、両者で議論したのちに合意して作成したという経過があります。今回の更新不許可の理由にはなりません。

右派団体・メディアが

設置許可の取り消しを求めてきた団体の中心は「群馬の森の朝鮮人追悼碑撤去を求める県民の会」ですが、この会の背後には「頑張れ日本! 全国行動委員会」群馬県支部の存在があります(全国組織の会長は田母神俊雄氏)。また産経新聞(群馬版含む)が追悼碑についてくり返し批判記事を掲載。右派色の強い衛星放送「日本文化チャンネル桜」は昨年、「群馬の森に立つトンデモ追悼碑」という特集を組み、番組内で県庁などに抗議するよう求めていました。ヘイトスピーチ(憎悪表現)をくり返す在特会や右翼団体の「維新政党・新風」などが街頭活動の協賛団体として名を連ねています。
 6月県議会での更新不許可を求める請願には、自民党・公明党・新星会が賛成し、日本共産党とリベラル群馬が反対しました。日本共産党の伊藤祐司県議は反対討論で、追悼碑について「二度と過ちを犯さない誓いとして県議会の全会派が賛成して建てられたものだ」「こんな動きの先にどんな未来があるのか。近隣諸国といがみ合い、再び世界から孤立する道だ」と述べて請願の不採択を主張しました。

加害の事実に向き合ってこそ

図
県が追悼碑の設置更新不許可を発表した後、各方面から反発の声があがっています。
 8月7日、在日韓国大使館の金容吉総領事が群馬県庁を訪れて副知事と会談し、日韓関係に「悪影響が出るのは望ましくない」と述べました。
 東京歴史科学研究会は7月22日、追悼碑を撤去することは「憲法で保障された集会や言論の自由を侵すもの」であり、「歴史の事実を否定し、朝鮮人犠牲者の尊厳を冒瀆(ぼうとく)する行為」だとして反対し、存続を求める声明を公表しました。同会代表委員の須田努明治大学教授は「追悼碑の撤去とそれに至る経過は、安倍政権の右翼的で管理的な体質と無関係ではありません。日本軍『慰安婦』問題も同様ですが、このようなことをくり返している限り、アジアの中で友好関係は築けない」と指摘します。
 猪上輝雄「追悼碑を守る会」事務局長は、「碑の撤去は考えていません。全国の心ある人に呼びかけて存続運動をつくっていきたい。会として行政訴訟に踏み切ることや、請願署名を集めることも検討している」と語ります。
 須田氏はいいます。「ヘイトスピーチについて国連が対処勧告をし、国内でも民事訴訟で裁判所が損害賠償を命じました。世論調査でも嫌悪感をもつ国民が7割近い。一部行政の人権感覚が国際社会といかに温度差があるか、自覚すべきです」
 戦後70年を来年に控えたいま、加害の歴史の真実に向き合い、未来への教訓とすることのできる社会への歩みが求められています。

碑文「追悼碑建立にあたって」(一部)

20世紀の一時期、わが国は朝鮮を植民地として支配した。また、先の大戦のさなか、政府の労務動員計画により、多くの朝鮮人が全国の鉱山や軍需工場などに動員され、この群馬の地においても、事故や過労などで尊い命を失った人も少なくなかった。
 21世紀を迎えたいま、私たちは、かつてわが国が朝鮮人に対し、多大の損害と苦痛を与えた歴史の事実を深く記憶にとどめ、心から反省し、二度と過ちを繰り返さない決意を表明する。

長野・奈良では

長野市の「松代大本営地下壕」入口の説明板では、朝鮮人労働者が工事にかかわったことを記した部分の「強制的に」という文言を、昨年8月から市がテープで覆いました。奈良県天理市では「大和海軍航空隊大和基地」跡地に設置した説明板を、市が今年4月に撤去しています。

2014年9月21日日曜日

アーサー・ビナード講演会/群馬会館





開場前のリラックスした3人(群馬会館)
ほぼ満員の会場(群馬会館)


佃夫妻による演奏(下之宮公民館)

伊勢玉大橋開通を祝う下之宮地区の人々(火雷神社)

 群馬会館でのアーサー・ビナード講演会は会場の雰囲気がよかった。
 最初しかいられなかったが、彼の考え方のセンスに参加者は大きくうなずくことが多かったと思う。
八ッ場ダム本体工事直前でもあきらめない運動の必要性をつくづく感じた。
 アーサー著「日本の名詩、英語でおどる」を買い込みサインをいただいた。
 
 3時からは伊勢崎と玉村を結ぶ伊勢玉大橋開通祝賀会の開かれている下之宮へと行った。
 多くの人にとっては伊勢崎と玉村を結ぶ橋だが、下之宮の人たちにとっては玉村町下之宮と伊勢崎市上之宮を結ぶ橋という認識だ。
 500年程前、利根川の氾濫により分断された地域がこの橋により結ばれた。
 下之宮には796年命名された火雷神社があり、上之宮には委文(しどり)神社がある。
 それぞれ歴史ある神社で、先祖にふたつの宮が繋がれたこと、そして今後の安全と繁栄を祈念しての企画だった。
 町内樋越に住む佃康史、美代子夫妻による尺八、三味線演奏も披露され、地域の人が大勢集うなかでの手造りの祝賀会となった。
 

 

2014年9月14日日曜日

藤岡市・成道寺での関東大震災朝鮮人犠牲者慰霊祭

水辺の森フェスタで歌う堀越君
 
法要が行われた成道寺
慰霊塔に手を合せ犠牲者の冥福を祈る


 日朝友好連帯群馬県民会議主催による関東大震災朝鮮人犠牲者91周年慰霊祭が藤岡市の成道寺で開かれた。
 1923年9月5日、6日にわたり、藤岡警察署に保護されていた朝鮮人17人が、地元自警団により虐殺されたことを知る人がどれほどいるだろうか。
 〈震災時のデマにより、9月5日、怒った民衆数千人が警察前に集まり、留置所を破壊し、16人を引き出し、門前にて撲殺し警察の前に並べて死の山とした。6日の夜、民衆、残りの朝鮮人1人を留置所より引き出し、殺し、警察を破壊し、8時から11時頃まで無警察状態となった〉以上は過去帳より。
 このような悲惨な過ちを繰り返さないためにも毎年開いている「慰霊祭」だ。
 あいさつの中で、群馬の森にある「朝鮮人追悼碑撤去」に対して裁判闘争を闘うことも報告された。
 歴史改ざんのこれ以上の動きを許さない決意と行動が必要だろう。
 
 現在、北朝鮮との間で交渉が行われている日本人問題に関して言えば、日本政府は拉致問題ばかり主張するが、朝鮮残留日本人や朝鮮で亡くなった日本人遺骨収集問題などもあるはず。
 いつも思うことだが、関東大震災時の朝鮮人大虐殺に対して全く真相解明しようとしない日本政府の対応の悪さ、加害の歴史がスッポリ抜け落ち、拉致被害ばかりを声高に主張するその外交姿勢では、被害国・朝鮮の理解を得るにはほど遠いことを自覚しなければならない。
 相手の北朝鮮政府はアメリカをヘトヘト、辟易させるほどの水際外交をやってのけ、中国のいいなりにさえならない筋金入りの外交手腕を持っている。
 「日本は今も昔も悪いことをしない誇り高い国だ」などと、島国・日本国内の右翼人士だけにかろうじて通用する単純、薄っぺら、困った外交では、簡単に一蹴されることは明らか。
 歴史は長く広く深くそして複雑だ。
日朝外交を進展させる鍵は何のことはない。
明治以降の対朝鮮政策、朝鮮植民地政策のなかで起きたさまざまな事件に向き合い、朝鮮の立場を理解し、対応をとることに尽きる。
 その立場から慰霊祭への毎年の参加を心がけている。

 昼は、玉村町烏川沿いの水辺の森公園で開かれた「水辺の森フェスタ」へ。
 晴天の中、大勢の参加者を得て、手作りの祭りも盛り上がっていた。恒例化し、今後の推移が楽しみだ。

2014年9月12日金曜日

「手話言語法制定を求める意見書」を採択し、玉村町9月定例議会終わる

 3日から開かれていた9月議会が終わった。
決算議会でもあり25年度決算をすべて認定して終了となった。
最終日の今日は「手話言語法制定を求める意見書」を採択した。
 手話とは、日本語を音声ではなく手や指、体などの動きや顔の表情を使う独特の語彙や文法体系をもつ言語である。手話を使うろう者にとって、聞こえる人たちの音声言語と同様に、大切なコミュニケーション手段として守られてきた。しかし、ろう学校では手話は禁止され、社会で手話を使うことで差別されてきた長い歴史があった。
 2006年12月に採択された国連の障害者権利条例には、「手話は言語」と明記されている。そして政府も2011年8月「改正障害者基本法」で、「すべての障害者は、可能な限り、言語(手話を含む)その他の意思疎通のための手段についての選択の機会が確保される」と定めた。
 今回の請願は、手話が音声言語と対等な言語であることを広く国民に広め、聞こえない子どもが手話を身につけ、手話で学べ、自由に手話が使え、更には手話を言語として普及、研究することのできる環境整備のため、「手話言語法(仮称)」の制定を求めるもので、全会一致で採択した。
 なお、傍聴席のろう者のため手話通訳者が議場内の傍聴席から見やすい場所で手話通訳をした画期的な日でもあった。

2014年9月11日木曜日

アーサー・ビナード講演会のお知らせ/21日、群馬会館



 日本を見つめて、日本語で詩を書くアメリカ人アーサー・ビナードが鮮やかに語る。現代のさまざまなペテンと私たちの進むべき道。
 〈9月21日群馬会館ホール12時開場、1時から講演。
 主催 八ツ場あしたの会 原発止めよう群馬〉

 八ツ場ダムの本体工事が始まろうとしているが、地域住民が望む生活基盤整理は全くといっていいほど進まず、政・官、業の利権が横行する状態を許しておいて本当にいいのか。
 ダム完成後の「ダム湖観光」が本当に成り立つのか。
ダムの貯水はダム湖観光が成り立つ満水状態ではなく、多くの期間は低い水位におかれ、また富栄養化による藻類の大量発生により、青々とした湖面など想像も出来ない。

 福島県「県民健康調査」検討委員会は8月24日、福島の子どもの甲状腺ガンが疑いも含めて104人に及んだと発表した。しかも手術をした子どもの8割以上に転移が見つかっていたことも明らかになった。このままでは大変なことになる。
<だます人とだまされる人、どっちが悪い?>
 私たちの進むべき道を困難であっても見出すよい機会なので多くの人の参加を呼びかけたい。


2014年9月6日土曜日

朝鮮民主主義人民共和国にプロレスを見に行った人の話

北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)に行ってきました。



8月29日~9月1日。
移動除くと実質2日間の旅で、
昼間は観光。夜はプロレス観戦という旅でした。


【はじめに】

TVをあまり見ない僕でも、軍事アピールは知っていたので、正直怖かったです。
北京で乗り継いで行ってきました。




飛行機内では、TVでよく見る軍事パレードや独特な踊りなど流れていて引きました。
はたして無事に帰れるのか・・・。不安が頭をよぎり旅がはじまります。




空から見ると、
周りはほとんど緑の農地です。
家は、薄い茶色の瓦一色で、
日本みたいに色とりどりで自由な感じではなく地味で画一的な印象。




飛行機は滑走路に直接降りて、
バスで空港まで行きました。
週に数便しか飛んでいなくてすいているので、
とりあえず降りやすいところに降りているのかな!?




北朝鮮のスポーツ選手(競技不明)らしき団体の方と一緒の飛行機でした。


空港周辺では軍服を来た人がいて、
軍の車両などもあり怖かったです。
銃を向けられて「早く歩け!」とかは無かったです^^;(勝手なイメージ)






どきどきしながら写真を撮りました。



そんなこんなで無事空港にたどり着きました。

全体的に街も人も質素で素朴な感じ。
街はきれいでごみが落ちていなかったです。
店がほとんどないので、そもそもごみになるものが無いようです。
都心以外は農地がほとんどのようですが、首都平壌はビルが建ち並び驚くほど近代的です。







日本との時差はなし。
気温も日本とほぼ同じで東京より若干涼しい感じで過ごしやすかったです。
文字はハングルで言葉は朝鮮語。韓国と同じ。
日本語、英語はほんの少しだけ通じる感じ。


【社会システム】
社会主義国なので、家賃、交通、医療費、教育費、なんと全部無料!
水道光熱費は有料。全員公務員。国から物資やお金が支給されるようです。
国への貢献度に応じていい家、マンションが決まるようで、
お金を払えばいいところに住めるわけではないようです。


基本的になにもかも平均的な感じで立派な家もなく金持ちも乞食もいない様子。
極端に太った人や痩せている人は一人もみかけなかったです
(金正日と金日成は太ってますが^^;)
平壌を離れて郊外は畑ばかり。食糧危機なんて本当!?って思いました。


資本主義ではないのでそもそも豊かとか貧しいという概念がない感じです。



【お金】お土産屋では、飲み物全部がワンコイン100円!ジュースもハイネケンもスーパードライも北海道生ビールも^^;外国の商品を売っているのは驚きました。
「値段とか良く分からないけど、とりあえず売ってます。」って感じ。ノルマも何もなさそうです。
端数切捨てで、細かい為替とか関係なし。直接、円、ドル、ユーロ、元とか使えるようです。
(自分は円しか持ってなく、現地で北朝鮮のお金に換えてお土産に持って帰ろうと思いましたが換えれなかったです。そもそも、そういうものではなく、思考の枠の外の国でした。)






【通信】
現地のひとは携帯で話しているけど、
日本の携帯では国際ローミングできません。さすがに外国人向けホテルにはWiFiあるだろうと思いましたが無かったです。
4日間電話もメールも返せずご迷惑をおかけしましたm(_ _)m






【移動手段】
地下鉄、バス、タクシーがあります。
高速道路もありますが道路はでこぼこでスピードは出せない感じで高速道路に普通に歩行者がいます。
道路はどこも広くすいてます。信号はないです。

地下鉄内は電気が暗かったです。地下鉄というより国全体の照明もですが。

バスの中バスの中





【娯楽】
カラオケがあります。あとお酒と煙草。
遊園地やボーリング場などもあるようです。
遊ぶところは少なそうです。




【人】
なんかイラついているひとや、写真一緒に撮ってくれたりする人やそれぞれでした。
最前列のプロレスのチケットを落としたら、
席をはずしている隙に、チケット拾ったおっちゃんがしれっと俺の席だと言わんばかりに座っていました。
ガイドさんに説明して通訳してもらい、どいてもらいましたが面倒くさかったです。まあ自分が落としたのがきっかけですが。




タバコ吸う人はめっちゃ多い印象を受けました。昔の日本のようです。
みんな胸に金正日と金日成のバッチをつけてました。きっとそれがルールなのでしょう。
街や建物内などいたるところに金正日と金日成の写真や像がたくさんあり、国民は尊敬しているようでした。




子供は手を振れば手を振りかえしてきて可愛いかったです。あと可愛い女性が多ったです。凛とした印象。
逆に男は韓流スターみたいな感じな人はいなかったです。




テレビの軍事パレードを見ると洗脳されたロボット的な人が多いのかな?と怖かったですが、
笑ったり、ぼっーとしてたり。だらーっと座ってるだらしないおっちゃんとか。
日本と同じでいろんな人がいて普通でした。
しいて言えばみんなゆっくりで東京みたいに急いでいる人とかはいなかったです。














【料理】

料理は、質素。素朴な感じ。基本的に韓国料理と同じですが、骨付きカルビ!とか派手なものはなく味付けはあまり辛くなかったです。
僕達が食べたのは品目数も多く観光客向けの料理だったのかなと思います。
北朝鮮のビールは普通に美味しかったです。









【国境】
韓国との国境に行ってきました。
壁も何もなく。兵士が何人か立っているだけ。
走れば超えられる感じ。もちろん超える勇気はなかったですが。
ちなみに僕たちは北朝鮮から観光客なので、
気を遣ってくれたようで国境に韓国側の兵隊はいませんでした。




説明のお兄さん

軍事境界線軍事境界線



写真の青い建物が韓国側。その隣の建物が北朝鮮側のものです。(逆かも!?)
建物のちょうど真ん中が国境になっています。





建物の中に入りました。会議室では、パスポートなしで国境を行き来できました。(テーブルの真ん中ちょうど国境になっていました。)




【宗教】
宗教はどうなんでしょう。
寺院など見当たりませんでした。




【インターナショナルプロレスin平壌】
そもそも今回の旅はアントニオ猪木の「インターナショナルプロレスin平壌」への参加でした。
猪木議員は30回も北朝鮮に来られていて、今回のプロレス興業はなんと19年ぶり!




「スポーツを通じて世界平和」に向けてめっちゃ頑張っているなんて知らなかったです。
争うのはスポーツの中だけで十分ですね!




プロレスはガチの戦いではなくエンタメということが分かっていないのでガイドさんはがっかりしてましたが、
逆に"平和"ということが伝わったといっていました^^












すごい至近距離で見れました。プロレスファンではない自分が前ですみませんm(_ _)m


【最後に】
今回の旅で見れたのはほんの一部だと思います。
北朝鮮は怖いニュースがなければ、親しみの持てる誰もが嫌いになれない国だと感じました。
実際自分もそうでしたがTVや新聞を見ただけで全否定するのはどうなんでしょう(否定せざるを得ないように作られていますが)
どの国にも軍隊がいて演習はやっていますし一つの側面だけで判断するのは・・・。
誰も戦争などしたくないはずです。
僕たち一人一人の嫌悪感・分離感が戦争のはじまりではないでしょうか。


最終日の夜にガイドの金さんとお酒を飲んだのですが、
妻と子供2人との為、仕事は辛いことあるけど国の為に頑張っているといってました。
世の中を良くしたいという志を持って仕事していました。
北と南の平和的な併合を望んでいました。
当たり前ですが本音として誰も戦争なんてしたくないのだと感じました。
北と南に国が分かれたのは、自分の身体が分断されるのと同じ苦しみだと感じ涙がでました。


日本はなぜアメリカのいいなりになっているのかと問われ、
なんとも言えない情けない気持ちになりました。
事実、北朝鮮はロシアを追い出し独立しています。
GDPが日本の数十分の一のごく小さな国にも関わらず必死に頑張ってます。


資本主義と社会主義。どちらも利点と欠点があり人によっても良い悪いがあると思います。
お金を人よりもガンガン稼いで自由に買い物がしたいという人もいれば、お金なんて無くても皆と平等で安全が守られ生活できればいいという人。
どちらも好きに自由に選べるといった調和した社会システムが必要なんだと感じます。
わざわざ喧嘩する必要はないはずです。




北朝鮮は有刺鉄線だらけで、銃を持った洗脳人間だらけで日本を攻撃しようとしている最悪な国!
というのが行く前のイメージでしたが実際は素朴で素敵な人ばかりでした。
そもそも僕たち日本人も情報操作された人ばかりであり、
本質的、多角多面的、未来長期的にはどうなのか。
枠の外で考えなければ踊らされるだけで何も変わらないと思いました。




長文失礼致しました。
賛否両論あるかと思いますが、
感じたことや質問でもなんでもよいので、
コメント書いて頂けたらと思いますm(_ _)m
もし何か共感できる部分があればシェア頂けたら幸いです。


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