2014年7月27日日曜日

群馬の森の「朝鮮人強制連行犠牲者追悼碑」撤去方針に対する声明

群馬の森にある追悼碑



以下の声明と記事を転載する。

群馬県による朝鮮人強制連行犠牲者追悼碑の撤去方針に反対する声明
 2014年7月11日、群馬県は、群馬県立公園「群馬の森」(高崎市)に設けられた朝鮮人強制連行犠牲者の追悼碑(「「記憶 反省 そして友好」の追悼碑」)を撤去するよう、これを管理する市民団体(「記憶 反省 そして友好」の追悼碑を守る会)に要求した。2012年に同会が追悼碑前において開催した追悼集会において、一参加者から強制連行に関して日本政府の責任を追及する発言があったことについて、県は「政治的」であるとして、県の設置許可基準に抵触するとの判断を示したのである。
 この追悼碑は、2004年に「群馬県朝鮮人・韓国人強制連行犠牲者追悼碑を建てる会」(上述した市民団体の当時の名称)が建立したものである。追悼碑は、日本が朝鮮を植民地支配したことに触れた上で、「多くの朝鮮人が全国の鉱山や軍需工場などに動員され、この群馬の地においても、事故や過労などで尊い命を失った人も少なくなかった」と述べた上で、「私たちは、かつてわが国が朝鮮人に対し、多大の損害と苦痛を与えた歴史の事実を深く記憶にとどめ、心から反省し、二度と過ちを繰り返さない」との決意を表明している。そして、朝鮮人犠牲者を追悼するためにこの碑を建立すると述べている。
 群馬県の撤去方針は、以下の二つの理由から到底看過できない。
 第一に、追悼集会での発言を「政治的」であると問題視して、追悼碑を撤去することは、憲法で保障された集会や言論の自由を侵すものである。そして、これは地方自治体による市民運動に対する不当な攻撃である。
 第二に、朝鮮人強制連行については、これまでに多数の調査・研究が蓄積されてきた。朝鮮人に対する日本の加害は、揺るがせにできない事実である。この追悼碑もまた、こうした長年にわたる調査・研究を踏まえて、建立されたものである。この追悼碑を撤去することは、歴史の事実を否定し、朝鮮人犠牲者の尊厳を冒涜する行為に他ならない。
 日本社会において必要なことは、歴史の事実と向き合い、戦争責任・植民地支配責任を明確に認めることである。こうした課題にとりくむ上で、この追悼碑は今後とも重要な役割を担うべきものである。
 以上の観点から、当会は群馬県の撤去方針に強く反対し、追悼碑の存続を求める。

2014年7月22日 東京歴史科学研究会



以下は記事

〈角田義一 元日本参議院副議長〉

「この頃の政治家たちは戦争を反省しようとしない
撤去反対の世論は賛成より3倍多い
裁判を通じて撤去は阻む」

 日本 群馬県の小さな追悼碑が‘右傾化’する日本の象徴として注目されている。 2004年日本の市民たちが過去に対する反省の意を込めて作った‘群馬県朝鮮人・韓国人強制連行犠牲者追悼碑’が日本右翼の執拗な攻撃に押されて撤去の危機に処したためだ。
 この碑を作り管理してきた日本の市民団体‘群馬県朝鮮人・韓国人強制連行犠牲者追悼碑を守る会(旧「記憶 反省 そして友好」の追悼碑を建てる会)’の角田義一(77・写真)共同代表(元 日本参議院副議長・弁護士)は24日<ハンギョレ>とのインタビューで「正当な歴史認識を否定しようとする現在の日本の風潮が追悼碑撤去の背景にある」として「以前の日本人の心には去る戦争に対する反省があったが、この頃の政治家たちにはそのような認識が見られない。 非常に憂慮される現実」と話した。
-追悼碑が作られて10年で撤去の危機に処したが。
 「日本が朝鮮を植民地にし、また戦争を遂行する過程で多くの朝鮮半島の人々を強制連行した。 群馬県でも6000人程度が労働を強要されたし、重労働の末に亡くなった方も多い。 (敗戦50周年をむかえる1995年頃から)歴史を正しく記憶して二度とこのような誤りを繰り返さないために、群馬県内の強制連行場所などを一つ一つ検証して報告書を作った。 その後続作業として(1998年9月から)亡くなった方々の霊を慰め、日本の反省の上に立って朝鮮半島との友好関係を作ろうという趣旨で碑の建設運動が始まった。 2004年4月に碑が完成し、盛大な除幕式も開いた。」しかし、2012年頃から日本の右翼団体が毎年4月に碑の前で開かれる追悼行事の際に在日朝鮮人団体が日本政府を批判する発言をした点などを挙げて碑の撤去を要求し始めた。 県議会は先月、碑を撤去してほしいという右翼団体の請願案を採択し、群馬県は22日‘碑の設置許可を延長しない’との方針を伝えてきた。
-碑をなくそうとする運動が発生した社会的背景は何か。
 「ネット右翼など一部が‘従軍慰安婦はなかった’ ‘強制連行などなかった’として事実を歪曲する現象が生まれ、一部の政治家たちがこれに同調し始めた。 また、安倍政権が登場して河野談話(1993年)を検証するなど、正当な歴史認識を否定しようとしている。 こういう日本の風潮が背景にあると思う。」
-当初、碑を作る時には県議会と県の同意を得たはずだが。
 「そうだ。 当時も自民党が県議会の多数を占めていたが、当時の議員たちは全員一致で(県有地である‘群馬の森’公園に)碑を設置する請願に賛成した。 碑文の作成過程でも日本政府、群馬県、市民団体など3者が参加して意見を集約した。 結果的に良い碑文ができたと考える。 県議会の若い議員たちに、この碑が作られた歴史的な経緯を理解してもらいたい。 彼ら自民党の先輩たちは皆が良識を持って対応したし、戦争を反省する心を持っていた。 しかし、今の若い政治家たちは戦争について知らない。」
-今後の展望は
 「私たちは撤去を受け入れない方針であり、裁判をせざるをえないだろう。 日本人の皆が碑の撤去に同意しているわけではない。 地域メディアの調査によれば、碑の撤去に反対する意見が賛成より3倍程度多かった。 今のような政治状況がいつまでも続きはしないだろうし、そうしてもならない。 集団的自衛権の許容など最近の日本の風潮に対して戦わなければならない。」前橋(群馬県)/文・写真 キル・ユンヒョン特派員 charisma@hani.co.kr
 
 7月15、16日、ジュネーブの国連欧州本部で行われた国連自由権規約委員会はその最終見解で日本に対し、、死刑の廃止、代用監獄の廃止、慰安婦、人身売買の観点から技能実習生の改善報告を求めた。
 日本政府の消極的な改善姿勢に対し、委員会のナイジェル・ロドリー議長は「日本政府は明らかに国際社会に抵抗しているように見える」と苦言を呈した。
 慰安婦問題に関しては、「日本軍が犯した性奴隷、あるいはその他の人権侵害に対するすべての訴えは、効果的かつ独立、公正に捜査され,加害者は訴追され、有罪判決が下れば処罰すること」「被害者を侮辱、あるいは事件を否定するすべての試みへの非難」などの措置を日本が取るよう勧告した。
 ヘイトスピーチについては、「差別、敵意、暴力の扇動となる人種的優越あるいは憎悪を唱える宣伝のすべてを禁止し、そのような宣伝を広めるデモを禁止すべきだ」と、新たな規制を求める勧告をした。
 今回の勧告は、日本の人権と民主主義の状況について、国際社会が危機感を抱いていることを反映している。
 
 在特会などによる極めて間違った、世界に全く通用しない歴史観による追悼碑への攻撃と県議会保守会派の屈服、多様な価値観を許容するという行政の本質を理解しない県執行部による追悼碑撤去の判断は容認できるものではない。
時間をかけても守り抜くことが国際社会への仁義だろう。
これから大反撃だ。

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