2009年12月16日水曜日

議会にて「八ッ場ダム推進決議」に対して反対討論実施

10日議会最終日、「八ッ場ダム建設推進の意見書」の採択を求める議案が議員提案されました。玉村町議会で八ッ場ダムが議論されるとは、3ヶ月ほど前は考えられなかったこと。これも政権交代の威力と言えるでしょう。ならば、との思いで反対討論しましたが、結果は、賛成13.反対2であえなく可決となりました。これが議会の現実。しかし、ダムの本体工事はできないと確信しています。 


玉村町議会 12月10日
八ツ場ダム推進決議に対する反対討論 (要約)

昭和27年から始まったダム計画からすでに57年、本当に必要なダムならすでに完成している。いくら税金を投入しても完成することのない巨大なブラックホールといえる。

半世紀という途方もない時間は、激しい反対運動を繰り広げた住民たちに疲労感とあきらめ感を与えた。例えば、温泉旅館を改築しようとしても「ダムに沈む所に建築許可は出せない」とか「ダムを受け入れないとカネはビタ一文出さない」との自民党政府の強引な圧力は、「国策には逆らえない。」という感情を住民にもたらし、多くの反対者は国に屈し、「ダム建設と一体の生活再建」を飲まされた。一度折れた心はなかなか立ち直れない。
それら過去の全てを飲み込もうとしていた地元に、政権交代後の民主党政府がいきなり「マニフェストに書いてあるからダム建設中止」の方針を出したから、地元は驚きと怒りで大騒ぎになった。自民党政府のやりかたもひどかったが、民主党政府のやり方も悪い。どちらも「国が決めたことだから国民は従え」という点では同じだ。主権者を無視している。
もっと八ツ場ダム建設の歴史を検証するところから始めなければいけない。
それでも最近は「ダムができないならそれで構わないが、ここまで犠牲を払ってきた以上、生活再建をしっかりしてほしい」という声が相当上がってきている。これが大方の住民の本心のところではないか。

この辺で冷静にダム問題を考えてみたい。
まず第一に、「工事の7割はすんでいて、あと3割の予算を投入すればダムができる。ここで中断するのはかえって税金の無駄だ」ということがまことしやかに言われているが、7割というのは事業予算に対する「進捗率」で、単に予算の7割を使っただけにすぎない。

総工費4600億円の7割は3220億円だが、あと1380億円でダムが完成する保証などない。当初、総工費は2110億円だったが、2004年に現在の4600億円に変更された経緯がある。
浅間山から20㎞ほどの吾妻渓谷は、バームクーヘンのように浅間山噴火の堆積物が重なり合う地層で、地滑りが頻繁に起きている。危険箇所として22ケ所が指定され未だ3ヶ所しか防止策は取られていない。今後この「4600億円」という数字すら増額されることも充分考えられる。
まして、完成後のダム維持費は、それこそ計り知れない程、膨大になることは自明だ。なぜなら、ダムが貯めるは水だけではなく、土砂も貯めてしまうということ。土砂の取り除く巨額の経費が毎年、加算され、ダム自体の寿命もせいぜい80年程度だ。

第二に、吾妻川流域の水質が問題だ。1937年には、下流の作物に被害が出て、県が「毒水」調査委員会を設置したことがある。首都圏の水がめの利根川に流れ込む吾妻川はかつて、「魚もすまぬ死の川」呼ばれた。1952年から55年にかけて、国はダム予定地で鋼板やコンクリートを川水に400日さらす実験をした。すると、鋼板は8割、コンクリートは1割程度が溶けた。結果、1959年にいったん、ダム計画は凍結された。
 その後、強酸性の川にアルカリ性の石灰を投入し、水質を中和させる「草津中和工場」を造り、そこから山を数十分走ったところに日本初の石灰生成物をためる品木ダムを建設した。

時は経済成長の時代。首都圏の水需要の拡大が予測され、治水、利水も目的にしたダム計画が1965年再浮上したという経緯がある。

 しかし、品木ダムの沈殿物は想定を大きく上回るペースで増え続け、ダム自体の寿命が危ぶまれている。当初、国はダムが50年ほど持つと想定していたが、88年からは沈殿物や土砂をすくって近くの山中に廃棄している。年に26000トンを捨てているが、ダム湖にはその倍のペースで沈殿物がたまり、貯水量の8割以上を占めている。水に含まれる高濃度のヒ素などの有害物質も含まれ、新たな廃棄場所を確保し続ける必要があり、年間、約10億円の維持管理費が必要。これだけ、手間と金をかけても品木ダムで中和できているのは、吾妻水系の4割の流量にとどまっている。国は、総事業費850億円かけて処理範囲を広げようとしているが、今も工事のめどは立っていない。

昨年、国会議員の質問趣意書に対する政府答弁で「カスリーン台風と同規模の台風が到来した場合、下流の観測ポイントで計測される流量は、八ツ場ダムの有無によって違いはない」と国交省自らが認めている。治水には役立たないということ。人口減少の中、利水の用もなくなっている。

今後、いくらかかるかわからない無用のダムの本体工事を止め、耶馬渓谷をしのぐといわれる自然環境を保全し、そこに生きる生物や植物、温泉とともにある人々の暮らしを再建することが環境の世紀といわれる今を生きる我々の役目で、その方が、未来展望がはっきり見えてくることは確か。
「国民の生活が第一」というなら、政府はこれまでの経緯を地元民にたいし謝罪し、補償し、天然の景勝地吾妻渓谷と川原湯温泉地区が一体となった生活再建に責任を持つことが求められている。
今、求められるのは、ダムの本体工事を止める勇気、止める決断。それこそ未来への正しい責任の取り方と考える。

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