2010年1月10日日曜日

玉村町文化センターでの成人式に思う

今年の成人は町内で497人、多くの来賓もふくめ盛大に挙行された。式典の時間は40分程度で、例年と比べても静かな雰囲気の中での成人式だった。甥の悠平も当事者でもあり感慨深いものがある。「静かにできてよかった」という声がある反面、「お利口さんばかりになってしまったのかなあ」という声もある。私の認識はどちらかというと後者だ。


時間の経過が平成生まれの人たちを成人年齢に押し上げた。成人というからには、社会、政治問題に関心を示して欲しいものだが、さっぱりという感じだ。若者の置かれている環境は実に厳しいにもかかわらずどう対応していいかわからないのかもしれない。求職もままならない経済環境の中、不安定雇用の大海原に出て行くしかないのか。生きにくい社会を変えるのも未来を生きる若者の力に負うところが多いはず。

 有権者になって、投票所へ行こうとも思わない成人が成人といえるだろうか。教育に関して思うことは、教育が政治や社会問題を遠ざけてしまっていることだと以前から考えている。社会に投げ出される若者に社会、政治の有り様を学ばせなくてどうして生きていけというのだろうか。
社会の多様性を言いながら、実質、一面的な考え方しかできない人間ばかり作り出しているのではないか。教育の場を調教の場にしてはならない。

 日本の捕鯨船がニュージーランド沖でシー・シェパードの抗議行動を受けている。突進してきた抗議船が漁船に衝突し、曳航中沈没した事件が最近あった。日本では、「過激すぎる抗議」として非難しているが、彼の地では、むしろ当然な英雄的行為として称賛されている。パーテイーを開けばあの大きな船を買うほどのカンパが集まっていることも事実だ。
 このことから言えることは、物事を複眼視できる人間を育てることが肝要ということ。そうでもないと、全くの島国のなかでの一面的価値観に支配され、国際社会ではまるで通用しないというマンガ的状況になってしまう。すでに6カ国協議でその面が表れている。

 いろんな考え方、生き方、他者のそれを認めることのできる寛容な人間がどんどんできれば、さまざまな課題を解決する糸口にもなるし、それこそが真の豊な社会と言えると確信する。

 

 

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