2010年10月31日日曜日

桐生市新里小6年生の自殺に思う

実に悲惨と言うしかない。新聞報道でしか判断できないが、転校生としてなじめない中でのさまざまな出来事に彼女は耐えられなかったのだろう。子どもは可愛いが、一面実に怖い面も持ち合わせている。思ったことをそのまま言葉にしてしまうこともあり、他人が傷つくことも理解しない。それが子どもなのだと言うことを前提に教育現場はあるべきだろう。
この事件から教育現場は逃げてはいけない。担当教師の悩みを職員室での教員の総合力で対応、解決できなかったのだろうか。新米教員からベテラン教員までいるはずだから、その連携で問題に対する対応は十分できたはず、と思う。職員室機能が全く活かされていなかったと言うべきだろう。
 新自由主義政策の中で社会総体が荒み、みんながバラバラにされ、相互の信頼関係すら築き上げられていないのが現状なのだろう。子ども達こそ犠牲者だ。
 事件が起きると、マスコミも含めヒステリックになり、学校や教師に個人攻撃を仕掛ける。担任教員は、マスコミが自宅を取り巻いて、帰宅もままならないそうだ。そんなことでは何も解決しない。
 教職員組合への加入率低下が示すものは、教員同士の研修、さまざまな課題への取り組みなど横のつながり、仲間同士の団結・連携が極端に弱くなっている実態ではないか。教育委員会からの縦の関係ばかり優先し、上位の者には意見の言えない「物わかりのいい教員」がふえ、教室の実態に対応できない状況があるのではないか。
 昨日の連合群馬定期大会で会った群馬県教組書記長に、「教員を守れ、子ども達を守れ」と強く要請した。日教組の弱体化がこのような教育現場になってしまったことに一面つながっている。右翼が主張する「日教組解体」ではなく「日教組再生」こそが教育再生の道だ。
しかし、「友達が欲しい」という女性徒の切ない願いさえ叶えられない教育現場は日本中にあると考えなければいけないだろう。

奇しくも、「追い込まれた死をなくすために」という自殺予防のための冊子が群馬司法書士会から送られてきた。「気づき、つなぎ、見守り」をキーワードーとしている。年間自殺者3万人以上が12年連続している社会は根底から間違っている。倒錯の社会だ。

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