2011年9月23日金曜日

僕らもやがて土になり草も茂る 旅の途中の仲間だよ

戦争の悲惨のなかで息子の消息を探すクルド人の母親と孫の姿を追いながら、その中に,イラク戦争で犠牲になった数え切れない人々の姿を投影しようとするかのような作品「バビロンの陽光」に圧倒される。
 戦争の悲劇を繰り返すなと誰もが言いながら、しかし、なくならないのが戦争。
地上400㎞の宇宙ステーションからの地球の姿を見た人もたくさんいたはずだ。雲に一部覆われた水の惑星に多くの動植物が生息している奇跡的な姿だ。それぞれが「生」を謳歌していればいいではないか。しかし、現実は資本主義社会の中で弱肉強食の欲望が支配し、同じ人間に対して貧困や飢餓を強制してまで富を求め続ける。社会のあるべき姿や地球の行く末などまるで考えることさえできない「資本の暴走」という現実、これが戦争を起こし続ける。「洪水よ、我亡き後に来たれ」とは資本主義の無責任さを的確に表している言葉だ。
 我らが野田首相は、「電力不足により日本経済が停滞することのないよう原発の安全性を高め再稼働する」と明言した。「死の町」と化した福島原発周辺の人たちがどれだけの状況に追い込まれているか、今後、大地震があったときまた犠牲者がでることなど彼の頭脳では考えられないのだろう。彼もまた資本の手先だ。
オバマ大統領に普天間基地問題、TPP そして牛肉輸入の規制緩和までせっつかれた。オバマに忠誠など誓わないでおくれや。大きなお世話だくらい言ってやれ。松下政経塾出身者は概して駄目だ。
 しかし、政治が駄目でもしっかり庶民は本質を見て生きている。
南條倖司さんの「春のゆくえ」という歌を紹介する。

 空は夢を映し 雲はそよ風起こす
 その風は雨を生み 森に降る

 種子は風に乗り 花になり実を結ぶ
 熟して香しく 魅力的

 鳥は歌いながら 緑を広げてゆく
 大地の息吹   感じながら

 大きな流れの中 この空いっぱいの星
 生まれては消えてゆく
 そして僕らは ただそこにあるだけ

 深い谷も山に 岩さえも砂に変わる
 力強い日差し 照り続ける

 僕らもやがて 土になリ草も茂る
 旅の途中の 仲間だよ

 大きな流れの中 この空いっぱいの星
 生まれては消えてゆく
 そして僕らは ただ そこにあるだけ

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