2011年12月23日金曜日

「コンクリートから人へ」はどこへ行った民主党

八ツ場ダム建設を中止するどころか「ダム建設の継続」となってしまった野田民主党。この財政危機の時、総額1兆円を越えてしまう不要なダム建設に再度アクセルを踏み込むとは、呆れかえった。現地はダム建設に不適な場所なのだ。だから59年間も完成できなかった。もし造ってしまえば30年後50年後を生きる人たちから「なんということをしてくれた」と恨まれることは間違いない。そのとき責任者は誰もいないのだ。つまり誰も責任を取らないということ。日本の政治はいい気なもんだぜ。
これは止められなかった原発と同じ構造だ。
 思い返せばこの2年間、あきれた政権運営ばかりだった。首相が三人も代わる。普天間基地の県外移設に失敗し、結局、辺野古へ逆戻り、子ども手当は無惨にも骨抜きになり、後期高齢者医療制度は廃止にならず、労働者派遣法の改正には手がつかず、郵政改正法案もダメ、高校授業料無償化については朝鮮高校を差別し適用除外、果ては頼みもしないTPPに参加表明し、消費税増税を今目論んでいる。また、武器輸出三原則の緩和で武器輸出を容認するときた。自民党ができなかったことを民主党が行っているだけではないか。誰に顔を向けて政治をしているのか。
 せめて八ツ場ダムくらいは中止できないと完敗だぜ。まあそうは期待していなかったがひどすぎる。
 末期的な自民党政治の中で「一度民主党に政権を任せてみよう」とした結果がこれだ。自民党がいいなどとは決して言わないが、これも小選挙区制という選挙制度がもたらしたものだ。
国民を不幸にするだけの選挙制度だ。

 この間の国政の閉塞感の中で増長してきたのが橋下徹率いる維新政党だ。
橋下の手法、論調はファシズムそのもの、明快な標的を敢えてつくり、世論を煽動し攻撃を仕掛て来る。方向性は、「維新」の名の通り体制内保守改革、中国や北朝鮮などがいい攻撃材料となり世論を煽動する政治になる。一方アメリにはそのいいなり。
 自民党や今の民主党政治の緩慢さに飽き足らない人々を煽る差別排外主義、このような手法で戦前、侵略戦争に走ったことを思い起こす必要がある。
橋下政治は1㌫が支配するの政治の極限的形態で、独裁的性格を帯びかなりの危険性を孕んでいることを見据える必要がある。
 99㌫が政治の主導権を握ることが何より肝心なことだ。

 これでは子ども相手にサンタになった方がいい。

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