2012年2月27日月曜日

玉村町・下之宮高侭遺跡現地説明会


下之宮高侭遺跡現地説明会が昨日現地で行われた。伊勢崎と玉村を結ぶ橋建設に伴う発掘調査の過程で、下之宮地区で発掘された堀や土塁、虎口などから戦国時代の館跡と推測される現地の説明を受けた。
 調査対象地は、館の南側の一部にしか過ぎず、100㍍級の方形の館だったと想定されるらしい。玉村町付近で発見された中世の屋敷遺構は50㍍級が多いので、大型の館といえる。主殿は現在の利根川の堤防下かその北側の竹やぶ辺りと推測する。
 外堀や虎口遺構は城といってもよいしっかりしたもので、これまで県内で発掘調査された16世紀の城郭の虎口を彷彿させるという。しかし、堀の幅は狭く、堀を筋違いにする「折れ」を設けていないなど古い要素もあり、量は極端に少ないが白磁の皿などの出土遺物は14世紀後葉や15世紀後半のものが出土している。
 関東は15世紀半ばから内乱状態に陥り、上野(こうずけ)でも城を造り始めている。この館も、15世紀後半以降に防衛機能と力を誇示する目的で改修されたものと想定している。
 今週からは一段と古い層に挑み、古墳の有無が確認できるかの調査にあたる。
古代から相当の人数の人々の暮らしを支えることのできた地域といえよう。

 この際だからどんどん気の済むまで掘り広げて当時の全容を明らかにして欲しい、との気持ちも沸くが、その時代とて歴史の一時期のものにすぎない。
 時間の縦軸(歴史)のその折々に様々な生活様式で生き、死んでいった先人たちの暮らしの積み重ねの末に現在があるとすれば、我々もそう遠くない将来、歴史の地層のほんの一部分になる日が来る。
 自然に死を受け入れることができる日が来るまで生きること、これに尽きると思うが、それだけじゃないから、穏やかなことばかりじゃないから、生きてることはやっかいだ。

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