2012年3月17日土曜日

教育現場を一色に染め上げてはいけない。

卒業式のシーズンだ。ほのぼのとしたものにしたいが、国旗・国歌の起立斉唱の強制をめぐりこの季節になると、私自身ストレスが溜まる。
日本国民なら国旗・国歌に敬意を払うのは当然だ、との声が一際大きく聞こえる。
大阪府では、管理職が起立した教員が歌っているか口の動きまで点検し、口が動いてなければ処分するという。
これではナチス時代の血の強制と同じではないか。
教員の内心の自由にまで踏み込んでは、将来、ろくなことにならない。

はて、日の丸、君が代により日本人がどれほど痛めつけられ、また他国の人々を痛めつけてきたか、少しでも思い出した方がいい。
天皇の赤子として、日の丸の旗に「武運長久」などと寄せ書きされ、「戦って来い、死んで帰って来い」と送り出された戦争が、終わってみれば祖国防衛どころかアジアへの取り返しのつかない侵略戦争だったことは周知の事実。政府見解もそうだ。
戦後は、この反省から始まった。だから、日の丸も君が代も国旗・国歌ではなかった。ドイツ・ヒトラーは自決し、イタリア・ムッソリーニはパルチザンに処刑された。当然、国旗も国歌も変わった。
日本は戦争責任すら「一億総ざんげ」などと曖昧にされ、天皇の戦争責任は追及されず、むしろアメリカにより日本国民の天皇への忠誠心を利用する形での占領政策が始まった。
「慣習法としての日の丸・君が代」に対して一部野党から「法律で規定されていないから国旗・国歌ではない」と批判され、それがむしろ「法律で決められれば国旗・国歌である」という方向に利用され法制化された経緯がある。それでも新たに国民に義務を課すものではないと明言された。
しかし、特に教育現場での日の丸・君が代の強制姿勢が強くなり、東京都から始まり、橋下徹大阪府知事が登場してからは、それが力づくの強制となって来ている。
「職務命令に逆らったら懲罰を与える」との発想で教育行政を進めようとしているが、とんでもないことだ。
侵略戦争の象徴としての日の丸・君が代に抵抗感を持つ感覚はむしろ自然だ。
日の丸・君が代を認める教員がいてもいいし、嫌だという教員もいていい。何の疑問すら抱かない教員ばかりで教育が推し進められて行ったら、子どもたちにかえって悪影響を及ぼすだろう。
世の中の答えはひとつじゃないことを、感覚として子どもたちに教えるべきだ。
「教員同士が職員室で日の丸・君が代について議論していたよ」と子どもたちが知れば、子どもたちも何故なんだろう、と考えるようになるだろう。
歴史を知ることがどうしても必要になる日の丸・君が代問題。
「維新の会」とやらが大手を振っているらしいが、そもそも幕末からの政治転換は「維新」でしかなく、決して民衆革命ではなかった。
お茶を濁した程度の維新の名を名乗る政治勢力に、民衆が期待する政治転換など望むべくもない。

この数年、ノーベル賞を受賞する日本人が増えているが、彼らが子供の頃、学校現場は相当自由だった。教員達が自立し組合を作り、教育、政治、文化そして時代を語っていた。自由な発想を育てる環境が周囲にあった。
子どもたちは保守的な人も革新的な人も混在する中で成長してきた。だから成長したとき、自己選択ができるようになっていたのだ。
国旗・国歌を教員に強制するまでに落ちぶれた政府や教育委員会の元で育った子供達がどんな大人になるかは想像できるだろう。
体制従順の弱々しいお利口さん、自分の本当の考えすら確信できない大人ばかりになって、これからの激動の時代を未来に向かって切り開く力の方向性すら見いだせない状況が来る。
多種多様な人をつくっておかないと、今後起きる多種多様な事態に対応できない。

その意味で、教育現場を一色に染め上げてはいけない。
橋下暴政の中、2月末から実施された府立高校と支援学校の卒業式で起立斉唱を拒否した教職員が29人いた。(大阪府教育委員会発表)
勇気ある行動を取ったこのような教師の存在こそが教育現場の希望だ。
不当な命令と闘わないと、自由や権利までがどんどん侵害されてしまうとの信念での闘いを子どもたちに見せること、子どもたちがそのことから考え、学ぶこと、これこそが教育だろう。

1 件のコメント:

  1. 黒い雲がジワリジワリと近付いてきているようです。
    戦前、戦後を知らない世代ですが、
    当時もこのような動きが広がって、軍国主義へと
    まっしぐら!だったのかと想像が容易にできます。

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