2012年4月16日月曜日

安保博史教授の話す与謝蕪村論は深い

第2回目の玉村遊学塾は与謝蕪村篇、1716年摂津国東成郡毛馬村(大阪市都島区毛馬村)に生まれた蕪村は、親の愛情から隔てられた環境にあったためか、十代後半、毛馬村を出郷、死ぬまで帰郷しなかった。

 春の海ひねもすのたりのたりかな 

離郷数十年間、蕪村は自分の故郷や父母兄弟のことを封印し語らなかった。「書けない」「書いてはならない」過去の事実が、彼をきつく縛っていた。
 しかし、老境に入った蕪村は故郷への封印を解くように郷愁と孤独、表裏する心情を描いた。

 花茨故郷の路に似たるかな(59歳)
 かなしさや釣の糸ふく秋の風(59歳)
 去年より又さびしいひぞ秋の暮(61歳)

その蕪村が62歳の時、帰郷する若い女になりかわり書いたのが「春風馬堤ノ曲」18曲。
 春風や堤長うして家遠し
 むかしむかししきりにおもふ慈母の恩
 矯首はじめて見る故園の家黄昏 戸に寄る白髪の人弟を抱き我を待つ春又春 等々。

 蕪村は「しら梅に明くる夜ばかりとなりにけり」の句を最後に1783年2月25日、「眠れるごとく臨終正念にして、めでたき往生を遂げた」。享年68歳。

 その蕪村が我が友と認めたのが出生に秘密を持つ上田秋成、そして安保先生の話は現代に続く。芥川龍之介の人となりを紹介し、「点鬼簿」「或る阿呆の一生」「河童」の意味を話す。
 いかにも授業をしているようで、途中、文章を読みながら「はい、ここは赤線ですねえ、ここは傍線」などと言ってくれるから大学の講義を聴いているようだ。
 藤沢周平「半生の記」から弱者を見る眼、死と再生を語り、ニートの若者の大量発生(85万人)の現状に対し、「希望学」の提示までする2時間あまりの講演はなかなか深みがある。
 
それにしても、かなりの資料を頂いた。一晩では読み切れないが、なんとしても読み込みたい資料だ。全く贅沢なひとときを頂いた。

 次回は26日午後6時30分から玉村町文化センター研修室3にて、また行きますよ。

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