2012年10月25日木曜日

《「夭折の詩人 長澤延子・中沢清 展》吉岡町図書館

 戦争と終戦直後の混乱期を足早にかけ抜け、たった17歳で自ら命を絶った長澤延子。
 残された詩や手記には懸命に生きた彼女の17年間が表現されている。

    友よ
私が死んだからとて 墓参りなんかに来ないでくれ
花を供えたり 涙を流したりして
私の深い眠りを 動揺させないでくれ

私の墓は 何の係累もない丘の上にたてて
せめて空気だけは 清浄にしておいてもらいたいのだ
旅人の訪れもまばらな 高い山の上に・・・


 中沢清にとり、詩や絵画は宇宙を感じ取り、そして表現するための手段だった。中沢清の詩を読み、絵を見つめることにより、中沢が信じていた宇宙へと通信する。

 僕らは世界を変えなければならない
 僕らはその激しい移り変わりの時代に生まれた
 世界がその古びた衣装を全く捨てねばならぬ時に
 だからといって友らよ
 ぼくらに北十字を殺すことができると思ってはならい
 ぼくらは ぼうぼうの夜の野原に あかりをともす者だ

 「夭折の詩人」の詩を読むのもいい。
彼らの感性と才能がその時代に触れ共鳴もしたろうし、拒否もされただろう。
しかし、生きることを拒否してはいけないとつくずく思う。

 今日、石原慎太郎が東京都知事を辞職し、新党を結成し、「念願」の憲法改正に向け最後のたたかいを開始すると言い出した。
 80歳の無責任右翼老人の元に老いぼれた右翼老人たちが集まり、時代錯誤の「憲法改正」に向け突っ走るというのだ。
 困ったことに出てくる新党は右翼政党ばかり、若い連中も「戦争ができる国」目指して憲法改正を迷いなく訴える。
 この一連の動きは歴史を前に進めるものではない。
まさに逆行、倒錯の極みで、世界から、アジアから孤立する道を歩むことすら理解できない最悪の反動行為だ。
 感性豊かな若者が現実に失望、絶望したとき、無遠慮で一面的価値観しか持たない右翼連中が跋扈し、暗黒の歴史を再現しようとする。
 若者は死んではならない。
老い先短い老いぼれ右翼に未来を蹂躙させてはならない。
 未来は若者のものだ。

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