2014年8月13日水曜日

大塚政義さん宅を尋ねる

藤岡市神流公民館で水戸天狗党を語る在りし日の大塚先生
書斎で美由紀さんとパチリ
大塚先生の書斎はそのままにある

 大塚政義先生の長女の美由紀さんが北京から帰ったという連絡を受け、過日、自宅を訪ねた。
 4月の一周忌にも招かれ、お邪魔したが、その時は帰ってこられなかったので話ができなかった。
 
 大塚先生との出会いは平成19年4月、伊勢崎市文化会館での国定忠治の話がとても面白く、その企画に先輩の福島さんが絡んでいたこともあり、その7月の玉村八幡宮での講演会実現となった。八幡宮の梅林肇宮司がまた忠治好きであり、大塚ファンだったので、ふたりで協力し合いながら何回か町内で大塚講演会を開いた。
 最初は高齢でもあるので、夜一人で車を運転し、富岡の自宅まで帰るのは大変だろうと、自宅まで送り迎えをした。
 しかし、その後、自宅から桐生へ行き(国定忠治の足跡を尋ねるバスツアー)、大型バスに乗り込み、ガイドをしながら玉村八幡宮、そこで昼食をとり、そこから東吾妻の大戸の関所まで行き、榛名由紀の「忠治一代」を参加者に聞かせて、桐生へ帰る。
それから自分の運転で自宅まで帰る。等々、しているので元気だろうからと、その後の送り迎えはしなくなった。
 送り迎えはしないので、自宅に無事帰ったかな、と思っていると、最初のうちは、何日かして丁寧な手紙が届いた。
「無事に帰りました。次の講演会は○○ですので、ご都合ついたら足を運んでください」。その後は携帯にSMSによるメールとなった。私自身は初めてSMS通信をその時知った。
だから手紙より速い。「ただいま帰宅しました」。
はあ、彼女でもないのにご丁寧に。
 お陰様で先生からの手紙は今も何通も持っている。
「筆まめでしたね」と奥さんに言うと、とんでもない筆無精とのこと。本人にいくら言っても返事を書こうとしないことがあったとか。やはり変わっているところがあるようだ。
 自由人・大塚先生とはどこか馬が合っていたのだろう。
大塚政義、彼は国定忠治の研究家みたいに思われているが、確かにそうではあるが、本当は水戸天狗党の研究者であり、高崎藩との下仁田戦争の実態を明らかにしたなど大きな功績を残した水戸史学会員だ。
 健在の時の書斎を見せていただいた。

 その長女・美由紀さんは中国人と結婚し北京で生活している。親の子なのか、好奇心旺盛で自分の意見もはっきり持っている人だ。中国語の発音もすっかり中国人。
1時間ほど、お母さんも交えてさまざまな話をしたが、大塚先生が娘を日中友好のため送り込んだのではと思いたくなる器量の人だ。
 日本、中国、韓国、北朝鮮、どの国の指導者も二世、三世。
世襲の指導者が庶民の生活の切実さをどれほど実感できるというのか。
 人は親を選べないし、国もそうは選べない。人間としてひとりひとりの生き方を通して、その寿命を全うすればよい。
《起きて半畳、寝て1畳、天下取っても二合半》
そんなささやかな生き方すら脅かす政治をされたんじゃ、たまったものじゃない。抵抗しますよ。

 今日は盆迎え、先祖といっても祖父母までしか知らない、戸籍を見ても5代前くらいがせいぜい、しかし、もっと前にも命の連鎖があったから今がある。人は自然の生きものだ。その摂理の中でしか生きられない。
 盛夏の盆が今年も来た。
 

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