2014年10月1日水曜日

著書「民族文化財を探し求めて」

蛙と妖怪と京劇の妖しい文庫
おすすめの本

  9月14日、藤岡の成道寺で行われた関東大震災朝鮮人犠牲者慰霊祭の時お会いした李一満(リ・イルマン)先生から「民族文化財を探し求めて」という本が送られてきた。
 著者は慧門(ヘムン)氏、李先生は訳者という。
 さて読み出すと、歴史の重みがずズシリと来る。
植民地時代、民族の宝物「朝鮮王朝実録」や「朝鮮王朝室儀軌」等が日本に流出した。
 それらを取り戻す文化財回復運動の意味を、先駆者の著者が語っている。
 総督府の寄贈という形で日本に渡った民族の宝物は、一般には公開されず奥まったところで戦利品のように隠されていた。
 東京大学や宮内庁にある物を回復することは「卵で岩を打つようなもの」と揶揄された。
 そんな弱腰の韓国の学会、大学の思惑を超えて、「目覚めよ、朝鮮魂」とばかりに運動を展開し、数々の文化財を取り戻す軌跡を描いている。
「ある国が、主権を奪われ植民地に転落することは想像以上の傷跡を遺す。回避したい過去を直視し、間違いを正すことは誰にとっても不都合な真実である。そのまま永遠に埋めおけばいいかもしれない事実を、真実という名で再び掘り起こすことに対する批判は侮れない」と記す。
 日本とは反対側にいる人々の熱い思いが綴られている。
朝鮮文化を理解するうえでも一読を勧めたい。

 知らないことだらけだが、<明成皇后を殺めた肥前刀>という中で、殺害した刺客の太刀が福岡市の櫛田神社に寄贈されていることを知った。その刀の写真もある。(p128)
 宮司によると、17世紀に刀匠・忠吉が手がけた肥前刀であること、戦場用ではなく暗殺などの作戦に使われる刀で、1908年、藤勝顕(明成皇后を殺した有力容疑者)の寄贈だ。
その時の寄贈記録には、「この太刀で朝鮮の王妃を斬った」と書かれていた。なぜ、犯罪道具が、今日まで神社に保管されているのかを追うと、櫛田神社からそう離れていない臨済宗節信院で、太刀の来歴が聞けた。
 殺害を悔いた藤が、親戚と縁のある節信院に刀を預けようとしたが、寺側が刀のような凶器のかわりに、観音像菩薩を施してもらったという。
 寺の片隅に石造りの観音像菩薩とその由来を記した碑石があった。「・・・・1895年、閔妃事件と呼ばれる出来事があった。国際関係の渦中に犠牲となって亡くなられた王妃の霊を慰めるため篤志家たちが建てた・・・」。
 藤勝顕は晩年、自責感で世を捨てて修道僧のように生きたこと、事件に連座した者の後裔たちがときどき参拝にくることを寺人は語った。
 この事件に関し、ショッキングな事実が記載されている文書が発見された。
 事件直後、朝鮮政府の顧問官だった石塚英蔵は、日本の法制局長官の末松謙澄に外交ラインを通じて真相を状況報告をした。
この文書には死体陵辱説の根拠になった一部も入っている。
 日頃、男性には顔すら見せなかった王妃は死後、異国(日本)の男たちに丸裸にされた。
 「特に一団は王宮深くに押し入り、王妃を引きずり出して、2、3箇所を斬りつけた後、王妃を丸裸にし局部検査、その後、油をかけて焼却した。その醜さはとうてい表現できない。また宮内府等を残虐な方法で殺害した」(英蔵報告書) 

 これらのことを知ると心底寒くなる。
日本の犯した歴史的罪を考えるとき、朝日新聞の吉田証言記事がウソだったとして、「慰安婦の強制連行はなかった」などと、デマを喚き散らしている右翼メディア、安倍政権を打ち倒さなければならないとつくづく考える。
 現在の日朝交渉について言えば、安倍政権は拉致事件しか関心がないようだが、朝鮮側は違う。歴史の全般だ。
 日本帝国主義支配の苦しみを理解しようとする気持ちが日本側にない限り、そのことを朝鮮側が感じないかぎり、進展は望むべくもないだろう。




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