群馬県玉村町の町長「石川まさお」のブログです。 「瞬間」と「悠久」は決して対立的な言葉ではなく、「瞬間の中に悠久」が、「悠久の中に瞬間」はあります。何かと対立関係で世の中を見ようとする流れに抗すべく、みんなが集える庵を構えました。 新自由主義政策により社会の格差が広がり、荒んでいくのをくい止めるべく、地域に根ざした活動をします。
2010年6月20日日曜日
いよいよ選挙戦間近、草とのたたかいは戦線離脱
24日からいよいよ参議院選挙が始まる。今日一日、選挙はがき書きで疲れた。とは言っても午前中、台湾映画「海角7号 君想う、国境の南」をシネマテーク高崎で観る。
時間と人とが絡み合いながら、時に無自覚に生きてゆくそれぞれの人生を考えさせられた。誰もがなにかの中心にいるのだけれど、誰もがそれに気づかないで、さまざまな葛藤の中での焦燥感で消耗しているのが世の中かもしれない。自分を必要とする人は必ずいるのだけれど、時空の広大さの中ではなかなか届き合わない。
この時期は草が伸びるので、草退治が大仕事、83才の母親に、「眞男は草むしりすらまともにできないでこの年になっちゃったなあ」と嘆かれた。事務所の南の駐車場の草を母親が畔かきで丁寧にけづってくれていた。感謝。
自宅の庭は、時々、藤岡から84才の義父が来てきれいにしてくれている。「あまりにひどいので見ていられない」そうだ。これにも感謝。
夏の暑い季節は水まきくらいはする。すると、自宅の木のなかに、一匹の蜂が巣を造りだしているのを発見、今はそっと観察中。巣も次第に大きくなってくる。先日、他に一匹の蜂が飛んでいた。いつまで共存できるかなあ。また事務所近くの畑のヤギに子どもが2匹生まれ、元気に遊んでいる。こちらは楽しいよ。ヤギに草退治でもしてもらおうか。
誰もが持つ少年時代の原風景は気持ちの中にも、現実のなかにもまだまだある。それを発見し、味合い深く生きる余裕が今を生きる世代に求められている。
茂木正男さんとの農業を巡る会話が思い出される。
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