2011年5月19日木曜日

「善意・善意」の合唱だけで本質を見なくていいのかい

大震災以来、どこを見ても「善意」と「善人」でこの国はあふれかえっているようだ。しかし本当か。余りの被害の大きさとどこまで続くか分からない原発事故で本質を見る目を曇らされているのではないか。善意の支援金支払とボランテイア活動だけで、どこかごまかしてしまっている自分に気づかないでいいのだろうか。特に原発事故に関しては全くの人災ということ、この責任をハッキリさせないと先に進めないのだ。「今は批判ではなく収束を」ということだけを言う人がいる。この手の人は、一層原発を改良して原発政策を今後も続けようとする人に多い。
この事故の教訓は「原発は人類とは相容れない。エネルギー政策を原発から脱却させること」だ。
 東電の役員報酬は半分にしても3600万円だそうだ。ということは7200万円も取っているんだ。その連中は政府に言われ渋々減額するという状況。補償の姿勢も「善意」からは程遠い。事故現場で働かされている作業員も虫けら扱いだ。彼ら現場労働者こそが全役員報酬全額をもらっても足りないくらいの仕事をしている。
 仕事も故郷も家族も未来も奪われている原発周辺の人々を思えば、私たちは「原発容認」とは行かない。これが善意だ。しかし、悲惨な実態を知りながらも政府や自民党、財界は原発から手を引くつもりはない。これでも善意か。
 新自由主義政策の中で、いくらも稼げない(生活に余裕のない)所に追い込まれてしまった多くの労働者・農民・自営業者、中小企業者が、善意のない政府の言う「国難・善意の嵐」に飲み込まれてしまっている。勿論、善意は悪いことじゃないが、それだけでは、この悪い状況から解放されないことを指摘したい。
「自分が変われば社会も変わる」のだ。

ということで勉強会のお知らせ。
6月11日(土)午後1時30分から前橋市の教育会館大ホールで原子力資料情報室の古川路明さんを招いて講演をしていただく事になりました。不都合な真実にも目を向けるいい機会と思います。そして3時15分から「原発なくてもエエジャナイカ大行進」となります。この日は「脱原発全国一斉100万人アクション」の日です。今、未来をかけてひとりひとりが動き出す時と考えます。

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