2011年8月3日水曜日

広瀬隆の熱い講演を聴こう

昨日は、伊勢崎市議会と玉村町議会の交流会と懇親会を伊勢崎市内の「最高の1日」を会場に約8年ふりに開いた。合併後はなにかとせわしく、議員の数も伊勢崎32人に対し、玉村16人ということもありなかなか調整もしづらく、機運も盛り上がらなかった、というのが実情だったろう。合併後の選挙を何度か経て、やっと落ち着く中で、今後も、伊勢崎・佐波の交流の大切を確認する意味でも重要な交流会だった。

今日は、21日の広瀬隆講演会に向けてのチラシを知り合いに配りながら、当日の参加を呼びかけた。広瀬隆を知らない人が意外にも多いのに驚いたが、原発事故の収束どころか、どんどん拡大過程にある現実の中、経団連などの脅しに屈服してはならない。農業が営めなくなっていく、産業が破綻していく、人が住めなくなり地域が崩壊していく、それでも原発は必要か、ふざけるな、という思いだ。
「原子炉時限爆弾」の一節を引く。「死の灰という言葉さえ知らない若い世代が、報道の中心を担っている。日本人には古来からそれなりの思考する力があり、決して世の中全体が無知であるはずはないのだが、報道が途絶えると、誰もが知っておくべき事実を誰も知らない、という「知恵あって無知な」世に中になる。そのため、日本人全体が、本書のテーマから見れば刻々と迫っている危機について何も知らずに、明日に希望を見つけようと生きているように思われる。企業経営者も、日々の作業に追われて、とても原発のことなど考えているヒマはない、というのが現状だろう。しかし、全ての日本人の生活にかかわるこの問題だからこそ、「原発震災」を全く考えずに、生きてゆけるはずがない。それを考えておかなければ、生きてゆけない可能性が高いのである。」
熱い広瀬隆の声を聞け。

BSのNHK夜9時から4日間放送されている「周恩来」の1回目を見た。昨日は見逃したが、今日、明日は必ず見るぞ。周恩来、尊敬するる人物だ。中国という国はすごい。歴史の厚みが日本とは違う。周恩来が生きていたら現代中国の姿を見てどう思うだろうか。事故を起こした列車を埋めてしまう姿を見てどう思うだろうか。

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