2012年4月20日金曜日

木嶋佳苗と渡辺泰子

13日、首都圏連続不審死事件で、百日に及んだ裁判員裁判の結果、木嶋佳苗に死刑判決が言い渡された。
 私はそもそも裁判員制度に関しては一貫して反対しているがここではそれには触れない。
 この裁判の特徴は、直接証拠がないなかで、極めて怪しいという状況証拠の積み重ねで死刑判決に至ったということ。和歌山毒入りカレー事件の林真須美の判決と同じだ。< 死刑の重みから考えると、いかにあっても状況証拠だけでの死刑判決はいけない。


この事件と裁判の特徴は「カナエギャル」と言われるほど女性傍聴者が多かったこと。20代後半から50代くらいの女性がこの事件に大きな関心を持ったということだろう。
東電OL殺人事件の渡辺泰子の場合もそうだった。
 木嶋にとって男は金づるでしかなく、愛されようとか結婚とかは考えもしない。
渡辺の生き方も徹底的に自分の体と精神を貶め、何の迷いもなく奈落の底へ向かうその「見事さ」に女性達は、木嶋佳苗、渡辺泰子はもしかしたら別の自分かもしれない、と直感したのかもしれない。
 現代の「愛情で結ばれる男女」という表面上の幻想世界を徹底的に破壊し尽くすそのすさまじさに、同性として、反感と共感を覚えているのだろう。
男と女にとり、「女にだまされた」「男にだまされた」そしてそれを煽る周囲の人間の存在という話は古今東西山ほどある。
 男と女は欲望のぶつけ合い、くんずほぐれつの関係でここまでたどり着いた。それが人類史の一面だ。決定的な事件を回避する能力を発揮してここまできたのだ。回避に失敗するとこのようなことになる。
 誰もが持ち合わせている善と悪、美と醜を見事に露わにし、上っ面だけの現代社会を吹っ飛ばした女性と言えるだろう。

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