2013年8月13日火曜日

激暑のなか8月15日「敗戦記念日」が迫る。

 10日の土曜日、10月6日の玉村町議会選挙に向け、たたかう意志表明と支援のお願いのため、地元箱石地区を阿藤栄後援会長、金子修幹事長と3人であいさつ回りをした。
 自転車を使いながら、3時間ほど回ったが、暑くて暑くて頭がクラクラしてくるのがわかった。
 途中、休憩し、水分補給をしたが、その後も暑さは一層強まり、正午を少し回ったところで、あいさつ回りを何とか無事終了、事務所に帰り、冷たいビールを飲み、軽食を取り、昼休み、ということで何とか命拾い。
 熱中症とはこういう症状だろうと実感したが、戦争中、前線に送られ、戦いをになった兵士たち、とくに、中国戦線、南方戦線の暑い地域に送られた兵士たちは、もう生きているだけで精一杯、現実の戦いなど出来なかったのではないか。
 この時期になると、「語り継ぐ戦争」特集(朝日新聞)が組まれ、その悲惨を描く。
 今朝は、東部ニューギニア第18軍直轄通信隊の通信兵だった吉賀清人さん(92歳)が投稿した「夢にも忘れぬ戦場ニューギニア」。
〈ポートモレスビーを目指し東進するも米豪の制空権下、後退を余儀なくされ、海岸寄りのヤシ林、ジャングルの中を西へ400キロ以上転進を重ねた。この間、食料はない。全員飢えと周期的に発熱するマラリアに侵され、健康な兵士は皆無。
 翌1944年4月には西方アイタペに米軍が上陸。我々は完全に退路を断たれ、山間に逃げ込んだ。体力・気力は消耗し、力尽きる者が続出した。倒れた者はウジがわく死体となり、無間地獄だった。
---飢えた日本兵の中に現地住民の食料を強奪した者がおり、他の中隊の10人くらいが報復で白昼殺された。
 現地住民に期待した食料の供出は乏しく、我々はヘビ、ネズミ、木についた虫は何でも食べた

 戦争体験者は多くを語らない人が多い。その余りにむごい体験だけに口を開けないのだそうだ。しかし、数少ない体験者の話から、死体にわくウジを食べたり、すごいものになると人肉まで食べたという話を聞いた。
 戦争とは人間を人間でなくすることから始まる。まともな人間ならば、出来ないことを戦争という国策のもとで強制されるのだ。
戦争ははじめから非人間的、非人道的なものだ。

 戦争でその意に反し、死んでいった多くの兵士が望むことは、平和であり、後生の人たちを二度とこのような悲惨な目にあわせるな、という強い思いだろう。
 彼らの犠牲のもとに手にした、二度と戦争はしない、政府に戦争をさせないと誓う日本国憲法、これを改正しようとする動きが強まっている。
 戦争の実態を直視しようとしない右翼連中が政権に入ってしまった。
 人の世に仇なし、歴史に仇なし、未来に仇をなそうとする勢力との本格的なたたかいが始まる夏だ。
 
 
 
 

 

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