2013年9月8日日曜日

原発汚染水に関する安部発言は全くのでたらめだ。


「放射能汚染水を港湾内で完全にブロックする。福島では青空のもと子供たちが元気にサッカーボールを蹴っている。」などという安倍発言は全く許せない。
取り急ぎ、水島宏明法大教授の記事を無断掲載する。
<2020年の夏の五輪・パラリンピックの開催地が正式に「東京」に決まった。1964年以来、56年ぶり、2回目の五輪開催。日本時間午前5時の発表の瞬間をテレビの前で見守った人たちも多いことだろう。テレビ各局は朝から開催を喜ぶ特集を放送している。長い経済的な低迷からなかなか抜け出せなかった日本社会にあって、早くも「経済効果は3兆円」などという皮算用もはじかれている。また「アベノミクスの第4の矢が放たれた」などという経済界の声も伝えられる。アベノリンピクスなる造語も報道されている。
「自信と夢を取り戻す」という喜び一色のムードに水を差すつもりはない。
だが、東京開催決定を伝える朝のテレビニュースを見ていて、仰天したことがある。
最終プレゼンテーションにおける安倍首相のスピーチだ。
福島第一原発の状況を「The situation is under control」(状況はコントロール下にある)と発言したのだ。
「私が安全を保証します。状況はコントロールされています」。
「汚染水は福島第一原発の0.3平方キロメートルの港湾内に完全にブロックされている」。
「福島近海でのモニタリング数値は、最大でもWHO(世界保健機関)の飲料水の水質ガイドラインの500分の1だ」。
「健康に対する問題はない。今までも、現在も、これからもない」。 
東京五輪開催を望んでいる国民が大多数だとしても、首相の発言を聞いて「おいおい、いくら何でも言い過ぎでは?」と思った人は少なくないだろう。
福島の人たちや原発事故のその後に注目している人たちからみれば、明らかな「ウソ」があるのだ。
汚染水に関していえば、現在「打つ手がない」ことは明らかだ。
安倍首相が自信満々に言ったことはこれまで東電が汚染水に関して発表してきた事実とも完全に異なる。
安倍首相が言及した福島第一原発の専用港内の「0.3平方キロメートル」は、確かに堤防や水中カーテンで仕切られている。
様々なルートから外洋に出ようとする汚染水をこうした堤防などがどこまでを「完全にブロック」できているものかあやしいものだが、いろいろな議論があるのでここでは問わないことにする。
最近、問題になっている地上タンクから漏れた高濃度の汚染水の流れ出た先がこの「0.3平方キロメートル」ならば、水はひとまず港内にとどまっているので首相の発言にもまだ根拠があるといえる。
しかし実は、汚染水が流れ出た先は「0.3平方キロメートルの港内」ではない。
その外の海なのだ。
タンクからの汚染水漏れに関する東電のこれまでの会見によると、地上タンクからの排水路の側面に水の流れた跡があり、そこから高濃度の放射線が観測されていて、そこから水が流れた可能性があることを東電も認めている。
その排水路がつながっている先は「0.3平方キロメートルの港内」ではない。
外の海と直接つながっているのだ。
この点で安倍首相の説明は間違っている。
さらに「完全にブロック」がありえないことは傍証からも明らかだ。
いろいろな調査で福島沖の海底には40カ所の放射能のホットスポットが見つかっている。
「0.3平方キロメートルの港内」ではこれまで1キロあたりのセシウムが71万ベクレルというアイナメが見つかっているが、その港の外の20キロ先で捕れたアイナメからも2万5800ベクレルが検出されている。
また、東京湾でも原発20キロ圏内と同じレベルの汚染箇所が見つかっている。
こうした事実からみれば、安倍首相の発言は「よく言うよ」という感じなのだ。
歴史的に見ても、これほど大量の高濃度の汚染水が長期間漏れ続けている事態は過去に例がない。
当の安倍政権が政府主導で汚染水対策の「基本方針」を打ち出したのは最終プレゼンテーションのわずか5日ほど前に過ぎない。
五輪招致に合わせて付け焼き刃で作成した基本方針なのだ。
こうした現実を直視すると、誠実な人ならば「状況はコントロールされている」などという表現を安易に使わないだろう。歴代首相で比較するなら、原発問題にもともと詳しく、かつ、ウソをつこうとすると顔に出てしまうタイプの菅直人元首相なら、同じ表現はとてもできなかったか、すぐにばれてしまっただろう。
その意味では笑顔さえ浮かべて「私が安全を保証します」と言い切った安倍首相の厚顔はなかなかのものだ。
一国のリーダーは、たとえ多少ウソが混じっても国益を守る責務がある。
今回のプレゼンテーションでは、日本という国、その首都・東京の対外的なイメージを印象良いものにしていく責務があった。
五輪が開催されるかどうかは日本という国にとっても大きな岐路になることは間違いない。人として、というより、国を率先してアピールするリーダーの立場として、安倍首相は厚顔無恥なプレゼンテーションによって役割を果たしたという皮肉な見方もできる。
五輪開催の決定にはさらに皮肉な効果もある。
それは首相が国際的についた「ウソ」を2020年に向けて「マコト」にしなければならない宿命を背負った、ということだ。
これまで政府が本気で取り組んでこなかった汚染水や放射能汚染の広がりについて、今後、解決できければ、「首相の大ウソ」が国際的に批判されかねない。
東京五輪に向けて福島の問題は世界のメディアからますます注目される。もうこれ以上、ウソを上塗りすることはできなくなる。
また、東京都の猪瀬直樹知事らがメンバーとなる東京五輪招致委員会は「被災地の復興のため」にも東京で五輪を、と訴えてきた。ところが招致委員会の竹田恒和理事長がIOC総会の開かれるブエノスアイレスで会見した際、「東京は福島から250キロも離れているから安全」と発言。まるで「東京が安全ならばよい」とも聞こえる差別的な発言だとして福島の関係者から強い批判を浴びた。
開催が決まった以上、原発事故の収拾に加えて、被災地の復興にも本腰を入れてもらう必要がある。
もしできないなら、日本という国への国際的な信用が地に落ちかねない。
五輪開催を喜ぶだけにみえるメディアの反応を見て、マスコミのあり方もすごく気になる。
安倍首相は最終プレゼンテーションの中で、福島の汚染水問題について質問を受けた際、「新聞のヘッドラインでは大変だ、大変だと言うが、現実を見てほしい」と答えている。つまり、日本のマスコミ報道を信じるなというようなことを国際的な公式の舞台で発言している。
このことに日本のメディアはもっと怒るべきではないか。
五輪開催の喜びに沸く報道一色のなかで、安倍首相の一連の発言に「?」をつきつける報道がテレビにも新聞などのメディアに見られないのはどうしたことか。
8日午前中の各局のテレビ番組や新聞社のホームページを見ている限り、テレビは歓迎ムード一色。「経済効果は抜群」「若者に夢を与える」「被災地に元気を与える」などと肯定的な評価ばかりが目につく。
他方、ツィッターの反応などを見ると、ネットではややシニカルな見方が多いように感じる。
「五輪よりもっと先にやるべきことがある」「浮かれるなかで福島の問題を忘れてはならない」という論調だ。私もそう感じている。
今も15万人近い福島の人たちが自宅に戻ることができない生活を強いられている。
その人たちの帰還にも影響を与える汚染水の問題が、五輪招致を目指す最終段階になってやっと政府が対策に乗り出すという後手後手の対応が明るみに出たのだ。
東京開催決定で浮かれた報道をしている陰で、本来、報道すべき現実が報道されないままに放置されているのだ。>


水島宏明
法政大学教授・元日本テレビ「NNNドキュメント」ディレクター

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