2014年7月20日日曜日

群馬の森(岩鼻火薬所)散策から玉村花火へ





タマタン花火、(玉村花火大会)、平和です。
風がないので打上げ現場はモウモウの煙(玉村花火大会)



朽ち果てんとする当時の火薬工場(群馬の森)



今も残る火薬所の建物(群馬の森)
樹齢300年のけや木(群馬の森)





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ダイナマイト発祥の地の碑もある

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試射場、長さ約80メートル、右側から撃ち込む(群馬の森)

            
小火器の試射用トンネル(群馬の森)


ここへ撃ち込み火薬量との調整をおこなった




そんな中に朝鮮人強制連行追悼碑もある

 19日、群馬の森を歩いてみたら、そこは戦争遺産だった。ダイナマイト発祥の地という碑まで立ち、今でもさまざまな遺物が残っている。
 1878年(明治1年)明治政府は、東京の板橋火薬製造所に続いて日本で2番目の陸軍火薬製造所として岩鼻に建設を決定、5月から建設が始まった。
 大日本帝国の浮沈のかかった大軍事工場で、敗戦時には、岩鼻が32万5千坪、矢幡原火薬所が役1万6000坪の広さを有していた。
 火薬所は軍事機密であり、隠されたものもたくさんあるが、主だった事故だけでも20回近くあり、数十人が死亡している。
 周囲に爆発の被害を防ぐための高い土塁を築き、その中に作業所を造り作業をした。
 今の「わんぱくの丘」「かたらいの丘」の四角い台地はまさにそのひとつ、土塁を埋めて造った遊び場。
 戦争の歴史遺産ともいうべき群馬の森の片隅に、今問題の朝鮮人強制連行の追悼碑がある。
 戦争を後世に伝え韓国・朝鮮との友好を図る意味でも、これは守り続けなければならない。
 
 そして夜は玉村町花火大会、しかし、5時頃から大雨、さてどんなものやらと思いながら、昭和村議会との交流会。
 果たして7時頃には雨も止み、大崎章監督のかけ声で8時からの花火スタートとなった。
 9月広幹道開通に伴いこの場所では最後の花火となる。
雨が止んだのはよかったが、風も無風状態、花火の煙が漂って、肝心の花火が見えにくい煙モウモウの花火大会となった。
これもいいでしょう。
 午前中の火薬所見学を思うと、つくづく、火薬は爆弾でなく、花火にして欲しい。
 世界中で戦争、爆弾で今も人々が苦しんでいる。もうたくさんだ。
 

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