そんな中に朝鮮人強制連行追悼碑もある
19日、群馬の森を歩いてみたら、そこは戦争遺産だった。ダイナマイト発祥の地という碑まで立ち、今でもさまざまな遺物が残っている。
1878年(明治1年)明治政府は、東京の板橋火薬製造所に続いて日本で2番目の陸軍火薬製造所として岩鼻に建設を決定、5月から建設が始まった。
大日本帝国の浮沈のかかった大軍事工場で、敗戦時には、岩鼻が32万5千坪、矢幡原火薬所が役1万6000坪の広さを有していた。
火薬所は軍事機密であり、隠されたものもたくさんあるが、主だった事故だけでも20回近くあり、数十人が死亡している。
周囲に爆発の被害を防ぐための高い土塁を築き、その中に作業所を造り作業をした。
今の「わんぱくの丘」「かたらいの丘」の四角い台地はまさにそのひとつ、土塁を埋めて造った遊び場。
戦争の歴史遺産ともいうべき群馬の森の片隅に、今問題の朝鮮人強制連行の追悼碑がある。
戦争を後世に伝え韓国・朝鮮との友好を図る意味でも、これは守り続けなければならない。
そして夜は玉村町花火大会、しかし、5時頃から大雨、さてどんなものやらと思いながら、昭和村議会との交流会。
果たして7時頃には雨も止み、大崎章監督のかけ声で8時からの花火スタートとなった。
9月広幹道開通に伴いこの場所では最後の花火となる。
雨が止んだのはよかったが、風も無風状態、花火の煙が漂って、肝心の花火が見えにくい煙モウモウの花火大会となった。
これもいいでしょう。
午前中の火薬所見学を思うと、つくづく、火薬は爆弾でなく、花火にして欲しい。
世界中で戦争、爆弾で今も人々が苦しんでいる。もうたくさんだ。
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