2014年11月5日水曜日

30年ぶりの垂水ユースホステル

垂水ユースの前でペアレント天野夫妻
淡路島を結ぶ橋もできていた
垂水駅前、コーヒー店あんずも健在
寿司屋「増田屋」も盛っていた

       そして、お母さんも元気だった。


これが30年ほど前の一枚

 30年ぶりの垂水ユースホステル、変わったものと変わらないもの。
 関西地方には学生時代の想い出がある。その拠点が垂水ユースだった。
 なぜか、行きたくなり、電話をすると、聞き覚えのある女性の声だ。
「お母ちゃんか」「そや、誰かいな」「群馬のの石川です」「久しぶりやな。おいでな、話もあるし」、ということで新幹線で西明石まで行き、そこから垂水駅に乗り継いだ。
 垂水駅を降りると、増田屋が賑わい、閉まってはいたがコーヒーの店「あんず」もあった。
 ユースまでの海岸通りを歩くと、当時と変わらない古民家がある。
 まだあったんだ、と歩いて行くと真新しい創価学会のデッカイ会館があり、集会でもあるのだろう。若い衆が駐車場係でたち動いている。
 そこを抜けると見覚えのある建物があった。垂水ユースだ。
しかし、当時とは入り口が変わっていた。
 チャイムで呼ぶと、白髪のペアレント夫婦が出てきた。
本当のところ、二人とも元気でいるとは考えていなかったので、驚きながらも、お互い「変わらんなあ」のあいさつから話は始まった。
 当時の写真を見せると、「やっぱり、年とっとるわ」、「まあ、何もかまわんけどゆっくりしといてや。今晩、お金いらんわ」
 この宿、何も構わないから気にいっていた。居心地がいいのは相変わらず。
 これも昔のことだが、このユースに玉村町下之宮の和田(旧姓月田)さんが長期滞在していたと聞いたから驚いた。
彼女とは今も会う機会がある。「よろしく言っといてや」とはお母さん。
 波の音を聞きながら、寝ようと思っていたが、海がなくなっていた。
 当時の浜は、埋め立てられ公園や大きなモール街となっていた。阪神大震災以来、大きく変わったという。
 変わるものと変わらないもの、長い時間を経て、年を重ねたとはいえ、命が終わることを知っているだけに、元気な姿で再会できたことは本当に嬉しい。
 今年の紅葉の京都・大阪方面に繰り出す拠点にしよう。
ということで11月後半の連休泊を予約した。
 青春再起動だ。
 
 

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