2016年1月9日土曜日

今年の箱石少林山は役員として。

朝の供養から始まる
小さいけど100年近い歴史をもつ箱石少林山のお堂


 歴史的な文化、遺産を継承するのはむずかしい。何処の地でもそうだろうがここも同じ事。
 古老(といっても私の親程度)に聞けば、100年ほど前、高崎少林山から分家してここに祀られ、以来地域の人たちが少林山として親しんできた。しかし同じ古老の話だが、当の高崎少林山はそのことを認識していないという。
 では少林山の御札はどこから入手するのか聞けば、新町のどこかという。その印刷された御札に押す少林山の朱印をはここにあるのだから、間違いないという訳だが、朱印とてどこでもつくれる。
 たった100年程度のことでも正確に伝えることの難しさを考えれば、古い歴史の修正、ねつ造はそう難しい事ではない。だから歴史学は重要なのだ。
 さてこの箱石少林山の灯籠番という役を1年引受けることになり、6日午後は準備、7日は午前6時半集合、午後3時に撤去するまで、小さなお堂の中で参拝者を待つわけだが、箱石だけでなく、南玉、下之宮といった近在の人も達磨を買いながらこのお堂で手を合せる。
 私が子どもの頃は、いろんな店が並び賑やかだったことを思い出す。
 このお堂は北向きなので、とにかく寒いことが特徴、当日の午前中は穏やかだったが、昼頃からは風も吹き出し、こたつの中でジッとしていた。しかし、そこは昔からの人の知恵、交替で抜け出し、南側の陽差しの当たるところでくつろいだり、酒を飲んだり、と時間を過ごす。
 会計を仰せつかった身としてお賽銭の係もするが、結構な金額になった。
 この時勢、こういう機会がないと世代が離れた人同士の交流がもてないことも事実で、そういう意味では意味ある箱石少林山、これがいつまで、どのように伝承されていくのかはここに生きる人たちの思い次第だ。
 これから氏子の家々に御札を配りに廻ってくる。一札千円、性格上領収書は発行しません。

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