2018年5月6日日曜日

渡良瀬遊水地・谷中湖周辺を歩く

谷中村一帯
谷中村役場跡
延命院跡
共同墓地

 昨日は午後から当てもなく車を東に走らせた。多々良沼の様子を眺め、更に東へと行き着いたのが、渡良瀬遊水池。天気も良く行楽人が憩う緑の中を谷中村史跡保存ゾーンをゆっくり歩いた。
 この周辺は洪水に見舞われやすい地域で、上流の足尾銅山からの鉱毒の影響により森林が失われたこともあり、渡良瀬川沿いの村々は明治22年、29年と大洪水に見舞われた。田中正造を指導者とする沿線住民は大鉱毒反対運動を繰り広げた。渡良瀬遊水池は旧谷中村民の犠牲のもとにつくられた。
 田中正造(1913年没)が生きた時代は中江兆民や幸徳秋水らがいた。田中の直訴状を代筆したのは幸徳秋水。実際は、田中は何人かの人に直訴状の依頼をしたが、誰もが「後難」を恐れ、断られたというのが実態らしい。その「畏れ多い直訴状」を書いてのけた幸徳秋水は、明治政府により、1910年大逆事件をでっち上げられ処刑された。
 命がけの人々が命がけで生きていた時代だ。
(真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし)

0 件のコメント:

コメントを投稿