群馬県玉村町の町長「石川まさお」のブログです。 「瞬間」と「悠久」は決して対立的な言葉ではなく、「瞬間の中に悠久」が、「悠久の中に瞬間」はあります。何かと対立関係で世の中を見ようとする流れに抗すべく、みんなが集える庵を構えました。 新自由主義政策により社会の格差が広がり、荒んでいくのをくい止めるべく、地域に根ざした活動をします。
2011年2月28日月曜日
「本物は誰だ、本物を送り出せ」の県議選を見据えて
2月が終わった。仕事の方は今ひとつだが、3月2日からは定例議会が始まる。その準備もありなかなか忙しい。そこへもって何人かの人から「この本を読め」と進められた。塚越県議からは藻谷浩介著「デフレの正体」、他の友人からは三橋貴明著「暴走する尊農開国」を進められた。どちらも経済書だ。特に「暴走する尊農開国」はTPPを真っ向から批判する内容で興味深い。私自身、TPPは実質日米二国間協定でアメリカにいいようにしゃぶられるだけのものと考えている。小泉路線を一層推進する市場一辺倒主義で極端に社会は荒んでいくこと間違いなし。
政権交代は弱肉強食の新自由主義に一層舵をきるこんな情けない政府をつくるためにあったのではない。こんな政府は打ち倒せ。(川の底からこんにちは)しかし、その後の展望が開けないというのも悲しい現実。弱りました。
司法書士という仕事柄、法務局へはよく行く。民事法務協会が不動産や会社の登記証明書等を提供する仕事を担っていた訳だが、「市場化テスト法」により、一般競争入札の結果、協会が落札する数が減り、11年度に落札で協会が仕事を得たのは46局のうち2局にとどまり、他は派遣会社が落札した。協会は「仕事を取れなかったのだから」と職員等(管理職89人、業務職員292人、非正規労働者381人)762人を3月31日付で解雇・雇い止めにしようとしている。
年収300万円の賃金が高いのか。落札した会社の労働者もそれ以下の労働条件であることは間違いない。雇用年数も契約期間の数年、これで人生設計ができるのか。人件費を買いたたき公契約を民間に安く売り渡す市場化テストは新自由主義の最たるもの。こんなことが全社会的に起こるのが、TPP開国なんだと言うことを認識した方がいい。
労働の対価としての賃金でしか生活の糧を持たない資本主義社会の労働者の数は膨大だ。バラバラにされてしまっている現状が問題なので、連携、連帯することが求められている。他人事にしてしまってはいけない。
そのような観点からこの4月の玉村町周辺の県議選を取り組みたい。すべての人々が人間として尊厳を保ちながら生きてゆける社会に向けて共に進める本物の人を議員として県政に送り出したい。
高崎選挙区・角倉邦良、後藤かつみ、前橋選挙区・小川あきら、本郷たかあき、伊勢崎選挙区・塚越紀一、藤岡選挙区・関口茂樹だ。
2011年2月26日土曜日
私たちの望むものは
チュニジアから始まった民衆運動はエジプトのムバラクを倒し、リビアのカダフィを追いつめている。カダフィの断末魔のあがきにより相当の犠牲者が出ているらしい。中東情勢は革命情勢ということだけは事実だ。
マスコミは中国や北朝鮮にまで政権転覆の民衆の動きが広がるのではないかとの期待を込めた憶測をしている。日本にも気をかけた方がいい。
日本では全くその気配はないのか。答えは「何の心配もない。やるときゃやるさ」
永田町ではデッドロックにぶち当たった政治状況があり、「救国内閣」の声さえ上がる。さして政策の違いのない政党同士が、国民生活を人質にして政争を繰り広げる。こういう状況を戦前に経験していないか。ファシズム運動による突破だ。
耳障りのいい「減税革命」を名乗り地方議会に進出しつつある地域政党が現代版のファシズム運動といえる。そんな動きを吹き飛ばすものとして中東革命のうねりを見る必要がある。
30年ほど前に盛んに聞いた歌を改めて記す。岡林信康だ。「自由への長い旅」「それで自由になったのかい」もいいが「私たちの望むものは」が今風だろう。
私たちの望むものは 生きる苦しみではなく
私たちの 望むものは 生きる喜びなのだ
私たちの望むものは 社会のための私ではなく
私たちの 望むものは 私たちのための社会なのだ
私たちの望むものは 与えられることではなく
私たちの望むものは 奪い取ることなのだ
私たちの望むものは あなたを殺すことではなく
私たちの望むものは あなたと生きることなのだ
今ある不幸にとどまってはならない
まだ見ぬ幸せに 今跳び立つのだ
私たちの望むものは くり返すことではなく
私たちの望むものは たえず変わってゆくことなのだ
私たちの望むものは 決して私たちではなく
私たちの望むものは 私であり続けることなのだ
今ある不幸にとどまってはならない
まだ見ぬ幸せに 今跳び立つのだ
私たちの望むものは 生きる喜びではなく
私たちの望むものは 生きる苦しみなのだ
私たちの望むものは あなたと生きることではなく
私たちの望むものは あなたを殺すことなのだ
今ある不幸にとどまってはならない
まだ見ぬ幸せに 今跳び立つのだ
私たちの望むものは
(一度聴いて欲しいね。すごくいいから)
マスコミは中国や北朝鮮にまで政権転覆の民衆の動きが広がるのではないかとの期待を込めた憶測をしている。日本にも気をかけた方がいい。
日本では全くその気配はないのか。答えは「何の心配もない。やるときゃやるさ」
永田町ではデッドロックにぶち当たった政治状況があり、「救国内閣」の声さえ上がる。さして政策の違いのない政党同士が、国民生活を人質にして政争を繰り広げる。こういう状況を戦前に経験していないか。ファシズム運動による突破だ。
耳障りのいい「減税革命」を名乗り地方議会に進出しつつある地域政党が現代版のファシズム運動といえる。そんな動きを吹き飛ばすものとして中東革命のうねりを見る必要がある。
30年ほど前に盛んに聞いた歌を改めて記す。岡林信康だ。「自由への長い旅」「それで自由になったのかい」もいいが「私たちの望むものは」が今風だろう。
私たちの望むものは 生きる苦しみではなく
私たちの 望むものは 生きる喜びなのだ
私たちの望むものは 社会のための私ではなく
私たちの 望むものは 私たちのための社会なのだ
私たちの望むものは 与えられることではなく
私たちの望むものは 奪い取ることなのだ
私たちの望むものは あなたを殺すことではなく
私たちの望むものは あなたと生きることなのだ
今ある不幸にとどまってはならない
まだ見ぬ幸せに 今跳び立つのだ
私たちの望むものは くり返すことではなく
私たちの望むものは たえず変わってゆくことなのだ
私たちの望むものは 決して私たちではなく
私たちの望むものは 私であり続けることなのだ
今ある不幸にとどまってはならない
まだ見ぬ幸せに 今跳び立つのだ
私たちの望むものは 生きる喜びではなく
私たちの望むものは 生きる苦しみなのだ
私たちの望むものは あなたと生きることではなく
私たちの望むものは あなたを殺すことなのだ
今ある不幸にとどまってはならない
まだ見ぬ幸せに 今跳び立つのだ
私たちの望むものは
(一度聴いて欲しいね。すごくいいから)
2011年2月22日火曜日
鬼石の街からこんにちは 4月県議選勝利に向け満願祈願
龍峰会の理事会出席のため鬼石町に行った折り、秋山商工会事務局長と会食をする事になった。お日柄も良く、町おこしの話をしながら道の駅でそばを食べていると、前橋市での県議選候補小川あきらさんのお父さんから電話が入った。それは千葉の地に住んでいれば前橋ででっかい選挙に挑戦する娘の行く末は心配でしょう。
ということで秋山局長に相談すれば、まずは満願石へ行って願かけようということに。鬼石の町おこしの次の目玉とされる長さ3間半、重さ2万余貫の大石に案内されたがその迫力には圧倒された。
「この大きな気持ちで行こうぜ。石川、なあんも問題ない」
鬼石町の鬼と一緒ののんきな秋山局長だが、彼の人脈は広い。地下水脈を前橋、高崎につなげる仕掛けをお願いしたい。
「あきら会」の秘密会議を今週前橋市内で公然と開く。この厳しい情勢をジワッと押し返す作戦会議だ。学問に王道なし、選挙もまた同じだ。
昨日は角倉県議と3時間ほど高崎、玉村を回った。
2011年2月17日木曜日
お気に入りの1枚「井筒監督とにらみ合い」
上映会は終わったが気持ちの中では余韻に浸っている部分もある。企画から上映準備、打ち上げまでを考えると、それは気苦労もあるが、終わった後の達成感がたまらない。土田君からの報告では何とか財政的にもトントンになったらしい。協力いただいたみなさんに感謝したい。
昨日、「ぱる」で行われた住民活動団体交流会でハーモニカクラブの湯浅正基さんと会った。彼のハーモニカはワイルドでド迫力あるもの。「ヒーローショー」とトークショウの休憩時間に入れたかった。井筒監督にはピッタリの音楽と直感した。しかし彼に会ったのは昨日が初めて。残念だ。
何枚かの写真があるが2枚をアップする。1枚はスクリーンをつくり立てかける様子で手作り上映会を実感できる。もう1枚は、「小川あきらと井筒監督のにらみ合い」だ。お互い何者かという感じのにらみ合いだが、すぐに打ち解け合うのはやはり似た者同士か。
とにかく濃い内容の2本だっただけにやり切った思いは強い。
いずれパワーアップし、上映会そのものをドキュメンタリー仕立てにしたい思いすら沸いてくる。
2011年2月15日火曜日
高崎市での朝・日友好親善新年ののつどい
恒例の朝・日友好親善新年の集いに参加した。参加者は200人以上の賑わいで玉村町議会からは議長を含め4名が参加した。勿論、貫井町長も参加し、参加者同士の交流を深めた。私自身議員になって以来参加を欠かしたことはない。
最初10年前のこの席で高崎映画祭を主催していた茂木正男さんや志尾さんと出会い、玉村町での「チルソクの夏」上映のきっかけとなった。以後、在日朝鮮人の友人もでき、昔から考えていた「在日」の歴史を生きたものとして認識する契機を与えてくれた集いという意味でも大切にしている。
今年は松浦高崎市長にとっても市長としては最後の出席となった。「国レベルでは対立していても、またそうだからこそ市民レベルの交流は大切だ。」という見識を持った人が新たな高崎市長になることを望む。何人かの人があいさつしたが、「日朝国交回復から南北統一」まで語った人もいた。ぜひともそうしたいものだ。
高校授業料無償化を朝鮮高校だけ排除するような愚かで浅はかな政治は止めろ。
エジプト情勢は日本も無縁ではない。民衆に背を向けた政治をタラタラ続けていたら民衆の力で歴史を前に進めるぞ。
「クレアモントホテル」は必見の価値あり。老婦人と孫のふりをしてもらった青年の交流。老婦人にとり最後の出会いと別れを描いている。こういう終わり方もいいと思わせる映画。シネマテーク高崎で18日まで。
2011年2月14日月曜日
井筒和幸監督、大衆迎合を拒否する想いを語る
「川の底からこんにちは」は思惑通り好評だった。しかし「ヒーローショウ」は予想以上に困惑した人がいたようだ。事実何人かの人は途中で帰ってしまった。「あれだけ殴り合うと観ていられない。気持ち悪くなった」という声を何人もの人から聞いた。
そして井筒監督。「パッチギのように暴力を夢があるかのように表現すると絶賛され、ヒーローショウのように事実に迫る形で表現すると観る人から拒絶される。それでも作るのが俺のやり方だ」と大衆迎合を拒否する姿勢を鮮明にした。
実際に東大阪で起きた事件をモチーフにして作り上げたこの映画は、若者達の未来が追い込まれている現実に目をそらさず見据えろという思いで作ったものだ。ウソの映画では社会は変えられないという思いではないのか。
100人を越える人が最後まで観て、監督の思いを聞いてくれたこと自体が嬉しい。
上映後は、朝鮮総連西毛地区の李委員長、前橋市議の藤江彰さん、角倉邦良県議、小川あきらさん等も参加しいつものホルモン屋で30人規模の打ち上げをした。何度も町を訪れている監督の話もいつになく弾んでいた。
3月には高崎映画祭の受賞式があるが、その時、また来るということになった。
2011年2月11日金曜日
雪の中伊勢崎市での書道展から前橋市での集会へ
日中、雪が降り続くなんてこの町では久しぶりだ。そんななか、家に居られない性格のためか、用事をどんどん入れ込んでいるためか分からないが、今朝も朝のうちに伊勢崎市境町で今日から3日間開催される書道展に顔を出した。こういう趣味とは無縁だが、堀込忠三さんの作品が出ていると聞けば行かないわけにはいかない。なにせ最初の10年前の選挙の時以来さまざまな御指導を頂いている人だ。今は引退し、書を始めたとは言ってはいるが、どうもそうではないだろう。会場で五十嵐市長、山口教育長と出会う。こうして市長は市内全域の催し物に顔を出し、市民を励ましているのだろう。
305名の出品参加だから一通り見て回るだけでも1時間程かかった。字を書くことは決して字を書くことだけではない、ことが良く理解できた。
鑑賞後、堀込さん達とお茶を飲みながらの話は戦争中の話だったが、今80代半ばの人でも終戦時は内地にいた。つまり20才になるかならないかという年齢だったということ。これは戦争の本当の姿を知る人がどんどんいなくなるということ。
そんなこともあり、午後は前橋市の教育会館での「武力で平和はつくれない。平和な北東アジアを。2.11市民集会」に参加した。「靖国問題を考える」ビデオ上映の後、ピースデボ代表の田巻一彦さんの講演を聴いた。
北朝鮮や中国の危機を煽り、敵を作り軍拡に次ぐ軍拡、それでも安心できず、果てしなく続く軍拡競争の行き着く先は破綻しかないことがわからないのか。軍拡競争に勝者なんていない。
信頼関係の醸成のためにあるのが政治だろう。その政治が危機を国民に煽ってどうする。
この雪模様の悪天候のなか、200人程度の人が参加したことは評価していいだろう。地方議員も私を含め4人くらいいたかな。4月県議選に臨む小川あきらさんもいたことを嬉しく思う。
15日からは一般質問の受付期間が始まるのでその準備もしなければならない。
2011年2月9日水曜日
13日上映の「ヒーローショウ」は腹を決めて観て欲しい作品
13日玉村町文化センター小ホールで午後1時20分から上映する井筒和幸監督作品「ヒーローショウ」は単なる娯楽映画ではない事を確認しておきたい。
25回高崎映画祭で「ヒーローショウ」により井筒監督は最優秀監督賞に選ばれた。にもかかわらずシネマテーク高崎でも上映されていない。理由は知らないが、観客動員という観点からみると採算が取れないとの判断もあると思う。
全国でもこのような上映会はこの「ヒーローショウ」に限ってはないそうだ。
何故か。若者の暴力を余すことなく描いているので、「みんなで楽しく賑やかに」とはいかないのだ。しかし、敢えて多くの人に観て欲しいから、ヤバサを承知で開催する。
私自身、本来、暴力映画は気乗りがしないので、昨年、恐る恐る観たが、見終わった後、意外や意外、言葉で表現しにくい暖かいもの、爽快感を味わった。「暴力的だ、過激だ」と批判する人もたくさんいるが、現実社会の若者に対する扱いは映画以上にモノ扱いであり、「暴力的であり過激」なのが実態だ。
井筒監督の若者世代に対する熱い思いと生きる共感を彼の手法で描ききった商業主義を乗り越えた作品と思う。
途中、勝浦市長選の場面がある。偶然にも、13日は実際に勝浦市長選の投票日でもある。まして、私の知り合いの水野正美さんが候補者としてたたかっていることもあり、いっそうこの映画に共感を覚えてしまう。
責任転嫁するわけではないが、「ヒーローショウ」の上映を率先仕組んだのは土田君であり、その際どさを薄めるために「川の底からこんにちは」をかませたのが石川ということか。
上映後、井筒監督に直接質問する時間も作れると思うので、楽しみにして欲しい。
商業主義を越えた作品を観て欲しい。
25回高崎映画祭で「ヒーローショウ」により井筒監督は最優秀監督賞に選ばれた。にもかかわらずシネマテーク高崎でも上映されていない。理由は知らないが、観客動員という観点からみると採算が取れないとの判断もあると思う。
全国でもこのような上映会はこの「ヒーローショウ」に限ってはないそうだ。
何故か。若者の暴力を余すことなく描いているので、「みんなで楽しく賑やかに」とはいかないのだ。しかし、敢えて多くの人に観て欲しいから、ヤバサを承知で開催する。
私自身、本来、暴力映画は気乗りがしないので、昨年、恐る恐る観たが、見終わった後、意外や意外、言葉で表現しにくい暖かいもの、爽快感を味わった。「暴力的だ、過激だ」と批判する人もたくさんいるが、現実社会の若者に対する扱いは映画以上にモノ扱いであり、「暴力的であり過激」なのが実態だ。
井筒監督の若者世代に対する熱い思いと生きる共感を彼の手法で描ききった商業主義を乗り越えた作品と思う。
途中、勝浦市長選の場面がある。偶然にも、13日は実際に勝浦市長選の投票日でもある。まして、私の知り合いの水野正美さんが候補者としてたたかっていることもあり、いっそうこの映画に共感を覚えてしまう。
責任転嫁するわけではないが、「ヒーローショウ」の上映を率先仕組んだのは土田君であり、その際どさを薄めるために「川の底からこんにちは」をかませたのが石川ということか。
上映後、井筒監督に直接質問する時間も作れると思うので、楽しみにして欲しい。
商業主義を越えた作品を観て欲しい。
2011年2月8日火曜日
高崎市内を角倉邦良県議と歩く
玉村町商工会新春セミナーをすっぽかす形になってしまったが、午後、4月県議選に向け、高崎市内の固い知り合いの一部を角倉邦良県議と回った。
30年以上のつきあいの上原君は富岡高校同窓生を集めてくれていた。高校野球を共有した絆は話の内容からして相当強いものを感じた。
そして帰り際に「谷間の虚構」という八ッ場ダムを書いた本を預かった。政権交代してもとんと進まない八ツ場ダム建設中止、石川が生まれた時に決定された八ツ場ダムはその年齢と同じ時間58年を費やしても未だ本体工事の着工すらできていないのだ。できないにはできない理由がある。地域住民は世代を犠牲にしているのだ。それまで地域の人々の長い長い生活を育んできた自然の大きさに畏敬の念を抱くと共に、自然を破壊する行為がいかにむごいことかを示すには余りある現在のダム建設の現状だ。
現地で生活できる環境を保証することは喫緊の課題だ。そしてダム本体の工事を止めること、吾妻峡の自然の中での生活再生を一刻も早く実現しなければばならない。
私たちは沖縄の基地問題を他人事に思うようではいけないと同じように、八ツ場ダム問題を他人事にしてはいけない。まして同じ県内の大問題ではないか。
この点でも県議としての角倉邦良は欠かせない。
国政がどこへ向かうのか全く予断を許さない中で、地に足をつけて歩み続けている県議の姿に力強いものを感じる。
午前中は町長と懇談後、土田君と13日の映画上映会の下準備とチケット売り上げ状況の確認。もうちょいだね。
2011年2月5日土曜日
角倉県議の朝食会から午後は小川あきらを励ます会へ
かどくら邦良後援会の開く今日の朝食会のことは知っていたが、行くつもりはなかった。しかし、昨日、いきなり県議本人からの参加要請。私は寺田学内閣総理大臣補佐官には興味もなかったが、「彼は護憲派だから」等々押しの強さに負け今朝の朝食会参加となった。8時だというのにメトロポリタンの会場が満席なのには驚いた。角倉本人が進行するのだから手際いい運びとなった。寺田補佐官の話は政権交代後どんな事が霞ヶ関で変わったのかという話がメインで、私が聞きたい内容ではなかった。7月群馬県知事選をたたかう予定の後藤あらた県議、地元衆議院議員の発言があったが後藤さんの話が1番良かった。
参加者の顔ぶれを見ると、角倉県議への期待の大きさがわかる。八ッ場ダムの建設に反対している人たちもちゃんといるし、社民党関係者もいる。
政権中枢と直接の人脈があり、彼らと一定の関係を保っていることは評価できるし、歴史の歯車を前に回すよう働きかける事ができれば、一層すばらしい。しかし、関係が深いだけに現在の菅政権を持ち上げざるを得ない複雑な心境ではないかと思う。菅政権への批判は私がしますから安心して欲しい。
選挙戦は「かどくらスタイル」で戦えばいい。微力ながらお手伝いしますから。
そして午後は前橋市内マーキュリーホテルでの「小川あきらを励ます会」へ。
今年還暦を迎えますます若くなった鬼石町の岩城女史と7階で中華のバイキング。
娘・あきらの「決起」にあきれているのか、さすがわが子と思ったかは分からないが、千葉県匝瑳市から駆けつけたご両親にあいさつし「励ます会」に臨んだ。
石井一民主党選対委員長、宮﨑、桑原両衆院議員、後藤あらた県議、田辺誠さん、角田義一さんも揃う布陣は万全。会場も予定された椅子では足りない程の参加者があった。問題は集会内容、特に小川あきら本人の発言内容、姿勢だろう。
これがすごい。話を聞いていた何人かは涙ぐんでいた。何故か。何の気負いもなく話すその中身が、今まさに私たちの社会が抱え込んでいる諸問題であり、その解決に向け20代の女性が果敢に取り組もうと決意した真っ直ぐな姿勢に大人達の気持ちが動いたのだろう。小川あきらさんの言葉が参加者の心をわしづかみにしたと言っても過言ではない。
あの連戦錬磨の役者・石井一さんの視線が宙に釘付けになっていたように見えた。田辺さん、角田さんも「いいねえ、いいねえ」。そんなに良かったらお二人には全面的に支援していただきたい。
矛盾あふれる現代社会をつくってしまったのは大人世代の責任だ。少なくとも20代の若者達にはその責任はない。しかし、大人達を責めることなくこの理不尽な社会の有り様を正そうと決意した28才の女性を目の前にして、私たちのとるべき道は何か。
彼女と共に進むことだろう。4月選挙に勝利することにより当面の大人達の責任を果たしたい。
2011年2月4日金曜日
伊勢崎市内で小川あきらさんを囲む小集会
2時から伊勢崎市内プランニング大地の2階で小川あきらさんを囲む小集会を開いた。何せ前橋市内に住んでいる人がいないという妙な顔合わせが面白い。レッドパージを受けた84才の小林悟さんや60年安保をたたかった高柳さんから一昨年衆議院選挙に挑戦した矢島笑鯉子さんまでの全世代、全産業代表のような強者の面々。それを知ってか知らずか小川さんも全く動ぜず自然に受け答えする態度はなかなかなもの。解散後も8人ほどが残り中身の深い交流になった。参加者の熱い想いが前橋市民に伝搬することを願うのみだ。
帰りがけ横田英明さん宅を訪ねると、思いもかけず著書「済州島四・三事件を生き抜いて」を頂いた。ありがたく読ませていただきます。
2011年2月1日火曜日
駐日セルビア大使館一等参事官が講演、小川あきら集会も決定
群馬県立女子大学で駐日セルビア共和国大使館一等参事菅のスネナジャ・ヤンコビッチさんが講演した。当初はチュニジア共和国大使の予定だったが、チュニジアで政変があったため急きょ変更したものだった。
女子大での「国際理解と平和~平和について考える大使リレー~講座」によるものだが、今年度だけでも、南アフリカ共和国大使、オーストラリア大使、イエメン共和国大使、キューバ共和国大使、ロシア連邦大使、アルゼンチン共和国大使が来ている。一昨年のイスラエル大使の講演には映画「迷子の警察音楽隊」を観た直後だったので話題としても提供できた。
玉村町にいて生々しい世界情勢を垣間見る事ができる。結構参考になる公開講座だ。今日の参加者は学生80人程度、一般参加者30人程度とか。
話はグッと小さくなるが4月の県議選候補予定(前橋選挙区)の小川あきらさんの伊勢崎市での小集会日程が決まった。2月4日午後2時、伊勢崎市内(法務局のそば)のプランニング大地(㈱)(℡0270.30.1578)で行う。隣の小林悟さんや矢島絵鯉子さん、さらにサプライズな人も来るらしい。群馬の未来を見据えた集会になる予定なので時間の都合をつけて参加してください。