2011年7月31日日曜日

ホンモノは誰だ。メデイアの姿勢を問う。

朝日新聞の争論「カジノを日本に」を読む。建設省退官後国会議員になった民主党衆院議員古賀一成(賛成派)とパチスロライター大崎一万発(反対派)の争論だ。
本気で「カジノを日本に」などと考えている議員連中のなんと単細胞なことか。
「アフターエイトを過ごす空間、大人の社交場」といい、「カジノの売り上げは富裕層からのもの。今は熱中できるものがない世の中、高齢者を含め、遊びと社交のメニューが増える。ギャンブル依存症の増加に対しては、収益の一部を依存症対策の基金にすればいい。」ときた。脳天気も甚だしい。何の生産性もないことに全く気づこうともしない。駄目です。
 一方の大崎一万発、ふざけた名前の通りのギャンブラー、その道の達人がカジノ批判をする。「
大勝ちを夢見て、結局はスッテンテンになるギャンブル産業は人間の弱さを含めたところで成り立っている。カジノもつまりは賭博場、社交場などというきれいごとにならない」と徹底批判、怪しげな人物の方が本質を見、正論を吐くという一つの実例だろう。「清く正しく美しくカジノを」なんてあり得ません。

そして「新聞研究がボツにした原発報道批判記事㊤」という週間金曜日の記事、明石昇二郎の記事が依頼先の「新聞研究」からの「修正」要請に応じたにもかかわらず、編集長から「ボツにしたい」と掲載を断られた。広く読まれるべきと考える「金曜日」が全文掲載を始めた。読んでみると、何の問題もない、ジャーナリストはこうでなくてはならない。大手新聞は何を恐れている。民衆の新聞になれ。



30日、玉村町歴史資料館企画展「国境河川地域、玉村町の戦国時代」に際し、県立歴史博物館の簗瀬大輔先生の講演を聴いた。この手の歴史講座はいつも満員の盛況、我がふるさとの歴史を知りたい、という気持ちの強さだろう。
今年は戦国末期に玉村町に拠点を持った小領主・宇津木氏を巡る話、現に「宇津木姓」の人はたくさんいる事もあり、「子孫」の人たちも多く参加していたようだ。
当時、玉村は交通の要衝であり、利根川の福島渡河点左岸に構築された軍事施設(北玉村寄合)での「渡守」が宇津木氏の本来的家職ではないかと読み解く。時代に翻弄されていく民衆が背景にあることも見逃せない、興味深い内容だった。

2011年7月27日水曜日

淡々と生きたいが四苦八苦な局面にも直面する毎日

淡々と毎日が過ぎていく、などというもんじゃない。やりなれない仕事が重層的に押し寄せ、それも急ぎのものばかりなので四苦八苦と言うところ。

1.道路用地についている古い抵当権(休眠抵当権)の抹消、それも抵当権者が3人いて住所は群馬県と埼玉県、供託地が2ヶ所ということに。共同担保関係にある何筆かの所有者が違う場合、所有者ごとに供託することに。

2.後見人が被後見人に代わり、被後見人所有土地に対して行う抵当権設定について、家庭裁判所の許可の要否につき、居住用のとらえ方がなかなか難しい。被後見人保護の観点から広く解釈しているようだ。ハウスメーカーは一刻も早く建設資金を回収したいゆえ、非居住用地として許可なくてもいいと主張、しかしそうはいきません。法務局も熊谷管轄のため移動にも時間がかかってしまう。

3.そこへ来て会社の資本増資について、自宅の土地と建物を現物出資したいという相談があった。当然500万円を越す評価だ。あまり複雑な事をすると手間暇ばかりで、かえって高くつくとアドバイス、裁判所が関与する事になると、実際時間もかかる。

4.滞納についての相談が2件、延滞金についての苦情が2件、確かに年14.6%は高い。それも1円の値引きもしないのだからこれもすごい。(納税の秩序を維持し、税の公平性を保つためにもこれ以上の滞納を放置する訳にもまいりません。)だとさ。
 時給800円程度、年収200万円以下の人がどれほどいるのか考えた方がいい。1200万人をはるかに越えている。ギリギリの生活の中で、突然のの出費があった時、滞納してしまうことはあるだろう。税の公平性を言うなら、賃金の公平性を一緒に言わなければならない。
 法務省・社会を明るくする運動で「やり直せる社会に賛成です」という標語をあちこちで見る。やり直せない社会を作ってしまったのは誰だ、自覚がなさ過ぎる。

5.息子の離婚相談、これも当事者ではないので難しい。親心はわかるけど、まずは本人同士の自覚から始めなければいけない。

等々さまざまなことに接するたびに社会は動いていると実感させられる。一生は一度だからスローに味わいながら生きたいものだ。しかし、現実はその逆になっているから、これを変えなければいけないとしてもがいてしまうのだ。

 

2011年7月24日日曜日

玉村ふるさと祭り1日目を歩く

今年のふるさと祭り1日目は昨年ほどの暑さではなかった。しかし、甲冑行列に加わることになり、やはり暑いことには変わりない。
「軍配山まつり」と称し滝川一益を将とする30人ほどの一団としてのパレードだが、結構人気があるのには驚いた。こうなったら当時の食料生産をになった百姓行列をしたらこれも見物と思う。しかし、封建時代、百姓が行列をしたのは悪代官に命がけで抗議する百姓一揆の時ぐらいだったろう。戦だって農繁期を終えた農民が動員されていたのだから。
 伝統の祭りは大切にしたい。そこには、歴史の積み重ね、庶民の生活の1年1年の積み重ねがあり、そのなかで時代も社会も大きく変わってきたという感覚を持ってこそ、その祭りの神髄に迫れる。夏が来た。

待望の「幸せの経済学」「レイチェル・カーソンの感性の森」を観た。「幸せの経済学」はグローバル経済社会の弊害をローカル経済を対置させて、どちらが未来に継続可能な社会を保障できるかを描いている。
「レイチェル・カーソン」は1964年に56才で亡くなった「沈黙の春」の著者・レイチェル・カーソンの物語。「センス・オブ・ワンダー」を映画化したもので、自然と共生する知恵と信念あふれる秀作。
「自然の神秘さや不思議さに目をみはる感性の大切さ、小鳥たちのコーラス、木の芽の感触、海辺の臭い、夜空にまたたく星を感しながら暮らすヒントがここにある」

2011年7月18日月曜日

今日はひねもすのたりのたりかな、の気分で始まった朝だったけど

今日は全く予定がないので、涼を求め、本でも読もうと朝のうちは思っていたけど、そうはいかないのが娑婆の常。
 大沢知事の知事公舎への女性連れ込み事件をこのままにしておいていいのか、「公舎を我々にも解放しろ、使わせろ」と遊び人の面々を連れてデモかけよう、などという県民の声まで来ている。とにかくこのままじゃあきません。なんらかの行動は起こします。
しかし、今日は読書と昼寝だ。西園先輩から借りた本、「伽耶を知れば日本の古代史が分かる」を読み出したら、最初からこれまでの認識がひっくり返るほどの内容なので、ジックリ取り組むつもりだ。

8月21日の広瀬隆講演会」のチラシもできた。明日から動き出す。世の中、この事故を期に、「脱原発」に動くかのように多くの人が見ているが、そんな甘いものじゃない。推進派の連中は時期を見て再度、原発推進攻撃をかけてくることは間違いない。核武装の意図を隠そうとしない連中がいるではないか。原発の真実をしり、怒りをもって、しかも冷静に原発を止め、原発に依存しない社会を創造していく事が大事。
菅首相の「脱原発発言」に対し幻想を抱いてはいけない。大衆的支持なくして、大衆が政治を獲得することを抜きにして、「脱原発社会」はつくれない。それは真実から目をそらさない勇気ある圧倒的な大衆を育てる事を抜きに語れない。そのためにも広瀬講演会の位置付けは重要だ。

「炎628」は圧倒的にすごい作品だ。家族をナチスに虐殺された少年がパルチザンに入り、戦争、虐殺を経験する中で、老人のような顔になっていく。恐怖と憎しみに満ちた少年は、ヒトラーの肖像を打ち抜く、そしてヒトラー伍長も打ち抜く。しかし母親に抱かれた幼少のヒトラーを打ち抜くことはできない。ユダヤ人を絶滅しようとしたナチス思想との相違だけを描いたのものではないが、印象的だ。
「事情によったら戦争も仕方ない」などと考える人たちに是非、戦争のむごさをもう一度考え、「戦争は絶対いけない」の決意を固めて頂きたい。
シネマ前橋で7月22日まで。小見さんがんばってるよ。

2011年7月16日土曜日

全力で玉村町「田園・夢花火」打ち上げ

暑い毎日だが今年も何とか無事に夏の風物詩、玉村町「田園・夢花火」の打ち上げが無事終了した。長野県山之内町議会、昭和村議会と加藤昭和村村長の参加を得て交流を深めながらの花火大会となった。また今年は福島県の花火屋さんにも参加して頂き、被災地を意識しての花火大会でもあった。震災当初は町民の一部からは「今年は自粛したら」の声もあったが、議会としては「断固実施、今やらずにいつやる」の声で満ちた。そして寄付金は昨年以上集まったという。気合いの花火大会だ。23回目を迎えた今、広幹道開通後の花火大会の会場などについてもぼちぼち議論をしておく必要がありそうだ。多くの人が楽しみにしていることもあり今後も継続していきたい。

午前中は群馬会館で「原発の欺瞞」「放射能とは」の勉強会、毎週土曜日の午前中の講座だが、何とはなしに20人くらいが集まり、それもさまざまな顔も知らない者同士がなんの違和感もなく、講師はどういう人と思いながらも学び会う姿は微笑ましい。

私は中座し、シネマまえばしで黒澤明監督「白痴」を観る。ここにも15人ほどいた。こういう「思い」に入れ込んでいる映画館を応援したい。先週は「僕の村は戦場だった」「誓いの休暇」を観た。ソビエト映画だ。18日には「炎628」を観るつもり。ナチスにより住民ともども焼き払われた村が白ロシア全体で628あった事から付けられた名前だという。

2011年7月13日水曜日

週間新潮どこも売り切れ 大沢知事に借りに行こうか

上毛新聞に、「今日発売の週刊新潮の記事で、大沢群馬県知事が公邸に女性を招き入れ一夜を過ごした」との記事が載ると記された。
朝、早くも西園先輩から「本屋へ行ったらもう1冊しかなかった。自民党がきっと買い占めているんだ」との電話。もうひとりの友人からも「公邸に女連れ込んじゃっていいのかい。あんなじいさんのどこがいいのかなあ」
 この話、実は選挙期間中に聞いていた。周辺では周知の事実だったのかもしれない。後藤あらたさんも知っていたけど、選挙期間中にそれを指摘することはなかった。これが暴露されていれば、断然状況は変わったと思う。情けだったのかなあ。情けは禁物ともいうけどねえ。
札付きの売らんばかりの週間新潮の記事(偏向記事も盛りだくさん)だから、相手になど普段はしていないのだが、俗世間にまみれながら生きている身ゆえ、前橋まで行く途中のコンビニへ寄ったが、どこも文春はあっても新潮はなかった。あれえ、ここで思いついたのが土田君、こういう手の話には生まれつきの才能というか週刊誌の買いに動く。その彼が全く知らなかった。この二日間、仕事で目一杯だという。そういう不正常な生活はいけません。早く真っ当な日常を取り戻すよう手助けしよう。
 西園先輩に窮状を訴えると、すぐ読み終わった新潮を持ってきてくれ説明も加えてくれた。今夜、記事の内容を詳しく分析しなくては、反動週刊誌への不信感も働かせながら熟読してやる。

ところで男と女の問題、これは人間社会を少し見ても判るように、複雑で奥深いものがあり、簡単にモラル、アンモラルでかたづけられない性格を持つ。好みが合う者同士はやはりつながってしまう。それが自然だ。その点では、私などは完全にアンモラル派だ。
「憚りながら」という本がある。山口組舎弟だった後藤忠政が書いた本だ。そのなかで、彼は書く、「苦労をかけ続けてきた妻を思うと、愛人を東京の自宅に入れることはできない。会うときは高級ホテルだ。それが妻への思いであり、愛人への思いでもある」と。
彼女を知事公邸へ連れこんじゃいけません。これじゃかばえないよ。

さて、「にしきのつうしん」の印刷が終わり7.8.9月の玉村町文化センター大ホールの予定表を見た。8月21日「広瀬隆講演会」となっている。よし、しかし前日の20日には「幸福実現党群馬大会」とある。私と全く相容れない政党だ。しかし、これがなんでもありの現実ということ。我が道を行きやしょう。

2011年7月10日日曜日

瞬悠庵で真夏の奥深山農園収穫祭

我が秋山君の農地を借りての奥深山農園も始まってから何年経ったろう。15年くらいは過ぎたのではないだろうか。農地に手を焼いていた秋山にとり有り難いことで、畑の草退治をせずにすみ、使っているに人からは喜ばれる。
その秋山君は鬼石の夏祭りの準備で忙しい。今年は映画ロケも加わるので力も入っている。彼からは何の連絡もないが、岩城さんからは「マス席取ったからおいで」との誘いはちゃんときている。
17日夜8時30分頃が最高潮とのこと。

さて奥深山農園は奥深山幸男さんとともに生きる人たちの共同農場で、年に2度収穫祭をして、お互いの健康とこれからのたたかいの前進に向け、鋭気を養う場として設けられた。
いつしかこの瞬悠庵が集いの場となってしまった。自由開放ですから。
今年はスイカもあるが今のところまだ小さく、主にジャガイモの収穫となった。大量収穫に一同大喜び、高経大を主なロケ地とした「圧殺の森」の出演者も参加し話も盛り上がった。高齢化しても未だ意気は軒昂ということ。まずは生き抜くこと、これが大事。

2011年7月9日土曜日

「原発を考える連続学習会」始まる

梅雨も明け、とにかく暑い毎日がこれからいよいよ本格化する。体調に気をつけていても集中力が続かなくなることはよくある。これだけは自信のあった目も悪くなってきた。考えて見ればもう50代後半だからね。そんな時は休み、寝ることにしている。
 しかし、この時期、さまざまな夏の企画やらの誘いがたくさん来る。できるだけ参加するつもりだが、全部というわけにはいかない。7日には平和運動センターの各自治体への要請行動があった。 
  今日からは群馬会館での「原発を考える連続学習会」が毎週土曜日午前9時から開催される。私が連絡先として新聞に載ったためか、6人ほどの人からの問い合わせがあり、関心の高さを示しているようだ。参加してみると会場いっぱいの人が集まり、原発と原爆の講義を聴いている。内容をわかりやすくした資料も揃えてあり、質疑等も平場のやりとりなのでいい感じだ。
それにしてもこれまでの原子力政策のなんと無展望・無責任のことか、そこに政・財・官・大・メデイアががっちり組み込まれて「原発は安全です」とウソを振りまき、批判する人たちを徹底的に排除してきた。
 菅首相は勿論支持できないけど、では他に変わってどうなるとでもいうのだろうか。むしろ菅の原発に懐疑的な姿勢を考えると、この際、誰にも期待できないのだからこのままやり抜け、脱原発を一層推進しろ、といいたくなる妙な感情がわいてくる。
 この酷暑の夏を生きなければならない被災地の人々、原発事故で被害を被った人々のことを思うと、政治の無力さに怒りばかりがわいてくる。

2011年7月5日火曜日

部落解放の父・松本治一郎が泣くぜ、松本龍

松本龍震災復興相にはあきれ果て、まいった。これほど単純に権力を笠にものを言う人物は珍しい。被災地の人々の悲しみと怒りはこの暑さの中でどこへ持って行けばいいのか判らないほどだろう。松本龍よ、己を何様と考えてんだ。部落解放の父といわれた松本治一郎が泣くぜ。もう解放同盟もここまで落ちたかという思いだ。
この悲惨な大惨事で新たな差別構造が生まれないとも限らないなかで、あからさまに権力的な物言いなどする奴があるか。本当にあきれ、怒り心頭だ。
これでは民主党政権も我々にとり大惨事だ。しかし自民党に戻すことは絶対拒否する。さあ、好きにやるさ。道なき道を進むだけのこと。既成政党を歴史のクズ箱に放り込め。

知事選も終わり、しかも気持ちいいくらいの圧倒的な敗北の後は、この暑さも加わり、疲れが出て、昨日は焼酎をあおって9時頃には寝てしまった。佐藤栄佐久著「知事抹殺」をやっと読み終えた。
栄佐久は東電と闘い、道州制に反対して来た。真っ当な人がいい。
今夜からは広瀬隆の本を読み出すとしよう。

2011年7月2日土曜日

アジア・アフリカ米の田植え

朝は母親宅のビワの実を取った。梅といい、ビワといいほとんど手入れをしないけど、時期になるとたわわに実る。自然は有り難い、たった1本のビワの木の恩恵をうけることにしよう。
そして伊勢崎市内の田んぼで恒例の田植え。今年で21回目になるそうだ。私が参加してから10回ほど、当初は減反政策への抗議の意味をこめて始めたそうだ。アフリカのマリに米を送っている。
そして暑い中、県知事選最終日は前橋市内へ。