2013年4月7日日曜日

高崎映画祭最終日

雨上がりの多胡碑
映画祭最終日のシテイーギャラリー

 9時過ぎ、玉村町の桜祭りの最初に顔を出し、その後、吉井町での仕事の打ち合わせ、しかし、少しでも時間があれば現地での歴史散策という表敬訪問。
というわけで桜の花もほとんど散った多胡碑参り。
藤原不比等(鎌足の二男)の名前が入ったそれはそれは歴史的な碑だ。
 当時の日本は朝鮮半島からの渡来人の技術、文化で農業、鉱業など全産業が大きく発展していた。
今のような朝鮮人差別はなく、むしろ尊敬の念で交流が進められていた。
 私は、現在の日本人の多くは当時日本に住んでいた人と朝鮮からの渡来人の間にできた人たちの末裔だと認識している。
 勿論、当時のことを直接知るわけではないが、日本人と朝鮮人の近さを思い知るべきだ。
 
 朝鮮学校への補助金打ち切りやら、果ては町田市教育委員会のように子供たちの防犯ブザーまで朝鮮学校生徒には支給しないなどは恥ずべきことだ。撤回させよう。
 高校授業料無償化を朝鮮高校だけ排除するという大人げないことを何のためらいもなく行ってしまう自民党安倍政権の軽薄さにはほとほとあきれかえっているが、キチンと批判する必要があるだろう。
 感謝の気持ちで生きましょう、とお仕着せの感謝、感謝の洪水社会も気持ち悪い。
 悪政になど感謝は無用、徹底批判あるのみ。
 
「戦えよ、俺たちが生きている世界だろう」
言葉は不正確かもしれないが、高崎映画祭最終日の作品「桐島、部活やめるってよ」の中での映画部の台本の台詞だ。
 
 
 最後の作品「きっと、ここが帰る場所」もよかった。
今年は何かと用事があり、映画祭全期間で11作品しか観られなかったが、それでも充実した期間だった。
 
 

0 件のコメント:

コメントを投稿