反骨のエキスパートへ
民主党の今度のポスターは気にいった。
《反骨のエキスパート募集》、国会議員候補者募集ということだが、「休みはなくなる。批判にさらされる。からだはきつい。収入は減る。当選の保証なし。しかも民主党だ。それでも日本を救う気概があるなら是非応募を」だって。
「民主党には対案があります」?
戦争法案に対案は入らない。廃案あるのみ。どこが反骨?
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群馬県玉村町の町長「石川まさお」のブログです。 「瞬間」と「悠久」は決して対立的な言葉ではなく、「瞬間の中に悠久」が、「悠久の中に瞬間」はあります。何かと対立関係で世の中を見ようとする流れに抗すべく、みんなが集える庵を構えました。 新自由主義政策により社会の格差が広がり、荒んでいくのをくい止めるべく、地域に根ざした活動をします。
2015年7月31日金曜日
《反骨のエキスパートへ》のポスターは面白い。
2015年7月25日土曜日
沼田市内で山田正彦さんを招いてのTPP講座
主催した髙山敏也沼田市議 |
2015年7月22日水曜日
2015年7月20日月曜日
夏の新潟ひとり旅は五合庵と西生寺
昨日までのバタバタの忙しさも終わり、明日20日は「海の日」で休日、しかも私用も公用もない。
静かに昼寝でもしていればいいもの、もう何年も行っていない新潟の海を急に見たくなり、ひとり車で飛ばした。この年をして泳ごうという気にはならない。しかし、若い頃、毎年行っていた寺泊あたりの海が恋しくなり、ひとりで出かけた。
行った先は良寛さんが20年ほど住んだ国上寺にある五合庵と西生寺。どちらも久しぶりだが変わっていないからいい。
西生寺では鎌倉時代に66歳で入定した弘智法印即身仏に手を合せた。日本で24体ある即身物はほとんどが江戸時代のものだが、弘智法印即身仏は一番古い。
戦乱の時代、五穀十穀断ちをし、これから生きる民衆の暮らしの平穏を祈りながらの入定には恐れ入る。
西生寺には、14世紀の弘智法印と19世紀に生きた良寛が同時に生きている。松尾芭蕉も訪れ、他にも有名無名の人たちがこの寺を支えてきた。
今日に限ってカメラを忘れたため、青い海も寺の写真もない。しかし、この歴史の深さに比べると写真など陳腐に見えてくるから不思議だ。
静かに昼寝でもしていればいいもの、もう何年も行っていない新潟の海を急に見たくなり、ひとり車で飛ばした。この年をして泳ごうという気にはならない。しかし、若い頃、毎年行っていた寺泊あたりの海が恋しくなり、ひとりで出かけた。
行った先は良寛さんが20年ほど住んだ国上寺にある五合庵と西生寺。どちらも久しぶりだが変わっていないからいい。
西生寺では鎌倉時代に66歳で入定した弘智法印即身仏に手を合せた。日本で24体ある即身物はほとんどが江戸時代のものだが、弘智法印即身仏は一番古い。
戦乱の時代、五穀十穀断ちをし、これから生きる民衆の暮らしの平穏を祈りながらの入定には恐れ入る。
西生寺には、14世紀の弘智法印と19世紀に生きた良寛が同時に生きている。松尾芭蕉も訪れ、他にも有名無名の人たちがこの寺を支えてきた。
今日に限ってカメラを忘れたため、青い海も寺の写真もない。しかし、この歴史の深さに比べると写真など陳腐に見えてくるから不思議だ。
2015年7月19日日曜日
憲法踏みにじる戦争法許すな。/夜はたまむら花火大会
高崎城址公園での集会 |
たまむら花火・カウントダウンは大崎章監督 |
2015年7月12日日曜日
「かがや富士子」県政報告会
主催者あいさつは塚越紀一さん |
小林悟さんも極めてご機嫌 |
2015年7月8日水曜日
高校時代同窓会幹事会を重ねて
伊勢崎工業高校昭和46年度機械科卒業生還暦同窓会後最初の同窓会を来年に控え、いつもの友栄で幹事会を開いた。
一声で10人ほど集まり、正式に全同級生(83名)に往復ハガキでの出欠確認をしても、30人程度の参加が実体。
来るメンバーは知れているのだから、いつもの幹事会メンバーが手分けして電話で連絡すればいいのではとも考えるが、そこは同窓会、基本通りいくことを確認する会議だ。
その都度、次の幹事を決めておくが、3年も経つと誰が幹事なのか分からなくなり、結局、このメンバーが幹事団となり、事を進めていく。
ここに集う連中は少なくとも夏と冬、居酒屋友栄で酒を交わす。ママが日本舞踊の先生で75歳、店を手伝う兄夫婦は80歳という年齢、仲間一同、店を閉めるまでトコトン付き合うつもりだ。
幹事会といってもほとんどは四方山話、肝心の議題は最初だけ、ということで「来年1月23日午後5時から伊勢崎市のプラザアリア」という期日と次の秋の幹事会を決め解散。
その後はフィリンピンクラブでワンタイム過ごし、10時過ぎには帰宅、かかった費用は幹事会込みで10000円余だから安いといえよう。 夜は寝るに限る。
一声で10人ほど集まり、正式に全同級生(83名)に往復ハガキでの出欠確認をしても、30人程度の参加が実体。
来るメンバーは知れているのだから、いつもの幹事会メンバーが手分けして電話で連絡すればいいのではとも考えるが、そこは同窓会、基本通りいくことを確認する会議だ。
その都度、次の幹事を決めておくが、3年も経つと誰が幹事なのか分からなくなり、結局、このメンバーが幹事団となり、事を進めていく。
ここに集う連中は少なくとも夏と冬、居酒屋友栄で酒を交わす。ママが日本舞踊の先生で75歳、店を手伝う兄夫婦は80歳という年齢、仲間一同、店を閉めるまでトコトン付き合うつもりだ。
幹事会といってもほとんどは四方山話、肝心の議題は最初だけ、ということで「来年1月23日午後5時から伊勢崎市のプラザアリア」という期日と次の秋の幹事会を決め解散。
人恋しい同級生の面々 |
2015年7月5日日曜日
「ストロボ ライト」片元監督と鳥久で焼鳥
2015年7月3日金曜日
「戦後70年」の平和行進
町側に申し入れする行進団代表 |
2015年7月2日木曜日
大崎監督、片元監督ホルモン屋で暑気払い
急きょの呼び出しでも仲間が集まった。 |
水道塔を背に立つ大崎監督、いい光景です。 |
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映画「ストロボ ライト」の宣伝に余念がないふたり様
「お盆の弟」製作に係わった人たちを取材したいと「パリッシュ」編集局が玉村町へ訪れ、大崎監督も来町し取材を受けた。
私は東京での仕事がいつ終わるか分らないので、確約はできなかったが何とか4時過ぎに役場に着いた。
取材中に見た水道塔は町のランドマークとしてとてもいい感じ。一本の映画を作るには実に多くの人の支えが必要なことを改めて実感した。
そして、夜は監督の同級生を中心にホルモン屋で暑気払い。
ロケ地になった噂のホルモン屋で飲みたい、という映画「ストロボ ライト」の片元亮監督、宣伝広告の槇徹さんも登場し、大いに盛り上がった。「お盆の弟」と「ストロボ ライト」は趣を異にしているが、そこがまたいい。
自主製作の「ストロボ ライト」、「お盆の弟」もそうだが、国の映画づくりの補助金などに関して、大手製作会社が作る映画には手厚いらしく、自主製作映画は資金繰りに相当苦労しているらしい。
権威とほど遠いところから文化、芸術はつくられる、まして若者が挑戦しようとする気概に応える支援体制こそ必要なのではないか。
7月10日まで「ストロボ ライト」はシネマテークたかさきで上映されている。
片元監督と槇さんは安宿に泊まり込んで毎日上映後に舞台あいさつをする。
期間にもう一度観ようと思っているとてもいい映画だ。
そして「お盆の弟」はいよいよ8月1日から上映される。