2011年8月31日水曜日

トータルライフアップ学習会と広瀬講演会

8月も今日で終わりだ。お盆もあり色んなイベントもあり、そして9月議会の準備もしなければならない。
 伊勢崎市文化会館でのトータルライフアップ学習会(連合伊勢崎地協主催)に連合議員懇の4人が来賓として参加した。
 第1部の「県政報告会」として塚越紀一県議が30分ほど話をした。驚いたことにそのほとんどの時間を21日の「広瀬隆講演会」の内容に割いた。福島原発事故は津波ではなく地震で起きたということから、原発なくても電気は間に合う等々広瀬さんの話をまとめて話し、電力の自由化の中で今後は特定規模電気事業者の役割も大きくなるはずと閉めた。
 それを聞いていた伊勢崎地協の議長が広瀬さんを講師として呼べませんかねえ、ときた。ええでしょう。2500人会場、そのときは本気に構えて準備しましょう。まずはマネージャーの角倉県議へ塚越県議が電話。

 9月6日から始まる玉村町議会の一般質問には特定規模電気事業者(PPS)の選定について、を質問事項の一つとした。PPSの導入は原発を廃止する意味でもその入り口にあると考えるからだ。おそらく県下で初めての質問事項で当局もとまどうだろうが、電力会社は東電だけではないことを強く喚起していきたい。

2011年8月27日土曜日

全く期待できない民主党代表選

菅降ろしの続編として始まった民主党代表選について語りたくもないが一言で言えば「全く期待なんてできません」ということか。
特に前原には要注意だ。「原発はクリーンなエネルギー」などと外務大臣時代に言ってのける浅はかな認識しかない。震災復興に関し、経済成長によるその果実(利益)を復興財源に当てるなどという小泉政権の新自由主義政策の後追いをしようとしている。今、命の危機にある被災地はこれ以上待てないことに気づかないのか。この間、最小投資で最大利益を上げるという新自由主義政策により地方は置いてきぼりにされ、あげくは原発を金の力で飲まされてきたのだ。貧しい地方を壊滅状態にしておいて都市が栄える光景など見たくもない。「国民の生活が第一」と被災地へ行って言えるか。
同じ松下政経塾出身の野田や小沢派の支持を得た海江田も同じようなもの、ほかの二人も以下チョンチョン、薄っぺらな理念保守ばかりで何の違いもない。
 さて、では今後日本の政治はどうなるか、それが問題だ。既成政党はみんな駄目ということになると、これからは危険度が増す。戦前の日本を考えたらいいだろう。
 威勢のいい言葉を自信満々の様子で連発する例えば橋下大阪府知事のような人物が登場し、閉塞感一杯な社会状況に危険な動きを仕掛けてくる。事実、大阪では「維新の会」が「改革」と称し、安定した身分保証の公務員や教員に攻撃を仕掛けてきている。このようなファシズム的状況が巻き起こる可能性がある。橋下は「今の日本の政治で一番重要なのは独裁。独裁と言われるくらいの力だ」と言ってのけている。
これにきちんと反対行動を起こせる運動こそが必要となる。その一つがこの間進めてきた全国の反原発運動だと考えている。まともな歴史認識と時代認識をもってファシズム運動を跳ね返す力を蓄えなければならない。そこにこそ未来がある。結局、他人任せでは未来を切り開くことはできないということ。

2011年8月22日月曜日

「今すぐ原発を止めよう」と広瀬さんが訴える

歌の南條倖司さんはプロ、フラメンコダンスもプロ、麦わら帽子の会もプロという方々が講演会の前を盛り上げて頂いたので、スムースに1時からの広瀬講演会に入っていけた。それにしても5月1日の高崎デモまでは知らなかった人達だ。反原発の思いは社会の深いところでつながっていることを実感した。
 広瀬さんの話は福島原発の事故の真相、地震、放射能と3時間にわたり全面的に展開された。始まるときは空いていた席もほとんど埋まるほどの盛況だ。真実を武器にたたかってきた広瀬隆さんの話を聞いて、それぞれ何かを始めたいと考えている人も多かったのではないか。他人任せでは何も始まらないということ。
 交流会では更に話しが弾み、南條さんの歌がまた始まるなど大きな達成感を味わうことの出来た1日だった。
 講演会の様子は世界に中継されたということだが、そういうことはなかなか理解出来な


い遅れた自分がいる。

2011年8月20日土曜日

21日(日)広瀬隆講演会 玉村町文化センター

会場11時30分、12時から歌やダンス、麦わら帽子の会による朗読劇「伸ちゃんのさんりんしゃ」等が始まる。
そして、1時からいよいよ広瀬隆さんの講演会となる。時間は約3時間だそうだから、聞く方も構えた方がいい。それほど広瀬さんは訴えたいのだ。
 3月11日の震災と福島原発事故は今だ収束の目途はたたず、一体どこまで広がって今後どのようになってしまうのか、と多くの人が不安と怒りのなかで生活している。
人々をこのような塗炭の苦しみに追い込む原発は人類とは相容れないものとして、改めて認識し直した。
 原発推進勢力が政治と経済を握り、「安全神話」を人々に強制し、その結果、このような惨事を招いた。しかし、彼らは、事ここに至っても原発を推進しようとしている、中には核兵器に転用する能力確保のため原発は止められないなどと明け透けに発言する政治家もいる。
 広瀬隆さんに講演依頼した理由はここにある。中途半端な原発批判ではなく、真実に根ざした徹底批判、そのことにより原発推進派から憎悪の対象となりながらも一歩も引かず闘い続けるその姿勢こそが今、我々にも求められていると考えたからだ。
幸い角倉県議が広瀬隆さんとの人脈をもっていた。そのことにより実現した講演会だ。今後反原発運動をするについても、「確信」をもって運動する事が第一に求められる。その意味でも重要だ。
 たったこの瞬間も、原発事故の収束のため多くの原発労働者が福島原発現地で命がけで働いていることを忘れてはならない。彼らを平然と使い捨てる感性の原発推進派には嫌悪感を覚えるだけだ。
 広瀬隆著「原子炉事件爆弾」を読み終えた。この本は昨年8月に出版された。その一部を書く。
【科学的・論理的に考えれば、周期的に到来する東海大地震は間違いなく起こることであり、これを否定する人間は、電力会社にも一人もいない。その時に、浜岡原発が破壊され、取り返しのつかない末期的な事故が起こる可能性は、ほぼ100%と言ってよい。これは、時限爆弾の爆発を待っている、ということになる。私たちが分からないのは、その時限爆弾が、いつ爆発するようにセットされているか、その時刻だけなのである。】

2011年8月18日木曜日

広瀬隆講演会に向けての準備は進む

いよいよ21日に近くなり盛り上がってきた。上毛新聞、朝日新聞に広瀬講演会の記事が載ったこともあり反響が出てきた。
「放射能検知機を求めたいが斡旋してくれますか」「大泉から電車で行くにはどうしたらいいですか」「車いすでも参加できますか」「チケット○枚予約」等々さまざまな電話だ。来年の町長選に向け身構えている人からも10枚買っていただいた。こわいな。何かあるかな。自分がしっかりしていれば大丈夫だ。現職にも売ってやった。これでチャラ。
昼食のため町内で大賑わいのラーメン屋に入ると、カウンターで玉村文化人の町田さんと隣合わせた。最近、結構偶然に会うから不思議だ。「6日に東京へ行ったら素人の乱がデモをしてましたよ」とお江戸の情勢を聞かせてもらった。
 土田君は高崎市内の呼びかけ人からチケット代を預かってきて、自らも10枚、関口ケアセンターもこのブログを見れば、きっと来るに違いない。田中島夫妻は京都の美味しいせんべいをスタッフのみなさんに、と差し入れながらチケット2枚、西園先輩は得意の法螺話に華を大いに咲かせながらチケット1枚(ちと少ないかなあ)、キリスト者の鈴木さん2枚、関口元教育長も1枚と大変いい雰囲気だ。西園先輩、帰ってから「当日葬式ができちゃった」と電話。もう遅い、代金は返しませんから、先輩、誰か有望な若者に回してください。秋山局長5枚、栗ちゃん3枚、岩城姉さん2枚等々どんどんさばけていく。そして今も川井地区の天田さんから「盛り上げましょう」との激励の電話とチケット予約、勢いでスタッフになってもらった。忘れちゃいけない、アンドレ山ちゃんにも電話で声がけ、けだるい声で「行きますよう」だと。
 当日売る写真雑誌デイズジャパンが95冊届く。東日本大震災救援対策本部ニュース「生きぬくために闘う」も届く。参加者に配るチラシ類も集まりだし、雰囲気だけは盛り上がってきた。 
 広瀬さん本人からもメールが届き、玉村講演会への力の入れようも伝わってきた。パソコンと新しく購入した高性能プロジェクターを持参するとのこと。
角倉県議からも「どんな状況?」おかげさまで順調、当日は確実に広瀬さんを高崎駅からお連れする役をこなして頂きたい。
 明日一日、一声かけましょう。

2011年8月15日月曜日

「前事不忘、後事之師」 中国帰還者連絡会と撫順戦犯管理所

BSNHKで「撫順戦犯管理所」の生活と思想改造の課程が放送された。「中帰連」という雑誌を購読している者として、放送内容のバランスの良さを感じた。昨夜9時からのNHKスペシャルといい、今、我々が知っていなければならない事を放送している。制作現場の人たちの良心を感じ取れる。
 戦時中,中国人の収容所として使われていた施設に1000人近くの日本人戦犯が収容された。 日本軍に家族等を奪われた当時の中国人の日本人戦犯に対する憎しみには厳しいものがあった。
当然,虐待を受け,最後は殺されるものと覚悟していたが,管理所側は当時の中国人の食事より良いものを食べさせ、本や新聞も与えられ、運動、趣味さえも保証された生活が続いた。 中国人管理者、戦犯日本人のインタビューで当時の様子を明らかにしていく。信頼関係の醸成の中,過去の事実を自白した戦犯日本兵は罪を許され帰国した。
 帰国した戦犯達は、共産主義に洗脳された、として日本社会で受け入れてもらうのに相当苦労した。
しかし、中国側は戦犯達に政治活動の要請などは一切していない。それだけに戦犯達は帰国した現在も自らの犯した罪を深く反省し、二度と戦争はしないと誓う。
 一方,撫順戦犯管理所で日本人戦犯と向き合った中国の人たちも文化大革命の時、日本人に対し甘い態度をとった右派、として批判を受けた。しかし、両者は今も交流が続く。
 将来を見据え寛大な政策をとった当時の中国共産党,周恩来という人物の大きさをここでも感じ取れる。確かに建国当時の中国共産党は輝いていた。
 「前事不忘 後事之師」(前の経験を忘れず、後の教訓とする)



2011年8月13日土曜日

酷暑の中、下之宮高侭遺跡現地説明会

まるで南国にいるようだ。子供の頃もこんなに暑かったのだろうか。広幹道の工事にあたり発掘作業が進む下之宮地区での高侭遺跡現地説明会に行った。午前10時頃からの30分程度の説明会だが、暑くて集中ができないほどだ。これから日本の夏はどうなるのだろうか。
この地区では、古代~近世に至る4面ほどの地層発掘調査をしているが、その最上位の第1面では天明3年(1783年)の浅間山の大噴火で埋もれた村の跡が発見され今回の現地説明会となった。
 天明3年から始まった噴火活動は3ケ月続き、この辺でも夜のように暗くなり、火山灰や軽石が降り積もり、一面雪景色のようになったらしい。吾妻川に流れ込んだ土砂は大規模な土石流となり勢いよく下ってきたが、下之宮に達したときは自転車程度のスピードになり、軽石の地表を真っ黒な泥流が押し包んだ。その時の民家跡が発見された。しかし、遺物がほとんど見当たらないことから、住んでいた人は荷物をまとめてどこかに避難したのだろう、との説明だった。
理路整然とした話に納得していると、先輩が近づいて耳打ちした。「石川の初恋の人がここに来ているぞ。面影があるだろう」という。視線をその方向へ向けると、うーん、確かに。もうお互い歴史の地層に入る年齢近くになって想い出せと言われても、ため息が出るだけだ。

2011年8月7日日曜日

新藤兼人監督「1枚のハガキ」に寄せる99歳の思い

先週、埼玉県上里役場へ行く用事があり、ロビーで展示されている「ふるさとの偉人」というコーナーをのぞいた。
「満州開拓時代」の女性パイロット(七本木町出身)を偉人として取り上げているものだが、その説明書きには、「開拓団を悩ませたものに匪賊の出没があった」などという記載が平気でされている。  植民地政策により土地を奪われた中国人が抵抗するのは当然のこと、それを匪賊と言いなした当時の言葉そのものを使う無遠慮な感性、また植民地政策を疑問すら感ぜずに生きていた女性をパイロットだったという一点だけで「ふるさとの偉人」に仕立て上げてしまう教育になってしまった。これでは満州国建設は正しかったということになってしまうではないか。
教育基本法の改正により日本の教育はますます国際社会からは遊離した独善的な愛国心を強調するものになりつつある。要注意だ。
 現実はどうか。6日付の中国夕刊紙、法制晩報は、黒竜江省方正県で、日本の旧満州開拓団員の名前を刻んだ慰霊の石碑が、6日朝までに取り壊され撤去された、という記事を載せている。石碑は7月、開拓団員の眠る共同の墓のそばに建てられた。長野、埼玉、山口県などの各県出身者の死亡者約250人の氏名が刻まれたものだが、中国国内から強い反発を受けていたもの。
日本の当事者にすれば、「碑を建てて何が悪い」と思うだろうが、侵略された側の思いは全く違うことを理解する必要がある。この観点を学ばすことが教育の基本だ。
 相手のことを一切考慮しない独善的愛国心こそが戦争への道を掃き清めてしまったことを教えるのが教育のはずだ。「ふるさとに偉人なし」でいいのだ。

映画「1枚のハガキ」に思いを寄せた新藤兼人監督(99歳)の声を聞いて欲しい。
32歳で兵隊にとられ、そのとき100人の仲間がいた。「くじ」で選ばれた60人がマニラへ陸戦隊として赴くく途中、アメリカの潜水艦攻撃で死んだ。その中の一人と、二段ベッドの上と下で寝起きを共にしていた新藤は、出発前夜、彼の奥さんからのハガキを預かる。「今日はお祭りですが、あなたがいらっしゃらないので、何の風情もありません」。
マニラへ行けば必ず死ぬとわかっていた彼は返事を書かず、「もしおまえが生きて帰るようなことがあったら、このハガキをたしかに見たと、妻に伝えてくれ。たとえ死んでも霊魂となってお前を守ってやるから」と新藤に託した。
 残った40人がその後どうなったかというと、また「くじ」で選ばれた30人は日本の戦地で死に、残った10人のうち、またまた「くじ」で選ばれた4人が海防鑑に乗って死んだ。まさに「鴻毛のごとし」だ。
 99歳の新藤監督が描く「1枚のハガキ」、新藤も2等兵、最初に死んでいった60人も2等兵、しかし、ふるさとで待つ妻にとっては「あなたがいなければ、世の中に何の価値もない」と思わせる一人の大切な人、誰もがそうだった。94人の犠牲の上に生きているという新藤の思いがこの映画を作らせた。豊川悦司、大竹しのぶの演技が見物で監督自身、感心している。
 このような繊細さが教育にも求められている。無理して偉人化するな!後始末が大変だ。

2011年8月5日金曜日

SL号が走り抜けるなかでのブルーベリー狩り

今日は天気が心配だったが、松井田の現地は曇り空でそれほど暑くない中でのブルーベリー狩りとなった。朝鮮学校からは元気な子供達や卒業して茨城や東京の朝鮮高校へ通う高校生も参加した。安重根校長先生も同行しての賑やかなひとときとなった。ブルーベリーを食べ、お茶を飲みながらの四方山話は楽しい。
 多くの日本人が誤解しているのは、朝鮮籍を持つ人たちはいわゆる北朝鮮地域出身と思いこんでいることだ。ほとんどの人たちは朝鮮半島南部言ってみれば韓国地域出身者というのが現実だ。韓国という国ができたのは戦後のこと、それまではみんな朝鮮籍だった。日本と国交を持つ韓国籍になった方が、日本では生きやすい、都合がいい等々の理由で国籍を変えていった人たちとそのままの人たちという違いだけなのだ。
古くから、本当に古代から親密な関係にあった朝鮮半島と日本の歴史を知れば知るほど、在日朝鮮人に対する差別と偏見は恥ずべきことと思う。国家間の難問を解きほぐす鍵も在日朝鮮人と真の信頼関係をつくること、ここから全ては始まると思っている。勿論、そのためにつきあっている訳ではないが。子供達の笑顔は希望だ。
 今日はSL号が汽笛を鳴らしながら駐車場南の線路を通過するというプレゼントもあった。

2011年8月4日木曜日

周恩来総理に外交の基本を教えて頂きたい自民党3議員

独島(竹島)問題にからみ独島近くのウルルンドという島に視察名義で乗り込もうとした自民党国会議員3人が韓国に入国拒否されたことが大きな問題になっている。
一連の報道から感じたことは、戦争挑発のパフォーマンスということだ。札付きの右翼政治家らしいが、特に自衛隊出身の議員に関しては、戦前の軍部の暴走を想起させられた。こういう行動右翼が国会議員になり、我が物顔で隣国に押し入り「竹島は日本固有の領土」と主張して回る姿は尋常ではない。批判の声が小さすぎる。彼らに「恐怖」を感じ、押し黙っていれば、増長するのは戦前の歴史を少しでも知れば分かること。戦後はそのようなことを繰り返さないという誓いから始まったのだ。
「政府の行為により再び戦争の惨禍が起こる事のないよう決意し、主権が国民にあることを宣言し、この憲法を確定する」憲法前文。
 国政の力が脆弱で外交でも成果を収められず、民衆がストレスを溜めている今のような時は、保守行動派による領土問題や国益論を声高に叫ぶ威勢のいいファシズムが横行する事は歴史の必然でもある。乗せられてはならない。
 奇しくも「周恩来」がNHKで放送されている。彼は外交について「原則を持つことは当然だが、相手の立場を考えることを抜きに外交はない」と言っている。単純・まっすぐ困った君達に教えてやって頂きたい。

2011年8月3日水曜日

広瀬隆の熱い講演を聴こう

昨日は、伊勢崎市議会と玉村町議会の交流会と懇親会を伊勢崎市内の「最高の1日」を会場に約8年ふりに開いた。合併後はなにかとせわしく、議員の数も伊勢崎32人に対し、玉村16人ということもありなかなか調整もしづらく、機運も盛り上がらなかった、というのが実情だったろう。合併後の選挙を何度か経て、やっと落ち着く中で、今後も、伊勢崎・佐波の交流の大切を確認する意味でも重要な交流会だった。

今日は、21日の広瀬隆講演会に向けてのチラシを知り合いに配りながら、当日の参加を呼びかけた。広瀬隆を知らない人が意外にも多いのに驚いたが、原発事故の収束どころか、どんどん拡大過程にある現実の中、経団連などの脅しに屈服してはならない。農業が営めなくなっていく、産業が破綻していく、人が住めなくなり地域が崩壊していく、それでも原発は必要か、ふざけるな、という思いだ。
「原子炉時限爆弾」の一節を引く。「死の灰という言葉さえ知らない若い世代が、報道の中心を担っている。日本人には古来からそれなりの思考する力があり、決して世の中全体が無知であるはずはないのだが、報道が途絶えると、誰もが知っておくべき事実を誰も知らない、という「知恵あって無知な」世に中になる。そのため、日本人全体が、本書のテーマから見れば刻々と迫っている危機について何も知らずに、明日に希望を見つけようと生きているように思われる。企業経営者も、日々の作業に追われて、とても原発のことなど考えているヒマはない、というのが現状だろう。しかし、全ての日本人の生活にかかわるこの問題だからこそ、「原発震災」を全く考えずに、生きてゆけるはずがない。それを考えておかなければ、生きてゆけない可能性が高いのである。」
熱い広瀬隆の声を聞け。

BSのNHK夜9時から4日間放送されている「周恩来」の1回目を見た。昨日は見逃したが、今日、明日は必ず見るぞ。周恩来、尊敬するる人物だ。中国という国はすごい。歴史の厚みが日本とは違う。周恩来が生きていたら現代中国の姿を見てどう思うだろうか。事故を起こした列車を埋めてしまう姿を見てどう思うだろうか。