2013年4月30日火曜日

「漂泊」出演者・スタッフ顔合わせ


あいさつする藤橋監督

会場にはたくさんの人が集まった

 3回のオーデイションにより出演者の配役も決まり、スタッフ一同との顔合わせと台本の読み合わせが昨日、玉村町勤労者センターで行われた。
 集まってみると、出演者がこんなにいるの、と驚いてしまった。
 1度か2度しか会っていないがどの顔も見覚えがあった。それほど印象深いオーデイションだったと言えようか。 
  自己紹介の後、出演者の台本読み合わせを約90分かけて行ったが、これがなかなか迫真の読み合わせ。
今後、台本の変更も予想されるが、本番がこの調子でできれば相当の作品が期待できる。
しかし、本番は台本なしのごまかしのできない演技だから大変だろう。
 真夏の撮影に向け、我々はロケ準備を確実に対応していきたい。
 

2013年4月27日土曜日

玉村町自治まちづくり広場

安保先生と高久さんのトーク

 全国での市町村合併が一段落した後、「職員適正化計画」という職員削減政策が推し進められ、それと並行する形で「住民との協働」が以前より声高に叫ばれるようになった。
 公務員の人件費削減とともに、住民が一方の主役として踊り出し、まちづくりに関与する流れが本流となって来ている。
 玉村町では県立女子大学の安保博史教授が、この間、その指導性を発揮しさまざまな企画が動き出してきた。
 その流れの現状を「玉村町まちづくり広場」として公にするのが今日の集まりだ。 
 第1部で貫井町長が本年度の町政運営の基本方針について述べ、第2部で「楽しみ合えるまちづくり」と題して安保教授の話、その中で角渕にある水辺の森有効活用実行委員会の高久和子さんの事例(水辺の森フェスタ)紹介と内容は進んでいった。
 協働という場合、経済原理だけでは成り立たない人づくりとしてのまちづくりの観点(新しい自分づくりに生かすまちづくりの観点)が必要との安保先生の指摘には強く同意したい。
 
 
 

2013年4月20日土曜日

加賀谷富士子を紹介します。

この看板がお気に入り,
真っ直ぐです。
ツッキーの留守宅でポーズ
働く女性とともに

 昨日、加賀谷富士子さんと玉村町を3時間ほど歩いた。急なことでもあり、訪問先も留守が多かったが、それでも会った人とは濃い会話ができたようだ。
名刺だけの訪問だが、高支持率の安倍政権に動じることなく立ち上がった加賀谷さんへの期待の大きさも肌で感じることができた。
 サギとペテンのアベノミクスを支持している人たちは、本当はそううまくいく経済政策などありはしないことを承知で、しかし、「これまでがひどかったから、少しぐらいなら、まただまされてみるか。」程度の心境だ。
無責任だ。こういう人々が、古い自民党の復活を支えてしまっている。
 アベノミクス後の「貧者の大行進」が目に浮かぶ。
 
キッと未来に視線を向け、人間が人間らしく生きられる社会を見据えているのはどの角度からみても加賀谷富士子だろう。
 
 
1.人間がコントロールできない原子力に依存する社会から自然エネルギーでも電力は十分まかなえる社会づくりをする。
2.すでに明らかになってきているようにTPP交渉では日本は何も獲得できない。日本の伝統と文化をも売り渡すようなTPP参加に反対する。
3.戦争を放棄する平和憲法を守り、発展させることこそが国際平和を希求する正しい道である。
 明治以降の日本の歩んだ道を考えると、戦争の歴史だった。それもアジア諸国を侵略した歴史だった。このことを直視し、世界から戦争を無くす道筋を日本国憲法に見いだすことは大切なこと。
 
 上は小学一年生、下はゼロ歳児の3人の母親が、国政選挙に打って出るその心情を想像するにつけ、今の社会の理不尽さに怒りがわいてくる。
彼女の思いを強くさせているのは、その3人の子供たちでもあるだろう。
 若い世代の本当の思いの代弁者といえる。
    〈絶大なる支援・タノムヨー〉
 
 
 
 
 
 

2013年4月18日木曜日

大塚政義先生の突然の死を悼む

八幡宮での講演打ち合わせ(2010.8)

次郎長宅前での大塚先生(右)と玉村八幡宮宮司

 「今朝、大塚政義先生が急逝された」と、夕刻、奥さんから連絡があり、玉村八幡宮の宮司梅林さんと富岡の自宅にお見舞いに行った。
 心臓が悪かったのは知っていたが、これほど急に亡くなるとは家族も予想していなかったという。
 大塚政義さんとはまだ6、7年のつきあいだが、とにかくまめな人で、玉村町でも国定忠治、水戸天狗党の講演会を4回ほど行った。
4回ほどというのは、少なくとも私と梅林宮司主催で4回は行った、しかし、伊勢崎市東村で数回、甘楽町、藤岡市、前橋市で数回の講演を聴いているので、回数は定かでなくなっているのだ。
 最初は国政選挙の投票日当日で大雨、会場は玉村八幡宮だった。
「今朝、ここへ来る前に、大戸の関所の忠治の墓に行って、玉村町で忠治親分の話をしてくると、報告したら、みなさんによろしく、とのことでした。」から始まる。
 聴く人を飽きさせない話しぶりと、全く人を平らに見る人柄に惹かれた。
 しかし、忠治の話、4回も聴くと正直のところ、もういいよ、とも思うのだが、周囲の人から大塚先生の講演会をやって欲しい、という声が上がるから不思議だ。
忠治人脈の広さに驚いたこともたびたびある。
筆まめで毛筆書きの手紙やハガキはすでに分厚くなっている。        しかし、大塚先生はむしろ水戸史学会会員で水戸天狗党がむしろ専門という郷土史家だ。
 天狗党が1864年、1000人の隊列で京都を目指し行軍した際の、下仁田町での高崎藩との戦争の実態を解明した功績は大きい。
「水戸天狗党と下仁田戦争150話」に詳しく述べられている。
 6年ほど前、下仁田町に行き、大塚先生に半日かけて下仁田での天狗党と高崎藩の戦争のいきさつと現場を案内していただいたことは特に忘れがたい。
 水戸は勿論、天狗党が処刑された敦賀まで何度となく足を運んだという。
 最後に会ったのは昨年9月に清水市に一緒に行った時だ。
清水次郎長の家に行く企画をした梅林宮司さんらと5人の日帰りの旅だったが、大塚先生がいなければ何のことはない、ただのお墓参りになるところだった。
 次郎長の人となりと時代背景、菩提寺の梅陰寺の説明は担当者より明るい。
なぜこんなにヤクザの世界を知ってるのと驚いてしまった。
「山岡鉄舟との出会いが次郎長にとっては大きい。忠治にはそれがなかった。反権力一本槍の忠治、二足のわらじをはかない忠治、いかにも上州人らしいよね」との解説はわかりやすい。
「また玉村でもお話しますから、いつでも呼んでください」が最後の言葉になってしまった。
 その後、母親の喪中はがきを年末に出すと、「ご母堂さんのご不幸を知らずに申し訳ありませんでした」と丁寧にお返しのハガキが届いた。恐縮の限りだ。

「桜田門外ノ変」や「生麦事件」などの歴史小説を書いた吉村昭著「史実を歩く」を読んだことがある。
 吉村昭はそれらの取材で現地に何度となく足を運び、丁寧に史実と向き合った。そういうとき必ず地元の郷土史研究家の人たちの資料や話が大いに参考になると言っていた。
大塚先生もそういう役割を十分果たすことができる位置にいたことは事実だ。

 国定忠治の本を何冊も書いている髙橋敏さんともお会いしたいと話していた。
会えていれば、当時の産業を含めた社会情勢など、より深い分析も可能だったろう。
 
 あのおおらかで親しみやすい大塚政義先生にもう会えないと思うと寂しい限りだが、いつまでも心のなかに生きていることは確かだ。
 冥福を心から祈りたい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2013年4月16日火曜日

加賀谷富士子、国政に挑戦、ともにたたかいましょう。


加賀谷富士子さんが参院選挑戦の決意をしました。
全力で勝利に向け闘い抜きましょう。情勢はわれわれ側に有利です。

以下加賀谷さんの言葉をフェイスブックから無断転載

《 既に新聞報道などで知っている人も多いかと思いますが、なんと私、今度の夏の参議院選挙に民主党から出馬する事となり、
今日は群馬県庁で記者会見してきました!
... 4月に入って民主党群馬県連から正式な要請があり、悩んで悩んで悩み抜いて、
決断するまでに体重が1週間で3㎏近く減りました(選挙ダイエット?)。
今まで人生の大事なとこを勢いで決めてきた私。貧乏神みたいな独志君との結婚だって、勢いで決めてきた程の私なんですが、人生で初めて悩み抜きました。

前回の衆議院選挙の後、選挙結果に落胆しました。
つぎの参議院選挙で自公政権、維新の対抗軸がしっかりしなきゃ、平和憲法が変えられちゃう、原発も再稼働どころか新規に建設されちゃう、
TPPだって参加ありきで前のめりに進んじゃうって、凄く危機感を持ち続けたわけです。
そんなところに、民主党から私のところに参議院選出馬の話が入ってきました。
どうやら、3.11原発事故以降、脱原発の市民運動をやっている姿を見て、白羽の矢が立ったようで。
 挑む相手はTVでお馴染みの現職大臣・山本一太先生!

しかも保守王国群馬の世襲議員!
周りからは「勝てっこない」「100%落ちる」って言われるし、
自分でも厳しい選挙だとは百も承知です。
でもでも、もし憲法が改正されて、いつか自分の子どもや子どもの旦那、恋人、友達、知り合い、子どもに関わる人たちが戦争に行って、人を殺すことは絶対にあってはならないと思うと、反旗を翻さないわけにはいかない、と。
 「戦争なんて、起こらないよ」と思う人もいるかもしれないけど、明治維新以降、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、日中戦争、第二次世界大戦と、日本は戦争を繰り返してきて、第二次世界大戦後70年近く、日本が戦争に参加しなかったのは憲法のお蔭だと思っています。
 安倍総理は国防軍なんてカッコいいこと言うけど、国防軍が何をするかと言えば、戦地へ行って人を殺すこと。

 出馬するにあたって凄く悩んだ理由は、やっぱり怖いから。
一体、私たち家族に何が起こるんだろ?ある事ない事、誹謗中傷は必ずあるし、
長女は小学校入学、三女は保育園入園という大事な時期。
一太先生のブログには私の学歴、家族構成、友人関係、
過去の諸々の事ナドナドを調べるとありました(コワ~イ)。
そして周りの目も気になる。友達、仲の良いご近所さん、仕事関係の人、みんながどんな反応を示すか…。
 実際、いろんな意見もあって複雑だったけど、
悩んで悩んで悩み抜いた末、やらないで後悔するより、やって後悔したほうがイイと思い、
決断に至りました。

…………………………………………………………………

「空がまた暗くなる」  RCサクセッション
 
おとなだろ 勇気をだせよ
おとなだろ 知ってるはずさ
悲しいときも 涙なんか
誰にも 見せられない

おとなだろ 勇気をだせよ
おとなだろ 笑っていても
暗く曇った この空を
かくすことなどできない
ああ 子供の頃のように
さあ 勇気を出すのさ
きっと 道に迷わずに
君の家にたどりつけるさ

おとなだろ 勇気をだせよ
おとなだろ 知ってることが
誰にも言えないことばかりじゃ
空がまた 暗くなる
http://www.youtube.com/watch?v=Edf05-Klvrk
…………………………………………………………………

笑ってごまかしていたら、空がまた暗くなってしまう。
黙っていたら、空がまた暗くなってしまう。
勇気を持たなければいけない時が訪れてしまいました。

取り急ぎ、ご報告まで。》




2013年4月13日土曜日

僕は何をやっても駄目な男です

僕は何をやってもだめな男です
昨日歩いてて犬におしっこをかけられました
ガムをかんでも 舌をかんでしまうし
トイレに入ってチャックがしまらず
オロオロしたこともありました

僕は何をやってもだめな男です
電話で彼女の母親に愛を告白しました
パチンコやってもチューリップが開いたためしなく
電車のドアにコートをはさんで
一緒に走ったこともありました。

僕は何をやってもだめな男です
エレベーターが止まらず一日上がったり下がったり
何もしないのに機動隊にはこづかれて
こわいおばさんに囲まれ
じわじわいじめられたこともありました。
          (南こうせつとかぐや姫)
 
 この曲を思い出してしまうような一日だった。
友人と手近な中華飯店で昼食をしたのはいいが、そこで手帳と小銭入れを忘れてしまい、午後の打ち合わせの時、そのことに気づいた。
その場は何とかしのげたが、忘れた原因は思い当たる。
 友人の切羽詰まった悩み事に感情移入していたこと、自分自身、仕事上で緊急に方針を決めなければならない課題を抱えていたこと、そしてその店が居心地よかったこと。
 この店での忘れ物は2度目。なんともやるせない思いだ。年かねえ。
 その上、カバンが壊れて抱きかかえなければならないことになりさんざんな一日だった。
しかし、転んでもただでは起きない。違う発想で長い間の難問を解決し、当事者を安心させることができた。
年季も入っているからね。

 今朝の新聞をみれば、安倍政権、自動車問題でアメリカに大幅譲歩しながらTPP交渉参加に合意したという記事が載っている。「国益を守る」などと大見得を切っても、本格的交渉になったとき、農産品などの関税撤廃や引き下げを迫られることは間違いないし、それへの反撃など期待しようもない。
「財政の崖っぷち」のアメリカにみんな持って行かれるだけだ。
 新自由主義政策としてのTPP参加は日本社会を一変させ、より暮らしにくくする。そんな政策につきあうことはない。

 また、「主権回復の日」などと胸を張る安倍政権だが、前橋、榛東村上空で米軍機が戦闘訓練を繰り返している。
 群馬だけではなく日本中の空を米軍機が「日米同盟」のもと戦闘訓練をし、沖縄には極端な犠牲を強いている。
 アメリカに対する日本政府の弱々しさに、まるで主権はアメリカにあるのではないか、と思えるほど。
悲しいかな、これが主権回復国・日本の実情だ。
 過去、日本に主権を大きく侵害された中国や主権を奪われた韓国・朝鮮に対してどのように向き合おうとするのか、それこそが一番の課題のはずだというのに反省はまるでない。

 阿倍ちゃんにしろ弟分のいっちゃんにしろ、世襲の甘さゆえ、地を這うように生きている膨大な庶民の姿を真っ直ぐ見つめることはできないのだろう。
 せめて、かぐや姫の「僕は何をやってもだめな男です」くらいは繰り返し聞いて欲しいもの。これぞ庶民感覚。

 

2013年4月11日木曜日

昭和村議会との交流会

角渕の公園を散策する議員群

  もう恒例になった昭和村議会との交流会、ゴルフとグラウンドゴルフに別れスポーツ交流し、夕方から懇親会というわけだが,このような自治体交流は実は大変意味のあることでもある。
住民の観光交流や災害時などの助け合いなどには、普段からの交流が大事。
 玉村町と昭和村は車で1時間程の距離だが、地勢が大きく違い、産業も違う。補完の関係が成り立つのだ。
 
 グラウンドゴルフ部会は4時前には終了し、水辺の森公園を散策し、その後、文化センターにある歴史資料館で、職員から玉村町の歴史の説明を受けた。
 この町に住んでいても初めて知ることが多い。こういう機会が役に立つのだ。

 事務所に帰れば、高校時代の同級生の川田からメールが入っていた。
「この前言っていた伊勢崎の女性のことが新聞に出ていた。加賀谷富士子か。了解しました」と。
 思い出せば、2年前の川田からの年賀状に「石川から頼まれ選挙3連敗」と記されていた。
昨年の衆院選の黒星も重なり4連敗となっている。
なにしろ国政選挙で支援した候補者が当選したのははるか昔、富岡由紀夫の参院選挙までさかのぼる。それ以後は実質、石関落選運動選挙のようなもの。
 しかし、今回は雪辱を期し我が友・川田の思いに報いたい。
情勢も煮詰まっている。怒りのマグマを爆発させてやる。
これぞ革命的楽観主義。

 そこへ町内の高齢の女性から「いつもお世話になります。健康に注意してください。健康はシャンプーから、ということで講師を呼んで講演会を開きますのでご参加ください」との電話。
健康は食事からじゃないんですか、と言うと、「いや、違います。健康はシャンプーからです」と実にしつこく、いや熱心に誘うので、時間を改めて会うことになってしまった。
 このガンジーのような寛容さで過去、苦労したことが幾度とあるが決定的な敗北はしていない。
 シャンプーを進められたら、逆に加賀谷富士子の運動員に仕立て上げてやるつもりだ。
 
 

2013年4月10日水曜日

この薄っぺらな時代に天真爛漫な加賀谷富士子が命と平和を訴える

自由人小林悟と加賀谷富士子
 今朝の朝刊を見ると加賀谷さんの参院選出馬の記事が載っていた。
 彼女を知る者としてその一端をお知らせする一文(フェイスブック記載)を無断で紹介する。

 


《先に「日本のメディアは真実を伝えない」というロゴをアップさせていただきました。テレビや新聞の情報は本当のことを伝えてくれない。私たち日本人は、嘘、偽りの情報に囲まれながら生きているということです。
 『わが身に危険が迫ってもこれだけは伝えたい 日本の真相!』の著者、船瀬俊介氏は、著書でこう語ります。

 今日もメディアは、皮層の情報しか流さない。深層は永遠に闇の奥に隠蔽される。それどころか虚報が“真実”の衣をまとって、垂れ流される。テレビも新聞も、教育ですら、マインドコント...ロール装置と化してしまった。しかし、おそらく99%の人びとは、この戦慄の事実に気づいていない。

 あまりに衝撃的なコメントですが、これまでの新聞報道やテレビ報道などを見てきた私としては、まさにその通りだと感じました。
 私たちは知らず知らずのうちに、虚報を信じ込んでいるマインドコントロールの犠牲者です。「原子力の平和利用はすばらしいことなんだ。原発はいいものだ」と、3・11前までは誰もがそう思っていたことでしょう。改憲もTPPも各メディアはこぞって歓迎ムードで報道していきます。国が、為政者が、資金力をもった大企業が、メディアを、教育現場を支配し、巧みにコントロールいているのです。ですから、私たちはいつのまにかそのマインドコントロールにかけられてしまっています。

 しかし、このマインドコントロールから抜け出すことは、必ずできます。たとい少数の声だったとしても、真実を伝えようとしている人たちが必ずいるからです。
 私が改憲、原発、TPPの危うさを知れたのも、そういう真実を伝えるごく少数の人たちの声のおかげです。自民党改憲草案があまりにひどいことを教えてくれたのは、会社のクリスチャンの上司でした。その上司はこのまま行ったら、阿部政権は憲法を改悪する、そうなったら信じる自由、言論の自由も制限される、本当に大変な時代が来ると、危機感をもって教えてくれました。私もネットで調べ始めました。すると、その危険性を伝えるネット情報がどんどん出て来たのです。
 TPPに関しては、フェイスブックの友達から情報をいただきました。最初は「貿易の自由化は別にいいのでは」と軽く考えていたのですが、これも調べていくうちに、とんでもないものだということが分かりました。特にカレル・ヴァン・ウォルフレン著『日本を追い込む5つの罠』の中で語られた「TPPは貿易に関する協定でなく、権力の協定だ」という言葉に意を強くしました。原発は申すまでもなく、福島第一原発事故を見れば、いかに危険なものか一目瞭然です。

 このように、私たちは知らず知らずのうちに為政者の情報操作にまんまと引っかかっています。しかし、それが罠だと気づかせてくれる情報にも必ず出会います。それが、危険を察知した方々が発信されるネット情報なのです。
 残念ながら、テレビやラジオ、新聞などのメディアは、東京新聞などの一部のメディアを除いて、ほとんど為政者の息がかかっており、情報が操作されています。書籍もしかりで、本屋の目立つところには、TPP、改憲を歓迎する著作物しか並んでいません。一方、真実を訴える書籍は本棚の片隅のほうに追いやられているか、引き出しにしまわれているのです。『わが身に危険が迫ってもこれだけは伝えたい 日本の真相!』は、書店の方に調べてもらったのですが、本棚ではなく本棚の引き出しにしまわれておりました。このように、私たちを取り巻く環境は非常に厳しいです。

 しかし、希望もあります。ネットではまだ、情報操作の魔の手が伸びていないからです。ネット上ではとんでもない情報も飛び交っていますが、真実の情報も飛び交っています。危険を察知した人たちが、寝る間を惜しんで情報発信してくれているからです。私も改憲、TPP、原発の大切な情報は、ほとんどと言っていいくらい、ネットから情報を得ました。そして、ネットを通じて「この人は信頼が置ける」「この人は貴重な情報をもっている」ということが見えてくるのです。
 今は、私も発信者です。発信する側になると、いろんなところから貴重な情報が送られてきます。また、真実な情報と出会えます。この数か月に読んだTPP、改憲、原発関係の本は、すべてネットで紹介されていたものを買って読んだものです。
 ということで、ぜひ皆さん、一億総マインドコントロール下にある日本から脱却しましょう。そして、マインドコントロールにかかっている人がいたら、真実を伝えていきましょう。一人でも目覚めた人たちが声を上げていくことが、日本を間違った方向へ向かうことの歯止めとなるのですから。 
加賀谷富士子》




 加賀谷さんの若さ、無欲の一途さが、底の浅い、一見どうにもならない社会を突き動かす原動力になることは間違いない。
 社会は変わらないと諦めかけている政治の周辺にいる膨大な人たちがいよいよ中心部に踊り出す時代が来たと言えよう。





  




2013年4月7日日曜日

高崎映画祭最終日

雨上がりの多胡碑
映画祭最終日のシテイーギャラリー

 9時過ぎ、玉村町の桜祭りの最初に顔を出し、その後、吉井町での仕事の打ち合わせ、しかし、少しでも時間があれば現地での歴史散策という表敬訪問。
というわけで桜の花もほとんど散った多胡碑参り。
藤原不比等(鎌足の二男)の名前が入ったそれはそれは歴史的な碑だ。
 当時の日本は朝鮮半島からの渡来人の技術、文化で農業、鉱業など全産業が大きく発展していた。
今のような朝鮮人差別はなく、むしろ尊敬の念で交流が進められていた。
 私は、現在の日本人の多くは当時日本に住んでいた人と朝鮮からの渡来人の間にできた人たちの末裔だと認識している。
 勿論、当時のことを直接知るわけではないが、日本人と朝鮮人の近さを思い知るべきだ。
 
 朝鮮学校への補助金打ち切りやら、果ては町田市教育委員会のように子供たちの防犯ブザーまで朝鮮学校生徒には支給しないなどは恥ずべきことだ。撤回させよう。
 高校授業料無償化を朝鮮高校だけ排除するという大人げないことを何のためらいもなく行ってしまう自民党安倍政権の軽薄さにはほとほとあきれかえっているが、キチンと批判する必要があるだろう。
 感謝の気持ちで生きましょう、とお仕着せの感謝、感謝の洪水社会も気持ち悪い。
 悪政になど感謝は無用、徹底批判あるのみ。
 
「戦えよ、俺たちが生きている世界だろう」
言葉は不正確かもしれないが、高崎映画祭最終日の作品「桐島、部活やめるってよ」の中での映画部の台本の台詞だ。
 
 
 最後の作品「きっと、ここが帰る場所」もよかった。
今年は何かと用事があり、映画祭全期間で11作品しか観られなかったが、それでも充実した期間だった。
 
 

2013年4月4日木曜日

激動の時、今だからこの人

神川水辺公園での風景
亀の甲羅模様の竹、縁起よし
小林悟さんと加賀谷富士子さん,お似合いです

 4月になり、仕事で行く先々で知り合いに会ってしまう。
1日には久しぶりに平居さんの奥さんに会い、短時間だが神川町にある公園を案内していただいた。
その公園は、個人所有ということで、この4月の1ケ月だけ無料開放するということ。
 神流川沿いにある公園で、桜など満開の時期でもあり、見物客で賑わっていた。
 個人管理しているというその家に、知り合いの娘が嫁いでいると知り、これまたびっくり。人のつながりは思わぬところにある。
その庭園にあったのが亀甲竹、なかなか見られない竹だそうだ。
 
 そして、昨日、伊勢崎の法務局に行ったついでに、先輩司法書士の小林悟さんの事務所に立ち寄った。
 87才になった小林さんはまだまだ元気で、隣の会社に勤める加賀谷富士子さんを呼び、3人でしばらく話した。
「戦争を知る世代として、今の状況は極めて危険だ。原発再稼働、消費増税、沖縄基地、改憲、TPPなど国民を無視して、米国、財界の要求一辺倒で進める自民党政治とたたかわなければならない」「資本主義の最終段階だから、政党も混乱を極め、どうやって支配しようかと苦悶しているのが現状だ。我々も彼らにいつまでも支配されていてはろくなことはない。」等々好きなことを言い放つ元気さ。
「小林さん、社会の窓が開いてますよ」との加賀谷さんの指摘にも「ああ、そうかい」というくらい身なりには気を使わないのがこれまたいいところ。

 そんな加賀谷夫妻から夜電話があり、一緒にホルモン屋で実り多い食事会をした。
 

2013年4月1日月曜日

映画「漂泊」最終オーディション終わる

リラックスと緊張、待合室でのそれぞれの様子
最終オーデイションでは迫真の演技も
結果を振り返る藤橋監督
 
 昨日は「漂泊」出演者の最終オーディション、最終回まで残った人は10人に絞られていたが、これが最後の関門。
どうしても会場には緊張感がはしってしまう。しかし、スタッフと会うのも3度目となると、応募者もリラックスできるようになっていた。
 藤橋監督もその辺は慣れたもので、その場をリラックスさせながら、しかし、キチンと表情や仕草を見ていた。
 総じて130人を越える応募者から選ぶわけだから、それは大変な作業と思う。
 そして、審査は終わり、得点を集計して、最終的に主役の女子二人と彼氏役の男子一人が選ばれたようだ。
 発表は後日になるが、相当いい人選がなされたと思う。
映画製作はまだ始まったばかり、今年も暑い夏になるだろう。
 若者を取り巻く現代社会をどのような視点で描き出すのか、大いに期待したい。