2010年11月29日月曜日

12月議会は2日から9日まで

12月議会が2日から始まる。私の一般質問は2日の午後3時半頃だろうか。
時間を取って傍聴に来てください。


   質  問  の  要  旨

1.情報管理は適正適切に行われているか。

公安情報や尖閣列島での漁船衝突映像の漏洩にはあきれたが,玉村町の情報管理は大丈夫か。漏洩は技術面からだけでなく、人により行われることが多い。根底に必要なのは信頼だ。民間委託している部門に対してはどのように情報管理を徹底させているか問う。

2.地方分権、地域主権の時代の町政について問う

ア.今後町づくりの自由度が増す訳だが、自律の道を選択した今こそ、きめ細かい町づくりが可能であり、求められる。高齢化社会の地域コミュニテイーを考えた時、歩いて日常の用を足せる地域づくりは重要と思う。大店舗では対応できない小さな店舗を地域につくり、医院、学校などと合わせてコミュニテイーの強化を模索する考えはないか。

イ.政策を自主的に決められる反面、バランス感覚が求められるが、今後極端な考え方の町長がでないとも言い切れない。勿論、議会は対応するが、乱暴な予算配分をしようとする町長に対し、それをいさめる説得力ある知識と力量を合わせ持つ職員の育成も必要だ。また協働社会の担い手の一方は職員と考えるが、その職員をどのように主体的な担い手として意識改革させていこうとしているか問う。(消防団に入っている職員の意識の変化をどのように捉えているかなどを例に)

ウ.この間の行財政改革で職員数の削減をしてきたが、時代の転換期にあたり、必要なところにはきちんと職員を配置すべきではないか。職員を「減らすことから活かすこと」に力を注ぐべきだ。特に、昨今の社会事象から考えると、経済不況を原因とする行政需要、精神的不安定を疑わせる人の増加に対応する部門や学校に適応できない子ども達への一層の対応は重要と思うが、来年度の採用職員をどの程度の規模と考えているか問う。

3.各種講演会の講師依頼は女子大に積極的に依頼すべき。

生涯学習など各種講演会の講師は、知識の宝庫としての女子大学の先生方に依頼することにより、女子大と玉村町が一層連携し深みのある独自性豊かな町になると考えるがどうか。

4.新里町の小学生の自殺事件に関連して問う。

「気づき、つなぎ、見守り」が自殺予防のキーワードだ。「友達が欲しい」と言って命を絶った少女を思うと余りに胸が痛い。職員室内でのさまざまな経験を持つ教員同士の支え合いが欠けていたのではないかと考えるが、玉村町の学校の職員室の雰囲気は活力にあふれ、助け合い補い合う気風に満ちているか問う。





























町長




教育長

2010年11月28日日曜日

鬼石の桜山でみかん狩り


 昨日、冬桜が咲いている鬼石町の桜山の中腹にあるみかん畑で群馬朝鮮初中級学校の子ども達とみかん狩りをした。この場所でのみかん狩りは2度目だ。毎年何回か会っていると、子ども達の成長もうかがわれお互いが身近に感じられる。この程度の交流でもありがたがっていただけるほど日本人との交流が少ないらしい。不幸なことだ。「異文化交流社会」などと建前は言うものの、在日朝鮮人はそこからも排除されている現実は余りにも無残だ。
 戦時中、あらゆる甘言や脅迫で日本に連れてきて、さまざまな重労働や戦役を「日本人として」朝鮮人に強いた歴史をよもや忘れた訳ではあるまいに。忘れたのなら、知らないのなら、「日韓併合100年」の節目の今年に学び直せ。「日本人の構えの狭さ」に恥じ入るばかりだ。
 安重根校長先生は、北朝鮮軍と韓国軍の交戦直後でもあり、その影響を心配していたようだ。人間同士の自然の交流に影響があってはいけないし、まして子ども達に責任はない。未来は子ども達のもの、若者達のものだ。彼らの未来に責任を持つのが大人の仕事でしょう。

夕方からは、母校・伊勢崎工業高校開校100年記念の祝宴会場まで井田県議の車で送ってもらった。県議も会場でお祝いのあいさつを頼まれていたそうだ。車中、「朝鮮高校への授業料無料化プロセスを停止すると言った菅首相は全くダメだが、群馬朝鮮学校への補助金を今後も続けると明言した大澤知事は正しい。自民党も見習え」と檄を飛ばしておいた。
 そして会場で、卒業以来、森村宏先生に40年ぶりにお会いした。ガラガラ声といい声の大きさといい84才には見えない若さだ。
 思えば開校60年記念の年の文化祭の最終日、「坊主頭の強制を廃し長髪を認めろ」と大勢の仲間とロックアウトをし、一晩で長髪を認めさせたあの記念すべきたたかいをしたのが高校2年生の時(17才)だった。あれから40年、いまだ思いは青いままだ。

2010年11月26日金曜日

上を向いてみかんがひとつだけ実をつけた



まだ植えて3年ほどの手入れもしないみかんの木が実をつけた。まだ1メートルの丈もない木だが一つには20個ほど実をつけ、木の大きさに比べ相当重いようだ。もう一本の木には一つだけだが、万有引力など何のその、というばかりに枝から上に向いて実をつけた。若いから起ちもいい。
いろんな実の付け方をみかんさえ教えてくれているようだ。人間もせっかくの命なんだから自由に生きた方がいいとつくづく思う。「愛してるかい」忌野清志郎の自由さが欲しい。

2010年11月25日木曜日

菅内閣、ダメですねえ。自民党とどこが違うの。

黄海で韓国領とされる島に北朝鮮軍が砲撃し、韓国軍も応戦、住民に犠牲者が出て大騒ぎになっている。どこかで抑制的にならないと戦争になりかねない事態だ。いつも北朝鮮は悪者だから今回も悪となることは分かっている。しかし、目の前で韓国軍が軍事訓練を繰り返していた。このような状態が続くなかで、北朝鮮は相当のストレスを抱え込んでいたことは事実。アメリカを後ろ盾にした韓国軍の挑発行為にまんまとひっかかったようなものだ。弱い者はいつも最悪の犯人に仕立てられる典型だ。日米韓の価値観の中で生きている我々には、その価値観の中での正義を基調とする判断報道の洪水に流されがちだが、これに疑いを持った方がいい。
対するは北朝鮮一国ではない。中露朝のタッグとなる構図が究極の姿だ。かなり複雑な国際関係のなかでしばらくは流動するだろう。
 それにしても日本外交の哀れさよ。尖閣問題ではアメリカ頼り、北朝鮮問題では中国頼りで北朝鮮のドアにノックすらできない菅首相、経済制裁はもうすでにやり切っているので思いついたのが、「朝鮮高校への授業料無料化」への動きの停止。これは恥ですよ。江戸の仇を長崎で討つようなもので、絶対に取ってはならない対応だ。これでは在日朝鮮人は日本にとり人質になってしまう。
 「政治と教育は別」として群馬朝鮮学校への補助金支給はこれからも続けると明言した自民党・大澤群馬県知事の方が立派だ。
 政権交代の幻想は見事に破られたようだ。概して島国根性で日本列島内にしか通用しない価値観の合唱で国内みんな気持ち良くなっても世界の笑われものにすぎない。そのうち総理大臣がまた交代して、「日本は余裕だねえ」と一瞥されるのが関の山でしょう。
理想を言えば、戦争の極限を体験した国として、「不射の射」としての憲法9条で暴れん坊を黙らすくらいの貫禄と座りを見せて欲しい。
 しかし、やはり軍隊は「暴力装置」だ。「武力」だの「実力」だの言っても本質は「暴力」です。その「暴力装置」発言をした仙谷官房長官、その発言故に「問責決議」だそうです。魔女狩りのような国会ですなあ。
 

2010年11月21日日曜日

玉村町産業祭


恒例の玉村町産業祭が開かれ、大勢の人々がイベント等に参加し、買い物客で役場周辺は大賑わいだった。午前中開かれた、表彰式では、TPPにより玉村町の農業は壊滅するのではないか、という声も聞かれた。
 生産と分配が世界中にスムースに行き渡ればこんな悩みはないのだが、国家の壁が流通を歪めている。情報や産業のグローバル化に対し国家が流通の阻害物となっている。産業の国際化と裏腹の新保守主義による狭い国家意識で国民を縛ろうとする矛盾に気づかなければならない。
 夕方、楽しみにしていた「パリ20区、僕たちのクラス」を観た。まるで授業をうけているような気分になった。子ども達と向き合う教師の大変さをつくづく思い知らされた映画だが、日本の教育現場での教師集団の劣化を想像するにつけ、必見の作品だと思う。

2010年11月18日木曜日

自衛隊は「暴力装置」じゃないの?

 国会審議の中で仙谷官房長官が「自衛隊は暴力装置」と発言し、野党から大きな批判を呼び、その発言を撤回、謝罪した。しかし、「暴力装置」じゃないのかなあ。戦闘機、戦車、軍艦、潜水艦、ミサイル、爆弾、地雷、数々の銃器。これらを国家が独占し、国民は寸鉄も帯びていない。国を守るためなら、他国と戦争し、国内では治安維持名目でそれらの武器でデモ隊を鎮圧する。ビルマの軍事政権の対応を見れば誰もが「暴力装置」と理解するだろうに。
 要は国家が支配する暴力は「正しい暴力=実力」と言い換え、国家に抵抗する暴力はそのまま「暴力」と言いなし、おぞましいものと印象づけているに過ぎない。ヤクザ集団を「実力団」とは言わず「暴力団」と呼ぶ事からも理解できる。自衛隊を「暴力集団」と表現したら印象悪いもんね。。抵抗する側も「実力闘争」とはいうが「暴力闘争」とは決して言わない。同じ「暴力」が権力側により行使されたときは「実力」と呼ばれ、また、反対者が行使するときはそのまま「暴力」と呼ばれる。国家が行う死刑執行は決して殺人とは言わない。しかし殺人ですよ。要は「暴力」なんです。「実力」という言葉を使える側が支配する側に当面はあることを示しているに過ぎない。しかし、「暴力装置」という言葉にものすごい反発があったと言うことは、その矛盾を実は、批判者達自身分かっているということの証。
 仙谷センセイには国会でこの際「暴力論」やクロウゼビッツの「戦争論」を満展開して欲しかったのに。

2010年11月16日火曜日

文教福祉常任委員会視察・昭和村から長野県山ノ内町へ



昨日は「子育て、食育プランについて」を視察項目として昭和村を訪問した。農業世帯が全世帯の3分の1を越え、しかも働き世代が中軸となっている人口構成をみても、野菜づくりに自信を持っている村ということが分かる。人口7700人規模だからできる地産地消という面も理解できた。
そして今日はリンゴ収穫最盛期の長野県山ノ内町を「子どもへの行政施策・地域性を活かした教育施策について」をテーマとしての行政視察、紅葉の終わり際だが、まだ真っ赤な葉を残している木々もあり目を楽しませてくれた。玉村町と姉妹提携していることもあり、人の交流も多くなってきているようだ。まだ手つかずだが玉村町のために貸してくれた「玉村町民の森」を見て、その後、名物「岩本そばや」の店主に(瞬悠庵)を書いて頂いた。
 還太平洋パートナーシップ(TPP)が締結されると、日本農業は相当の打撃を受けるといわれているが、まさに壊滅的といっていいほどの状況に山ノ内町のような山村農業は陥るのではないか。昭和村の農業だってどれだけ生き残れるか分からない。この間、地方や経済力なきものは隅に追いやられてきた結果、さまざまな問題が事件、事故となり吹き出している。一部産業のため第1次産業(農林漁業)を犠牲にして、食の安全と山村、地方環境の保全、とどのつまりは人間の生活・文化が保たれるのか、失うものの大きさを、失わないうちに考えなければならない。
 
今日から12月議会の一般質問の受付開始、この間進めてきた「小さな政府論」の限界を示し、「職員を減らすことから活かす方向」への転換、中心部での大店舗戦略から地域での小さな店舗づくりから始まる「歩いて暮らせる町づくり」の模索などを質し、自律する自治体への確かな歩みを促したい。

2010年11月15日月曜日

天理市、談山神社、長谷寺へ



 天理市から談山神社、長谷寺をまわり京都に3時頃到着。天理市には驚いた。天理教の建物の大きさに驚いたというか独特の雰囲気と規模は圧巻だ。天理市全市が天理教のうねりの中にあるのかと思わせる程だ。しかし、教義を強要するところがないらしく政治にも深く関わらない。それが戦争の教訓らしい。
 藤原鎌足をまつる談山神社は第一のおすすめの場所で13重の塔は見物。訪れたのは10年ぶりだろうか、紅葉の季節は特にいい、この辺が「大化の改新」の裏舞台といっていい所。明日香の里も近い。平城京以前の権力の所在地だ。奈良の歴史は深く歩きだせばきりがない。
 秋山君に土田君、そして栗原君にはお世話でした。旅は想いのままがいい。
 

2010年11月13日土曜日

京都から奈良へ過去から現代まで歩き回って味わいまくる



昨日、京都朝鮮初級学校まで行き、右翼がデマを言いふらしながらデモをしたという公園に行った。学校の庭はとても狭く、子供たちが運動することはとてもできない状態だ。道を隔てた公園を運動場として使うのは当然で、そのことなしには運動場のない学校ということになってしまう。先生が子供たちとマットを敷いて体育の授業をしていた。市も近所の住民も当然のこととして長年容認していることを「在日特会」を称する集団は攻撃している。それを言うなら「在日米軍の特権」こそ批判すべきだろうに、強いものには弱く、弱いものには攻撃をしかけるという「最も日本人らしくない」えげつないやり方で差別排外主義をあおる。在日の歴史的経緯を少しでも学ぶべきだ。
 伏見稲荷参拝の後、宇治の平等院に行き、その足で山本宣治の墓参りをした。レンタカーでの旅は効率がいい。
 今日は、奈良駅で自転車を借り、鹿にあいさつしながら東大寺、興福寺、唐招提寺、薬師寺とじっくり回った。仏像も時間をかけて見学することができた。興福寺の阿修羅像は少年というが、少女にも見える。表情があり今を生きているようだ。平安時代の息吹を感じさせる像の数々に圧倒される。
 夕方から大阪に行き、在日朝鮮人が多く住む鶴橋商店街の店「よあけ」で軽く一杯、いや二杯、話に勢いをつけ、場所を変え三ヶ所をはしご。飛田新地に足を踏み入れたときは、その艶やかな夜の世界にびっくりした。「こんなところがあるのかよう」という感じだ。秋山先生は「行こうぜ」と乗り気だが、栗原幹事長がストップ。
 栗原企画はスリリングで面白く気まぐれ部分もあり刺激的だ。ホテルに帰ったら11時、2万歩歩いた。こんな調子の旅だ。

2010年11月11日木曜日

「日本人のあり方」をテーマに近畿へ

栗原企画による秋の旅のテーマ

沖縄基地、尖閣列島、の問題などさまざまな事象の中で、そもそも「日本人」とは何かを近畿の地で考えたい。
順番として①同和、在日、天皇制を軸として京都を地政学的な観点から俯瞰する。②労農派は何故日本において迫害されるかを考える(少数派としての視点)③「仏教寺院」を何故「神」である天皇が援護するのか。また寺院の中に神社が存在するのは何故なのか(渡来してきた宗教としての仏教と在来宗教である古来神道との相克④天理教をモデルに新宗教は何故近畿圏で発生することが多いのかを考える。(天皇制に基づく聖賤思想の文化的圧迫が強いからなのか)⑤以上すべての構造を突き詰めたとき、我々に何が残るのか。日本人はどう規定されるのか。
 
とまあ言ってくれますねえ。テーマに不足はありません。応えきれない参加者に若干の不足があるが、鹿の頭をなでながら、鹿に歴史を尋ねてよう。

2010年11月9日火曜日

榛名山の紅葉

五十嵐さんから榛名山の紅葉の写真が送られてきました。ブログに貼り付ける技術がないので見ていただく事ができず残念です。すばらしい秋模様です。
12日からは仲間と奈良に行き歴史探索をする予定もあり、奈良の紅葉にも期待しているのだけどどんなものでしょう。
 桑原功衆院議員事務所から、来年4月の県議選に前橋市から立候補予定の「本郷たかあき」のポスターを大量に友人(関口)が持ち込んできたので、1枚だけ事務所に貼っておいた。何せ、玉村は選挙区が違うので、知り合いに声がけしながらの応援になるだろう。問題は玉村選挙区(定数1)で現職への対抗馬が見当たらないことだ。

2010年11月8日月曜日

玉村町と伊勢崎間の橋の工事が進んでいる


広幹道の難所と化していた玉村と伊勢崎の利根川に架かる橋は平成27年完成予定だ。朝の散歩コースの下之宮サイクリングロードを歩いていると、うっそうとした竹藪が切り取られ、利根川から伊勢崎方面を眺める事ができるようになった。すでに工事は進んでいる様子だ。道路部分の発掘調査も行われ、多くの人が働いている。発掘して何が出るのか知らないが、丁寧に作業しているようだ。
静かなサイクリングロードと竹藪、季節になると鳥の鳴き声がうるさいくらい賑やかな所だが、ついにその1部分が切り取られ橋へと化していく。開発とはこれまで無縁の地域だけに寂しい感もあるが、これからの変容を見守りたい。

2010年11月5日金曜日

国家機能がメルトダウンしている

私は決して国家主義者ではないが、この国本当に大丈夫かいな、と思ってしまう。公安情報が緻密な形でインターネット上にあふれ出したかと思うと今度は尖閣列島(釣魚島)での漁船との衝突ビデオが流出している。両方とも政府にとり、外交関係においてもあらゆる意味においても秘匿しておかねばならない1級の秘密のはずだ。いとも簡単に娑婆にあふれ出すなんて、検察の腐敗と合わせて国家の溶解が進んでいるとみるしかない。おそらく庶民の個人情報、自治体情報はほとんど当局に把握され、いいように覗かれているのではないか。
 これらの事件で愉快なのは、「もうお互い誰も守れない」ということ。権力者自身の秘密の保持が不可能になっているということだ。あきれるほどもろい情報社会の欠点が今現れている。
 何事も基底にあるべき事は「信頼」と言うことに尽きる。コンピューターが人間に代わることは決してできないことを思い知るべきであり、個人(人間)を大切にしない経済社会は行き詰まるということ、すでに行き詰まっているからこういった形で悲鳴があがっているのではないか。権力があざ笑われているのだ。
 資本が主体の社会から人間が主体の社会への転換こそ問題解決への道だろう。

2010年11月4日木曜日

「不射の射」を理解できない前原外相に外交はできない

最近、中国アニメ「不射の射」を観た。春秋の時代、弓の道を究めたいと思った若者が、名人を訪ね教えを請うたところ、弓を持たせず「瞬きをするな。目を開いて寝ることができるようになれ」という。若者は数年かけて目を開けて眠れるようになった。次は「字が見えるようになれ」といわれ、放浪者から虱を買い込み、糸につるし何年も眺め、字が見えるようになった。そして弓を射た若者は見事な腕前になっていた。しかし、1番の名人を目指した若者は、師に紹介された山の上に住む仙人のような老人の所に行った。老人は若者に山頂にある足場の悪い岩から鳥を射るように言うが、とても足場が悪くて矢は当たらない。老人は弓を持たず矢を射たような格好をしただけで鳥は落ちた。
やがて弓を極めた若者は年齢を重ね田舎に帰った。その顔の表情は村を出たときのがむしゃらな顔つきとはうって変わり穏やかな顔になっていた。村人はその腕前を見せて欲しいとせがむが彼は決して弓を取らない。その評判を疑った者が夜、彼の家に忍び込むが失敗した。誰が忍び込もうとしても必ず失敗する。そして村人の悩み事や争いごとは彼の仲介で何事も解決した。そして生涯、彼は弓を引くことがなかった。

このような話は中国にはたくさんある事は日本人も知っている。歴史が違うのだ。中国がどんな政治体制でもこの長い歴史感に裏打ちされた深い思いが行動原理としてある。それを理解しようとしない外交感覚では前へ進まない。
前原外相はじめ日本のメデイアはいう。「1895年1月14日の閣議決定で「無主の地」である尖閣列島を日本領に編入し,それ以来実効支配してきた」と。この時期は日清戦争の時期であり、それは明治政府が帝国主義列強に伍して、朝鮮と台湾の権益を手に入れるための侵略戦争だった。弱り切っていた清朝中国がその時点で異議を言わなかったから日本の領土と認めたといえる、という論調には異を唱えたい。
尖閣列島(釣魚島)は中国大陸の大陸棚に位置しそこから海へ突き出している。そこから沖縄トラフがあり沖縄諸島となる。沖縄トラフとは東シナ海で最も深い海底。地勢的に言えば、沖縄諸島と中国大陸を隔てているのが沖縄トラフ(深海)。過去において豊かな漁場として、台湾の漁民が漁業に従事し、島で休息などしていた。
さあ、尖閣列島(釣魚島)どうしたものでしょう。日本国内だけに通じる薄っぺらな観念論だけでものを語る前原外務大臣では、中国には到底通用しない。
「不射の射」の心を学んだ方がいいかも。
つっぱてるうちにロシア大統領が北方領土に足を踏み入れた。鼻っ柱だけで哲学のない政治家ばかりではこの有様だ。そして日米同盟の強化しか考えられない「鋳型思考」がまた悲しい。

2010年11月2日火曜日

上州・鬼石桜山公園の冬桜



藤岡市鬼石町の龍峰会の理事会に行くついでに、秋山鬼石商工会事務局長を訪ね、道の駅天神茶屋で昼食を食べた。ここにはお目当ての気立てのいい娘さんがいるし、そばもうまいのでつい行ってしまう。そばだけでいいと思っていても、秋山君の自信満々な定食の注文に、ついつられ同じものを食べてしまう。健康のことなどまるで意に介しないもう少しで90キロの秋山先生と同じものを食べていてダイエットなどできようはずがない。
話は町おこしから昨今の政治状況そして与太話までのいつのも流れだ。
「石川、桜山のライトアップを宣伝してくれ」
11月1日から12月12日まで桜山をライトアップし冬桜の美しさを味わっていただきたい、と言う趣旨だという。昨年の冬は試行だったが今年からいよいよ本番。事務局長も痩せる思いだそう。
11月14日(日)冬桜モデル撮影会
12月1日(水)湯原昌幸歌謡ショー
12月12日(日)桜山まつり俳句大会