みんな寿命を全うしようぜ

みんな寿命を全うしようぜ
西表島で会った昼の蝶

2011年3月31日木曜日

自粛なんてするな、思いっきり訴えろ県議選



大震災とどこまで行くか分からない原発事故のなか、世の中自粛ムードだが、とんでもないことだ。しっかり発言、しかり行動しなければならない。
 明日からの選挙戦、宣伝カーも走らせない候補もでるらしいがそれは違う。こういう時こそ、断固、訴えなければならない。安全・安心社会は原子力政策の中にはないことはハッキリした。「想定外の事故」という面々もいるが、実際には想定されていたことも明らかになっている。「想定したくなかった」だけのことだ。半減期24000年のプルトニウムも出てきた。福島原発は廃炉に向け石棺を準備する方向にいくだろう。

 こんな時、ハッキリ意思表示できない議員など不要だ。上毛新聞のアンケート調査だけを見ても、小川あきらは群を抜いている。主張がはっきりしているのだ。自然の摂理に反する八ッ場ダムに反対し、新自由主義政策としてのTPPに反対する。未来を支える子ども達の教育や子育ての政策には賛成するその姿勢こそが、現在の私たちが望むもの。
 弁護士として3年ほどの経験のなかで、社会的正義を実現するためには政治の改革こそが必要として前橋選挙区からの立候補を決意したその意気は高い。前橋では我が友・本郷たかあき君も頑張っている。ともに勝利したい。
 選挙カーを市内全域に走らせ、叫び、訴え、市民に勇気を与える姿勢こそが震災下の選挙だ。自粛選挙は完全に間違っている。市民に失礼だ。

2011年3月27日日曜日

それでも断固・高崎映画祭開催


大震災と原発事故の渦中で世の中、自粛ムードだが25回目の高崎映画祭が昨日から始まった。最終日は4月10日。
授賞式が中止となり観客はどうなるかと心配したが、結構な人数の人が来ていた。根強い支持があるということだろう。
この4月で市長任期の終わる松浦幸雄市長があいさつをした。松浦市長が就任したときに始まった映画祭が25回を迎えたことに市長自身感慨深いものを感じているようだ。多くの市民の支えなくして継続などできないからだ。そして今後は高崎映画祭運営委員長として協力していただけるということを自身の言葉で語ってくれた。ありがたいこと。
この映画祭の良さは、体制にこびないことに尽きる。良質の作品を選び出し、提供してくれる。
 最優秀作品賞の「ヘブンズ・ストーリー」は長編だが、壊れゆく現代社会が壊れきるまでに、みんなが気づいて立て直せるという思いと希望が込められている。
 最優秀監督賞の「ヒーローショウ」も若さゆえの未熟さのなかで犯してしまった殺人行為に対してさえ、もう一度やり直させてやれないものか、という大人世代としての井筒監督からの思いが見て取れる。
原発事故という大惨事を招いても根底からの反省すらできない大人達によって、「少年達は立ち直れない」などと決めつけられ死刑にされてしまっていいのか、という問いかけでもある。
他にも「善き人のためのソナタ」「ドレスデン、運命の日」「ベルリン・天使の詩」「エス」「4分間のピアニスト」「「カテインの森」や故小林桂樹作品など盛りだくさんだ。特に最終日に上映される「海炭市叙景」は必見の作品だ。

昨日から群馬入りして伊香保温泉で土田夫妻と過ごした井筒和幸監督と舞台あいさつの後食事をした。一二三食堂という大衆食堂だったが結構な味を出していた。
監督とはもう何度となく会っているのでそれなりに気心も知れ、話題も明治維新の不徹底さから原発の危険性とそれを推進してきた業界、政界や御用学者批判となる。原発災害を特集している「金曜日」の今週号、広瀬隆の記事を読みたいというので、「ハイ、どうぞ」

2011年3月21日月曜日

原発事故に関しては広瀬隆の話を聞け

かつてから原発の危険性を指摘していた広瀬隆の話を聞け。彼は「原発がそんなに安全なら東京湾に作るべき」、と主張して都民に原子力発電を自分のこととして考えるよう訴えてきた人物だ。

テレビで「まだまだ安全です。健康被害はありません。」などと口をそろえて説教を垂れている学者たちを「えせ学者」、原子力安全保安院を「バカ連中」とハッキリ言える広瀬隆の主張を聞いて欲しい。チェルノブイリでしたように、福島原発をコンクリートで固め封鎖する準備をした方がいい、という。
 政府や御用学者、東電などは、最悪の事態は回避できると懸命な努力をしているのだろう。国民がパニックにならないよう抑制的にさまざまな事象を発表しているが、それが結果としてより悪い事態を招くことがあるし、今回の事故はまさにそうだ。
 原発推進派によって完全にパージされていても、その危険性を一貫して主張してきた広瀬隆に注目して欲しい。

2011年3月19日土曜日

輪番停電の夜の満月は明るい、思い出すは「じんじろ橋」

日を追うごとに震災の被害の大きさと福島原発の大規模放射能漏れへの危機はつのる一方だ。そもそも原子力発電は安全だなどという発想自体が一から間違っている妄想にすぎない。自然界にないものを作りだし、その処理の方法も見いだせないまま、安全神話を人々に強制し、今、チェルノブイリ状況に至っても、「まだまだ大丈夫」と政府や御用学者はほざいている。「二酸化炭素を出さないという意味ではクリーンな原子力発電」などと原子力発電を賛美した民主党幹部(例えば前原)連中を忘れないぞ。危機的なこの時点でも原発の中で決死でたたかっているのは東電の下請け労働者を主体とした人たちだ。東電社長や原子力安全保安院の連中は東京から移動し、福島原発の敷地内で記者会見し、原発の安全とやらを身をもって証明したらいい。

地元自民党県議は「地震騒ぎ」などという言葉を連発し、ことの重大性を直視できないでいるし、困ったものだ。

輪番停電、計画停電などで1日に2回停電されたらたまったものではない。計画がたたないのだ。「戦時下の暮らし」を強制されていると言っていい。仕方ないなどと従順になってはいけない。ふざけるなという意気が必要だ。

ところで、昨夜は初めての夜の停電、停電地域を逃れ藤岡の千湯で電気がつくまでお風呂にでも、ということで行ってみたら大賑わい。新町に自衛隊駐屯地があるためこの界隈は停電なし、ということがもっぱらの認識。しかし5グループの例外地ということならば、それはそれでまた問題だ。

しかし、真っ暗闇の中の満月は有り難かった。電気のなかった時代、月夜は本当に嬉しかった。あたりがうっすらと見えるのだから。月の満ち引きの中でさまざまな夜を過ごしてきた、余り便利ではなかった時代を生きた人たちを思った。自然の摂理の中で生きることを復活させる必要がある。
 自然と浮かんだのは「じんじろ橋」、かぐや姫の歌だ。こうせつ自身は体制迎合的でなかなか好きにはなれないけれど、ジーンとする曲をつくるんだよね。そこに共感してしまう。

 村のはずれの じんじろ橋は 月の出る夜は ぬれるそうな
 花っ子18 山家の育ち 村の若衆 じんじろさに惚れて
 固い約束 したそうな 

 月が出たなら迎えに来ると  言いし別れた橋だそうな
 花っ子月見て 待ち待ち暮らす 2年3年
 じんじろさは来ずに 恋に命を捨てたそうな

 昔話のじんじろ橋で 今宵待つ人旅の人
 もしや私も 花っ子のように
 先んず月見て 別れたままで 泣いて散るのじゃないかしら 

2011年3月15日火曜日

どうしたことだ、地震、津波、原発事故

11日発生の地震の被災状況の全貌はいまだ分からない。津波の被害もさることながら、福島原発の爆発事故に至っては時々刻々深刻な状況になり、今や放射能が舞跳ぶ事態となっている。
政府は原発の上空を高さ制限をせず飛行禁止にした。
群馬司法書士会事務局から1枚のFAXが届いた。放射能等環境汚染状況によっては明日以降の業務短縮又は停止も余儀なくされる場合があるという通知だ。大げさと思ったがそれほど事態は重大・深刻ということだ。
原発は安全という神話は吹き飛んだ。自然との共生を忘れた社会の行き着いた現実だ。
 この事態に際し「天罰が下った」と発言をした石原慎太郎東京都知事、ふざけた奴だ。東北地方でつましい生活をしている被災者達に対して何という暴言を吐くのか。数々の差別発言、暴言を吐いてきた石原にこそ天罰はふさわしい。
 輪番停電、計画停電も初めての経験で嫌なもの。いつ停電になるのか実は分からないのだ。こんなことを続けたら会社や自営業者、人間社会が成り立たなくなる。計画が立てられないのだ。
 行き着いた資本主義だからこそ、この地点から新たな展望を見いだすしかない。地獄からの生還だ。

2011年3月11日金曜日

議会に缶詰状態の1週間、最後は大地震

予算特別委員会と一般質問で今週はびっしり4階の議場にいた。今日は中学校の卒業式の後の午後2時から一般質問3人ということで5時までには終わる予定だった。ところが3時前、グラグラと議場が揺れるではないか。一昨日も地震で揺れたが、これほどではなかった。揺れも次第に大きくなり天井も音を立ててきしむ。みんなオイオイこれからどうなるんだといった様子。議会は当然、休憩に入り、地震の収まるのを待ったが、職員は町内のパトロールに出るということもあり、本日は延期とし14日に残りの予定を回すことになった。
 五料橋は通行止めという情報が入った。人的な被害はこの町に限って言えば今のところ把握されていないが、東北地方は大変な状況らしい。地震の怖さを改めて知ったが、福島原発、女川原発は大丈夫か、原発政策は止めた方がいい。日本列島自体が活火山なのだから究極の安全対策などない。

2011年3月6日日曜日

カンニング行為はすぐ摘発したのに公安情報漏洩事件はどうした

京都大学入試試験での携帯電話の使用によるカンニングは3日程で摘発された。パソコンなど苦手意識一杯の自分としては、本当にそんなことができるの、という思いが今でもある。右利きの人間が左手だけで短時間に文章だけでなく記号まで書き込むなんて信じられない。また、待ってました、とばかりに回答する人が打合せもせずに存在することもすごい。
「知識のアウトソーシング」化が進んでいるという。自分の頭脳を鍛えるのではなく、回答を呼び込む道具の使用に習熟することにより回答を得る手法だ。かくして人間の能力は衰え、一方、コンピューターはどんどん高度化し、既に数年前チェスの世界チャンピョンを負かし、昨年は将棋の世界でもコンピューターに軍配が上がった。何日か前の新聞に出ていたが、答えを絞り込む事ができるコンピューターつまり相手の問いによっては回答に幅がでることがある場合、それを絞り込むと言うのだ。次は心、気持ちを持つコンピューターが出現したら、心を失いつつある人間にとって代わる時が来てしまうのではないか、と本気で危惧する。
 心も失い感情も退化する人間と感情を持つロボットの出現、どうも嘘じゃないらしいから困った。スピルバーグ監督作品「A・I」を思い出してしまう。最後の人間を知っている人間のように進化したロボットの話だ。すごい予言映画だ。大川隆法の「霊言」とは訳が違う。霊言のお告げは、花見の席での酔っぱらいの戯れ言にも劣る。八つあん、熊さん、花子さんがいた時代がいいね。

 ところで公安機密情報漏出事件のその後はどうなったのか全く報道がない。カンニングと比べものにならない重大犯罪のはずなのに何故真相を明らかにしない。民主党政権は何をしているのか。マスコミは何を恐れているのか。情報収集の方法、被疑者の選定等に明らかに違法性があるだろうに何故追求しないのか。こちらの情報公開こそが重要だ。
浪人生のカンニング行為より権力犯罪を追求するジャーナリズムこそ今求められている。

2011年3月3日木曜日

3月玉村町定例会始まる


2日から15日の予定で3月定例会が始まった。一般会計予算は104億6800万円、特別会計、水道事業会計全部合わせて約176億円規模だ。7日、8日の2日間使ってみっちり審議する。ちなみに国の一般会計予算は92兆4116億円、群馬県は6702億1100万円。
 9日、10日、11日は一般質問、何しろ16人中14人が質問に立つのだから町側も大変だが職員も勉強になるだろう。群馬県内の町村議会で最も一般質問の活発な議会となっているらしいが、私が議員になった10年前は、22人いて多くても10人程度だった。各人思いがあるからだが、変に競争などすることはないと考えている。各人のスタイルで行けばいい。私の出番は10日午前9時から。これ以上の所得格差を是正する観点から「公契約条例の制定」等を質問する。

 夕方からは伊勢崎市内で塚越紀一県議の県政報告会へ参加、4月の選挙では伊勢崎選挙区は新旧交代の大波に洗われる。塚越紀一さんが残らなければみんな一期議員ということになる。5期目を目指す大変厳しいたたかいだが、知恵と経験、実績の人が中心にいなければ伊勢崎市にとっても打撃は計り知れない。塚越さんを「伊勢崎市、群馬県の良心」としてなんとしてももう一度県政に送り出したい。