みんな寿命を全うしようぜ

みんな寿命を全うしようぜ
西表島で会った昼の蝶

2017年11月24日金曜日

「戦争で得たものは憲法だけだ」佐高信講演

満席の会場で公演する佐高さん
舌調は絶頂の佐高節
元気なところを見せた小室等さん

 昨日、群馬弁護士会主催の憲法施行70周年記念アクション『憲法改正で平和を守れるのか』が前橋市総合福祉会館で開催された。
 神田香織さんの講談「哀しみの母子像」、「コムロ的プロテストソング」を小室等と小室ゆいさん。そして、「戦争で得たものは憲法だけだ」と題して、佐高信さん。
 安倍政治を根底的に徹底批判する佐高節が連続爆発してた
 満員の会場に中、まだまだ反撃できる力を我々は持っている、と感じた。

2017年11月21日火曜日

最晩秋の三名湖ぐるり歩き

釣り船が並ぶ三名湖
桟橋の釣り人たち
紅葉の絵の中にいるようだ

こんな山道を歩く

 ゆっくり歩くこと1時間20分程、最晩秋の三名湖を一周した。
桟橋上で、そしてボートでのへらぶなの釣り人たちが秋の三名湖に映える。
この湖を歩いて一周したのはもう20年近く前のことか。
山道は端正に手入れがされている訳ではないが、それがまたいい。山歩き気分になれる。
ボートが一列に並ぶ光景は見ものだが、近くに行ってみると、結構、話し声が聞こえ、決して静寂の中の釣りではない。
 日々の喧噪から抜け出て季節感一杯の中に身を置くのもいい。

2017年11月20日月曜日

二つの選挙当選を祝う会

総勢様で歴史的な一枚
フルマラソン完走の小林君の笑顔
朝鮮料理を前にこの笑顔

 10月1日投票の玉村町議会選挙と22日投票の衆議院選挙でそれぞれ当選した石川と堀越啓仁を在日の友人が中心となって声掛けし祝ってくれた。
 場所はホルモン屋、苦節何年だろうか、負けに負けを重ねた国政選挙、そこへ草の根からの政治を唱える立憲民主党の立ち上げに、「やっと投票する政党ができた」という言葉を多くの人から聞いた。そして衆議院議員・堀越啓仁登場となる。
 彼は玉村町議会選挙のとき、石川の総決起集会で「団結ガンバロー」担当の青年部長。
 これからは石川後援会丸ごと堀越後援会へなだれ込まなければならない。
 日朝関係の行き詰まりも、在日朝鮮人との交流の中から打開する意気込みでいきたい。
 25日は午後5時から、高崎市のニューサンピアで長妻昭さんの講演と堀越けいにん選挙報告と交流会が開かれる。
 勿論、石川後援会総勢でなだれ込む。

2017年11月19日日曜日

玉村町産業祭2017

賑わう産業祭
植さんとも会えました
来年企画の話合い

 今日は第33回玉村町産業祭、晴れ渡る秋空の中、長野県山ノ内町や昭和村等からの出品もあり、たくさんの人が集まり交流した。
 私は式典の部から出席したが、来賓の山ノ内町長、昭和村村長、女川町長のあいさつは、その地域事情が語られ、非常に感銘を受けた。小さな自治体が元気でいてこそ国が元気でいられる。政府が地方創成を叫ぶ背景には、疲弊していく地方がある。今の地方をつくってきたのは長年の自民党政治の結果。思いつきの一時的な政策などでは解決できるものではない。
 式典後は、会場を衆議院議員となったばかりの堀越啓仁君と廻った。誰もが真っ当な政治を求めている。しかし他人任せでは真っ当な政治も実現できない。今こそ、庶民の思いを体現する大衆政治家を庶民の手で育てなければならない。
   今日の産業祭、実に順調に進んでいるが、しかし、昨夜の大風でテントが吹っ飛んでいるのではないかと心配になり、夜11時頃現場に来た。
予想は外れ、土囊により足部分を安定化されたテントは見事に立ち並んでいた。関係者の努力にも敬意を表したい。

2017年11月14日火曜日

玉村中学校50周年記念式典

あいさつする鈴木寛史校長
     
      玉村中学校創立50周年記念式典が行われた。新しい校旗と制服も紹介され、新たな思いで未来に向かう姿勢がまぶしい。一口に50周年といってもひとりの人生の半分以上の年月、多くの人が青春の一時期をこの学校で学んだことを思うと感慨深いものがある。玉村中学校に栄えあれ
     実は、私はこの中学で学んでいない。統合前の芝根中学校最後の卒業生という訳、もう思い出の中でしかない芝根中学校。だからこそ恋しい。

2017年11月12日日曜日

つらつらと上野三碑散策

山上碑と7世紀につくられた古墳
山名城址へと続く秋の小径を歩く
道標がありがたい
一帯は広場になっている

 午前中、12月議会に向けての一般質問の準備をした。頭の体操の後は、半日ひとり歩き、今日は上野三碑の金井沢碑と山上碑に向かう。山上碑の隣には七世紀に造られた古墳もある。そこからさらに10分程のところに山名城趾があり、さらに根小屋城趾へと続く。秋の山道は哲学の小径となる。古代、朝鮮半島から来た人達が、この地に住んでいた人達と長い時間をかけて築き上げできた地域文化に、今、光が射そうとしている。
 先の日米会談で、「兵器を日本がたくさん買えば、アメリカでは雇用が増え、日本の安全も高まる」とトランプが言えば、「はい勿論たくさん買います。そして日本人の生命と安全を守ります」と忠誠を尽くす安倍目に、古代日本の道を少しでも歩いてみろ、と言いたい気分になった。
 戦争で朝鮮半島の人々はどうなってもいいのか。

2017年11月9日木曜日

「さよならが言えないで・・・」40年前のマークⅡ

今も健在・マークⅡ
無傷で40年
車検も受けてます

「さよならが言えないで どこまでも歩いたね 街灯さえ消えて足音が淋しいよ
わかってくれるただ1人の君を 離したくないのに冷たいこの世界

見つめたら泣いていた愛おしい君だった
悲しみをこらえてる傷ついた若い恋
また会うときは大人になっているだろう
別れたくないのに冷たいこの世界
・・・・年老いた男が川面を見つめて時の流れを知る日がくるだろうか」 

吉田拓郎「マークⅡ」が街に響いていた頃、小林喬先生が購入した車が未だに走っている。
 久しぶりに事務所を訪ねてくれた小林先生も結構な年齢になっていた。ドイツ人の奥さんと結婚したこともあり、ドイツ方面には通うように行っていた。
 現在のヨーロッパの大量難民に対する政策の難しさを話してくれた。難民を発生させた原因に有志連合とやらの空爆による都市の破壊があることも指摘。戦争により解決しようとしても逆に不幸な悪循環を招くだけと指摘、安倍首相の右翼的戦争挑発政治にも異議を唱えていた。
「立憲民主党ができたことによりひと息できるよ」という言葉が印象的だった。
 ドイツ感覚というのだろうか、40年以上もマークⅡを手放さない生活姿勢には共感する。