みんな寿命を全うしようぜ

みんな寿命を全うしようぜ
西表島で会った昼の蝶

2012年2月29日水曜日

お薦めの一冊「ひとり舞台」山本太郎

土田君お薦めの本は「脱原発・闘う役者の真実」を副題とする「ひとり舞台・山本太郎」。
山本がドイツからベラルーシを行脚した姿から始まる。
 佐賀県庁に乱入したとして右翼に告発された事件とその顛末や、まぶしいほど真っ直ぐ生きる山本の姿を描く。
 あとがきで「太郎君を一言で言えば、礼節の男ですよ。撮影現場でもプライベートでもいつも周りに気を使って礼儀を忘れない。彼は役者なんだけど助監督や技術のスタッフと一緒に機材を担ぐのも厭わない。彼が原発に反対するのも礼儀ですよ。原発事故を知った以上、無礼者、無法者を許せないから、立ち上がったんやろうね。」との井筒和幸監督の弁を載せて声援を送る。
 もっと自由に生きようとする人たちにとって、必読の書。

 「沈黙の春を生きて」を観る。
ベトナム戦争でアメリカは枯葉剤を大量に撒いた。その結果、ベトナム人に多くの傷害を持つ子供が生まれ今も苦しんでいる。ベト君ドク君は象徴的な被害者だ。
ベトナムからの帰還米兵も枯葉剤の影響で兵士自身苦しみ、生まれてきた子どもたちも障害で苦しんでいる。
 これらの事態に加害国アメリカは全く責任を取らない。戦争に勝つためならどのような被害がどれだけの世代に渡り悪影響をもたらすかも考えず、あらん限りの暴虐で荒らし回る。被害に関しては知らん顔だ。広島への原爆投下を見ろ。
そしてどこの国でも戦争の実態は残念ながらそんなもんだ。
 「ときには戦争は仕方ない」などと少しでも考える傾向にある人は、この映画を是非観て、それでもやる価値のある戦争なんて本当にあるのか、考えて欲しい。

【シネマテーク高崎で3月2日まで】

明日から議会が始まる。予算書の奥の奥まで点検中。

2012年2月27日月曜日

玉村町・下之宮高侭遺跡現地説明会


下之宮高侭遺跡現地説明会が昨日現地で行われた。伊勢崎と玉村を結ぶ橋建設に伴う発掘調査の過程で、下之宮地区で発掘された堀や土塁、虎口などから戦国時代の館跡と推測される現地の説明を受けた。
 調査対象地は、館の南側の一部にしか過ぎず、100㍍級の方形の館だったと想定されるらしい。玉村町付近で発見された中世の屋敷遺構は50㍍級が多いので、大型の館といえる。主殿は現在の利根川の堤防下かその北側の竹やぶ辺りと推測する。
 外堀や虎口遺構は城といってもよいしっかりしたもので、これまで県内で発掘調査された16世紀の城郭の虎口を彷彿させるという。しかし、堀の幅は狭く、堀を筋違いにする「折れ」を設けていないなど古い要素もあり、量は極端に少ないが白磁の皿などの出土遺物は14世紀後葉や15世紀後半のものが出土している。
 関東は15世紀半ばから内乱状態に陥り、上野(こうずけ)でも城を造り始めている。この館も、15世紀後半以降に防衛機能と力を誇示する目的で改修されたものと想定している。
 今週からは一段と古い層に挑み、古墳の有無が確認できるかの調査にあたる。
古代から相当の人数の人々の暮らしを支えることのできた地域といえよう。

 この際だからどんどん気の済むまで掘り広げて当時の全容を明らかにして欲しい、との気持ちも沸くが、その時代とて歴史の一時期のものにすぎない。
 時間の縦軸(歴史)のその折々に様々な生活様式で生き、死んでいった先人たちの暮らしの積み重ねの末に現在があるとすれば、我々もそう遠くない将来、歴史の地層のほんの一部分になる日が来る。
 自然に死を受け入れることができる日が来るまで生きること、これに尽きると思うが、それだけじゃないから、穏やかなことばかりじゃないから、生きてることはやっかいだ。

2012年2月25日土曜日

原発とめよう群馬・連続学習会

昨年5月から連綿と続いている群馬会館での連続学習会。最初は1ヶ月程度の緊急学習会かと思っていたが、いやいや年を越し現在も続いている。
 毎月の土曜日(例外もあり)午前中の学習会だが、毎回20人ほどの人が参加し熱心に講師の話に耳を傾け、議論にもなるから不思議な光景とも言える。
 講師の田島さんは決して高名な人ではないが、熱心な勉強家で原発に対する根底的な疑問と怒りを持っている。このような事故が起きてしまった今こそ、深い怒りを込めながらも、真実を知る機会を多くの人と共有したい、そして原発のない社会を実現したい、と本気で考えている人だ。
 どこでどのように勉強しているのか知らないが、彼の手作りの学習資料は実に解りやすく、評判にもなっている。
 昨年5月、高崎市の労使会館での学習会で講師を務めて頂いた五十嵐先生から、「この資料を作った田島さんはどこの大学で研究しているのですか」と聞かれた。はああ、と言うしかなかった。

 思いつきで無責任極まる言動を繰り返し、民心を惑わす橋下徹、河村たかし、石原慎太郎らとは全く対極にいるその姿勢がいい。

 「ビキニ核実験と福島原発事故を考える」連続学習会の日程をお知らせする。
第1回 2月25日(土)
    「原発とは何か。放射能とは何か。」 本日好評のなか終了。

第2回 3月2日(金)午後6時~9時
「1954年3月1日ビキニ核実験]  ご参加ください。

第3回 3月10日(土)午前9時~12時 
    「2011年3月11日福島原発事故」
ご参加ください。

【いずれも群馬会館第3会議室】

2012年2月24日金曜日

3.11脱原発群馬アクション第3回実行委員会

群馬県教育会館で実行委員会が開かれ、3月11日高崎城址公園で開催される集会・デモその他の企画の具体化が議論された。
広範な呼びかけ人が集まっており、事務局での処理が間に合わないくらいだが、原発の再稼働を目論む推進勢力との力勝負の時が来る。
福島の厳しい現実を目の当たりにしたとき、原発を容認し続けることはできない。群馬での広範な大衆運動としての「3.11集会」をなんとしても成功させたい。
前橋から会場までマラソンで参加する企画も出てきた。出店企画も進んでいる。多くの参加者の共同事業として進めたい。
 政治を手にする醍醐味を「3.11」から始めよう。

第4回実行委員会は3月7日(水)午後6時30分から群馬県教育会館で

「福島の子どもたちに病院を」との打ち出しで「すべての原発いますぐなくそう全国会議」が3億円基金を呼びかけている。私も微力ながら群馬県の呼びかけ人になった。多くの方々のご協力をお願いしたい。



2012年2月22日水曜日

河村発言に適切に対応しなかった南京市の幹部降格処分

「南京大虐殺はなかった」と主張した河村たかし名古屋市長に対し、その場で的確な反論、対応をしなかったことの責任を問われ、南京に帰国した訪問団の上海市幹部が降格処分された、と南京の友人から連絡があった。
 「中国では大きな問題になっています。残虐な写真もたくさんあるのに、全くひどいことです。過ちを教訓化すればよいのに」とは友人の弁。
同感です。

2012年2月21日火曜日

「南京大虐殺はなかった」という河村たかし名古屋市長・・・恥ずかしくなるよ。

「南京大虐殺はなかった。」
事件後の1945年に現地に駐屯した父親が、南京の人にラーメンを作ってもらったからだという。
「事件があったら、日本人にそんなに優しくできない」とは河村たかし名古屋市長の弁。
 おめでたいを通り越している。あきれ果て、悲しみも沸くが、やがて怒りが沸騰してくる。その年まで何をして生きてきたのだ。
 当時、東京日日新聞で報道された「百人斬り競争」をした二人の軍人の写真が南京大虐殺の記念館に飾られている。これを見たときは本当につらかった。しかし、絶対忘れてはいけない、と心に誓った者として、河村市長の発言は認められない。

 撫順戦犯刑務所の日本人戦犯が、中国側の配慮で、北京、上海、南京などを列車で「観光」したことがあった。中国人による手痛い報復を覚悟していた戦犯たちは、しかし、そこここで民衆の歓迎を受けた。 侵略戦争の先兵となり多くの中国人虐殺に走ってしまった元日本兵に対し、「悪いのは日本軍国主義であり、ひとりひとりの兵士はむしろ犠牲者だ」という中国側の見解により、多くの戦犯が罪を許されたことは歴史的事実だ。
 中国戦線で日本軍が何をしたのか、全く知ろうとしない人がいる。事実を知ったところから始めなければならない。それが戦後の日本が歩むべき道だったはずだ。

 ああ、しかし、まともな歴史教育がなされていないためか、「英霊」をイギリス人の霊、真珠湾は三重県にある、B29は鉛筆の芯の堅さの表示、などという笑い話しのような状況になっているらしい。

 河村市長のような人物が政治の世界に多く存在し、国家・国益や正義を振りかざすのだから、たまったものじゃない。また誤った方向へ政治が進んでいくぜ。

 「中国帰還者連絡会」のホームページを見て欲しい。

2012年2月20日月曜日

某年某月的某一天


ある年ある日、広島に行く機会を得た。厳島神社に足を運び、ゆっくり散策しながら鹿のご機嫌伺い。
平清盛から毛利元就そして徳川から現在へと続く重層の歴史に圧倒される。
無名の人々の生き死にの積み重ねがここにある。

 午後は港から船で元安川の平和公園まで行き平和記念館を久しぶりに訪ねた。
日曜日のためか、多くの若者が見学に来ていた。僧侶の団体もいた。
原爆被害の現実を若者に知って欲しい。
私たちの社会は今、過去の悲惨な事実を後世に正しく伝えることの難しさに直面してるのではないか。

 10数年前、中国南京市の南京大虐殺の記念館に行ったことを思い出した。
現地でも多くの人々が記念館に足を運び、悲惨な事件の事実を記憶に留めようとしていた。
 【前事不忘、後事之師】

 過去の歴史的事実に目を閉ざしてはいけない。
ドイツの元大統領ワイツゼッカーの言葉を銘記しよう。
【過去に目を閉ざす者は未来に対して盲目である】

2012年2月17日金曜日

お薦めの一冊 〈さるぐつわ〉の祖国

〈さるぐつわ〉の祖国 古川利明著
 昨年10月初版の本で内容はかなりなもの。この間全く進展しない「拉致問題」に関し、多角的に背景をえぐり出している内容で大変面白い。
 帰国者5人が全く拉致事件に関し話さないことを「見えないさるぐつわ」として本書は進んでいく。

 朝鮮民主主義人民共和国の成り立ちから触れ、故金正日総書記の権力基盤を盤石にする過程(70年代後半から80年代にかけて)で、謀略活動を最大限利用する期間があり拉致事件が起きたのもその時期と重なる。その意味で一連の拉致事件は「金正日案件」といってよい。
 朝鮮労働党の内部事情、「主体思想」を体系化したのは金正日の大学時代の思想担当教授だった黄長燁(後に韓国へ亡命)で金正日と黄との関係を記し、一介のすし職人でありながら金正日の「専属料理人」になった藤本健二(ペンネーム)の話、(例えば、日本の料理はすべてカツオブシが基本になるのだと感心し、韓国の激辛キムチより日本の白いご飯と黄色いタクアンが好物だった。映画は「フーテンの寅さんが大好きで、見終わると機嫌がよくなって映画のワンシーンを真似する)などを紹介する。
1973年の「金大中拉致事件」、74年の「文世光事件」と続き、日、朝、韓の複雑な絡み合いを指摘する。
1990年9月、自民党・金丸信、社会党・田辺誠を代表する訪朝団が平壌入りし朝鮮労働党との三党共同宣言に合意し、日朝国交正常化交渉が始まった。金丸は当時首相だった海部俊樹の「自民党総裁」名による植民地支配を謝罪した書簡を金日成に手渡し、共和国のメンツを立て、懸案だった冷凍貨物船「第18富士山丸」船長の紅粉勇、機関長の栗浦好雄の釈放を実現した。この過程での双方の水面下の動きを暴いている。
 2002年9月17日の小泉首相の訪朝の目的は「日朝国交正常化交渉」の進展を目的とするもので、当時、韓国大統領だった金大中の仲立ちがあった。方向性は金丸訪朝団の「三党共同宣言」の延長線上にあったが「経済協力」と明記した点では一歩踏み込んだ内容だった。
 この会談の際、金正日は「拉致されるなどした日本人のうち、すでに8人は死亡、5人が生存」と発言した。これは首相秘書官飯島勲と朝鮮総連責任副議長許宗萬との打ち合わせ通りの発言だったが、「8人死亡」の衝撃が余りに重く、当初の目論みとは正反対に、「北朝鮮バッシング」が一気にヒートアップしていった。
 よど号事件にも触れ、よど号グループリーダーの田宮高麿の突然の死に対して筆者は金正日による謀殺説を唱える。(P156)
 そしてタブーとしての「拉致問題」に入り、皇室取材と同様、拉致問題に関して自由な報道がなされない異常な背景に迫っていく。
 まず「家族会」への支援活動を続けてきた「救う会」の異質さを指摘する。
「救う会幹部には日本の核武装や北朝鮮への先制攻撃まで訴える過激なイデオロギーを持っている人が多く、従軍慰安婦もなかった、強制連行もなかった、という立場の人が多い。家族会設立当初は、多彩なメンバーを擁していたが、近年はそのようなイデオロギーを持つ人が中心に座っている。」とは家族会を事実上追放された形になった蓮池透の言葉。(手記・拉致左右の垣根を越えた闘いへ)
 さらに「家族会」「救う会」と行動をともにする形で超党派の国会議員団「拉致議連」がある。安倍晋三、石破茂、中川昭一、米田健三、西村眞悟といった「保守」というより「超タカ派」議員がこぞって参加していた。
 このような状況を受け、「家族会」のスタンスが「救う会」や「拉致議連」のイデオロギーに引きずられていった。その「自民党内のタカ派」がブレイクする路線を縁の下で支えていたのが公明党=創価学会・池田大作である。「自公体制」という安定政権の枠組みがあって、「北朝鮮バッシング」「対米追従の軍備強化路線」に拍車がかかった。
 「建国義勇軍」事件と「救う会」の関係を描き、一方、「拉致」を否定して北朝鮮と日本を行き来する寺越武志にも触れる。
 筆者は帰国者5人を尋ね、彼らがほとんど喋らない背景に迫る。
曽我ひとみの夫ジェンキンスの生い立ちから北朝鮮への脱走、日本に来るまでの経緯を詳細に書き、「蓮池薫が拉致しに来た」と主張する横井邦彦にも迫る。そのことをすぐさま「事実無根、嘘である」と発言した「御用学者」重村智計をキチンと批判し、そのようなデマ発言をしてもメデイアから干されない状況の深刻さを指摘する。
実は、公安警察は、蓮池薫が工作員として日本に密入国していたことを知っていた。
拉致工作員辛光洙に関しては多くのページを使い詳しく書いている。

「新潮45」09年4月号の鹿島圭介の記事「横田めぐみさんは死んでいる」を紹介し、当時、警視庁副総監だった米村敏朗が「横田めぐみさんは死んでいる」と発言、「あくまで個人的な思いだが、俺はそう思う」と加えた。彼は警備・公安畑の中枢にいて捜査情報を当然持っている人物だ。
めぐみさんのものとされた骨のDNA鑑定の問題にも触れ、警視庁がミスリードしたとする。

「家族会」の支援と称して彼らを取り込んでいる「救う会」その背後にいる保守系団体や右翼の存在が、タブーを大きくさせ、真実を語れない要因となっている。拉致被害者や「家族会」のメンバーは政権与党の権力維持や「救う会」のカネ集めのダシにされているに過ぎない、少なくとも「救う会」が本当に「拉致問題の解決を願って運動している」とは思えない。自らの保守的なプロパガンダを訴える「マスコット」にしているだけ、とし今後日本が取るべき外交の選択肢とは、韓国、中国と連携しつつ、むしろ日朝国交樹立により、段階的に北朝鮮の民主化を支援していく方が「急がば回れ」であるような気がする、と書く。
 最後に、ひとりひとりが、勇気をもって、真実を語っていくことで、目の前に存在するタブーをひとつひとつ消し去る努力の中に民主化は存在すると指摘する。(全478㌻)

 誤植が少し気になったが、決して一方に偏った内容の本ではない。むしろ、拉致問題に関する対応の余りの貧困さにしびれを切らした著者が書きつづったもので、納得の一冊だ。是非、読んでみて欲しい。

2012年2月15日水曜日

2012 朝・日友好親善新春の集い

恒例の「朝・日友好親善新春の集い」が高崎市のビュー・ホテルで開かれた。私自身楽しみにしている催しなので毎年参加している。
富岡高崎市長の友好的積極的な挨拶もあり、会場は暖かい雰囲気のなかでの集いとなった。
角倉、後藤両県議、山田ゆきお市議夫妻の元気な顔もあった。
 角田義一さんともじっくり話ができた。角田さんの父儀平治先生の映画も完成し「春には伊勢崎・玉村で上映会を開いてよ」の依頼に、二つ返事をしなければならない関係になっているので当然「任せてください」と言ってしまった。安請け合いでしょうか。
 それにしても松浦高崎前市長は25年間連続参加、それも集いが閉じるまで帰らないという姿勢は、日本と朝鮮との関係は大事なんだよと無言で示しているように思えてならない。
松浦さんからは閉めの挨拶を頂いた。
 もうすぐ高崎映画祭の季節だ。


 

2012年2月13日月曜日

母が大変お世話になりました。

8日早朝、入院中の母親が急変しそのまま息を引き取り、昨日の葬儀となりました。突然のことではありましたが、母の84年の人生のその折々に彩りを添えて頂いた方に御礼申し上げます。

 こういうときは普段会えない人に会うことができ、例えば学生時代の友人もそう。懐かしさもあるが、現実の重さに、改めてこんなことでいいのかと深刻な気持ちになってしまった。
 横浜市役所勤務の鷲巣、上尾市役所勤務の新宮、東武建設役員の飯野、都内で資格者を6、7人抱えている司法書士の飯塚、会社経営の金子治三郎、JRの正社員の金子剛、横浜の梨農家持田、出世とは無縁のマイペース警察官狐塚、そして秋山局長はいい。
 しかし同じ年ながら、時給800円以下で同じ会社に10年間も勤務している同級生もいる。
月に9日の休暇を取ることを会社から求められており、1ヶ月働いても11万円程度、ボーナスはなく年収で130万円程度という。正社員は組合もあり、そこそこの収入だが、臨時採用はいつまで経っても臨時雇用で、すでに彼は10年勤務になる。回りにそんな人がたくさんいるという。
 改めて格差社会の厳しさを実感した。「これからの希望なんかありゃしない」とは独身の彼の弁。
 地域を構成し、支えているのは恵まれた環境の人ばかりではない、ぎりぎりのところで生活をしている多くの人々がいることを改めて思い知らされた。
 1000万人を優に越している年収200万円以下の労働者群、この存在を見て見ぬふりはできない。低賃金労働に支えられて成り立つ社会はイカンよ。

2012年2月11日土曜日

「黄金を抱いて翔べ」の映画ロケを見に来ないかとの井筒監督から土田君への誘い

高村薰原作の「黄金を抱いて翔べ」が井筒和幸監督により映画化される事になった。
【「反逆」をテーマに生きる男たちにとって、世界一の労働とは、真の自由とは何か。現代の閉塞感や鬱屈感は黄金の前で全て解放されるのか、この映画を通して見つめたい。】とは井筒監督の弁。
 その映画ロケが世田谷の砧で行われているので見に来ないか、と監督から土田君に連絡があり、早速これから行くという。監督とツッチーはいいコンビだから行っといで。
「撮影が一段落したら、山田ゆきお市議が監督と会いたいと言っていたことも伝えて欲しい。」
 私はこの2日間は取り込み中でなんとしても無理です。

2012年2月4日土曜日

好きなように生きていろ。


今日、前橋・弁天通りの大蓮寺2階本堂で上映された「RADIOACTIVISTS」を観た。いってみれば「素人の乱」の企画したこの間の脱原発デモを中心に撮ったもの。
 その会場で我が深町先輩に会ってしまった。深町さんとは因縁の関係でかねてから、打ち合わせもしないのに、ソビエト映画上映会やその他の集会で幾度となく会ってしまっている。
 話が長く自己主張が極端なため(情熱家の証拠)土田君に「伊勢崎のトロツキー」と渾名されている人物。「いよいよ深町さんの時代が来ましたねえ」と言えば「全くそうなんだけど極めてプアーなんだよねえ。闘う資金不足だ」とくる。行動力にちと欠けるが愉快な先輩だ。
 西園先輩は自分の本棚の写真を撮って持って来てくれた。現在は神職ゆえさぞ健やかな毎日と思えば全くその通り。「好きな本を貸すよ」と笑顔で話す。
「国家神道」「藤原四代もの知り帖」「歴代天皇辞典」「日本呪術全書」「古史古伝大系」「謎の竹内文書」「神に関する古語の研究」「私訳歎異抄」「旧約聖書」「新約聖書」「世界の宗教」と写真で見るだけでも200冊ほど。しかしまだまだすごい本を持っている。
 この正月、「伽耶を知れば日本の古代史がわかる」という本を1年がかりで読み終えた。
(卑弥呼は伽耶の金首露王の第一王女、妙見である。卑弥呼=神功は日本史学会の定説だったが古事記伝を記した本居宣長(1730~1801)が偽史を仕立て上げた。日本は朝鮮半島からの渡来人及び文化の流れを受けていることを本居宣長以前の学者及び人々は当然のことと認識していた。)という内容の本だ。
 西園さんとの話は実に面白い。神職だから保守的と考えがちだがイエイエとんでもない。講演会でも構えたい程だ。
 そして梅沢君、最近佐高信に入れ込んでいるようで「日本官僚白書」「会社はこれでいいのか」など5冊を持ち込み、「新自由主義を何とかしろ」と言って帰って行った。
栗原君はチャイナ・ミエビル著「都市と都市」を置いていくし、秋山局長からは団鬼六著「快楽なくして何が人生」をいただく。「腑に落ちるとはこの本のこと。最優先で読め」とは秋山評。
 最後は土田社長、通信販売で買い込んだ雑誌のめぼしい記事の紹介と評論、ヌードカレンダーを持ち込み「事務所には飾れないでしょう」と言うからガッチリ飾ってやった。
 ここまで来ると、芥川賞を受賞した田中慎弥がふらふらしながら「共喰い」を持って来る妄想までしてしまう。持ってきたら読んでやる。
 みんな、好きなように生きていろ。

追伸
 中里智恵子さん宅に3.11集会の呼び掛け人のお願いに行ったら、「脱原発は当然よ」ということで快く呼び掛け人に著名し賛同金も一口頂いた。
「ところで」というので何かと思ったら「私、アメリカへの旅という本を書いたのよ。お金もかかっていることなので回収する必要があるので、どうにして売ったらいいかしら」と相談を受けた。
「アイルランドの旅」「デンマークの旅2001」に続くもので(人生100歳への時代へ)が副題だ。
とりあえず一冊買い求めて、読んでから売り方の相談をしましょう、ということになった。
中里さんは前期まで玉村町議会議員をしていたこともあり、ときどきご機嫌伺いをしている。
 みんな、しぶとい。たいしたモンよ。

2012年2月2日木曜日

3回目の脱原発アクション実行委員会は2月22日群馬県教育会館3階中会議室にて

3.11さよなら原発アクションに向けての実行委員会が群馬県教育会館で開かれ、満席の盛況の中、これまで決まったことの確認とさらなる課題の検討が行われた。次第に当日のイベント内容が決定されていく。

3月11日当日の会場は高崎城址公園(高崎市役所前)
会場準備を午前8時頃からはじめ、11時頃から呼び掛け人等のアピールを始める。
福島現地から避難している人の発言も是非お願いしたい。制服向上委員会の参加もあるので若い世代の発言はどうしても必要だ。等々有意義な意見が相次いだ。
 その他、脱原発パネル展示や出店企画などの打ち合わせもこれから具体的に始まる。
 コンサート部門には制服向上委員会、南條倖司さん、石坂亥士さん、荒馬座、藤岡フラワーク、浜岡正さん、よーぴん。ソルテーなどが決定。
ゲストスピーチにはすでに高木久仁子さんも決定している。
 ポスター2種類各100枚、チラシ2種類各3万枚はすでに印刷済み。
1.群馬県労働組合会議(027.221.2093)
2.群馬県平和運動センター(027.236.0663)
3.原発とめよう群馬(090.4432.6746大塚)
の3ヶ所に万の単位でチラシを配置したのでどんどん活用して欲しい。

 福島の原発被害は想像を絶する事態になっている。政府は子供たちを避難・疎開させる施策も取ろうとしないばかりか、収束宣言を出してしまった。地域が崩壊しているというのに全くふざけきった話だ。
必死の収束活動をしている原発労働者の置かれた過酷な状態をメデイアはどれだけ報道しているか。群馬の放射線量の高さも見逃してはならない。
この数年に日本の未来がかかっている。
 保身だけに生きている政治家連中に原発問題の行方を任せきっていたら取り返しのつかないことになる。放射線は人を差別しない。党派のたいしたことのない壁などぶち破り、真っ当な民衆が政治を取り戻さなければならない。
 福島との連帯を掲げた3月11日の集会はそのような本質的意味を持っている。

 次回実行委員会は昨日と同じ群馬県教育会館3階中会議室、時間は午後6時30分と決定、多くの人の参加をお願いしたい。