みんな寿命を全うしようぜ

みんな寿命を全うしようぜ
西表島で会った昼の蝶

2012年9月29日土曜日

朝の岩倉自然公園散策



咲き乱れる彼岸花
 いよいよ明日30日は岩倉・水辺の森フェスタだ。
天候が気になるが、現地の準備は万端といっていい。
駐車場を含め会場はきれいに手入れされた。
彼岸花も咲き誇って来る人たちを迎える。
 森の中などは歩いていてとても気持ちいいのだが、歩く人はまばらだ。
 協働の町づくりの一環として、水辺の森有効活用実行委員会を組織したものだが、これまで奮闘してきた人たちの努力が、フェスタの大きな成功となって報われることを願う。
 この一大イベントを30万円の予算でやり遂げてしまうというのだから、関係者の熱い熱意が感じられる。
 問題はこれからの継続性のことだろう。
住民有志の志だけに頼る「協働」の難しさを今後どうのように解消させていくかが課題となるのではないだろうか。

 昨夜は小林会計事務所で久しぶりに「町映画製作会議」を開いた。
 映画「漂泊」の来年完成に向けて、藤橋誠監督とともにいよいよ具体的に動き出す。
 まずはスタッフ募集、キャスト募集告知、群馬県などへの後援要請、来年2月のオーディションに向けての準備から始まる。

2012年9月25日火曜日

ニッポンの嘘(報道写真家福島菊次郎90歳)

 福島菊次郎は元気だった。彼のドキュメンタリー映画ができた。現在、犬と二人暮らしの90歳。
 軍国青年だった福島菊次郎が敗戦直後、ヒロシマの撮影に始まり、三里塚、安保、東大安田講堂、水俣、ウーマンリブ、祝島、そして今の福島を撮る。
 レンズを向けてきたのは激動の戦後・日本。
広島の原爆スラムを壊し公園にして見えなくしてしまった行政に怒る。
「問題自体が法を犯したものであれば、報道カメラマンは法を犯してもかまわない」
 防衛庁を欺き、自衛隊と軍需産業内部に潜入取材して隠し撮り。その写真を発表後、暴漢に襲われ家も焼かれる。
 25万枚以上の圧倒的真実から、権力に隠された「嘘っぱちの嘘っぱち日本」を告発する反骨の写真家・福島菊次郎のドキュメンタリーは必見の作品。
  シネマテーク高崎で10月5日(金)まで。

2012年9月24日月曜日

〈福島に診療所の建設を〉のカンパ集まる

カンパ貯金箱

 福島の子どもたちが原発事故の影響で、今後どのような状況におかれるか多くの人々が心配している。
 今、福島の地に命のよりどころとなる診療所を建設する運動が進められている。
 そのカンパ用貯金箱を何人かの友人に渡しておいたら、先日、箱一杯に小銭を詰めて持ってきてくれた。
やはり人ごとではないという。
 政治が福島を捨て置くような対応しかできないとき、小規模ながら実に大事な運動だと思う。
 そんな時、衆議院議員の三宅雪子さんから「原発止めよう・群馬」の呼びかけ人に参加するというファックスが届いた。
 現職国会議員としては初めてのことだ。
野田民主党も原発推進、自民党の総裁候補は全員頑迷な原発推進派だ。
 これまで原発を推進してきた責任などまるでないかのような自民党の無責任ぶりには怒り心頭だ。
 今後、このような反動勢力と闘って行かなければならないことを考えると、三宅さんの決断と行動が大きな力となる事を期待したい。
 
 
 

2012年9月23日日曜日

原発建設費にも迫る八ツ場ダム  それでも造るの

 22日午後からの高崎シテイーギャラリーでのシンポジウムはよかった。
 これまで治水、利水の観点から八ッ場ダム建設の不要さを多くの人々は認識してきている。
 昨日は、遺跡保護の観点から、遺跡観光を加えた形での地域再生に目を向け、ダム無し地域再生に向けての大きな道筋になると思う。
 ダム予定地には、縄文、弥生、平安時代の遺跡や1783年(天明3年)の浅間山大噴火で泥流に飲まれた集落跡もある。
「地域全部を博物館にしたいくらいだ。江戸時代の暮らしが泥流にそのままパックされている」とは考古学者の勅使河原彰さん。

 ダム建設の現状は、ダム本体工事どころか、周辺関連工事特に付替鉄道工事の遅れ、新駅付近の土地買収の難航により遅遅として進まない。
 特に、移転先用地の地盤の弱さを補強する盛り土はその崩壊の危険性が極めて高い事が強く指摘され、ダム湖に水を引き入れた時の地崩れも危惧される。

 現在計画の八ッ場ダム工事事業費は4600億円だが、検証した結果280億円の増額が必要、しかし、更なる増額が予想される。
他に東電への減電補償が150~200億円以上ある。
 
 工事再延長と事業費再増額を下流都県は同意するだろうか。
(事業費4600億円、2015年度末完成という約束のもと先の事業費増額と工期延長に同意してきた経緯がある

 原発建設費はその規模にもよるが一基5000億円として、それにも迫る金額を投じてもなお完成せず、完成後も危険性が常時伴う八ッ場ダム。
 決定されてから「60年」経っても完成しない八ッ場ダムは、そのことだけで「造ってはいけないダム」だという事を証明している。
 ダム推進派はもっと現実と向き合え。

 4時頃終わり,帰宅すると、彼岸に訪れた親戚が何人かあり、「どこへ行っている。初彼岸だろう。」とお小言をいただく。
ということで本日、自宅蟄居謹慎の身。

 

2012年9月21日金曜日

高崎駅西口広場での9.21金曜日集会

脱原発の声があたりに響き渡る

 さすがに暑い夏も過ぎゆくかと思える夕暮れ時だが、仕事も一段落したので秋山局長と二人、夕涼みがてら、高崎駅西口集会参加となった。
 毎回、様々な人々が集会に参加している様子は、無理なく何とも自然でいい。
これから持久戦になるのだから、自然体で継続する運動に持ち込みたい。

 民主党代表に野田佳彦が再選、辟易としているが、同時にたたかわれている自民党総裁選の候補者の面々、どれも極右のタカ派のそろい踏み、ハト派が声も上げられないとは、自民党もいよいよ追い込まれているという感じだ。
 今後、政府の原子力政策はいよいよ混乱を増すだろう。
野田民主党だろうが自民党だろうが、地からわき出るような民衆の反原発の声は「生きさせろ」の力となり「すべての原発の即時停止、廃炉」へと政策転換を迫るだろう。
 ここで強調しておきたいことは、日夜、原発事故の収束に向け命を削って事故現場で作業をしている原発労働者群の存在だ。
 彼らの存在なくして事故の収束も廃炉も成し遂げられない。
彼らがどのような待遇で、どのような思いで労働しているのか、どのような技術を持っているのか、どのように彼らと繋がっていくのか、という課題に挑戦する必要がある。
 原発労働者の存在なくして電力会社自体なりたたない。
電力会社を儲けさせてきたのは、黙々と働く原発労働者群あっての事だ。
 これからは原発労働者群と一緒に、脱原発社会に向かってゆく姿勢が求められることを自覚したい。
 労働者こそが社会の主人公であり、社会を変える力を持っている。そのことに気づくときが今だろう。
 
 
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2012年9月20日木曜日

清水次郎長巡りの一日

 何を思ったか、「清水次郎長の墓参りに行くので一緒に行かないか」、と言うことで19日午前4時玉村八幡宮を出発、富岡市で大塚政義先生と合流し、清水港へ吹っ飛ばした。
どうも発案は八幡宮宮司の梅林さんらしい。
車中、大塚先生の講義が自然と始まる。
「忠治が首をはねられた時、次郎長はまだ16歳。二人は会うことはなかった。忠治は反権力のアウトロー一本の人生、悪いこともたくさんしたけど、貧民救済などいいこともしていた。その辺を評価し町おこしに使えばいいのに」と言うが、そう単純ではない。
イメージは相当悪いからねえ。
 次郎長の生家を巡り、墓のある梅蔭寺の遺物館を時間をかけて歩いた。
 山岡鉄舟の書いた「精神満腹」の意味を大塚先生から聞く。
受付の女性は、まだ入ったばかりで次郎長のことは多くは知らないという。
 受付嬢、次郎長には4人妻がいて、みんな「お蝶」と名付けたなどと聞くと、目の色が変わるのがわかった。
 まあ、大塚先生、とにかく、物覚えがよく、水戸天狗党から忠治、次郎長と流れるように語ってしまう。
 そこに高橋敏著「清水次郎長」(岩波新書)が置いてあったので一冊購入した。
 高橋敏先生の本は何冊か読んだが、とても勉強になる。
「忠治を男にした女侠」は菊池徳を書いたものだが、当時の群馬の養蚕を中心として栄えていた時代背景がよく出ている。

 その足で伊豆温泉村に行き、「万福・百笑の湯」につかる。
ここがすごい、とにかく色んな風呂があるのだ。
イスラエルの風呂とかなんとかいう塩分が30㌫以上の風呂に入ると体が浮くので重力感がなくなる。
 韓国サウナ、備長炭サウナ、麦飯サウナ、砂風呂、岩盤浴、箱蒸し風呂、そして草津の湯もあり、じっくり楽しめる。
 玉村町には夜8時頃着、往復800㎞の日帰りの旅は、とにかく、あわただしく落ち着かなかった。
   後日ゆっくり整理しよう。

生家は町中にあった


受付嬢相手に次郎長を語る大塚先生

山岡鉄舟の書「精神満腹」の意味を教える大塚先生

2012年9月18日火曜日

石原慎太郎に「火付け」の責任をとらせよう

 中・韓・朝 外交が非常事態だ。
野田政権の外交には見事にあきれ果てた。
釣魚島(尖閣列島)、独島(竹島)の領有権を巡り、中国、    韓国とすごいことになってきた。
 領土問題には相手があり、お互い言い分がある。一方の主張だけ通して済むなら、もうとっくの昔に解決している。
まして両国の場合、日本が侵略戦争で深い傷を負わせた中国、一方はこれまた植民地支配し苦しめた韓国・朝鮮という歴史的経緯を無視しては解決しない。
日本の主張は、それらの背景を全く無視し、自分の主張の正当性だけを言い張りナショナリズムを煽るだけのこと。
相手国には全く通用しないことも理解できないセンスには怒りさえ沸く。
今回の尖閣問題の発端は、石原慎太郎東京都知事の「尖閣買い取り発言」からだ。
 石原の威勢のいい発言に10億円以上の寄付が集まる、というのだからこれまたあきれた話だが、この石原という無責任な極右人物の煽動にこれ以上乗ってはならない。
又、自民党総裁選に立候補している安倍晋三もひどい。
彼は「狭義の意味での強制はなかった」と言い張り、従軍慰安婦問題で旧日本軍の強制性を認めた1993年の河野談話を攻撃する。
しかし、張本人の安倍自身が首相だった時、自身の発言を巡り、中・韓両国やアメリカの批判を受け、「誤解され伝わったのは遺憾」と釈明、河野談話を継承する立場だったことをもう忘れているわけではあるまい。全くの無責任。
 彼らは、「世界最終戦論」を記し、関東軍参謀として板垣征四郎らと1931年9月18日「柳条湖事件」引き起こし「満州国」建国により中国侵略の火付け役をし、その責任を全く取らなかった石原完爾と同列だ。
 そして、前の二人に輪をかけた軽薄・軽量な無責任男・日本維新の会の橋下徹もこの極右戦線に加わるのだから始末が悪い。日本の未来は暗い、ヤバイ。
この連中こそ国を滅ぼす「国賊」であり、彼らが跋扈する現在の状況こそが「国難」といわずなんと言う。
 しかし、これらの面々、自分では汗をかかず、大衆を煽るだけ、という特徴がある。
煽られなければいいのだ。キチンと反撃すれば、すぐ腰砕けになるのがこれまた特徴。
 日中戦争、太平洋戦争もこのような右翼、国家主義者たちが「・・・は国家の生命線」などと国民をだまし、煽り、戦争をしかけ、最後に原爆を落とされるまで止めるに止められず、国土が焦土と化した後の戦争責任すら取らなかった。
 その無責任な歴史を繰り返してはならない。
日中間の厳しい状況の中、バネット米国国防長官にその仲介を依頼しようとする玄葉外相の姿は痛々しい。
石原慎太郎に煽られ、中国に喧嘩を売り、相手が本気で怒り出したら、「これほど怒るとは思わなかった。同盟国のアメリカに助けてもらおう」では、まるでアメリカの属国。
事実そうだが、こういう場面をあからさまに見せられると、つらいものがある。
81年前の今日(1931年9月18日)、中国侵略の発端となる「柳条湖事件」を日本軍は引き起こした。
当時の中国は清朝崩壊後の混乱期で国力は弱かった。そこに乗じられた侵略であり、中国人の無念は深かった。中国ではこの日を「恥を忘れないための記念日」として深く胸に刻んでいる。
中国大陸を島国の日本に侵略された傷の大きさと怒りの深さを、まず理解することから始めないと外交はできない。
それこそが加害国の基本的責任との自覚がなければならない。
野田首相を筆頭に松下政経塾出身議員の能力では、本当の人の気持ちが理解できず、人の道を求めようとする外交ははじめから無理なのだ。
しかし、自民党総裁選候補者の面々もこれまたひどい。
もう一度戦争でもやらかしそうな勢いだ。例外なく、「日米同盟の強化」を念仏のように唱える。これでは日本に未来はない。

そこで、週刊金曜日9月14日号の「もはや時代遅れとなった日米同盟との決別を」と題する進藤栄一筑波大学名誉教授の記事を紹介する。
〈鳩山由紀夫元首相が提唱し政権交代時のマニフェストにも明記されていた東アジア共同体構想は、続く菅前首相が外交に疎く、民主党の政権を担う準備不足もあったが、構想を警戒した米国が「ジャパン・ハンドラーズ」と呼ばれる日米間の仲介人を使って圧力を加え、さらに彼らと気脈を通じた日米同盟を絶対重視する「朝日」や「日経」といった大手メデイアが、「米国に刃向かえば生きていけない」といったバッシングを鳩山元首相に繰り返したためだった。
では、なぜ米国が東アジア共同体構想を危険視したのか。それは東アジア共同体構想が実現すれば否応なく米国はそこから排除されて、日本が自立の方向に進みかねず、米国の世界的な軍事戦略にとり不可欠となっている国を好き勝手に利用できなくなる可能性があると考えたからだ。
冷戦後の米国の戦略を構想したブレジンスキー元国家安全保障問題担当大統領補佐官は著書「グランド・チェスボード」で世界を米国の①同盟国②敵対国③進貢国の三つに区分し、日本を進貢国と位置づけている。
今も世界最大級の軍事基地を沖縄に温存させ、在日米軍に年間1800億円の「思いやり予算」を支払っている日本という進貢国を失うことは米国にとりあってはならないことだった。
東アジア共同体は欧州共同体など他の地域共同体と同じく主権国家同士の紛争を平和的手段で解決して、国家同士のいがみ合いを乗り越えることを理念としている。
実現すれば、日・中の本格的和解が訪れ、中国、北朝鮮を仮想敵国にし続けて軍事的緊張状態を作り上げ、それにより日本を軍事同盟に縛り付けておく米国の狙いが崩れかねなくなる。
それでも米国がどのように反対しても東アジア共同体が現実化する流れを押し止めることはできないだろう。
米国自身のパワーが低下している一方で、東アジア共同体の経済統合はこれからも一層進展することは確実だからだ。
日本の対外貿易に占める最大の相手国は1978年当時、米国38㌫、中国1㌫だった。しかし、現在、両国はそれぞれ13.2㌫、23㌫になり、アジア全体は50㌫を越え、近いうち60㌫に達するとされている。
貿易相手として十数㌫にすぎない米国だけに依存し、60㌫になろうとするアジアを重視しない政策はもはや現実離れといえる。
もともと東アジア共同体構想は、2003年開催の首脳会談で東南アジア諸国連合(ASEAN)を軸に日本と中国、韓国のプラス三カ国も加わった形で、東アジア地域の平和と繁栄に貢献する地域共同体の実現に向け第一歩を踏み出した。
重要なのは、経済の取り決めを国境を越えて進めていこうという基本理念に加えて、軍事基地も軍事同盟も排する非同盟・非軍事を謳ったことで知られる1977年インドネシアのバンドン会議の精神を受け継いでいる点だ。
そのためASEANではこれまで、小規模な衝突を例外に加盟国の戦争は起きていない。
ASEANの平和主義は現在の欧州共同体をモデルにしている。
EUは戦前にオーストリアの政治家だったルヒャエル・クーデンホーフ・カレルギーが唱えた「友愛」思想を基盤とする欧州統合の理念が原型となる。
戦後の1950年、フランスとドイツは長年の紛争の種だった石炭と鉄鋼の生産地であるルール地域の共同管理を宣言した。
資源や領土を巡る国家同士の争いは、血を流し財産を浪費するだけで全く無意味なエンドレスゲームになるという教訓が活かされた。
ASEANは、こうした経済統合から国家同士が争わない不戦の共同体へと向かったEUの歴史も学び実践している。
もはや戦争を前提とした日米同盟は過去に遺物となり、東アジア共同体こそ21世紀の日本が目指すべき選択肢にほかならない。〉

今年も「みたけ祭り」・・鬼石町浄法寺

こども太鼓で祭りは始まる


最後は思いっきり高く。背景は永源寺
 今年の「みたけ祭り」は例年より少し早い開催となったので、暑さがどうなるか心配だった。
 施設に入所している高齢者が中心なので、熱中症にでもなったら大変とその対策も構えていた。
 スタッフは朝から準備開始、その暑いこと、暑いこと、始まるまでに相当力を使い果たしたようだ。
 私が到着した3時前は、まだまだ暑く、ここへ高齢者が出てきて本当に大丈夫か、と心配したが、開会の4時になると、急に涼しい風が吹き、暑さも収まりむしろ心地よい中での祭り開始となった。
 子どもたちの踊りや歌、八木節、ブラスバンド等いつもながらの企画を見ているうちに2時間は過ぎ、永源寺を明るく照らす提灯が目立つようになった。
 みたけ祭が終わると秋、というのが例年の気候だが、今年はどうなるか。
 多くの参加者の楽しそうな交流の様子を見ることができただけでもありがたい一日だった。

 午前中は「世界最古の洞窟壁画・忘れられた夢の記憶」という映画を観た。
 フランス政府がはじめてショーベ洞窟内の撮影を特別許可した貴重な映画。
 30000年から40000万年前に書かれた動物たちの壁画がある洞窟の中の様子を撮ったものだが、人間の命の連鎖が今に続いているかと思うと、どのような流れで繋がってきたかはわからないが不思議な感慨を覚える。
 この洞窟から30キロほどのところに原子力発電所がある。
暖かい排水のなかでワニが大量繁殖し、真っ白のワニも生まれた。
 これらの現実の前に、生物の命の連鎖はどのような未来をもたらすのか想像もつかなくなる。それでも連なっていくのが命だ。
(シネマテーク高崎で9月28日まで。)

2012年9月16日日曜日

〈9.30岩倉・水辺の森フェスタ〉への準備作業


芝生のフェスタ会場

森の中も会場となる

草刈りに励む姿はさながら「人民工作隊」

 町との協働をうたった〈岩倉・水辺の森フェスタ〉が9月30日、角渕地区の岩倉・水辺の森公園で開かれる。
 この公園は多額の費用をかけた割には人が集わないのが難点なので住民有志群が「水辺の森有効活用実行委員会」を結成し、まずは人集め、として企画したもの。
 当日は模擬店、ダンス、コンサート、子供の遊び場など盛りだくさんの企画を準備している。
 今日は、当日イベントの前段作業として周辺の環境整備、平たく言うと草刈りや枝落としの作業をボランテイア20人ほどで行った。
 私も岩倉橋のり面の草木を鎌で刈る作業をしたが、30分ほどでハヘハヘ状態。
 朝のまだお天道様も東の方にある状態だからまだよかったが、命の水があっただけでも嬉しい。
  残りの作業は22日行う。

 今日はこれから「中帰連」50号の〈真の「和解」を求めてー中帰連精神とその継承〉荒井信一茨城大学名誉教授と姫田光義中央大学教授の対談などを読み進める予定だ。
 集中するので、「暑いから涼みに行こうか」などと誘惑せんといて。断れない性格なもんで。





2012年9月15日土曜日

9月議会も終わり、これから「議会だより」づくりなのだが・・

14日で9月議会が終わった。夕方から恒例の町側と議会側の懇親会が行われ、それぞれの意見交換が交わされた。
しかし、議会広報委員会はこれから仕事が始まる。
玉村町議会だよりの発行に向け原稿書きがまずあり、その締め切りが18日となっている。
 この3連休で仕上げるわけだが、始めてみると、あれやこれやと細かいことが気になりなかなか進まない。しかし、休みで人も来ない環境はこういう事務仕事にはうってつけだ。
 と思ったら、郵便物が届いた。中は久しぶりの「中帰連」の50号。パラパラめくりで読み進む。
〈中帰連とは無順戦犯管理所に収容されながらも結局、中国の寛大な人道主義政策に基づく裁判で起訴免除、即時釈放されて帰国した元戦犯たちが「反戦平和と日中友好」の運動を展開するために結成した組織である。
この人たちに共通する信念は侵略戦争と加害の責任を認識し、二度と戦争はしない、再び中国と戦矛を交えないというところにあるが、そうした政治的信念・信条以上に、彼らを結束させたのは、中国政府、中国人民の寛容さ、怒りや恨みや憎しみを越えて彼らに人道的に対応し、粘り強く教育・教化してきた情の厚さにあったように思われる。
 彼らが帰国するに際して、ある中国管理人が「もう二度と武器を持ってこの大陸へ来ないでください」「日本へ帰ったら、きれいな花を咲かせて幸せな家庭を築いてください」と言って朝顔の種をくださった。
 それを私たちは「赦しの花」と呼ぶが、その無順の花を帰国後、見事に咲かせたのは日本人だったのである。
 しかし、日本について言えば、今、過去の「ファシズムという名の妖怪」がまたぞろ表舞台に這い上がろうとしているように思われる。
 人気取りのために一部の政治家や学者、論者がまき散らす暴言、妄言、歪曲、ねつ造・・・なんでもありがファシズム前夜の特徴であり、その拡大のための思想的・精神的な下地作りである。
 少なくとも今、危険な兆候に目を瞑ることだけはできない。
「過去を忘れるものは同じ過ちを繰り返す」からである。〉
 との前書きで始まる本書だが、元戦犯の人たちのほとんどはこの世を去り、「無順の奇跡を受け継ぐ会」が2002年に誕生し今日に至っている。
 歴史を学ぶことの大切さと難しさを今日の日中、日韓、日朝関係は教えてくれている。
 「領土問題は後世の人たちの知恵に任せよう」と折り合いをつけた田中角栄や毛沢東、周恩来が生きていたら、今日の両国間の荒れように怒り出すだろう。
 しかし、国家という時にやっかいなものが障壁になっているのであり、人民間に争い事があるわけではない。
 愛国心だの国益だのという言葉に煽動されることのないよう喚起したい。
 中国、朝鮮、ベトナム、イラン、イタリアなどに足を運び、そこの歴史や人々の暮らしぶりに接してみたい。
 みんな同じだということがわかるだろう。
 

2012年9月13日木曜日

オオスズメバチにご用心

 玉村町の川井地区の川井沼は町で唯一の自然の釣り場だ。
そこで糸を垂れていた釣り人がハチの動きを察し、あたりを見回すとスズメバチが飛んでいるではないか。
 巣の駆除を依頼された業者が調査すると、なんと地中に巣をつくるオオススメバチとのこと。斥候が飛んでいたに過ぎなかった。
地中1.5㍍程まで巣はあるらしい。
 このオオスズメバチはかなり危険な蜂で、刺されると人間の命さえ危うくするという。
 結局、オオスズメバチの活動期の今をはずしての作業になるらしい。
中央の細い木の根っこあたりに巣はある。危険です。

ここから見ると中央の木の奥の木の根っこあたりに巣はある
のどかな川井沼
 町は危険のお知らせと巣のある木をテープで囲み、近寄らないようにしているが、その程度で大丈夫かなあ。

「一粒の麦・地に落ちなば」伊勢崎で盛況に上映会

上映前にあいさつする角田義一さん

500人の会場は満席

交流会では池田博穂監督との話もはずむ
 準備期間は約1ケ月と短かったが、塚越紀一県議を実行委員長に据えた仲間の動きは速かった。
 チケット1000枚を用意し伊勢崎・玉村地区をそれぞれ分担し、さーっと流し、売り歩いた。
結果、500人席満席となった。
 この間、数カ所の上映会で角田さん自身、チケット配布のコツ、出席率まで読んでいるので、効率の良い上映会となった。
 この映画、観るのは2度目だが、1度目とは違ったモノが見えてくるから不思議だ。1度目では見逃していた場面にも気づかされた。
 青春時代を暗黒の戦中で過ごした角田儀平治先生の正義感と情熱、人間愛が全体を通して描かれている。
 今生きる者に、このように生きてもいいんだと、教えてくれているようだ。
 現実、池田監督は、反原発の映画を撮りだした。
 9月議会の最中、井野俊郎伊勢崎市議など多くの自治体議員や貫井玉村町長も観てくれたのが嬉しい。

 終了後、市内のホルモン亭での池田監督や角田さんを交えての交流会となったが、これまた大盛り上がり。
 このホルモン亭で食べるのは3度目だが、実にうまい。
お世辞抜きでうまい。
 

2012年9月9日日曜日

藤岡市成道寺で関東大震災朝鮮人犠牲者慰霊祭

 1923年9月1日の関東大震災に際し、デマ・流言飛語により全国で6000人とも言われる朝鮮人が日本人の手により虐殺された。
 藤岡市でも9月5日、藤岡警察に「保護」されていた朝鮮人17人が、警察に乱入した自警団により虐殺された。
 当時の藤岡警察は成道寺の隣にあり、当時の藤岡町長の依頼で成道寺に埋葬された。
 以来、墓地には犠牲者の慰霊碑が建てられ、先代の住職自筆による当時の状況が書かれている。

〈流言や官民やや狼狽の色ありて、各県皆在郷軍人会、青年団、消防団を持って自警団を組織し、各自獲物をもって昼夜警す。
ただし、警察、役場より通知を発し組織せしむ。なお、警察は自警団に対し朝鮮人を発見次第警察に同行して来たれと命ず。
ときに人心激高の極みに達し、朝鮮人と見れば皆敵国人を見るがごとく、殺気充満す。
たまたま、新町鹿島組配下岩田金治郎方に雇いし者12名、他より5名、当藤岡署に保護す。
民衆9月4日武州本庄町神保原にて百数十人撲殺の実況を視察し、藤岡もかの例にならい、国賊朝鮮人を撲滅すべしとなし、警察に談判すること数日、ついに夜8時ごろより10時、民衆数千人警察前に集まり、拘置所を破壊し、16人引き出し、門前にて撲殺し警察に並べて死の山となす。
なお7日の夜、民衆非常に激昂し、残りの一人の朝鮮人を拘置所より出し、殺し、警察を破壊し、8時より11時までまったく無警察状況となり。
乱暴すること非常なり。当夜警鐘を乱打す。
18日町役場より命を受け岡住豊吉(朝鮮人の日本名)ら17名の朝鮮人の死体を集め大葬す。即ち、遺骨は成道寺墓地に埋める〉

 事実、こういう惨劇が日本中で起こったのだ。
このようなことを二度と繰り返さないためにも、被害者の供養と日本人の反省、そして日朝、日韓の友好親善を誓い合う場としての「慰霊祭」が8日、成道寺で行われ多くの人が参列した。
 国会議員としては桑原さん、三宅さん、自治体議員も何人か参加した。県民会議の猪上さん、藤岡副市長はかなり踏み込んだあいさつをした。
 地元の人は、親から当時の社会の雰囲気や虐殺の模様を伝え聞いているので決して過去の事ではない。

 この関東大震災に伴う朝鮮人虐殺事件は、驚くことだがほとんど真相解明が行われていない。政府がまったく動かないのだ。
この政府の不作為がどれほど日朝、日韓関係に悪影響を与えているか想像すらしないようだ。
 一方、拉致事件に関しては声高に叫び、「経済制裁」も思いっきり発動する。
「加害」という自分の都合の悪いことには口をつぐみ、「被害」ばかりを主張する態度はどう見ても「美しい日本人」の態度ではない。

 維新勢力がいよいよ政党化し、その橋下徹の膝元へ草木もなびくように国会議員指向の面々が恥ずかし気もなくすり寄る。
 維新は本質として、自民党以上に国家主義、極右政党であることをわかってんのか。
 働く者や弱き者との共生など一切関心なく、力ある者の政治を有無を言わさず貫徹しようとする許しがたい政党だ。
 こういうときだからこそ、歴史の事実に学び、そこから未来を見据える運動が求められる。そのひとつがこの「慰霊祭」だ。




 

2012年9月7日金曜日

毎朝の散歩コース

朝の東部スポーツ広場


サイクリングロード


竹藪に挟まれた道、ここが好きな場所

伊勢崎へ向けた橋の準備も進む

右は利根川

大豆畑とトウモロコシ畑
スポーツ広場から見た利根川
 朝の日課は6時頃からの散歩。とにかく暑い日々が続くが、朝はさすがに秋を感じさせる涼しさだ。
 約4キロほどだが、利根川沿いのサイクリングロードを下之宮から小泉あたりまで回り、途中東部スポーツ広場を周回する。
 下之宮地区には道路両側に竹藪のある場所があるが、そこが一番お気に入りの場所だ。うっそうとした感じがいい。ひんやりと涼しいのだ。夜はさすがにチト怖い感じだが。
 平成26年開通予定の広幹道の伊勢崎市との橋もここから架かる。
 年齢を加えてきたためか、早寝早起きになってしまい、夜遊びしていた頃が嘘のようだ。
 7時過ぎには床に入ると言っていた両親を笑っていたが、本当に自分もそうなるのだ、と実感する。
 犬を連れて散歩する人も多く見かけ、名前こそ知らないが顔見知りになった人たちもいる。
 朝のひととき、ここから毎日が始まる「哲学の道」。しかし「雨にも負けず、風にも負けず」とはいかない。
 雨が降れば休み、風が吹けば休み、エエ加減にやってます。

2012年9月5日水曜日

どうなる衆院選・群馬2区事情

 石関たかし、いよいよ民主党を脱走し、「橋下維新」に合流する。 
 時流に乗り、国会議員としての身分だけを確保しておきたいという、石関らしい身の振り方だ。
 小沢一郎を「革命家」とばかりに心酔した石関は、小沢とともに歩むべきを、あまりの小沢批判のまえに、このままでは生き残れないとの打算がはたらき、無節操にも「橋下維新」の軍門に下るということ。
 
 薄っぺらな「橋下維新」の化けの皮も早晩はげ落ちるだろうが、今を乗り切ることが石関にとり一番大事、そのときはそのときで「臨機応変」に対応し、自分だけ生き残れればそれでいい、これが石関の身上だ。
 語るに落ちる、とはこういうことだ。
 
 民主党群馬県連内の300万円ほどの金額の使途を「不正」とし、何年にもわたり理もなく追求し、県連を混乱にたたき込んだ張本人の石関たかしだが、今回の民主党脱走劇で、県連から多額の資金を持ち出そうとしている。
とんでもないことだ。一円も持たせず、追い出せ。
 民主党に詫びて出て行くのが筋だろうが全くの無節操漢、2区から石関を追放する必要がある。
 しかし、対する自民党陣営、井野俊郎2区支部長の山本一太への差替えの議論が未だある。
 形式はともあれ公募で選ばれた人物の差替えなど、ましてここに至って議論する事は利敵行為だろうに。




2012年9月2日日曜日

「かぞくのくに」「サニー」を連続鑑賞

 久しぶりの雨模様となり、田畑も街並みも一息ついた気分だ。
こんなときはシネマテーク高崎で映画鑑賞。

 「かぞくのくに」
 1970年代に朝鮮に帰国事業で移住した兄が、病気治療のため3ケ月だけ日本への帰国を許され、家族や友人と再会するが、治療も始まらない中、突然、「明日、朝鮮へ帰国するよう」との指令が来る。
「こういうことはよくあるんだ」という兄に対して納得のいかない妹や家族。
 分断された民族の厳しい現実のなかでも、たくましくしなやかに生きていく家族を描く。
 安藤サクラと井浦新の共演が素晴らしい。

「サニー」(永遠の仲間たち)は学生時代の女性の仲間たちが40代になり再会するまでの話だが、これも楽しくてまた泣けてくる。
 誰もが人生は全うしなければ、と感じさせる人生賛歌の1作。

どちらもシネマテーク高崎で9月7日(金)まで。
 

 

2012年9月1日土曜日

8月最後の高崎駅西口金曜日集会

 8月最後の高崎駅西口金曜日集会は総勢100人は来ただろうか。
どこか落ち着きもあるいい雰囲気の集会だった。
首相官邸前まで行くにはチト遠いので、高崎駅前ならという人たちもいた。
 多くの人が「この暑い夏を原発なくても乗り切ったという現実こそが、原発無用を証明している」と発言した。
 経済界を中心とする一部推進派にこれ以上だまされてはいけない。
 原発なくても電力は間に合うという事実を政治的な力に変え、脱原発に国策を転換させなくてはいけない。それには街頭で声を上げることが大事だ。

なぜなら、[近いうち]に総選挙がある。
ほとんどの政党が「脱原発」に近いことを言うだろう。
 民主党ですらマニフェストに「脱原発」と欠かざるを得ない状況だ。しかし、再稼働した野田が代表である限り、脱原発なんて信用できっこない。

 公明党もこれまで原発推進してきた政党であり、得意の方針転換など信用してはいけない。
〈機を見るに敏〉で大衆迎合しながら常に主流派に組みするという属性は見苦しいというしかない。

 自民党は論を待たず原発政策と事故に対して最も責任のある政党。
 9月の代表戦で取りざたされているのが、阿倍、石破ではもうお先真っ暗だ。
 集団的自衛権を容認し、憲法改正を公然と掲げるなど〈政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意(憲法前文)〉した戦後を否定し、「あらたな戦前」を呼び起こす名実ともに右翼政党となるだろう。
 その道(戦争への道)は一歩踏み出したら元に戻れないことをわかっているのだろうか。
 先の戦争でどれだけの悲惨と辛苦を国内外にもたらしたのか、その傷は今でも癒えていないことを理解しようともしない「戦争を知らない世代」の人物が登場しようとしている。
 そしてこの自民党に破廉恥な橋下徹の「維新」勢力が加勢するのだから、そのなんたるかは想像がつくだろう。
 群馬2区では、民主党では分が悪いとみた石関たかしが、恥知らずにも「維新」にくら替えする。
どこが「まっすぐでいいんじゃないですか」だ。
自分の生き残りしか考えない浅薄さに吐き気がする。

 特に若者の置かれている状況が厳しい現在、橋下のアジ扇動にだまされることのないよう注意喚起しなければならない。
 橋下が先頭に立ち、進めようとしている新自由主義政策は、若者にとり一層の苦難を強いることになる。
 道州制は新自由主義の極限政策であり、日本社会のほとんどの雇用形態を非正規雇用に転換し、労働者を不安定雇用に落とし込んでいくものだ。
 現在より一層激しい格差社会が到来し、労働者同士の分断と争い事が続出し社会はすさむ。しかし、それは支配者にとり、彼らに批判が向かわないという意味では都合がいいことなのだ。

 そのことを見越した運動形態が首相官邸前集会等金曜日行動にあるとみる。

 総じて新自由主義に反対する政治勢力、現時点での政策で捉えると、「脱原発、反消費増税、反TPP」、この3点をはっきり示し実際に行動できる政治勢力、政党の力を増大させることと考える。