みんな寿命を全うしようぜ

みんな寿命を全うしようぜ
西表島で会った昼の蝶

2011年1月30日日曜日

玉村チーム13位、「ガラス固化」という原子力専門用語を知っている小沢一郎

100キロ駅伝玉村チームは13位という電話報告があった。1位太田、2位高崎、3位伊勢崎だそうだ。玉村の後は14位藤岡ということだけの報告だったが、言葉ははずんでいた。何せでっかい市のチームと対等に渡り合えた自信だろう。達成感を味わうことは来年につながる。継続は力だ。

ところで、民主党の原子力政策に無関心でいられない。2030年度までに少なくとも14基以上の原子力発電所の新増設をおこなうという内容の閣議決定されたエネルギー政策。民主党全体として、原発の議論を深めたことはなく1部の推進派が主導権を取り、進めているのが実態。
2020年までに温暖化ガス削減を1990年度比で25%の削減を目指すという目標に関し、「原発は運転では二酸化炭素を出さない」として原発推進派に利用されてしまった。
前原誠司外相も「原発は安全かつクリーン」と主張している。しかし、「二酸化炭素の排出という意味で申し上げた」と言い、それだけで原発はクリーンと言い切る無邪気な民主党議員が多すぎる。 
 「暴走する民主党の原子力政策」という「金曜日」の記事から抜粋するが、1月17日、「小沢一郎懇談会」が赤坂で開かれた。「民主党はもっと自然エネルギーや代替エネルギーの開発に力を注ぐべきではないか」という質問に答えて小沢は言う。「原発はやはり過渡的エネルギーだ。低レベル放射性廃棄物も一杯になってドラム缶に入れてそれぞれの原発に置いているが、高レベル廃棄物に関し、ガラス固化の技術が完成していない。ガラス固化というのは日本ではまだ危ない。地下水がほとんど全国通じているので、割れると、全部地下水に入ってしまう。最終の高レベルの処理技術は完成していない。」
 これを聞いた記者・伊田浩之は驚いた。小沢の口から「ガラス固化」という専門用語がすらすらとでてきたことに対してだ。日本では、極めて放射能が強い廃棄物を「ガラス固体化」させ、(人がそばに立つと20秒ほどで死亡するとされる)、地下300㍍以下に「最終処分」する計画を持っている。しかし、そこには豊富な地下水があるのだ。

 小沢一郎を批判するだけでなく、単純・薄っぺら・困った君の原発推進議員連中を野放しにしておく方が危険だと認識した方がいいかもしれない。
 

2011年1月29日土曜日

群馬100キロ駅伝 玉村町チーム結団式


明日の100キロ駅伝に出場する玉村チームの結団式が2時から行われた。38000人の人口の玉村町から12人の選手を送り出すのは大変なこと。太田市にはスバルが、伊勢崎市には上武大学があり、スケールメリットもまるでない我が町はだからこそ自力で疾走する。仕事や卒論提出で結団式にも参加できない選手がいるなどアマチュアの雰囲気があふれるベストのチームだ。
昨年の11位から今年は8位を目指すという田中島務監督の鼻息も荒い。

丁度同じ時刻、前橋市内グリーンドームで後藤新県議の「新年のつどい」が開かれていたが、そういう事情で参加できなかった。先週、後藤さん本人から直接、電話をいただいたが、丁重にお断りし、連れ合いと友人に参加してもらった。なにせ、7月の群馬県知事選への出馬表明も兼ねた集会なので参加したかったが、残念だ。彼は50歳の若さの割には、落ち着いたものの考え方をし、広く物事をとらえることのできる人だ。いいと思うよ。

2011年1月23日日曜日

菅政権は朝鮮高校への「授業料無償化」を決断しろ。

 


昨年から積み残されていた忘年会を新年会に切り替え、朝の妙義山に浮かぶ月を目に焼き付け、仕事で埼玉県の比企郡吉見町に行った。互いに都合を付けての仕事だが、30分程度で終わったため、久しぶりに百穴に向かった。遠くへ行った時、時間があれば必ずその辺をうろちょろする習性があるのだ。
 
「吉見の百穴」は1300年前の古墳時代末期の横穴墓群で当然歴史遺産だ。そこを歩いて行くと大きな坑道の入口がある。地下軍需工場跡地だ。太平洋戦争末期、各地の軍需工場が米軍に攻撃され大被害を受けたので、この地に軍需工場を建設しようとしたのだ。戦争の論理、軍の論理は歴史遺産など関係なく、今の戦に勝てるか否かが一切の判断の基準になる。バーミヤン遺跡を爆破したタリバーンのようだ。事実、古墳時代の遺跡の相当部分を破壊し、地下に大坑道をつくり、本格的生産に着手する直前終戦となった。現在は百穴と軍需工場が合わせて歴史遺産のようになっているが、敗戦がもう少し遅れていれば、遺跡もろとも軍需工場が破壊されただろう事は予測できる。その意味で、ここにも歴史の教科書はある。そしてもう一つ忘れてはならない事は、軍需工場建設に動員されたのは、全国からかき集められた朝鮮人労働者という事実、3000人から3500人の朝鮮人は昼夜を通した突貫工事で、ダイナマイトによる発破などの危険な作業を強いられた。人海戦術の作業だった。敗戦後、掘削工事に従事した最後の朝鮮人の帰国に際し催された懇談会の席上、朝鮮と日本の平和を希望したムクゲの木を植樹することになり、今でもそのムクゲは育っている。

 大日本帝国の朝鮮植民地政策により日本に来て、強制労働に駆りたてられ、戦争に動員され、さまざまな困難を日本人以上に強いられた数多くの朝鮮人の子ども達、孫達が現在の在日朝鮮、韓国人だ。歴史的経緯からしても日本政府は彼らの生活保障に責任が有ることを自覚すべきだ。在日朝鮮人、韓国人に対してこそ真っ先に手をさしのべるべきと考えるが、何故、「高校授業料無償化」から朝鮮高校だけを排除するのか。
 こんな事をしているから日朝国交回復も「拉致問題」もその入口にさえ入っていけないのだ。在日の子ども達からうらみを買うような教育差別は未来に尾を引く。気まぐれな「支持率政治」でふらふらすることなく、「日本にいる子ども達の教育は均しく政府が責任を持つ」として毅然とした姿勢を示せばいいだけのことだ。菅政権はしっかりしろ。

 「記憶・反省そして友好」の追悼碑を守る会の要請書が送られてきたので、無断掲載する。



2011年1月16日
内閣総理大臣  菅 直人 殿
内閣官房長官  枝野幸男 殿
文部科学大臣  高木 義明 殿
                             
                                「記憶 反省 そして友好」の追悼碑を守る会
                              
    朝鮮学校への「高校無償化」即時適用を求める要請書
 今年4月に施行された「高校無償化」法から朝鮮学校だけが「一時除外」されている状態が、いまも続いています。これは民主主義の原則に反する重大な差別・人権侵害であり、また戦後ずっとつづいている在日朝鮮人の民族教育への弾圧の一貫であって、許されるべきことではありません。ゆえにわたしたちは、朝鮮学校への一刻も早い「無償化」適用を、文科省および政府にもとめてきました。
 昨年11月5日、文科省はようやく、朝鮮学校への適用の審査基準を「正式決定」しました。たびかさなる結論引き延ばしがあったにせよ、これ自体はきわめて妥当であり、評価されるべきことです。しかしながらその矢先の11月24日、前日におきた大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国との砲撃戦を受けて、朝鮮学校への適用にむけた手続きは停止させられました。わたしたちはその直後に、この不当きわまりない措置に責任のある菅首相、仙谷官房長官、高木文科相に、同措置への抗議と即時適用の要請を申し入れました(11月29日)。
 それから1ヶ月あまりが経ち、年も明けてしまいましたが、いまだ手続きは再開されていません。しかもそのあいだに、新潟、北海道など多くの道県ならびに市区町村の自治体が、朝鮮学校を無償化から排除することを求める意見書を決議し、朝鮮学校を「反日的」などと見なす悪質な風潮を煽っています。こうしたことにも、今回の政府による「手続き停止」は責任があります。昨年2月以降、政府があれこれと理由をつけて朝鮮学校への適用の是非を取り沙汰するたびに、社会や地方自治体で排外的風潮が煽り立てられてきました。それと同様、今回の「手続き停止」も、無償化適用を等しく受ける朝鮮学校生徒の当然の権利を妨げているだけでなく、在日朝鮮人全体への差別を煽り立てるものであり、二重に許せません。
 高木文科相は1月7日の記者会見で、「早ければ来週にも」手続きの再開について菅首相と話し合うと発言し、「年度内に無償化の是非を決めるのが難しいという意見もあるが、努力していきたい」と付け加えました。年度内に適用の是非を決めるためには、もう時間がありません。もし今年度に適用がなされないならば、朝鮮学校高級部を卒業する生徒たちに対しては、現在進行中の「適用除外」による差別を埋め合わせることが、永久にできなくなるでしょう。そうなる前に、一刻も早く、朝鮮学校への無償化適用手続きを再開させるべきです。
 したがって、わたしたちは日本政府および文部科学省に、以下の通り要請します。

1.朝鮮学校への「高校無償化」法の適用を、すみやかに最終決定すること。
2.朝鮮学校の教育内容に対して介入しないこと。
3.朝鮮学校への適用の審査には「外交上の配慮」を含めないという政府の方針を堅持し、日本政府と朝鮮民主主義人民共和国政府との間にいかなることがあろうとも、朝鮮高校への「高校無償化」適用の手続きを停止したり、これまでの決定を覆したりしないこと。
4.本来ならば「高校無償化」法が施行された2010年4月までに結論を出しておくべきものを、いまだ結論が出ていないという事態について、また、政府の態度が結果的に朝鮮学校への差別を煽ったことについて、朝鮮学校および生徒と保護者に謝罪すること。

2011年1月22日土曜日

連合伊勢崎地協新年会から「うなぎ仙龍」へ

プラザアリアで連合伊勢崎地協の新年会があった。伊勢崎市長、玉村町長の他、塚越紀一県議、矢島征司、多田稔両伊勢崎市議と私が連合議員墾議員ということで参加した。新年会はこの1年の活動について、特に4月県議選での塚越紀一さん5選へ向けての総決起が訴えられた。懇親の後半のビンゴ大会の盛り上がりは,男所帯としてはかなりのものだった。
終了後、帰ろうとロビーに出たら、2階の別の宴会を終えてきた定方英一伊勢崎議長とバッタリ遭遇、私と多田議員が人質となり、夜の町へ。2軒目に行ったところがなんと「うなぎ仙龍」、夜10時を過ぎてうなぎを食べるというのもすごいが、注文の仕方もすごい。そしてその店こそ私自身が探していた店だった。20年程前、八坂町の歩道橋あたりで営業していたお世辞にもきれいとはいえないうなぎ屋。店主が変わっていて、注文してからできるまで1時間はかかるが、急かしても「嫌なら来なくていいよ」という調子。お世辞一つ言わずにボツボツと嫌みを言うことも。そんなオヤジさんに何とはなしに惹かれる客もいるらしく未だに店は続いていた。老けてはきたが元気で鰻に串を刺す姿は健在だった。
 こんな妙なうなぎ屋の常連なんだから定方の親分はやはり善人だ。しかし、飲み方も食べ型も型破りなのには驚きました。

2011年1月20日木曜日

4月県議選に向けて各地で動き出す。


玉村町は無投票となりそうだが、周辺市では激戦が予想され各陣営もにわかに動き出した。
 18日は伊勢崎市内で塚越紀一後援会の新年会が300人以上の参加者を集めて賑やかに行われた。五十嵐伊勢崎市長や市議会議員そして角田義一弁護士も参加して大いに喝を入れてくれた。上滑りにならないよう攻めの運動をすすめる事を確認する会となった。

 19日は前橋の小川あきらさんと前橋市役所近辺の私の知り合いをあいさつ回りした。若いわりにしっかりした彼女の考え方や話しぶりに誰もが感心したようだ。「若い正義が群馬を変える」20代で社会の矛盾を正すべくまっすぐ見据える人を私の周辺では知らない。厳寒の季節、早朝から動きだし、弱音を吐かず、自分を信じ、市民を信じ、歩き続ける小川あきらさんの姿に、次第に多くの市民が突き動かされるようになってきた。近いうち一気に駆け上るぜ。

 そして20日夕からは、高崎市内の事務所で角倉邦良県議の選対発足会、田辺誠さんが寒い中、わざわざ駆けつけ県議と参加者を心を込めて激励していた。田辺さんの顔色も良く、参加者の面々の面構えもいい、4月選挙に向けた仕掛けもありそうなしまった会議だった。自律して選対が動き出している。その証に,私の2月の日程を早速入れられた。

2011年1月17日月曜日

小泉政権を上回る新自由主義政策内閣では困る

菅政権が内閣改造をした。奇しくも東京1区選出の海江田、与謝野コンビでTPPと消費税増税を企む布陣となった。
 TPPはもともと、シンガポール、ニュージーランド、チリ、ブルネイの4ヶ国が06年に結んだ自由貿易協定が発端をなす。そこにアメリカが参加し、オーストラリアなど計9ケ国で交渉が行われており、今年11月のAPECまでの妥結を目指している。アメリカは日本の「東アジア共同体」構想を潰すためにこの道を選択したのだ。
 最大の問題点は、関税の100%撤廃、これで農業は壊滅状態になり、農林水産省の試算ですら「国内1次産業の生産高は半減する」とされる。
「食料品が安くなるから農産物自由化を」というが、このことにより、安全と労働力の再生産費を下げることで、賃金の切り下げとなる。デフレはさらに加速される。
参加する9ヶ国と日本の国内総生産を合計すると、日米両国で9割を占める。実質的には、日米自由貿易協定、本質を言えば日米経済争闘戦といえる。事実、アメリカが要求しているのは、単なる貿易品だけではない。全ての金融・サービスや労働、社会福祉分野での規制緩和を強烈に要求してくる。日本郵政が囲い込んでいる膨大な金融部門、農協などが運営している大規模共済事業(保険)などをアメリカのハゲタカ金融資本に差しだすことを要求してくる。
「労働力移動の規制緩和」がうたわれ、国境を越えた安い労働力の移動が自由になる。それがもたらすものは、日本の労働者の低賃金・リストラ・解雇・労組破壊だけでなく、アジア人労働者の強搾取・奴隷労働化の道だ。国内では外国人排斥運動などが起こり、社会はいっそう荒む。
TPPは新自由主義の最たるもの、経済を大資本の自由にさせ人間はその尊厳すら奪われていく。
 そしてTPPそれ自身が「経済のブロック化」であり、戦争への道であることを歴史から学ぶ必要がある。現に新防衛大綱にみられるように軍事大国化へと舵を切りつつある。
 菅直人首相自身が東京選挙区、所詮、地方のことには無理解なのかもしれないが、あまりにも軽薄なのにはあきれている。自民党にすらできなかった事を民主党がやってくれるなら財界は大喜びだろう。

2011年1月13日木曜日

第84回キネマ旬報ベストテン


 土田君から早速ニュースが届く。平成22年公開の映画を対象としたキネマ旬報ベストテンが発表され1位が「悪人」という。彼は「そんなにいいとは思えないけど」としきりにぼやく。
しかしだ。2月13日に玉村町で上映する「ヒーローショー」が8位、「川の底からこんにちは」は第5位という。
高崎映画祭での評価(ヒーローショーで井筒和幸監督に最優秀監督賞)といい、この2本は少なくとも昨年の映画のなかで優れた作品の10本に入っていることは事実のようだ。
 荒んだ社会の現実を見据え描ききった作品としての評価だろう。若い人たちに観てもらい、今の社会を考えるきっかけになれば何よりの歓びだ。
 井筒監督には制作にかけた思いなどを話していただきたい。

 午後は前橋選挙区から県議選に立候補予定の小川あきらさんを紹介しながら市内を何件か回った。彼女は28才の女性弁護士だ。仕事などを通じて感じた理不尽な社会のありように若者らしいまっすぐな疑問を抱き、政治の問題として解決しようとの姿勢に賛同したい。20代の代表として体制に流される事なく凜と立ち上がった小川さんを本郷たかあき君ともども支援したい。

2011年1月10日月曜日

明日から本格的始動

 昨日は成人式、執行と議会の恒例の新年会、そして今日の消防出初め式を経ていよいよ明日から、この一年が本格的に始動する。
 仕事は勿論、大きな事から小さな事まで議員としての研鑽も積みながら、一日一日積み上げていきたい。今日も午前中は恩師宅への火事見舞い、午後は町内のお悔やみに行った。玉村物産館計画の是非についてJAの理事と話し合い、映画上映会への協力を町商工会長へお願いし、女子大教授による「小林一茶講演会」の企画を練った。

 昨夜観た4時間38分の「ヘブンズストーリー」はその製作の労力に関心した。構想の大きさとそれを形にすることは並大抵のことではない。瀬々敬久監督よくもまあこんな映画を作ったものだ。「ドキュメント頭脳警察」の監督でもあるという。
 復讐をしようと決意しても時が過ぎ、それぞれの生活環境やらが変わってくると、「いざ復讐の時」、意識の半分くらいは「もうやめようか」とお互い考えている。しかし、その時、お互い武器を持ち、挑発的な言葉や仕草が少しでもあると、一気に決闘になってしまう。どちらが死んでも誰も喜ばない。悲しみだけが増幅する。そんな微妙な人間行動を人間再生まで視野に入れて映像化したものだ。錯綜する人間の相関関係も描き出した第25回高崎映画際最優秀作品。
なお2月13日、玉村町文化センターで上映する「ヒーローショー」は井筒和幸監督の最優秀監督賞受賞作品だ。
 

2011年1月8日土曜日

アマゾン奥深く角倉邦良県議事務所を探す。

かねてから場所を聞いていた17号バイパス通りの角倉邦良県議の事務所を確認しておこうと訪ねたが非常に分かりにくかった。アマゾンの隣りというので、眼鏡屋さん当たりを歩き回り、ついには「アマゾン」の奥深く入ってみたが、あるのは色とりどりの女性下着と大人のおもちゃ類ばかり、当然、一通り点検もした。明日は姪が成人式だから1枚しゃれた下着でも買ってやろうか、とも考えたが、どうせ、姪からはあきれられ、妹には怒られるのが目に見えているから、自分の目に焼き付けるだけにした。
アマゾンを挟んで眼鏡屋さんの反対側の店の奥に大きな顔のポスターがあるではないか。ここだ。県議に電話すると、地元を歩いているという。高崎市も広くなったから、県議候補者は大変だ。大海原での集票活動は小さな町の町議選とはそのスケールが違う。佐波郡選挙区は甘いね。
平地あり山ありの高崎選挙区での力勝負に本気で挑んでいる事に敬意を表したい。私もこれまでの人生の中で築いたささやかな人脈を全て動員するつもりだ。
疲れた時はアマゾンの密林で休めばいい。その意味でもいい位置にある事務所だ。

2011年1月7日金曜日

厳寒の箱石少林山


今年も箱石少林山の日がきた。早朝から勢いのいい太鼓の音が村中に響き渡る。しかし、人の出は高崎少林山と比ぶべくもない。店も小塚さんのダルマの出店1軒だけ。小塚さん自身82才ということもあり、今年から長男がお出まし。小塚さんの奥さんがきているので買い物客との顔つなぎはできるが、ここでも世代交代が起きている。とはいえ、箱石少林山には南玉、箱石、下之宮、小泉方面から結構、ボツボツ縁起物のダルマを買いに人はくる。賑わいとはほど遠いが、この店が来なければ、箱石少林山は、北風に吹かれる北向きの庵を拝むだけの厳寒の中の祭りだけということになり、中で参拝客を迎える当番の人は寒中修行をするようなもの。本当に寒いんだから。その当番が来る年が怖いよ。

 たくさんの人が集まり賑わった子どもの頃が懐かしい。今日から小学校は始まったけど、あの頃、学校はいつまで休みだったのか覚えていない。勉強した記憶がないんだからすごい少年時代だった。
 いっそ正月にもらった小遣いを子どもたちに持たせ、半日、縁日の雰囲気を味わわせ、午後から学校へ行くようにして、祭りを盛り上げようなどというと、学業に差し障るなどと反論されるのが関の山のようだ。しかし、子どもは友達と外で遊ばなければ健全に成長しない。あの頃確かに子どもは風の子だった。

 知っているだろうか。かぐや姫の歌だ。

( ひとりきり)
鳥は鳴いて、川は流れて、野山は今花が咲き乱れ
汽車はゆくよ 煙はいて トンネル越えれば竹中だ

こんな楽しい夢のような こんな素敵なところは
もう今はない もう今はない もう今はない
今はない ひとりきり

太鼓が響き 御輿が繰り出し いよいよ待ちに待ったお祭りだ
親戚が集まり 酒を呑んで 今年は豊年だ

こんな楽しい夢のような こんな素敵なところは
もう今はない もう今はない もう今はない
今はない ひとりきり

2011年1月5日水曜日

あきれた「イージス艦4隻で日本列島を固めろ」論

賀詞交歓会が文化センター大ホールで盛大に行われた。貫井町長あいさつも説得力あるもので今年にかける意欲が感じられた。宇津木議長も井田県議もいい。しかし、石関たかしはひどい、あらためてその危険性を露わにした。「イージス艦は一隻2500億円で、4隻買って、尖閣沖に2隻、北方領土に2隻配備すればいい」などというではないか。「菅内閣をだらしない政権」と言いなし、その突破を訴える。ナチスのファシスト突撃隊そのものだ。軍艦外交を煽る姿は戦時中の「愛国・軍国少年」だ。これまでも保守政治家はいくらでもいた。しかし、実際の戦争を体験している世代は、その余りの残酷さゆえ、戦争回避の道を政治の中で探ったものだ。後藤田正晴しかり、宮澤喜一しかり、野中広務しかりだ。彼らは憲法擁護で戦争のない道を求めた。
しかし、戦争体験のない世代の観念右翼は始末が悪い。国益のための戦争ならやってやろうじゃないか、と鼻息を荒くする。「戦争も辞さない姿を見せて」世論を扇動しようとする。そういう手合いが国会議員になるのだからたまらない。
 民主党群馬県連がまとまる訳がない。菅政権を「だらしない」というなら民主党を脱党し、野党として攻撃すればいい。
 これから進むべき道を誤らないためには、我々自身が戦後政治はどこから出発したのかを思い起こす必要がある。

2011年1月4日火曜日

社会は生き物、変わりながら生きてゆく。時代を見極める眼を。

菅直人は首相失格だねえ。年頭のあいさつで小沢問題をその第一に挙げ、小沢を排除することにより支持率の回復を狙っているらしい。野党はそんな事で妥協はしない、次の難題を突き付けて政権を追いつめる事は分かっているだろうに浅はかな政権だ。
「政治とカネ」は問題ですか、と問われれば、誰もが「問題です」というのは当たり前のこと。大衆迎合もここまでくると危険水域に入る。菅政権は対米追従を一層進め、新自由主義政策を加速しようとしている。自民党以上に危険だ。
私は小沢の政治理念や強引な手法に反発するが、今の政治を考えると、少なくとも松下政経塾上がりの頭でっかちの薄っぺら政治家連中より全然、小沢の方がましだ。
 清濁併せ飲む事ができる小沢はアメリカにも一定ものが言えるし、中国外交もできる。田中角栄は中国にとり「最初に井戸を掘った人」だ。その流れを小沢は継いでいる。外から軽く見られない事が必要だ。菅の次は誰だい。前原、岡田、野田、枝野あたりじゃ瞬時に吹き飛ばされてしまう。外交、国際政治は甘くない。この政局はワルの小沢を使わなきゃ乗り越えられないのではないか。なにせ彼は67才だからそう長くはない。このこともいい。
 ワルの小沢を使い、自民党をあっと言わせ、短期間でその役を終えてもらうのが現実的でそれこそが政治。納得できる政治をすれば「政治とカネ」の問題は後景化するし、ワルだからできる善政もあることを我々大衆が認識すべきだ。透明、公正、公平だけを売りにし、あばら骨が透けるほど身ぎれいになっても、庶民が右往左往し、明日の糧にも困るような政治をされたのではたまらない。頭でっかちな「単純、まっすぐ困った君」のアマチュア政治家が横行している。「彼らの正義」が戦争への道へとつながっていくことを歴史は教えている。

4月の県議選は重要な位置を占める。まっとうな議員を県政に送り出す必要がある。群馬には八ッ場ダムの問題がある。力ある議員として高崎市から角倉くによし、後藤かつみの二人を押し上げたい。藤岡からは関口しげきさん、前橋からは新人の本郷たかあき、小川あきら、伊勢崎からは塚越紀一さんだ。桐生の大澤幸一さんも勝たなければならない。季節も寒く、世論も厳しい中、勝ち抜いていただきたい。

高校の恩師宅が年末に焼けるというニュースも伝わり、穏やかに始まる一年とはやはりいかない。社会はあらゆる意味で生き物だ。

2011年1月1日土曜日

新年おめでとうございます。気持ちも新たに動きます。

昨年のラストウオークは利根川沿いサイクリングロードの1時間ほどの散歩だった。いつもは朝の散歩だが大晦日の昨日はやることがなくなり夕暮れ時の散歩となった。掃除などまるであてにされていない毎年の暮れは手持ちぶさたとなる。家に居場所がなくなる時期が大晦日なんだからよわったもの。
 非常に寒い昨夕、東部スポーツ広場でテントを張り暖をとっているグループがいるではないか。元旦の初日の出を見るのが目的だろう。この町での最高の初日の出スポットでの厳寒のなかでの挑戦、ご苦労さまです。
 上空を見れば、1羽の鳥が強風の中、体を右へ左へ吹かれながらも西方にある木立に向かい飛んでいった。家族や仲間の待つ巣があるのだろう。果たしてたどり着いただろうか。
 そして新年を迎えた。地元、箱石地区の新年会であいさつさせていただき、養命寺でお札を頂き、母親、兄弟とこたつを囲んだ。午後からはシネマ前橋で「ドキュメント小三治」を観た。昨年も元旦から映画を観たが、なかなかいい気分だ。噺家の道は奥が深いことを感じさせた。

 一方、大晦日で日本航空のパイロットや乗務員100人以上が整理解雇された。日航の赤字経営の責任は労働者にはない。莫大な資金を投資につぎ込み大損したり、3桁の大型飛行機を買い込み膨大な返済や金利負担を強いられたり、採算の取れもしない地方空港に乗り入れたり、とその赤字経営の責任は全部経営側にある。危ない経営のなかで、事故が起きなかったのはパイロットや乗務員がきちんと責任を果たしてきたからだ。経営危機の責任を労働組合に転嫁しようとする姿勢すらみえるがとんでもない。国鉄分割民営化に際し、その国鉄赤字の責任が国労などの労働組合にあったようにマスコミキャンペーンを張ったあの時を想起させる。
 また、こういう時ほど、ベテラン労働者の経験を活かそうという論調にならないのが問題だ。人件費という金額だけを判断目安にする。解雇された人たちはその撤回に向け裁判を起こすという。当然だろう。こんな理不尽なことがこれから民主党政権の中で次から次へと起こりかねない。
 キチンと社会の総意でこのような解雇はいけないと経営側に思い知らせておく必要がある。個人的に日航関係者に知り合いはいないが、だからといって無関心でいてはならない。同じこの時代に生きている仲間ではないか。労働する事以外に賃金を得ることのできない労働者ではないか。連帯の気持ちを込めて書く。
全ては新自由主義政策の転換ということに尽きる。このことなしに労働者(勤労者)に未来はない。

 これひとつとっても穏やかな一年という訳にはいかないようだ。