みんな寿命を全うしようぜ

みんな寿命を全うしようぜ
西表島で会った昼の蝶

2010年9月22日水曜日

玉村中学体育祭



今日は玉村中学体育祭、同時に南中学でも開催された。暑いことは暑いが秋の空のもとみんな元気に跳んだり駆けたりしていた。走りなどは小学校の運動会とは迫力が違う。この時期の体の成長の早いことを痛感する。
平日とあってか、保護者などの見物が小学校運動会と比較し極端に少ない。これらの光景は映画「チルソクの夏」を連想させる。つまり青春なんだよ。
今の教育の中で成長する子ども達が大人になり、体制順応型の単なるお利口さんにならない事を願う。行き詰まった社会に疑問をもつことは若者として大事なことのはずだが、そうなっていない現実がある。教員自身が追い込まれている状況は何とか変えていかなければと考えている。
 そして25日は保育園運動会、これがまた賑やかで楽しい。人生で一番悩みの少ない時期なのだろうか。


何、主任検事が証拠の変造していたと。とんでもないことがやっと明らかになった。みんな驚いたふりをしているが、警察や検事の「取り調べ」により、どれだけ多くの人々がえん罪に陥れられてきたか考えて見た方がいい。松本サリン事件、免田事件、足利事件、袴田事件、狭山事件にしても数えればきりがない。公安事件のほとんどはこの類と言っていい。正義を掲げて権力を民衆制圧のために行使する。これを腐敗と言わず何という。

シネマまえばしが面白い。サスペンス映画の神髄「フリッツ・ラング特集」をしている。私はもちろん、そんな監督を知らないが、「M」を見たら腰が向けるほど驚いた。ベルリンの少女連続殺人事件を捜査する警察がどうしても犯人が分からないので、暗黒社会に毎日手入れをする。暗黒社会としては、毎日、手入れがあっては博打、売春等「生業」ができなくなる。そこで暗黒世界の面々が犯人探しを始める。会議の中での猛烈なタバコの煙が笑える。やっと捕まえた犯人をボスが裁判官役を演じ、弁護人までつけての「人民裁判」はその流れが現代にもそのまま通じる議論を経る。1931年の作品という。レベルの高さに腰が抜けた。
「死刑執行人もまた死す」もすごい。反ナチレジスタンスを描いた最高傑作。
他に「暗黒街の弾痕」「恐怖省」「「マン・ハント」「ビッグ・ヒート」が上映されている。全部観れるかなあ。

2010年9月18日土曜日

午前・芝根小学校運動会 午後 「拉致問題」蓮池透講演会



16日で9月議会は終わり、21年度決算は承認されたが、町執行部に対し因縁をつけるような形での反対討論があり、それは違うでしょうと言う形で反論しておいた。2年後の町長選へ向けた動きだろう。


小学校運動会が町の5つの小学校でそれぞれ開催され、母校の芝根小学校へ来賓として参加した。まだ暑いが、1週間前の猛暑とはうって変わり、秋の気配が感じられるなかでの元気のいい運動会だった。空は青く、小学生の元気な声と勢いのいい音楽で賑やかなひとときだった。子どもの成長を楽しみにする親御さんたちが懸命にビデオを回す姿があちこちにある。秋の始まりだ。しかし、この時期の運動会は少し早すぎるのではないだろうか。これも二学期制の影響だ。

午後は前橋市内で、蓮池透さんの「拉致問題」についての講演会。家族会を除名された経緯や拉致問題解決に向けた彼の考え方を話した。「家族会が感情的になるのは理解するが、政府までが一緒になっていては問題は解決しない。北朝鮮批判をすれば国内受けする事態をつくったのはマスコミの責任でもある。今となってはなんのパイプもなくなってしまった。制裁路線からの転換、対話路線の模索はどうしても必要。過去の清算を含めた具体的な動きを堂々と提示しなければならない。」
弟薫さんとの会話も紹介しながらの話は、当事者しか知らない事なので興味深く聞くことができた。拉致問題を北朝鮮批判のための政治道具にしている政府の対応にこそ問題があることに気づくべきだ。

2010年9月13日月曜日

忠治の生きた時代の玉村町 大塚政義講演会



玉村町で3度目の講演会となった大塚政義講演会が八幡宮で開かれた。同時刻、文化センターでの橋幸夫、島倉千代子のコンサートが満員の盛況の中、対抗する形での開催となった。私にとっては5度目の話だが、先生の熱心さもあり、70人程の参加者は結構満足の様子だった。榛名由里の「忠治一代」はやはりプロは違うという圧巻さがある。なかなかいいよ。
 二足のわらじをはかず、反権力で生ききった忠治人気が、どの辺にあるのかをいろんなエピソードを交えての話は相変わらず楽しい。
 大塚先生は水戸天狗党を研究して40年、高崎藩との下仁田戦争を世に明らかにするなど水戸史学の第一人者でもある。忠治研究は15年程という。まあ、人好きで楽観的なひとですよ。「またいつでも講演にきますよ」とにこやかに言う。ありがとうございます。

 11日の大泉町でのサンバの余韻が文教委員会のメンバーにはまだあるようで、玉村町でもやりたいねえ、という声しきり。

2010年9月12日日曜日

平居照朗先生を偲ぶ会を開く


 5月に亡くなった在野の経済学者「平居先生を忍ぶ会」が鬼石町で開かれた。何せ平居さんの奥さん秀子さんと事務局の都合だけで決めた日程なので、日程調整がつかず出席できない人が多かったのは残念ではあるが、参加者はそれぞれ平居先生とのつながりを語り、資本論学習でできた人のつながりを今後も維持したいという共通の思いがあった。
 小林悟先生84才、「敗戦時、大量の日本兵をシベリアに収容し、強制労働をさせるなどした社会主義国ソ連とは一体何なのだろうかと考えていたが、〈武装せる予言者・トロツキー〉のなかでその答えは書かれていた。その本を平居先生は病床でも長女に読んでもらっていた。先生はそのことを理解していたのだろう。トロツキーの思想が今後の革命運動の鍵だ。」と鋭く語る。
 医療器関係器具の製造会社勤務の関さんは、「フィリピンにある工場の中の様子は、まるで女工哀史、時計の針を10分遅らせているのではないかと思えるほどの過酷さ。私は自分の権限で時計を5分進めている。それが資本論学習の成果かなと思う」と述べた。
 さすがひとりひとりがさまざま形で資本論の世界を実践し始めている様子がうかがわれた。女子大の馬場先生も学生時代の登山の様子を、息子さんと参加した山歩きが趣味の秀子さんと語り合うなど、短時間ではあったが非常に濃いひとときとなった。
 最後に秀子さんから、心温まるあいさつをいただき、ひとまず座を閉じた。

 夕方からは、文教常任委員会の5人のメンバーで大泉町の祭りに参加し、サンバの醍醐味を満喫した。ある委員はいう。「玉村町もだんべえ踊りじゃなくてサンバとラップで盛り上げようか」。誰も反対しなかった。

2010年9月8日水曜日

民主党代表選が過熱しているが、そんな脳天気でいいのかい

総理大臣を決める代表選だから、過熱するのは当然だろう。
しかし、どちらにしても展望のない政権とならざるをえない。「資本主義は行き着いてしまった」なかですべてのことは起きている。
 国鉄分割民営化から25年、何が起きているか。「日本航空の再建」の次に来るのは、JR北海道、九州、四国、貨物会社へのテコ入れだ。これらの会社は経営が成り立たないところまで追い込まれてしまった現実がある。国民の足を分割民営化したことで、地域による経営内容の格差が結局、弱いところからつぶれていくという事態を生み出した。利益の上がっている東日本会社が手助けするという発想が出てこない。国民の足を守ると言うところでの支え合いができない体質になってしまったのだ。。
 今度は道州制なるものを導入すれば、結局、国鉄と同じ道を歩むことになる。今言う無縁社会が拡散し、社会は崩壊する。

「資本主義は行き着いてしまった」とは、昨日、一般質問に答えた町長の言葉だが、ああ、そこまで気づいているのか、と思った。

菅も小沢も道州制推進論者、究極の民営化としてすべての労働者を非正規職に置き換えた行政に何を想像できるか。失礼だがコンビニ勤務感覚での対応では、たまりません。

行き着いた資本主義の後にどんな社会を求めるのか、今はそれを考え、実践することだろう。それにしても、ソ連スターリン主義の過ちは大きい。社会主義という言葉が言い出せないほど人々に悪い影響を与えている。

2010年9月6日月曜日

姿勢を正して,中国物産館を久しぶりに訪ねる

明日から9月議会が始まるので、気持ちを落ち着けるためにもと、久しぶりに新町の中国物産館に坂本敬四郎さんを訪ねた。仕事の手を休めていただき、扇風機にあたり、快痩茶をごちそうになりながら、1時間ほど話をした。何せ中国の長ーく濃いエキスをそのまま全身に取り込んでいる人なので、内容は深いものがある。対米関係から対中関係、東洋における日本の位置など、さまざまな観点から繰り広げる内容には、一夜漬けの政治論ではとても太刀打ちできない。
 昨年暮れ、小沢一郎が大訪中団を組織した事を、そのとき知っていれば、「1万人規模の訪中団を提言したのに」と悔やんでいた。「民主党代表戦は小沢一郎でいきましょう。2年くらい総理大臣をしてもらって日本の政治をぶんまわした方がいい。政治の仕組みを変えられるのは小沢です。力ある政治家には金は集まるもの、世論、マスコミの偏った批判はおかしい」とのこと。さすが腹が据わっていらっしゃる坂本先生です。


 事務所に帰ると、逆に「菅さんに変えました。小沢さんでは駄目です」というメールも届く。これも熱い思いで語っているのだ。自宅には、一新会会長平野貞夫からの小沢推薦の文書類が届く。どちらも熱くなってるねえ。
 投票権を持たない連合群馬の知り合いが、「菅なんてなにもできない。小沢しかいない。投票用紙が来たら、俺が小沢と書くから持ってきて」という熱い奴もいる。
 回りの雰囲気は、最初は菅の声が断然多かったが、余りにもつまらない内容なので、ゴジラ小沢に期待すると変わってきているのではないか。普天間基地の辺野古移転を小沢なら転換できるのではないか、アメリカにモノを言えるのではないか、裁判員制度に異議申立するのではないかと、リスクを承知で小沢支持が増えてきているような気がする。現状突破力でいえばそれは小沢だ。

 しかし、不肖石川、党籍があっても投票用紙がこないという妙な状況の我が身とあってはいかんともしがたい。どちらがなっても混乱は動乱に発展するとみる。自民党を使った政治支配が終わり、変わった民主党政権も財政破綻を前にあえぐ姿しか見えない。政界再編への一里塚と読んだほうがいいでしょう。政治を民の手に。

2010年9月4日土曜日

玉村町小中学生 夏季研修報告会

4日午後2時から文化センター小ホールで「小中学生夏季研修報告会」が開かれた。今年から始まった広島体験研修は8月6日の広島平和記念式典に参加することを主な課題とし、原爆の実体験を語り部の高齢者から実際に聞くなどし、玉村町に住んでいてはわからない原爆の実感を参加者は感じたらしい。戦争のむごさを小さいときに知ることは大切なことと思う。引率の二人の先生方にとっても初めての生徒達を連れての研修だが、かなりの収穫があったのではないだろうか。
 未来に平和をつなぐため、このような企画は継続していけるよう町にもお願いしたい。

また、玉村中学3年生女生徒の須藤さんの「少年の主張」は内容といい、話し方といい、聞く人を圧倒する迫力で、こんな生徒がいるのかと、感心させられた。

中学生海外派遣団のエレンズバーグでの様子も楽しく報告された。


夕方5時半からは前橋市内で連合群馬結成20周年記念レセプションが行われ、大澤知事も出席し、大勢参加のなかにぎやかな催しとなった。連合は労使協調路線でこの間歩んできた。今日、民主党政権の与党労働組合ともいえるなかで、逆に相当なジレンマを抱えてしまったことは間違いない。「国民の生活が第一」とはなっていない現実をいかに突破し、格差なき社会を作り出すかが今後の課題だ。

そして、民主党代表選挙の真っ最中、菅か小沢かの真剣勝負だが、世間はしらけてるよ。菅はまだ3ヶ月しか経っていないのだから、もう少し様子を見た方がいい、と言う声はたくさん聞く。小沢はとにかくあらゆる意味で危ないから駄目だ。しかし、前原、野田グループの保守路線を唯々諾々と進めているだけでは、NO WE 菅だ.

2010年9月1日水曜日

ビルマ ビデオジャーナリスト

「あなたの持っている自由を持たない人のために用いてください。」ーアゥンサンスーチーー
誰もが覚えているだろう。軍政の敷かれているビルマで巨万の僧侶と大衆がデモを繰り広げた2007年のデモの様子を。そして日本人ジャーナリスト長井健司さんが射殺された瞬間を。
軍によるカメラを持つ人に対しての弾圧は苛烈を極める。そこでは意を決した人たちが連携してハンデイカメラやビデオで身の危険を賭して秘密に撮影し、密かに国外に持ち出され、無償で国際的なメデイアに送信され、私たちの目に届く。その記録の集大成がこの映画といえる。
 厳しい弾圧下、不屈に闘うビルマの人々に連帯する事が求められる。それが「あなたの持っている自由を持たない人のために用いてください」だ。
 この映画を観て森達也は彼らに言う。「死ぬな」と。10日までシネマテーク高崎で。


26日夜は、密照政彦飯倉区長の呼びかけで、飯倉在住の新井健司さん(勢多農林高校教諭)の報告講演会が開かれた。彼は2年間、青年海外協力隊の一員としてアフリカのマラウイで主に農業、灌漑、測量指導などの実習を指導してきた。その体験話が中心だったが、話は実に面白かった。アフリカの暮らしぶりが紹介されたが、新井さん自身の感じたままの話なので、余計な尾ひれもなく逆にわかりやすい。

1.日本の良いところとして、時間を守る、礼儀正しい、あいさつができ計画的なところ。悪いところとして、働き過ぎ、ゆとりがない、人間関係で疲れることが多い、細かすぎる。

2.物がそろい過ぎていると、子育て、教育、大人が生きるうえでも便利さはあるもののかえって大変と感じる。アフリカのマラウイでは学校がない、当然、机、椅子が無いのナイナイ尽くしだったが、一番大切なもの、学ぶことに感謝する、聞く態度、姿勢はすばらしかった。
という。

こういうタフでラフでしかも繊細な教師が求められていると思う。教育指導要領にがんじがらめになって目先しか見えない教員が山ほどいるのが現状ではないのか。教師こそ外へ飛び出し感性を豊かにして欲しい。

2010年8月29日日曜日

袴田事件をもとに創られた「BOX」 髙橋伴明監督

政権交代の成果が見られないとよく言われる。そうはいってもまだ1年だから長い目で見ようよ、と言う人もいる。
しかし、えん罪に関して言えば、その再審は喫緊の課題だし、代用監獄に象徴される明治時代の遺物になにも手をつけられない新政権ていかがなものでしょう。弾圧を欲しいままにしていた権力側が青くなるような改革をすることを政権交代の中にに求めている人はたくさんいるのに、自民党政権と全く変わらないのではどうにもならない。

袴田事件で描かれているものは、代用監獄での過酷な拷問ともいえる取り調べの中で、「とにかく自供しろ、裁判で争えばいいんだから」と強制された自白でさえ、いざ裁判になれば、その自白の任意性を裁判所が否定することはほとんどない。1年後に不自然に発見された下着類を事件の証拠にさえして、当初の検察側の主張との齟齬すら見逃し死刑判決を下す。裁判を人生の出世の道具にしている裁判官が多くいる中で、良心と正義を貫こうとしている裁判官を描いた作品。

裁判員裁判で死刑判決さえ予想される今日、改めて裁判員制度の是非を考えるためにも必見の作品。
シネマテーク高崎で9月3日まで。

2010年8月25日水曜日

死んどるヒマはない 益永スミコ 86才

平和のためなら、憲法を守るためなら、党派なんていう小さな世界など縦横無尽に飛び越えて、今も闘い続ける益永さんのドキュメンタリー映画ができた。今年3月ビデオプレスで制作されたもので、今日初めて観た。とにかく反戦平和のためには「死んどるヒマはない」という女性だ。知り合ってから10年以上だが、その動きの良さには頭が下がる一方だ。私の後援会ニュースにも記事を書いていただいたこともある。
今年の暑い夏も署名活動等をしているという。群馬でこの秋にでも元気な益永さんに会えることを楽しみにしている。とにかくまっすぐ、正しい事をひたすらまっすぐ、明るく貫徹する人はそうはいない。

この作品を井筒和幸監督が観たいと言っていたので、土田君を通じて明日にでも送るつもりだ。5年ほど前、パッチギ上映会を玉村町で行い、その打ち上げの席上に、益永スミコさんは来ていて、「片岡死刑囚と養子縁組をした人」ということ知り、監督は特に強い印象を持っていた。井筒監督の直感として益永さんのことを「信じられる人」と思えたのだと思う。

2010年8月24日火曜日

群馬朝鮮学校の生徒のブルーベリー摘み


かねてから計画していた群馬朝鮮学校の生徒たちのブルーベリー摘みが23日に安中市内のブルーベリー畑で猛暑の中行われた。11時頃からの1時間半程度だったが、地元の人々の協力も得て、子ども達は甘さも増したブルーベリーを摘みながら食べていた。子ども達は暑さを吹き飛ばすほどみんな元気だ。この数年間、いちご狩り、ミカン狩りをしてきたが今年はブルーベリー、在日の子ども達が日本の人々と交流し元気に育ってくれることを期待する。子育ては社会の責任だ。

ドキュメンタリー映画「弁護士・布施辰治」の上映会の知らせが届いた。
1.10月2日(土)午後6時半から高崎市総合福祉会館2階 たまごホール、
2.10月9日(土)午後2時から群馬県総合公社ビル(前橋市大渡町)
「生きべくんば民衆と共に、死すべくんば民衆のために」と題し、朝鮮を植民地にした時代、差別、抑圧された朝鮮人民のために弁護活動を行った布施辰治の人生を描いた映画だ。韓国併合から100年目の今年、政府が情けない「韓国に向けた談話」しか発表できない状況下、渾身の力を込めて世に問える作品だ。是非必見の事。

2010年8月22日日曜日

吉井町・星空の上映会

 昨夜、吉井町鏑川ほとりでの「星空上映会」に行き、山田洋次監督「おとうと」を観た。吉永小百合と鶴瓶のコンビはいいね。どこにもある家族の姿を社会の有り様の中で描いている作品で、視点もいいと思うけど、国際映画祭だと、なかなかなんだよね。若松監督のキャタピラーは強烈に訴えているところが国際映画祭では受けるのだろうか。映画評論は難しい。観る人の感性もそれぞれ違うのだから、それぞれが勝手に評論すればいい。

 野外上映なので、どんな感じかと思ったが、鏑川の川原にトラックを持ち込み大きなスクリーンを張り、土手上から映写するという方法。300人程の観客は土手に座って、本当に星空の中での映画鑑賞、栗原君の虫よけ対策の効もあり無傷ですんだ。時々の涼風が気持ちよかった。
 この鏑川は太平洋戦争のとき、吉井町で唯一、米軍機の銃撃を受けたところ、川で遊ぶ子ども達が機銃掃射を受けた場所を選んでの上映会場。「戦争は破壊と悲惨をつくるだけで何も生み出さない。平和の大切さを伝えたい」との思いで1995年から上映運動を行っている「よしい星空の映画祭」。こだわっている人達の運動は強い。

2010年8月19日木曜日

興味深い玉村八幡宮の絵馬展  会場 玉村町文化センター

玉村町文化センターで8月28日まで開催されている玉村八幡宮の絵馬展へ行った。2度目だ。時間をとりゆっくり鑑賞した。特に「張良図」はいい。説明文を読み進むと、絵の内容が理解できる。張良は漢の三傑といわれる政治家で、周の軍師黄石公との出会いを画いた絵馬だ。
他に興味をそそったのは2枚の神功皇后と幼い応神天皇を抱く武内宿禰図。神功皇后は第14代仲哀天皇の皇后で、新羅遠征を行い、その途中で懐妊、帰国後、応神天皇を産んだとされている。その遠征のなかで仲哀天皇は死んだ。仲哀の死が2月6日で、応神の誕生が12月14日だから、ぎりぎり[10月10日]のなかに収まるから仲哀天皇の子だという言い分らしいが、父親はもっぱら武内宿禰と言うのが通説という。絵馬を奉じた江戸の時代もそうだったことがうかがえる絵馬なので大変興味深かった。
これでは万世一系はとぎれてしまう。武烈天皇のときもその代で実はとぎれた。次の継体天皇は明らかに一系の人ではない。その辺に感心を持ち、関裕二著「継体天皇の謎」を読み進めている。
また、「韓信股くぐり図」もいい。中国の名将韓信が若いとき、町の乱暴者に自分を刺すか、できなければ股をくぐれと挑発されたとき、黙ってその者の股をくぐる辱めをあえて受けた。後に大成したことから、大志を抱く者は目の前の苦労や屈辱に耐えなければならないという教えだという。
 当時も中国からの様々な教えを日本の大衆文化は受け入れていたことを示すものだ。この他にも「羅生門図」「義経弓流し図」田口7兄弟から奉納された「流鏑馬図」などたくさんの絵馬が展示されている。

2010年8月17日火曜日

突然の井筒監督の訪問にも的確に対応する


盆送りも済ませた頃、五料産業の土田社長から「これから井筒監督が来るので時間があったら顔を出して」という電話があった。猛暑でバテ気味だったのでビールを飲んで寝ようかと思っていたが、監督が来るなら話し相手も必要だろうと、夜道を自転車でホルモン屋に行くと、すでに土田夫妻、シネマテークの志尾支配人、小林さん、新婚の田中島さんの娘さん夫妻もいて、監督のひとり語りで盛り上がっていた。
 都会にいると、玉村町がのどかでいいのだそうだ。気楽な関係の土田文月もいるし、焼き肉を食べながら気楽な仲間でさまざまな語りをするのが清涼剤なのだろう。
 政治的臭覚は鋭く権威に対しては「そんなものなんぼのものよ」と反発力は相当なもの。次の映画は部落差別を描くことにより日本社会を暴き出したいとのこと。
まあ、とかく映画監督は個性的というか強烈のキャラの人が多い。物事の本質を暴こうとすると一般受けしないことを恐れず映像化する。若松孝二監督にしてもそうだ。閉塞感一杯の時代、何を言われても自己主張を貫徹する人が必要だ。井筒和幸監督もその一人だろう。
「連帯を求めて孤立を恐れず,力及ばずして倒れることを辞さないが、力尽くさずして挫けることを拒否する。」

2010年8月16日月曜日

本当に戦争に反対するってどういうこと

8月15日になると、マスコミは戦争の特集を組み、戦争の悲惨さを訴え、誰もが「二度と戦争は嫌だ」というが、国内の米軍基地は強化される一方で、危険な普天間基地撤去も進まない。それどころか民主党政権までが辺野古移設を飲んでしまった。「平和のための軍備、核の傘に基づく平和」ということだが、これは本当のところで戦争を前提にしている話だ。一歩間違えば戦争になることを前提としている。情緒的な戦争に対する嫌悪感だけでは戦争に反対しきれないだろう。
 戦争は何故起きる、誰が起こす。その辺を押さえておく必要がある。
1929年の大恐慌に際し、アメリカを救ったのは、ニューデイール政策ではなく、戦争だということが本当のところ。需要を無視した莫大な過剰生産が大恐慌の原因で、戦争により過剰の生産物を破壊し、荒野の大地で再生産を始める。朝鮮戦争の特需で日本は戦後復興に弾みをつけた。自国での戦争は困るけど、他国の戦争なら儲かるのだ。資本主義社会において、戦争を起こしてくるのは大資本、財界で、政治家ですらその使い走りにすぎない。ブルジョワジーにとり問題なのは、人間の命ではなく、いかに資本主義システムを維持するかなのだ。この辺から戦争を考えていけば新たな展開が考えられるだろう。

2010年8月14日土曜日

平居宅へ新盆見舞い


5月に亡くなった平居先生宅へ新盆見舞いに行った。同行の84才の小林悟さんは「これからは間違いなくトロツキーの理論が再評価される。」と強調する。その勉強会をしないかと呼びかけられたが、これは疲れるねえ。
若松孝二監督といい小林悟先生といい、やたらと思いの強い高齢者が目立つ。「人生の残り時間が少ないから叫ぶんだ」という「あきらめのわるさ、往生際のわるさ」は絶対必要と思うけどね。
岩城さんは早速、シネマテーク高崎で「キャタピラー」を観たそうだ。客入りは満席、寺島しのぶはすごい女優だと絶賛していた。
そんな話を平居宅でしながら、9月11日に「平居照朗先生をしのぶ会」を開くことを決めた。


同級生の掛川からは、12日に御巣鷹山へ慰霊登山したというメールが届くなど、それぞれの夏を過ごしている。

そうこうしているうち、自宅に帰った小林先生から「車の中に俺の携帯なかったかい」という電話がある。完璧な人はいないよ。お持ちします。ということで、結構、騒々しい半日だった。

今年の早滝は滝壺に何本も木の枝が落ちていて中に入れる状態ではないが、とにかく空気が冷たくしまっていて心地よかった。どんなときでも一人の時間は確保します。

2010年8月12日木曜日

忘れるな、これが戦争だ。この夏必見 「キャタピラー」


14日から公開される予定の「キャタピラー」の先行上映がシネマテーク高崎で若松孝二監督と俳優の大西信満さんを招き行われた。土田君と観たが満席の状況、さすがベルリン映画祭銀熊賞受賞作品の人気は高い。

国を挙げての戦争は社会を戦争一色にする。またそうしなければ戦争は遂行できない。徴兵があれば、お国のため、と喜んで出て行かなければならない。この映画で両手両足を失って送り返されてきた夫は「軍神」と持ち上げられ、しかし、妻は言ってみればその後の介護が銃後の尊い仕事となる。腹をくくった寺島しのぶはやはりすごい。並の女優じゃない。
若松監督の反戦への強い思いがこの映画となった。国際社会で高く評価されるこの映画が日本でどれだけ支持を得られるか大いに感心がある。

 舞台あいさつでも、私が「重信メイの「秘密」という本の中で成田空港まで迎えに来たのは若松監督とあったが」と話し出したら、「いやレバノンまで迎えに行ったよ」といきなり話はパレスチナに飛んでしまうし、「菅政権の韓国併合に関する談話は不十分」と言い出せば、北朝鮮国内のよど号事件の赤軍派の話になるし、とにかく帝国主義と戦争への怒りは並大抵なものじゃない。「普天間基地は閉鎖しかない。どうしても造るなら東京湾、国会も皇居もあるし、人も多いから基地で守ってもらえばいい」と明快発言。
「この映画、若い人にも観て欲しい。」15才未満への規制など気にもしないところはさすが若松監督、フトイ。
サイン会場で大西さんに「連合赤軍」では誰の役をやっていたのか聞くと、板東国男という。「坂東さんはどうしてますかね」「パレスチナへ探しに行ったけど見つからないんだよ」と若松監督、すでにパレスチナには17回ほど行っているという。
いつまでも燃えている若松孝二監督に乾杯。

 話は変わるが、こちらは我欲で燃え尽きた81才浜田幸一先生、とうとうお縄ちょうだい。ラスベガスへ何度行ったか知らないが、絶対パレスチナへは行かない。モンゴルでの金の採掘には、他人をだましてもカネをつぎ込むが、朝鮮は見下し見向きもしない。彼が国会議員当時、自民党の内紛に際し国会内でバリケードをつくり、イスを振り上げ、カメラに向かってヒーローよろしくまくし立てた。「子ども達の未来のために自民党があることを忘れるな」。勘弁してよハマコーさん、聞いてる方がひっくり返る。
あのとき「愛国心はならず者の最後の拠り所」という言葉を思い出したが、こんな手合いがこの娑婆には大勢さんいるからたまらない。声だけは大きいのが特徴で周囲を威嚇しながら生息している。
それから森元首相の息子さん、酒が切れたらキャタピラー観て立派に更生してください。
 断然、鎖国派より国際派だよ。

2010年8月11日水曜日

韓国併合から100年の今年の政府談話

菅直人首相は韓国に対し、韓国併合から100目の今年、談話を発表した。政府の公式見解を述べることは、当然のことではあるが、内容に関しては相当腰の引けたものになっていた。武力により朝鮮政府を組み伏せ併合し、その後、内鮮一体として太平洋戦争まで過酷な強制と動員を繰り返していった事実はそう単純なものではない。
日本国内に今何故50万人に及ぶ在日コリアンが存在するのか。原点は日韓併合にある。その在日コリアンへの対応はまるで、朝鮮侵略を反省しているとは思えない。未来志向というなら在日コリアンへの正当な待遇をしたらどうなのか。ここから始めるべきだ。彼らとの信頼関係を築けずして日韓、日朝関係の未来はない。談話を韓国だけに発するという対応も情けない。朝鮮半島を植民地支配したのだから当然、現在国交がなかろうが北朝鮮へも向けて発するのが筋であり、それこそ未来志向だろう。
 当時、朝鮮から奪い、くすめてきた多量の文物を小出しに「返す」、それも返すという言葉を使わず「渡す」などといって大衆の目をごまかそうという政治はいけません。そのことに反発しない韓国政府もかなりどうかしている。

2010年8月9日月曜日

第16回アジア映画祭を観る

藤岡市で毎年この時期に開かれているアジア映画祭で全作品「長江に生きる」「ムクシン」「シルク」を観た。地元箱石の夏祭りも7日に終わり、じっくり過ごせた一日だった。どの作品も優れていて、世界のさまざまな地域での人の営みや苦悩を表現している。新井藤岡市長や小林日出幸さん、同級生とも顔を合わせた。こういう映画だけの一日があってもいいかな。

2010年8月5日木曜日

それぞれの思いと形でこの真夏に学ぶ

とにかく暑すぎる毎日だ。そんななか議会運営委員会は5日、6日と滋賀県大津市へ議会運営の研修視察に出かけた。自立した町の本格的議会運営の深化のため大いに勉強して欲しい。宇津木議長、嶋田議員と昨日、「にしきの園納涼祭」で一緒したとき、この研修への意欲を語っていた。
 
10日は経済委員会、総務委員会が所管事務調査を予定している。それぞれの委員会、それぞれの議員の活動は暑い夏も続いている。

玉村町は平和教育の一環として、昨年(インフルエンザのため中止)から各小・中学校2名の生徒計14人が6日に行われる広島での平和記念式典に参加することなどを制度化した。2人の教員が付きそう形での実質今年が初めての企画だが、今頃は現地に到着し、くつろいでいるだろうか、緊張しているだろうか。
何しろ、今年は世界から、特にアメリカからも代表が参加する。「核廃絶を言うなら、ヒロシマに来い」ということ。秋葉広島市長も「非核三原則の法制化」を明日のあいさつでは訴えるそうだし、若い生徒達には、大きな平和への夢と希望を抱くきっかけになればと思っている。

2010年7月29日木曜日

連合群馬議員墾談会の勉強会


毎年恒例の連合群馬議員墾談会の学習会が昨日伊香保で開催された。参院選も終わって間もないこともあり、さまざまな表情の見慣れた議員が集合した。隣は山田高崎市議、その隣は角倉県議ときたら、話は弾んでしまう。来年の選挙に向けての戦略づくりで忙しそうだ。

講演は「公契約」に関し、神奈川県地方自治研究センター事務局長の勝島行正さん、「個を大切にする介護について」社会福祉法人新生会理事長の原慶子さんが話した。

公契約は、自治体が関係して外部の人(法人)と契約を結ぶ際、その契約の先で仕事をする人のこと(待遇)を考えての内容にしなさい、というもの。新自由主義政策の広がりのなかで、労働者の待遇が極めて劣悪な状況に置かれていることに着目したもので、今後このような姿勢の条例をつくる自治体が増えることが望まれる。単なる競争入札で「安かろう・悪かろう」の公共仕事が増えているようにも聞く。社会全般が安売り競争をしているようでは、みんな疲れるだけで、社会の本来の力が衰退してしまう。新自由主義の過ちを意識している内容の深い講演だった。
 そして、原慶子さん、旧榛名町にある新生会理事長だが、私はこれまで知らなかった。介護、福祉だけでなく、思想、哲学、政治等に関しても信念を持った人だ。困難な状況を正面突破する力は相当な自信と経験がなければできない。弱者に対する姿勢がいい。後藤かつみ県議の声掛けもあり、「福祉実践と平和の思想」という原さんの書いた本を買い込み早速読みはじめた。例えば、いわゆる拉致問題に関しての考え方にも同調できる。こういう人が地域で福祉の実践をしていることは力強い限りだ。

2010年7月25日日曜日

企画「ブルーベリー摘み」



群馬朝鮮学校の生徒さんにブルーベリー摘み体験をしてもらう企画の一環として、安中市内にあるブルーベリー畑を訪ねた。李和雨さんと学校側から金先生が参加し、前日この話を聞いた土田、栗原両君が友情参加。
この時期、どこへ行っても暑いことこのうえない。手入れのされた畑に入って、その場で食べながらのブルーベリー摘みは、格別のものがある。お盆までがピークだそうなので、子ども達の夏休みとの兼ね合いはどうかと思うが、実現することを楽しみにしたい。
 ここでは月に一度、参加者によるマーケットもしていて、昨日は、「南京玉すだれ」の実演もあり、なかなか盛況だった。地元の若い主婦層が主体のようで、地力を感じさせた。

 5時からは「玉村ふるさと祭り」初日のパレード、猛暑の仲、総勢19名、甲冑武者の出で立ちで参加、その後、小泉地区の夏祭りに顔を出し、地域の人たちとビールを飲みながらの四方山話。夕立の気配を敏感に感じ取り、自転車で家に着くと同時に大雨と雷の襲来、間一髪で間に合ったが、祭りは後の祭りになったろう。

 それにしても極端な猛暑の連続と何日かごとの夕立と大雨、どちらもこれまでの気候バランスとは明らかに違う。猛暑の連続で一方に振れきった時、雷と大雨で振れきった振り子を元に戻すような際だった天候バランスになってしまったのか。
 極端な過剰生産状況を大恐慌と戦争により調整、平準化させる資本主義社会のようになっては困る。

2010年7月23日金曜日

元死刑囚金賢姫を国賓級で遇し家族会を慰めるお気楽な政府

 あきれた話はいくつもあるが、これまたマンガのような事をする政府には、絶句しかない。
金賢姫はすでに終わった人で、彼女が拉致事件に関し、何も知らない事は周知の事実、その彼女を国賓級で招いて、「めぐみさんはきっと生きていますよ」と言わせ、家族会の人を慰める為だけに、膨大な税金を使い、果ては、遊覧飛行までプレゼントする中井と政府はどこまで腐り果てているのかと思わざるを得ない。
こんな猿芝居にも劣るイベントにはさすがの家族会も辟易だろう。全く国際社会の笑いものだ。

 北朝鮮に経済制裁ばかりしているので、外交関係は途絶した結果、こんな茶番にもならないことになってしまった。民主党政府も自民党政府と駄目さ加減の競争している場合じゃないだろう。
 特に、北朝鮮に関しては、多くの人が感情的になることに注目する必要がある。突き詰めると、言われなき差別ではなく、むしろ、「意識したくない自覚」のようなものがあることに気づく。その後ろめたさが逆に「果てしない差別」となり群集心理の中でいっそう増幅され、政治もその流れをあおるように運動していく。

 何回でも言うが、この問題を本気で解決しようと思えば、今の環境を変えなければならない。今年は「日韓併合から100年」という節目の年だ。少なくともその前後からの日本と朝鮮の歴史を少しぐらい知っておかないと対応は出来ない。植民地政策で朝鮮人をどのように扱ったのか。内鮮一体とし、言葉、名前、宗教(神道)まで強制していった。日本兵として、太平洋戦争に動員されていった。日本兵として特攻隊員になり死んでいった朝鮮人もいる。
日本人は加害者と言うことをまず一次的に自覚すべきだ。
1923年の関東大震災に際し、「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」とデマを流され数千人の朝鮮人が日本人により虐殺されたことに関し、日本政府はどれほどの真相解明をし、責任を取ったというのか。

 数年前、家族会の横田さんが韓国へ行き、拉致問題の解決の協力を求めたとき、当時ウリ党の国会議員の一人は返事を書いた。「朝鮮半島のたくさんのめぐみさんを返して」という内容だった。植民地支配の中、どれほどの朝鮮人が日本に拉致・連行されたか想像する力を持って欲しい。相手の立場になれなくて交渉などできるわけがない。

 悪意としか思えない対応ばかりしている今の状況で、事態が解決に向くはずがない。歴史に学べ。それしかない。秀吉の朝鮮侵略の後、江戸幕府は戦後処理使節として朝鮮通信使を受け入れた。江戸時代には12回の通信使が日本と朝鮮の文化、学問そして人間同士の交流に大きく寄与した歴史的事実をもっと知るべきだ。100年前は険悪な関係だったが、150年前は本当の信頼関係と国交を持っていた二つの国だ。

懸案事項を解決するための本気さが問われている。問われているのは、我々日本人とその政府だ。高校授業料の無料化に際し、朝鮮学校だけ排除するなどという姑息な事は即やめるべきだ。

2010年7月20日火曜日

14年ぶりの一茶は暑い夏




 小林一茶は、その不遇さもありとても気になる存在だ。3度ほど訪ねているが、最後に訪ねたのは、私の父親が闘病中だったが、家族旅行もできた14年程前のこと。家族で妙高高原へ行く途中だった。今のような立派な記念館ではなかった。行く季節はなぜかいつも夏。一茶記念館には、柏原町の一茶にかける強い思いを感じさせる展示品の数々がある。
 ナウマン象の模型を見て野尻湖を一周し、信濃町駅近くのそば屋で信州そばを食べ、小布施町でお茶を飲み、連休最終日の渋滞を避けるため、少し早めに高速を降り、吉井町のうまいとんかつの店で下山祝いをし、完璧な一日だった。20年前は、毎週、新潟の海に行き、良寛さんにまつわる地を訪ねていたが、海に行って泳ぐ気力がなくなった。やはり年かねえ。
 
 
   木々おのおの 名乗り出たる 木の芽かな
         (希望も意欲も感じさせる一茶27才の作)

 弥太郎(一茶)は父・弥五兵衛の後妻さつとの関係が悪化したため、父により江戸に奉公に出された。江戸で誹諧師として身を立てようとしたが、そう簡単なことではない。
40才近くなって久しぶりに実家へ帰った一茶に、年老いた弥五兵衛は、「財産二つ分け」の遺言状を一茶の弟・仙六、義母さつの反対を押し切って書き「大事にしまっておけ」と一茶に託した。田畑を大きくしたのは父の働きだけでなく、弟や義母に負うところも多いことを知っていた一茶は、遠慮をしていたが、長男である一茶を江戸に出さざるを得なかった父は、まだ独り者で生活も不安定な一茶に対し強い贖罪の気持ちから遺言状を書いたのだった。
父の死後、江戸での生活に見切りをつけた一茶は苦しさもあり実家に帰り、遺言状のとおりの財産分けを主張する。しかし、誰もがそれは無理という。本家の弥市の努力や村役人立ち会いの上での話し合いもつかないなか、名主の嘉右エ門を呼んだがこれでも話がつかない。最後に遺言状を手に一歩も退かない一茶と集まった者達に、「遺言状というものは重いもの、出るところへ出ればこれがものをいう」と嘉右エ門は裁定を下した。
具体的な財産分けでも大もめし、菩提寺明専寺の住職に入ってもらわねばならなかった。

古里やよるも障るも茨の花
(古里に帰り、親戚一同と一悶着して割り込んでいかねばならない状況の時作った歌)

そして一茶52才の時28才の菊と結婚、歌仲間の德左エ門が「江戸帰りの宗匠で、いまにこのあたり一帯に一茶社中をたてる人だ」といって口説いてくれた。
長男・千太郎、長女・さと、二男・石太郎、三男・金三郎と次々子どもが生まれた。
妻を持ち子どもをもっていい句も生まれた。

あの月を とってくれろと 泣く子哉 (作51才)

短夜や くねり盛りの 女郎花 (作51才)
(何とも色っぽい歌だ)

我と来て 遊ぶや 親のない雀 (作52才)

ふしぎ也 生まれた家で 今日の月(作54才)

這へ笑へ 二つになるぞ 今朝からは (作56才)

目出度さも ちう位也 おらが春 (作57才)

雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る (作57才)

あるとき夫婦喧嘩で傷ついた菊はとうとう実家に帰ってしまった。数日後の日暮れ、人恋しくなった一茶は、柏原から野尻に向けて歩いていた。女房の尻を追っかけるようにしてこんなところまで来てしまった自分に腹が立ったが、今夜も帰らない菊にも腹が立った。そんなとき街道をこちらに近づく足音がする。「おとうさん、迎えに来てくれたかね」。菊と分かった一茶は不意に目が潤んだ。「仲ようせんとな」。
その夜、一茶は「お前は菩薩さまじゃ」と言って、ひとつ床の菊を抱いた。「私が観音さまじゃ、なぜ悪口言って泣かせた?ん?」。夜の深まりのなか、54才の男と30才の女がまるで20代の男女のように騒々しく睦み合った。
翌朝、机の句帳を取り出し、昨日8月8日の項を書いた。「晴、夕方一雨。雲竜寺葬。菊女帰」と書いた。しばらく考えた後、「夜五交合」と書き足した。
この4文字を追加したために、一茶は後世で「荒淫」とも「好き者」とも言われる。4回やろうが5回やろうが、それはたいしたもんだとは確かに思うが、一茶と菊にとり、肉体的にも感情的にもそれだけの回数をこなす舞台が整っていたということだろう。それに尽きる。
しかし、足を悪くし、杖を使わずに歩くのに苦労していた一茶に不幸は襲いかかる。
生まれた子どもが、いずれも幼くして亡くなり、菊も37才の若さで亡くなる。

ともかくも あなた任せの 年の暮れ (作57才)

木枯らしや 廿四文の 遊女小屋 (作57才)

春立つや 二軒つなぎの 片住居 (作58才)

やれ打つな はえが手をする 足をする (作59才)

(どの歌もやたらとしんみりさせたり、小さなものを見たりと一茶の置かれた悲観と貧困の状況を現している。)

一茶62才で、雪という女性と再婚するも、酒を飲み過ぎ寝小便をするなどし、ふた月あまりで離縁。
雪が去った1ケ月ほどした頃、一茶は二番中気をわずらい言葉も不自由になった。門人の家から家へ転々と手渡され12月になり柏原の自宅に戻った。面倒を見てくれる人はいない。

寒空の どこでとしよる 旅乞食(作62才)

そして最後の結婚相手は雪が去ってから2年後、自分の身の始末も満足にできない一茶に嫁いだやをは32才。柏原の小升屋に乳母となって雇われていたが、柏原で一番の大地主中村徳左衛門の三男との間にできた2才になる倉吉を連れてきた。一茶はやをの素性に菊を重ね合わせた。
やをは年寄りの一茶に愛情を持ち、家のことも一茶の面倒もみた。一茶はそのやをに身ごもらせ65才で死んだ。(54才での回数よりこの方が驚きだ。)
枕元では、やをは一茶の手を握りながら泣き、義母さつも看取った。翌年生まれた娘・やたは46才まで生きる。


山寺は碁の秋 里は麦の秋 (作63才)

花の影 寝まじ 未来が恐ろしき(作65才)

「わしを誰もほめてはくれなんだ。信濃の百姓の句だという。わしやの、やを、森羅万象みたいな句にしてやった。月だの、花だのと言わん。馬から虱、そこらを走り回っているガキめらまで、みんな句に詠んでやった。ざっと1万、いや2万句じゃぞ。そんなに沢山に句を吐いた人はおるまい」「えらいもんだねえ、じいちゃん」}{一茶・藤沢周平}

映画「川の底からこんにちは」で主人公が「どうせ私は中の下よ」と叫び、「サイタマノラッパー」も「中の下」の世界だ。一茶自身、「中の下」?
なによりその時代はほとんどの人々は貧しかった。一茶に感心があると言うことは、一茶と周辺の人々、その時代を生きた人々に思いを寄せること。そして最後に解ることは、中も上も下もありゃしないということ。
誰もが時間の同じ刻みのなかで、一度の人生をそれぞれ生きているというだけのこと。
「中の下 それがどうした それでどうした」

2010年7月17日土曜日

芝根地区区長と議員の懇親会



芝根地区の区長と議員の懇親会が川井の天狗で開かれた。区長8人、議員4人の12人で年に一度のペースで開かれている。酒も入っているので、かえって深い話ができる。区長は1年代わりのところが多いので継続性という点では弱い感じがする。地区の代表ということを考えると、現在の町との役割分担を見直す時期に来ているように思う。しかし、地域主権の時代に対応できる区と区長の役割を考える場合、そういう意識転換ができる区になっているかということが一番大事なところ。まだまだ先のことだろう。政府だって混乱しているのに、小規模自治体の区にそのことを求める方が無理な話だ。
 途中、雷で停電したり、大雨になったりしたが有意義な懇親会だった。
 17日は花火大会、山ノ内町からもお客さんが来る。果たして天候はと心配したが、花火には最高の夜となり、どれほどの人が参加したのかは分からない。山ノ内町のみなさんはご満悦の様子で帰途についた。

2010年7月15日木曜日

玉村町の戦争遺跡調査報告書について

3ケ月ぶりの玉村町九条の会の会議に参加した。
参議院選の結果やら町政の問題を話ながら、本題に入っていった。
 2007年11月から2010年春にかけて玉村町の戦争遺跡調査をしていた九条の会調査小委員会がまとめている戦争遺跡調査記録の現状報告を受けながら、今後の展開を話し合った。今は荒削りだが、完成するとなかなか本格的歴史書にでもなるのではないかと思える程の内容だ。町中を歩き回り戦跡調査をした足跡がよく出ている。文章は大墳先生、地図図面は金子修さんの力作だ。まだまだ途中の段階だが、参加者の意気込みは並々ならぬものがある。
 いずれ本として出版されたら、戦争がこの町にもどれほどの被害をもたらしていたかと言うことがよく理解されると思う。改憲に向けて動き出そうとしている政治の動きを止めるためにも大事な事業だ。

2010年7月12日月曜日

「命を大事にする政治」をやってみろ

昨日の選挙結果はボロボロだ。群馬県1議席は断然自民党と言うことがよーく分かった。理由はともあれ自民党に投票する人が55万人もいるとは驚きと言うほかない。自民党はその歴史的使命をすでに終えていると考えているが、民主党があまりに力なく頼りないため、自民党に戻らざるを得ない、と思っている人が多いと言うことだろう。小寺さんも落選、一方、選挙戦間近に「みんなの党」から出馬した上野が当選とは、神のいたずらにしても、度を越している。また、社民2議席、共産3議席ではどうにもならない。保坂も次点。夢も希望もない結果だけど、そこから希望を見いだすとすれば、この混乱は政界再編の機会到来と言うことだろう。しかし、期待できる政党がないというのが、頭の痛い所。大きなため息をつきながらも、それでも歴史は進んでいく。あきらめたら終わりだと言うことを歴史は教えている。

柔ちゃんをはじめとする国会議員連中に観せたいものだ、「二十四の瞳」。久しぶりにシネマまえばしに行き、はじめて観た坪井榮原作「二十四の瞳」だが、泣けてきた。大石先生と生徒達の20年以上にわたるふれあいを戦争という時代背景の中で描いている名作だ。
民主党政権は命を大事にする政治を本気でしてみろ。普天間基地の辺野古移設は出ないはずだ。

2010年7月11日日曜日

小政党にとり比例区しか議席獲得の機会はない

投票日、1時間ほど利根川サイクリングロードを散歩した後、箱石の投票所で投票をした。選挙区はどうしても大政党の議席争いとなり、小政党が入り込めない。民主党の議員の中にも結構、光っている議員は全国的にはたくさんいるが、普天間基地問題で明らかなように、全体としての声にならない。大政党のなかで埋没してしまっている感がある。
 私は、それでよし、とはしない。国民の本当の声を国政に、と考えたらこれまた大変だけど、比例代表のなかで全国からの声を結集し、議席獲得するしかない。小政党に議席を与えてこそ参院の存在価値がある。新自由主義に反対する政党の議席を一つでも多く積み上げること、これが今回の選挙の課題だ。

今日は、午後から、映画「クロッシング」をシネマテーク高崎で観た後、シテイーギャラリーで14日まで開催されている「獄中35年・星野文昭絵画展」に足を運び、夜は富岡ゆきお事務所で多くの仲間と開票を待ちたい。とにかくぶ厚い自民党の壁と果敢に闘い抜いた富岡本人と選対、その仲間達を讃えたい。

2010年7月6日火曜日

新自由主義からの転換をかけた参院選挙のはずだが



いよいよ参院選も終盤、富岡ゆきおも疾走しているが、なにせ自民党王国・群馬でどこまで攻めきれるかが焦点になりつつある。暑い夏だがとことんやろう。富岡本人はリベラルな思考の持ち主なので精一杯応援したい。
高崎集会までの時間調整で古くからの悪友・上原宅のパソコンで打ち込んでいる。

音楽センターでの集会は満席で熱気あふれたものになった。安住淳民主党選対委員長が駆けつけ、富岡本人を激励した。本人は一日で7時間自転車に乗ったという。大丈夫かいな。自民党に体全体でぶつかっている感じだ。大きな時代のうねりの中で古き自民党と闘っている富岡ゆきおを我々が全力で後押しする必要がある。

 比例投票は自由にさせてもらう。新自由主義政策により、社会が閉塞感一杯になってきたことを考えれば、弱肉強食の新自由主義からの転換を意識している政党とその候補者に投票すべきと考える。民主党はそこのところが頼りない。不信感一杯だ。
ビラを数百枚受け取り、理解ありそうな人に投票依頼をしている。新党はどれも保守政党、国家主義政党ばかりでこれらは私の理解の範疇にない。人を食ったような政党名「みんなの党」は小泉構造改革の延長線で、その「小さな政府論」にだまされてはいけない。日本はアメリカ以上に「小さな政府」になってしまい、極端な格差社会のなかで、不安定雇用、自殺、犯罪、生活保護世帯の急増等と社会不安が増長し、人間関係がバラバラにされ、地域共同体機能が衰退してしまった。追いつめられた人々に「自己責任」をかぶせる政治をこれ以上許してはならない。有権者もいい加減に気付いたほうが身のためだと思うよ。判断が軽すぎる。

 ところでその上原君に「比例はどうする」と聞いてみると、「保坂のぶとがいいかなと思っている」と返ってきた。伊達に長年遊んでやった訳ではない、ちゃんと成長してるじゃない。すぐに保坂のポスターを数十枚渡してきた。奮闘を祈るのみだ。(5月15日、高崎市での集会の時に撮影した保坂の写真を載せる)
家での2票はこれが問題、「党首が危ない」との声(デマ)をどこで聞いたか、票分けになりそうな気配だ。しかし小政党にとり1議席は大変重い。熱い思いがなかなか議席に届かない。だけどあきらめない。

2010年7月3日土曜日

忙中閑あり「川の底からこんにちは」

7月に入り選挙戦もいよいよ中盤、仕事の区切りもついてはいないが、富岡ゆきおの追い込みをかけるか、と思い、藤岡方面へ足を運ぶ。しかし、思ったようには事は運ばす、行った老人施設では、前日の雷雨による被害で一部施設が水浸しとなり職員はその対応で大忙し。選挙どころの話ではない。鬼石で秋山君と食事をした後、高崎で知り合いを回る。ビラの印刷時間、そして夕方7時の吉井町での角倉県議の開く「富岡、小寺」集会まで時間があったのでシネマテーク高崎へ。狙っていた「川の底からこんにちは」の最終日に間にあった。

途中10分ほど眠ったが、面白い映画だった。「どうせ私は中の下よ。」彼氏と駆け落ち上京して5年、仕事は5つ目、彼氏も5人目、ダラダラとした日々が続く日常を破ったのが、病に倒れた父親にかわり、水辺の町に戻り、倒産寸前の「シジミ工場」の跡継ぎをする羽目になる佐和子。その会社の従業員がこれまたすごい女性の面々で佐和子を圧倒するが、追いつめられた佐和子は、人生の中で初めて奮起する。
終盤のシーンも面白い。「今日から私たちのことをお母さんと思っていいのよ」と佐和子にいう女性従業員達。「お父さんとみんな肉体関係があったんですか」と佐和子。「私は違うわ。もう一人の人も違う。でも他の人たちはみんな肉体関係があったわ。それくらいあなたのお父さんは好かれたの」うなずく女性従業員一同。無表情の佐和子。
 社会なんて、人生なんてこんなもの、これでいいし、これだからいい、お利口さんだけで生きていくことはできないことを、ユーモアたっぷりに描いた名作だねえ。居眠りしないでもう一度観たい。

2010年7月2日金曜日

忠治生誕200年記念特別企画の打ち合わせ


大塚政義先生の国定の忠治の講演はすでに4回聞いた。水戸天狗党に関しては1度、甘楽町で聞いた。
その時代の様子が生き生きと分かって大変勉強になる。
「幕府が藩や民衆を支配するために、一番恐れていたことは、民衆が団結して支配体制に立ち向かってくることだ。そこで民衆をバラバラにするために考えたのが、身分制度、5人組制度、分国支配等である。」こんな調子で講演は始まる。
 二足の草鞋をはかない反権力のヤクザ・忠治の素顔にせまる講演会を9月12日に開催することになり、その打ち合わせ会議を昨日、玉村八幡宮で開いた。3年前の講演会はちょうど参議院選挙投票日で、玉村ふるさと祭りの当日、そして大雨だったことを思い出した。
 今回の打ち合わせには「朝日ぐんま」記者の中島美江子さんも参加した。中島さんは、昨日は朝から、大塚先生と忠治のゆかりの場所7ヶ所を取材で回り帰ってきたところでの打ち合わせ会議参加ということになった。その取材記事は9日の「ぐんま朝日」の折り込みに大きく掲載される予定とか。





【上州の風土と人間―国定忠治の史跡と伝説を訪ねて】
例幣使街道と玉村宿の栄華を今によみがえらせる語り部。










講師 《大塚政義先生》






友情出演歌手《榛名 友里》「忠治一代」
○ 日時:9月12日(日)
午後2時~2時間程度
○ 場所:玉村八幡宮 
○ 入場料:無料(定員100名 )「忠治一代」の
テープ販売にご協力下さい。


主催:玉村八幡宮 
呼びかけ人
 石川眞男、笠原則孝
   連絡先 0270.65.2305

2010年6月28日月曜日

自主憲法制定し徴兵制を書き込もうとする自民党でいいのか。


参院選中、富岡ゆきおの宣伝カーが玉村町に入るのは2日だけ、その一日が27日の午前中だった。
とにかく群馬は広いので、どこに宣伝カーがいるのか皆目見当もつかない。だから大事な3時間だ。
本人は来られないので、石川が宣伝カーの本人席に座り、ウグイスさんと代わる代わるマイクを握った。動いてる車でのマイクでは長話はできない。
しかし、車を止めていたときは思い切り短時間だが、自民党批判をした。

自民党のマニフェストの一番に書いてあるのが「自主憲法制定」、その中に書いてはないが、徴兵制を書き込もうと目論んでいることをどれほどの人が知っているだろうか。戦後65年の平和の果実を食い尽くし100年前の戦前の国家を目指すかのような政策を公約の第一に据える自民党を支持できるのか、多くの人々に問いたい。価値観を同一化させ、規律と礼節を必要以上に強調するその先には、国家のために尽くす人材育成があり、そこまで行けば「国のためには死さえ受けいれる人間づくり」はそう難しくない。非常に危険な地点に我々はいる。
 侵略戦争の反省から始まった日教組のスローガンは「教え子を二度と戦場に送るな」だ。日教組が不屈に闘い続けていればこんなことにはならなかった。右翼から「戦後教育は日教組がだめにした」と声高に攻撃されているが、戦後教育を主導してきたのは自民党・文部省だったのであり、批判されるのは自民党・文部省のはずだ。日教組が批判されるとしたら、自民党・文部省の攻撃に屈してしまったことだ。

犯罪による処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。(憲法第18条)
 徴兵制はこの条項により憲法違反となる。自民党の自主憲法はこれさえ突き破り、声も出せない暗黒の戦前社会を現代に甦らせる極めて危険なものと断じざるを得ない。
「自民党候補者の人柄がいい」などとのんきなことを言っている場合ではない。「地獄への道は善意で敷き詰められている」「戦争は微笑みながらやってくる」のだ。「ならず者の最後の拠り所は愛国心」という言葉も思い出して欲しい。

2010年6月23日水曜日

芝根小学校地区懇談会


年に一度開催される地区懇談会、芝根小学校の保護者を中心に芝根地区の区長、民生委員、議員が参加して、それぞれの地区の学校に関する課題の提起と解決を探る懇談会だ。世代を超えた連携でコミュニテイーを強めようとする試みでもあり、地区の小学校を地区の見守りの中で守り育てるための意欲的な催しだ。

2010年6月22日火曜日

「働く俺たちの世の中」を作ろうぜ


昨日、社民党群馬県連からビラのFAXが送られ、今日の「福島みずほの決起集会」に行ってきた。来賓で富岡ゆきおさんも来ていた。「あれ石川さん、社民党?」などと言いながら会場に入った。
公示まであと2日となった参議院選挙は群馬にとり、とても厳しい状況が続いている。復古調丸出しの自民党を勝たせてはいけない。戦前のような軍国調一色にさえなりかねない恐ろしい潜在的要素をちりばめた政策を進めようとしている。
それにしても自民党、いきなり「自主憲法制定」はないでしょう。苦し紛れに、昔を懐かしんで叫んでいるのだろうが、そんなに「自主憲法」にこだわるのなら、アメリカのいいなりの日米同盟に異議申立の一度もしたことがあるのかい。鬼畜米英で対米戦争に挑んだ東条英機が怒りまくっているんじゃないのか。
 極端な格差社会をつくり、勝ち組、負け組などという言葉に踊らされ、できた社会はなにもかもが荒んだ自殺社会、不安社会、この状況を打開できる政治勢力を登場させる必要がある。
 群馬からは富岡ゆきおを勝たせること、比例は、新自由主義に異を唱える政党の議席を伸ばすこと。

 岡林信康の山谷ブルースの一節を思い出す。
「工事終わればそれっきり、お払い箱の俺たちさ
 いいさいいさ山谷の立ちん坊 世間うらんでなんになる

 だけど俺たちゃ泣かないぜ、働く俺たちの世の中が きっときっと来るさそのうちに
その日は泣こうぜ、うれし泣き」

40年前の歌がそのまま当てはまる時代に生きているかと思うと情けないがこれが現実。待っているだけじゃ「俺たちの世の中」は決してこない。それに向かって突き進め。

2010年6月20日日曜日

いよいよ選挙戦間近、草とのたたかいは戦線離脱



24日からいよいよ参議院選挙が始まる。今日一日、選挙はがき書きで疲れた。とは言っても午前中、台湾映画「海角7号 君想う、国境の南」をシネマテーク高崎で観る。
時間と人とが絡み合いながら、時に無自覚に生きてゆくそれぞれの人生を考えさせられた。誰もがなにかの中心にいるのだけれど、誰もがそれに気づかないで、さまざまな葛藤の中での焦燥感で消耗しているのが世の中かもしれない。自分を必要とする人は必ずいるのだけれど、時空の広大さの中ではなかなか届き合わない。

 この時期は草が伸びるので、草退治が大仕事、83才の母親に、「眞男は草むしりすらまともにできないでこの年になっちゃったなあ」と嘆かれた。事務所の南の駐車場の草を母親が畔かきで丁寧にけづってくれていた。感謝。
自宅の庭は、時々、藤岡から84才の義父が来てきれいにしてくれている。「あまりにひどいので見ていられない」そうだ。これにも感謝。

 夏の暑い季節は水まきくらいはする。すると、自宅の木のなかに、一匹の蜂が巣を造りだしているのを発見、今はそっと観察中。巣も次第に大きくなってくる。先日、他に一匹の蜂が飛んでいた。いつまで共存できるかなあ。また事務所近くの畑のヤギに子どもが2匹生まれ、元気に遊んでいる。こちらは楽しいよ。ヤギに草退治でもしてもらおうか。
 誰もが持つ少年時代の原風景は気持ちの中にも、現実のなかにもまだまだある。それを発見し、味合い深く生きる余裕が今を生きる世代に求められている。
茂木正男さんとの農業を巡る会話が思い出される。

2010年6月16日水曜日

区長会・議会合同研修会

昨日、本年度の区長会・議会合同研修会が開かれた。
主に、議会の活動内容の概略をそれぞれの常任委員会ごとに説明し、その後、意見交換をしあうもので毎年この時期に行われている。8年ほど前までは、伊香保温泉で一泊の懇親会だったが、財政的配慮から今の形に変更された。25区の区長と16人の議員の参加で行われたが、合併せずにいるためこのようなきめ細かい研修会も開かれるのではないかと思う。
 町長、副町長、教育長の参加もあり、県議の県政報告もあった。今年は口蹄疫の問題が誰もが心配する問題で、去年のインフルエンザ流行が嘘のようだった。そのように口蹄疫問題も解決することを祈るのみだ。
 全地区の区長の意見は地域の声でもあり、こちらとしても非常に勉強になることが多い。議会もしっかりやっていると感じて頂けたかはわからないが、こちらとしてもいつも通りの姿勢で研修会にのぞむことができた。

2010年6月12日土曜日

「所信表明}神野直彦先生の出番かな

菅新首相の所信表明演説の一部をラジオで聞いていた。「強い経済、強い財政、強い社会保障」という言葉を聞いて、もしや、神野直彦さんがかかわっているのかな、と直感的に感じた。今朝、新聞をみると、やはりそうだった。
 群馬県議長会の講師として2年前に神野先生の講演を聴いていた。私が講師接待役だったので20分ほどだが、2人で話す時間があった。自民党政権の最中だったが、先生は明確に小泉、竹中路線を批判し、高額所得者の税率を引き上げることを主張していた。政府税制調査会専門家委員なので、委員にもまともな人がいるものだと思っていた。
北欧社会のような「高福祉・高負担」の国もちゃんと経済成長しているとし、経済成長や雇用対策の一方の軸に社会的正義、言い換えれば、格差是正や所得の平等の分配の観点を主張していた。
 このような観点から政権運営すれば、経済政策は劇的に変わるはず。しかし取り巻きの閣僚には新自由主義の信奉者も多いので、どれだけ神野路線で進められるかということが課題だろう。
 
それにしても、安倍元首相は「菅内閣は社会主義政権のようだ」といい、群馬県の中曽根議員は「菅首相は左翼的」と批判しているらしい。菅直人が左翼で社会主義者だとしたら左翼が大泣きし怒りまくるよ。こんなデマしか言えなくなった自民党は歴史のくず箱行きだね。

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2010年6月9日水曜日

2010年非核平和行進


非核平和行進群馬県実行委員会主催の自治体要請行動が本日、玉村町で行われた。私も議長時代の4年間立ち会ってきたが今年はオブザーバーとして交渉に臨んだ。町からは貫井町長、新井教育長、宇津木議長が対応した。鳩山政権が普天間問題で辞任に追い込まれたこともあり、沖縄の基地も話題になった。
この平和行進が町へ来ると、今年も夏になるなあ、という感じになる。行進に参加する顔ぶれも知り合いが多く、今年も元気でやってるなあ、と思う。何事もこつこつ継続することが大事だ。
平和の問題は私にとり、議員としても個人としても第1級の課題、世界から貧困と収奪、抑圧と戦争を解消することが究極の目標だ。じっくり行こう。それしかない。

2010年6月6日日曜日

「ヒーローショー」は相当いける映画だ

井筒和幸監督作品「ヒーローショー」をムービックス伊勢崎で観た。暴力シーンが壮絶でなかなか評価が難しいという話を聞いていたので、腰が引けていた面はあったが、久しぶりの我が井筒監督作品とあって足を運んだ。最後の時間帯のためか、観客は自分を入れて3人。しかし映画の内容は相当いいね。1970年代を描いたパッチギと違い「ヒーローショー」はまさに現代を描いている。
閉塞感一杯の社会で夢も持てずに生きている若者達の行き場のない状況をまっすぐ描く手法は井筒監督らしい。暴行をこのくらいで止めようかと思っても誰も止めてくれない。相手に憎しみすらないのに死ぬまで殴ってしまう。

 そんな事件がいろんなところで起きている現代社会を作ったのは、他でもない大人達だということを監督自身感じている。個人がバラバラにされ孤独の中で生きるしかないたてまえ社会を突き破れとの強い思いを感じさせる作品で相当いいと思う。この手の映画は観客動員となると難しいかもしれない。採算割れだがそれも監督らしい。監督をそのうち土田君が呼んでくるだろう。その時、じっくり制作の意図などを聞けると思う。

2010年6月5日土曜日

長田書記長と懇親を深める


群馬に夏の物資販売のオルグに入っていた長田動労千葉書記長と一席設け有意義なひとときをすごした。
日本で最左派の労働組合の書記長はどれほどの人かと思えば、まあ一般人とどこも変わらない人間くさい人だ。さまざまな問題を抱え、悩みながら生きていることを吐露し、だからこそ現場労働者と一緒にいられるし、自身も現場で働きながら組合運動をしている。仲間を信頼し決して裏切らない強固な団結体としての組合を作り得た。
 ほとんどの政治勢力が資本主義体制内改革派だが、動労千葉は確かな時代認識に裏打ちされた労働組合で、新自由主義を批判し資本主義社会後の、人間が人間として生きられる社会を見据えている。

2010年6月3日木曜日

逆境を跳ね返せ 富岡ゆきお



1日の玉村町での集会は意外なところで注目された。TBSテレビの2局が取材に入りたいとのことで、急きょ、私の事務所で待ち合わせた中沢経吉さんにテレビ出演を頼んだ。新井猛朗先生宅、石川自動車、下茂木の新井さん宅、中野自動車へ何の事前連絡もなく飛び込み取材となった。一般の人が民主党政権に何を感じているかを取材し、テレビ放映するためという。富岡議員本人も中沢さんの強い叱咤につられてか、鳩山、小沢批判を強めていた。暑い中、自転車で走り回る姿は若さを象徴していて好感が持てる。
 小寺弘之さんを加えての夕方の集会でも、集まった人数(70人程度)の割に迫力と緊張感あふれ、内容も豊かな集会となり、1時間30分を越えたにもかかわらず参加者全員が集中したいい集会だった。
新聞社も5社が入るなど、注目の一日となった。結構、この町には役者がいることの認識を一層深めた。
 そして、翌日、鳩山首相、小沢幹事長辞任のニュースで日本は沸き返った。それにしても、鳩山、麻生、福田、安倍と1年も持たない政権が続いているようでは、本当に情けない。背景には、小選挙区制度があると考える。死票が多すぎる制度で裏を返せば、自民党、民主党それぞれの実力以上の大幅な議席が獲得できるため、国会審議の議席にものをいわせる強行採決が目に余る。実力以上の議席を獲得してしまった政党は本当のところ余裕がないので、まともに野党に対応できず、力尽くの政権運営となり、次の選挙では逆に大負けする。こんなことを繰り返していたら国民大衆はたまったものではない。小選挙区制の廃止を。

 今日から玉村町議会始まる。10日までの予定だ。私は、「滞納処理を巡る裁判の顛末とそれに関連しての行政運営を問う」と題し一般質問をした。

2010年5月29日土曜日

もう25年が過ぎたのか

 今日、群馬司法書士会総会が開かれ、いわゆる「25年表彰」を受けることとなった。同期が13人いた。伊勢崎支部は私と木村康弘、小茂田浩一郎、小林晃の4人の会員、前橋支部は大澤正光さんだ。みんな元気だしまだまだ仕事もできる。しかし、25年という年月の過ぎてみれば早いこと、私も50代半ばを過ぎてしまった。特に大澤さんとは、前橋市立図書館で受験勉強をした縁もあり、また真面目で強欲のない性格も幸いして今だに互いに仕事の相談をしあっている。一緒に勉強をしたといっても、同じ部屋の別の机でそれぞれ本に向かっていただけのことだが、あの時間、あの期間を共有したことの意味は大きいと感じる。当時、一緒にいたのは他に坂内さんもいた。そして今、弁護士として活躍している人もいる。
 当時、朝9時から夜7時までの間、実質8時間は本を読んでいた。100円のボールペンのインクが1週間ほどでなくなるほどノートに書き手で覚えた。とにかく、あの当時の集中力を思うと我ながら感心する。
 開業当時はまだ申請書もタイプライターの縦書き、数字は漢数字だった。登記簿もブック方式で1筆の閲覧申請で何筆かの登記簿をのぞいていた。今は電子申請と隔世の感がある。

 これからどんな社会がくるのか予想することはなかなか難しい。地球の存命時間はまだまだ長いのだから、後先を考えず、未来を食いつぶすような競争の中に埋没することなく、ゆっくり味わい深い人生を送れるような文化社会、経済社会を築き上げるべきとつくづく思う。
 誰もがそうだが、同時代の人の生きている現在は未来との関係では過渡期ということ。様々な事象と格闘し合いながら時代は動いていく。だから複雑で面白い、決してデジタル社会などではない。

2010年5月24日月曜日

韓国哨戒艦沈没は本当に北朝鮮の仕業?

天安沈没事件に関し、北朝鮮の犯行として日、米、韓合同で制裁を検討しているという。
 北朝鮮の犯行という前に、この事実を検証しなければならないのではないか。

以下は「河信基の深読み」から

[それは、天安沈没と同時間帯に指呼の海域で米軍潜水艦が沈没し、密かに引き上げられていた事実だ。
米潜水艦沈没を報じたのは、韓国kBSテレビ。事件から間もない4月7日9時からの「ニュース9」特集「謎の第3ブイなぜ?」で米軍ヘリコプターが米兵の遺体を運び去る映像などを流した。
ネットでは、天安と米潜水艦との衝突説が飛び交ったが、韓国政府当局が「誤報」として名誉毀損で告訴し、KBSのウェブサイトから削除された。韓国のテレビは過去の放送もすべてVODで視聴できるが、同特集だけは「法廷闘争のため映像サービスは中断します」となっている。
その後、北朝鮮関与説が堰を切ったように流され、米潜水艦関与説は脇に押しやられていった。]等々と続く訳だが、同地域で演習していた原潜コロンビアの行方が分からなくなっているという。この辺から探していったらいい。
 天安の切断面が、強烈なせん断破壊面であり、水中爆発によるバブルジェットによるものと思えない。むしろ潜水艦急浮上による衝突ではないか、と河信基は推測する。
 もし米潜水艦による衝突事故だとすると、これも一大事だが、少なくとも、この事件に関し、北朝鮮には「動機がまるでない」のだ。なんでも都合の悪いことは北朝鮮で、その脅威から日本を守るために、普天間基地の移設先を辺野古じゃたまらない。もし米潜水艦による事故だとしたら、やはり沖縄に米軍基地はいらない。

 (デビ夫人のブログにも書かれているので参照のこと。彼女のような一見妖しい人は意外に真実を語るのです。)

 このような国際問題は、事実と違うことから戦争すら始まることを認識しなければならない。湾岸戦争の発端は、イラクがクウエ-トに侵攻したことから始まった。事実は、イラクの地下油田がクウエートにより浸食されていることに再三抗議していたフセインがクウエートに侵攻し、地下油田の浸食を止めさせようとしたことによるものだが、クウエートのアメリカ大使はその旨了解していた。しかし、実際に侵攻すると、イラクのクウエート侵略と非難し戦争を仕掛けていった。
ベトナム戦争の発端のトンキン湾事件だってそうだ。戦争を起こす口実はどうにでもなるのが現実の国際政治だ。しかし、それを許していいのか、と言うのが私の考え方だ。

2010年5月23日日曜日

流動化する政治状況の中で

政治が流動化化してきた。普天間問題で鳩山首相は、ついにというか結局というか、辺野古にそれも埋め立て方式で新基地を建設することを日米合意するという。自民党案に戻ったということ。日米合意を地元や沖縄県民の合意なしにアメリカと合意するなどというやり方は本末転倒であり、民主党が一番嫌っていたことではないのか。
 何度も言うが、小選挙区制度で生まれる二大政党は似たもの政党になることははじめから分かっていた。マスコミも小選挙区推進論者も言わなかっただけのこと。支配階級にとって、国民を支配する幅がむしろ広がったという意味では、しばらく安泰と言うこと。しかし、そうはならないのが政治の世界。経済活動を実質担っているのは労働者であり、その暮らしを保証できない事態がさまざまな面で現れている。「国民の生活が第一」という言葉で、小泉政権の新自由主義路線を批判したのはそういう意味だったはず。しかし、政権を担ったとたん、自民党との違いを見つけるのが大変なほど似たような政策になっている。これが現在の民主党の限界だろう。今後、リベラル政党に飛躍できなければ後はない。

 しかし、出てくる新党はどれもこれも復古調の国家主義政党ばかり。時代錯誤と簡単に言ってしまえばそのとおりだが、実はそれほど単純ではないと見る。グローバル社会の現代は、経済も情報も国境を越えて複合的に機能するため、国家というものさえ時には無用ないしは障害となって立ち現れる。それぞれの国々の人々が国家という求心力から解放されたときどんな世界が訪れるのかは、単純な話ではないのでここではすすめないが、一面極端に無秩序な世界が訪れる。世界の現秩序を維持しようとする現在の支配層はそれぞれの国家秩序を維持するため、保守主義に走り国民を国家に縛り付けようとする。
 例として、アメリカはグローバルな新自由主義(ネオリベラリズム)と新保守主義の路線のもとでイラク戦争を起こしたことを忘れてはならない。
 不可逆的な国際化と保守主義のバランスで何とか国家運営を乗り切ろうとしているのが現在の状況だが、この保守主義は独善的な愛国主義、差別排外主義となって思わぬ不幸を国民や周辺国に及ぼす危険性があることを、歴史からも教訓化する必要がある。
 この辺から今後の流動化する政治を見ていった方がいい。

2010年5月15日土曜日

辻元清美、保坂のぶとと語る会


11時から高崎音楽センター会議室で夏の参議院選挙に向け、辻元清美と保坂のぶとを招いての集会が開かれた。辻元は政府中枢に入っているのでそれなりの情報を持っているが、それでも保坂の情報はどうしても必要なものだという。
 確かに、八ツ場ダムを中心とした公共事業に関しては保坂は1級の情報を持っている。しかし、それにはそれだけの力を注いでいることも事実。
中学卒業時の内申書に「政治活動を行っていた」と書かれたことで高校進学を拒否され、「内申書裁判」を16年間たたかい抜いた。社会の底辺で仕事を転々としながら、独学でジャーナリストになった経歴は大いに評価したい。

辻元は、子どもの頃、親子4人で、店の2階ひと部屋に住んでいた。風呂もトイレもない部屋にだ。友達の誕生会には行けても、自分の誕生会に友達を呼べない。これが今もヒガミになっている、と告白する。今、政府中枢で、住宅政策の抜本的変革に取り組んでいる。
 こういうタイプの人間が社民主義政党の社民党で活躍することは大変貴重なこと、組織ではなく、多くの市民の思いを受けて、新自由主義と対決してもらうことを心から願う。

2010年5月14日金曜日

平居照朗先生の死を心から悼む

 ついに10日、平居照朗先生が逝去された。とにかく並の人物ではないので表現に困ってしまうが、資本論を学問としてあそこまで深く理解していた人がこんな身近にいることに驚いた。勉強会を続けてもっと多くの人に学んでもらおうという意欲満々だった。中国語、韓国語、そして歴史に通じ教養も豊かで、俗っぽさも持ち合わせている。人の名前をよく覚えているのには驚いた。その人が鬼石町で儲かりそうもないガソリンスタンドを経営しているのだから面白い。私は先生の愚痴を聞いたことがない。資本主義の原理を知っていたから、愚痴なぞ言ってもなんの役にも立たないと思っていたのだろう。亡くなってからその評価が高まる人であることには間違いない。

 資本論がどれほど難しいか。資本論のフランス語版にたいする序文と後書で、カール・マルクスは言う。「学問には坦々なる大道はありません。そしてただ、学問の急峻な山路をよじ登るのに疲労困憊をいとわない者だけが、輝かしい絶頂をきわめる希望をもつのです。」と。

生前、先生から「死んたときは弔辞を頼むよ」と言われていたので思いを込めて読ませていただいた。マルクスが亡くなったときエンゲルスが悼んだ言葉を援用しようかとも思ったが、いきなりは見つからないし、そこまですると、真の意味での平居照朗先生への追悼から外れてしまうので止めた。ご冥福を祈るばかりだ。塾生同士の関係も継続し「しのぶ会」を落ちついたら企画したい。


               弔 辞
薫風香る5月、今は亡き平居照朗先生の御霊前に謹んで哀悼の言葉を捧げます。
7日にお見舞いしたときは、元気な様子で、短時間ではありますが、私たちとお話していただき安心していたところ、11日の朝、このような悲しいお知らせを受け、驚きとともに深い悲しみに沈んでいます。
今日は、平居塾で共に学んだ84才の小林悟さんをはじめ多くの塾生が参列していることをご報告します。

先生との出会いは、平成17年にさかのぼります。私の大学時代の友人を通じて「鬼石に経済学を講義できる先生がいるので、勉強会を企画しないか」と誘われたことからでした。どんな経済学かと尋ねると「マルクスの資本論」と言います。
私自身、若い頃から幾度となく挑戦した資本論は、あまりにも難解でそのすそ野にも入り込めない状況でした。マニフェスト(共産党宣言)すら理解したとは言えません。

半信半疑で平成18年1月から、月1回のペースで藤岡公民館を拠点にして始まった平居先生による「資本論講座」は驚きと新鮮さの連続でした。
最初は日高晋著「経済学」から経済学の考え方を学び、宇野弘藏著「経済原論」と資本論を並行学習する形での勉強会でした。そしてなんと4年間で資本論全三巻の通読解説を終えてしまったのです。参加者は当初、10人程度でしたが、その解説の分かり易さと先生の奥深いさまざまな分野に及ぶ知識の支えもあり、参加者は減るどころか、次第に増え最後には30人にも達しました。年齢も20代から80代までと全世代を縦断しています。

「この困難な時代だからこそ、資本論を学ばなければいけない」と言う平居照朗先生は、高崎経済大学から法政大学大学院を終了した宇野弘藏経済学派に属する在野の経済学者です。

先生は自由、自主を信条とし、参加者の思想・信条は全く意に介さない公平感覚あふれた人でした。勉強会の後は近くのラーメン店で、復習やら社会情勢を語り合い、夏と冬は居酒屋で酒と料理を囲んでの熱い語らいのひとときを持ちました。塾生一同、年齢も職業も信条さえも違う者同士でしたが、平居先生を中心にした4年間の学びの時間を共有した今は不思議な信頼感で結ばれるようになっています。

先生は事業経営をしながらも、時間があれば、読書、読書で、新聞はスポーツ紙も含め全紙を読み、さまざまな知識に富み、中国語、韓国語にも堪能でした。そのような人が自信を持って語る資本論は迫力があり、説得力がありました。この間の講義に対する報酬も一切拒否するなど、私たちには申し訳ない限りでした。

資本論は、資本主義社会においては、人間が資本の利益を生み出すための道具でしかないことを、一昨年秋、資本の暴走という形で起きた米国発の「リーマン・ショック」で証明しました。社会の主体が資本ではなく、人間が主体の社会に変えていかなければいけない。そのことを理解する上にも資本論学習は必要だと、みんなで議論したことを思い出します。

最終講義はどこかの大学の教室を借り「市民講座」として多くの人が参加できる企画をし、何らかの区切りにしようと考えていましたが、実現することなく、先生は私たちの元を離れてしまいました。
それは形式を嫌う平居先生の私たちに対する思いやりであり、4年間の学習をそれぞれの人生のなかで、区切りなどつけず継続して活かして生きよ、という叱咤激励と思えてなりません。

平居照朗先生、本当にお世話になりました。あなたの知識と理解度には及ぶべくもありませんが、これからも学習を続けることを御霊前にお誓い申し上げます。どうか私たちを忘れないで下さい。残されたご家族の方々をお守り下さい。そして安らかにお眠り下さい。
 平成22年5月14日
             資本論講座平居塾一同
             代表して玉村町議会議員 石川眞男

2010年5月8日土曜日

大いなる一日、再度の竹の子狩り



晴天の朝9時過ぎから富岡市内の山に入りこんだ。伊勢崎の堀込清孝さんを含め総勢8人。前回と違い竹の子がそこにもここにも顔を出している。慣れてくると掘り出すのはなんとかできたが、今度は車まで運び出すのが重労働で大汗の連続、午前中で作業を終えたときには、軽トラックは竹の子で一杯、昼食の後、ただちに帰り、適当に分け、それぞれどこかへ分配したみたい。
 竹の子狩りはもちろんそのものが楽しいが、晴れた日の竹藪は空気がほんとに気持ち良く、その中での作業は自然環境の偉大さを否応なく教えてくれる。疲れ果て車に帰ったところにある浄水場の冷たい水がうまいことこの上ない。大いなる一日だった。

2010年5月7日金曜日

結局、辺野古への移設はないでしょう。

鳩山首相、育ちも人柄もよく、真面目そうなのも理解するが、普天間問題で結局は辺野古はないでしょう。「勉強したら海兵隊の抑止力の必要性を理解した」とか。海兵隊はイラクやアフガンに真っ先に行き、突撃するもっとも危険で暴力的な部隊なのに、その暴力性を「抑止力」としてそれにすがる防衛とは何だ。日米安保はいつか日米同盟と化し、アメリカの世界戦略に深く取り込まれてきた自民党の「安全保障体制」を変えるのが政権交代だろう。日本はあくまで、専守防衛の範囲でのアメリカとのつきあいだけにすべきで、中東にまでその範囲を広げるアメリカに対し、そこまではできません、と言うのが新政権の役割のはず。「普天間基地閉鎖、撤去」でいいんだ。「軍事による安全保障」を「人間と環境の安全保障」に少しずつ変えていく外交力が決定的に求められている。
 一方、我々もすっかり舐められていることに気づく必要がある。ハーバーマスの「晩期資本主義における正当化の問題」で、科学技術は進展し、識字率が高くなっているのに、何でそんな事信じちゃうのという場面がしばしばある。それは「順応性の気構え」ということ。ある情報について一つ一つ検証していけば、全部検証する基礎的な学力、能力はあるが、情報量が膨大である場合、一つ一つ検証していたら時間もかかるし疲れてしまう。とりあえず、メデイアに出る知識人の発言を正しいと受け止める気構えのこと。ワイドショウのコメンテイターの発言をとりあえず確かだろうと受け入れる。これが「順応性の気構え」、ほとんどの発言は、中国や北朝鮮の危険性を声高に叫び米軍の役割を不可欠のものとしての発言がほとんど。これでは、「普天間基地は危険だけど、どこかに移設場所を確保しないと国が守れない」などという予断が確立してしまう。反対側からの発言、検証姿勢がない中で、我々は本当の所を理解することから遠ざけられている。
 本当のところ、基地を減らしながら様々な安全保障の組み合わせで近隣諸国との善隣関係を強化する道を探った方が後々いいと断言できる。


 昨日、再入院した藤岡の平居先生を秋山、岩城さんと一緒に見舞った。夕暮れ時の訪問にも関わらず先生は喜んで迎えてくれた。4度目の見舞いになるが、少しやせた様子だった。

2010年5月4日火曜日

ひねもすのたりのたりかな



2日の山歩きのとき、花粉を浴びたためか、鼻くんくんで風邪だろうかと思う症状がまだ続く、いい機会だからゆっくり自宅で、ひねもすのたりのたりかな。さして手入れもしない庭だけどボタン、ふじ、ハナミズキの花が心を癒す。これからは草とのたたかいの季節だ。

 昨夜は、土田夫妻呼びかけによる、高崎映画祭でご苦労された志尾睦子さんたちスタッフの慰労をかねて、ホルモン屋で一席設けた。偶然、「カチンの森」を観に来た緒方明監督も同席され映画談で盛り上がった。監督は「のりちゃんのり弁」「いつか読書する日」など秀作を撮り続けている。いろんな映画を観ているそうだ。ツッチーが専門的な話をし、我々がシロート衆として質問をする。「送り人、は最低の脚本と最高の演出だね」とそのシーンを細かく説明してくれた。
 映画祭の話は多くはできなかったが、映画好きな若者がでてきたのは頼もしい。睡眠時間5時間の志尾支配人の気苦労はさらに続く。

2010年5月3日月曜日

憲法記念日に思う


昨日はひとり藤岡から神流の山を歩いた。そう距離はないけど春の新緑は気持ちがいい。早滝も2年ぶりに見た。滝壺に木枝が落ちていて一昨年夏のようには入れない感じだ。自然の中に身を置くことは安心感を覚える。これに尽きる。しかし、花粉には悩まされる時期だ。

 今日は憲法記念日、上毛新聞紙上での憲法を守る意見広告にも、例年通り名前を何人かの仲間とともに入れさせてもらった。この意見広告を見た人が、同じことを考えている人がこんなにいるんだと感じ少しでも元気になればいいと思っている。
 憲法を巡る情勢は大変厳しい状況に今後なることが予想される。世論調査によれば「9条を変えない」という割合が7割近いらしい。しかし、国会の状況を見れば、護憲派は共産党と社民党だけ、民主党も本当のところ分からない、というより本質は改憲政党といえる。自民党にいたっては「徴兵制」も書こうかという議論だし、「みんなの党」「立ち上がれ日本」その他新政党はどれも改憲派政党。彼らは、国会で議論を始めれば世論など簡単に変わってしまうことを知っている。無理矢理、世論操作すらしてしまうのだ。
 憲法を語るとき、制定当時の状況をなぞるだけの牧歌的護憲論ではもはや時代遅れで、改憲勢力に対抗できない。彼らは、新自由主義を前提にその過酷な大競争に打ち勝つための軍事国家と国家総動員をも狙った改憲攻撃を仕掛けている。新自由主義の果てしない競争に終わりはなく、ついには勝者はだれもなく、荒廃と化した世界が残るだけこと。このことを認識しなければいけない。
 我々は新しい社会、真の意味で人間が人間として生きることのできる社会を作れる地点に実はいることをもう認識すべきだ。高度に発達し、生産力も増大化した経済社会を作り出しているのは私たちだろう。分配さえ公平に行けば世界から貧困はなくなるほどの生産力を保持している。利己的な価値観を社会的な価値観に転化できれば、全く違う世界が広がる。終わりなき不毛の競争社会から人間性を基本に据えた協調社会への転化を進めることが改憲阻止の大きな力となる。江戸時代だって300年持たなかったのだ。資本主義も永遠ではない。

2010年5月1日土曜日

竹林の中へ


28日は前橋市議会議員の三森和也さんの結婚を祝う会に出席、角田義一さんや多くの仲間とお祝いした。参加者が多すぎて会場を二つにして、当人がそれぞれの会場を行ったり来たりという落ち着かないパターンだけど、それも三森さんらしいほほえましいひと時だった。素質があるだけに今後の彼の大きな飛躍を期待したい。1区選出の宮崎議員も2月に結婚し、夫婦で参加していた。

29日は3度目の竹の子取りへ。急に決まったため声掛けも不十分のなか、富岡市にある関口さんの実家の山へ6人で出かけた。小雨模様だったが竹藪の中まで雨が落ちてくることはほとんどなかった。とにかく山には慣れていないので、現場に行くのも疲れる。今年の天候不順の影響か、どこにも竹の子があるという状況ではなかったが、それでも悪戦苦闘の結果、結構な収穫があった。帰る頃には太陽が戻った。
 竹の子狩りの楽しさは、山に入り、竹林の中に身を置くことにある。竹林から上を見上げると、まっすぐ伸びる竹の先に見える空の青さと深さが、なぜか安心感を与えてくれる。ときどき足元に届く陽射しは神秘的ですらある。自然の中に生きていることを謙虚に実感できる。それを感じるだけでも山はいい。

「カテインの森」が今日から上映、ポーランドは1939年9月1日にドイツに、17日にソ連に侵略される。ソ連の捕虜になった約15000人の将兵が行方不明となり、43年春、カテインの森で遺体が発見された。ドイツはソ連の仕業としたがソ連はドイツによる犯罪とした。戦後、ソ連の衛星国になったポーランドでは、この事件について語ることを禁じられていたが、1989年ポーランド雑誌が証拠を提示しソ連による行為と暴露した。2年後エリツイン大統領は、スターリンの命令によったものと言明した。
圧倒的な暴力で機械的にポーランド将兵を虐殺していく様子は戦争と命令のむごさ、又それに従うしかないソ連兵の身の置き所のない状況を現している。
ロシア革命の夢はスターリン反革命により完全に打ち破られ、今も社会主義は誤りとして多くの人々はとらえている。この観点から言えば、スターリンの罪はヒトラー以上だ。
 ひとつの歴史を、戦争の罪を考える意味で是非観ることを進めたい。

2010年4月30日金曜日

「福島みずほ」国政報告会


先週、岩鼻での強制連行被害者慰霊祭の時、今日の報告会の件を山田ゆきお市議から聞いていた。
連休前で色んな仕事も重なっていたが、何とか工面をして高崎労使会館に駆けつけた。
福島さんとは、昨年4月の女性サミットでご一緒し、7月の衆院選の時も会ったがそれ以来だ。
大臣ということで大変なようだが、楽天的な表情は変わらない。連立政権のなかでのしんどさは
あるが、政治が違う方向に行かないようにするには、中で主張していく必要がある、と訴えていた。
現実の政治において、社民主義政党の存在の重要さは理解している。国労高崎などを主体とした実行
委員会が主催したもので、伊勢崎市議選をともに戦った81才の竹澤さんが伊勢崎から来ていた。
国労OBで、当時の活動家は年齢を重ねても強い信念を持っていることに改めて感心した。
角倉邦良、後藤かつみ両県議もいいコンビであいさつ。いい雰囲気の集会だった。

5月15日には高崎に保坂展人と辻元清美が来る。行かなくっちゃ。

2010年4月27日火曜日

「富岡ゆきお、小寺弘之」を囲む会の日程を決定

6月1日(火)玉村町下新田5丁目公民館(玉村町商工会の西)で、「富岡ゆきお、小寺弘之を囲む会」を開催することが決まりました。昨年夏の衆議院選とはまるで違う政治状況の中、いよいよ7月参院選に向けた取り組みを開始します。「時計の針を後退させるな、民主党政権をもっとリベラルに」の思いで夏の選挙をたたかいたい。現状の政治には山ほど言いたいことはあるが、政治をもう一歩前に進める事により、政治を真の意味で国民の手に取り戻したい。負けられない選挙です。多くの皆さんの参加をお願いします。

 期日 6月1日(火)午後6時30分から
 会場 玉村町5丁目公民館 玉村町商工会の西、玉村小学校の南
 参加者 富岡ゆきお、小寺弘之
 他にも様々な人士に応援に来て頂きます。


 町は現在、第5次玉村町総合計画策定に向け、町内8カ所で住民意見交換会を開催している。昨日は、箱石公民館だった。道路のことになると、多くの人が集まるのだが、昨日の説明会の参加者はそう多いとはいえなかった。今日は上之手公民館、28日は角渕公民館、最後の30日は芝根公民館でそれぞれ午後7時から9時まで開催。

2010年4月25日日曜日

「記憶、反省、そして友好」の追悼碑を守る会の追悼集会


群馬の森の中に建立されている追悼碑の前で、7回目の強制連行犠牲者追悼集会が開かれた。私自身三度目の参加になる。日本の植民地時代、朝鮮半島から多くの人々が強制連行され、過酷な労働を強いられまたは戦場に追いやられ、女性の一部は「従軍慰安婦」を強制され、尊い青春と命を奪われていった。
 今日に至っても、政府はその真相究明に誠実に取り組んでいない。そんな中、県有地に「記憶、反省、そして友好」という追悼碑を立て、未来に向けた日本と朝鮮の友好と平和の基礎にしようと運動してきたのが猪上輝雄さんを中心とする「強制連行を考える会」の人たちだった。公有地に建立されている強制連行の碑は、他にはないそうだ。だから「追悼碑を守る会」なのだろう。在日朝鮮・韓国人や多くの日本人も参加し、子ども達が歌う「イムジン川」が新緑の森の中に心地よく響いた。
「韓国併合」から100年目の今年を歴史の真実に向き合う一年にしなければならない。真理は人を自由にする。


5時からは前橋での「富岡ゆきお国政報告会」、鳩山首相が来るとあって、右翼の宣伝カーが何台か怒鳴り声を上げながら走り回っていたが、鳩山首相がそんなに気にいらないのだろうか。彼は右翼が騒ぐほど左派ではないことは誰にもわかるだろう。気にいらないことは私にだってある。高校授業料の無料化の対象から朝鮮高校を除外するなんて許せない。

夜は選挙戦最終日の伊勢崎市へ。堀込清孝事務所で最後の追い込みに参加した。

2010年4月22日木曜日

群馬防災ヘリコプターを視察

全議員で前橋市下阿内町にある群馬ヘリポートを訪ね、ヘリコプター「はるな」を横に防災訓練の様子の説明を受けた。
「はるな」は就航以来13年を迎え、数々の緊急運行を行い、災害、山岳事故の救急救助では多くの人命や財産を守ってきた。平成20年度が114件、21年度は109件の出動だった。21年度からドクターヘリの運用開始により救急の件数は減ったものの、山岳での滑落事故の増加のため、全体としては例年並みとなった。緊急時に対応するには、日常訓練の重要性を隊員の皆さんは訴えていた。
 近所に住む人にとり、その騒音により、「眠れない、落ち着かない」の声がある。このような声には、騒音対策を適切に行うことで対応できるはずだ。どうにもならない米軍基地の騒音とは違う。
 米軍基地のことがバスの中で議員同士の話になった。「基地がどこに行っても、行った先で誰もが嫌だ、駄目だと言う。そのくせ口を合わせたように日米同盟は必要と言う。本当に必要なのか。沖縄だけに負担させることはいいことなのか。嫌な基地などいらないと言えないのか」と言うと、みんなうーんと言うだけだった。本質に突っ込まなきゃ。
 
 

2010年4月19日月曜日

戸澤英子の「リメイク・ファッシヨンショー」


3度目になるリメイク・ファションショーが新町文化ホールで開催された。上茂木に住む戸澤英子さんの作品で、着なくなった古着など
を今様に手直ししたもの。驚くほど斬新な作品ばかりで、見る人を驚かせた。
会場はほぼ満員でショーの合間にカラオケや三味線、フラダンスなどもはいり
見応えのあるショーだった。

藤岡市長選と伊勢崎市議選の告示日でもあり、関係ある何人かの陣営にあいさ
つ回りをした。

2010年4月17日土曜日

重層的に重なる一日


明日告示の伊勢崎市議選のポスター張りの打ち合わせから始まり、さまざまなことが重なる一日だった。
「田辺誠先生の米寿を祝う会」へ参加するため高崎市内駐車場に止め車から降りると、ふと目にとまったのが「傷つけるために軍事費を使うより、生かしあう世界のために、まず、私たちが信じること、行動することから始めませんか?」の大きな文字。窓枠いっぱいに張られていた建物は立正佼成会高崎教会。こういうアピールは不動産会社などの企業宣伝が多いなか、また大学だって立て看板まるでなしの現状のなか、一瞬たじろいだ。しかし、先日の教会長の話を思い出し合点がいった。佼成会が議員を推薦するについて5項目があるという話だ。生命尊重、平和憲法擁護、憲法9条を守る、思想、信教の自由、政教分離原則の維持だ。どの項目もそのまま私にとって受け入れられるものだった。そしてこの教会建物を挙げての表現行為に背中を押されているような気分になった。

 そして「田辺誠さんを祝う会」、これが盛況で、90才の田辺さんの先輩、元全逓関東地本執行委員長の清水さんの話がよかった。当時、選挙違反で誰が逮捕されても、誰もが黙秘をして組織を守ったという話。近くにいたJP労組の幹部に聴くと、「いや今は全然だめですよ」という。また田辺さん自身も記憶力鮮明に当時の裏話をし、健在をアピールした。

帰りがけに、高崎市タワー美術館で開催中の「土門拳の昭和」の展示場に入った。さまざまな写真があり、ひとつひとつゆっくり見ると時間を忘れる。なかでも「筑豊のこどもたち」がよかった。「弁当を持ってこない子」の説明が悲しい。「弁当をもってこれない子どもは、弁当を食べている子どもの隣で絵本を読んでいる。食べている子ども達が何かの拍子で笑ったとしても決して見向きはしない。」
昼ご飯を食べられない子ども達はどういう思いで大人になっていったのだろう。そして今、格差社会のなかで給食費を払えない親が出てきている。この写真が現在のことにならないようにしなければならない。

4時からの参院選対策会議(富岡、小寺両氏の当選にむけての会議)終了後、シネマテーク高崎で[ドキュメンタリー頭脳警察]。60才過ぎのパンタとトシがまだ叫んでるのには驚いた。「さよなら世界婦人よ」「銃をとれ」「コミック雑誌なんかいらない」最後は「歴史から飛び出せ」など30年ぶりに聴いた。よかったねえ、当時を思い出しながら聴いた。重信房子へ面会に行く場面もあった。「俺が中にいて逆だったかもしれないんだ」の言葉が離れない。森達也も出演、まだまだ熱い頭脳警察、3部作なのでもう2本見なくては。
今年の夏は小林一茶の生家訪問の他に頭脳警察のコンサートも加えたいね。

2010年4月15日木曜日

議会全員協議会

午後から全員協議会と県央処理場特別委員会に出席。町総合計画策定に関し住民との意見交換会の実施説明、庁舎外壁修繕工事、次世代育成支援地域行動計画、裁判の和解についての説明があったが、滞納処理に関し町が被告として提訴されている裁判(一審勝訴)で和解したことに関してはさまざまな批判が出た。しかし、そもそも訴えられるような疑義ある徴収をしたことも事実で、これを最高裁まで持って行き、「モデル判例にすべきだ」論には組みできない。滞納額20万円程度にどれだけの時間と弁護士費用を費やすのか考えた方がいい。採算を度外視し、一面的正義を追い求める行政でいいのかが問われている。訴えられない行政に転換すべきだ。行政はバランス。

5時から、町在住のドイツ人ツッキーさんと町長室を訪問、環境を大事にする翻訳家らしい発想で町にいろんなアイデアを提供していただけることを期待する。

2010年4月14日水曜日

竹原阿久根市長の手法にだまされるな

竹原阿久根市長が議会にさえ出席せず、課長にも答弁を禁じているという。マスコミの傍聴を嫌ってのことらしいがマスコミの傍聴、議会の公開は当たり前だろうに。市長という権力者の意にそわない者は排除するというファシストだねえ。
そもそもこんなに高い給料を職員はもらっていていいのか、と言わんばかりに職員の給料を張り出し、それに抵抗した職員を懲戒免職にした。裁判の結果、職権乱用で解雇無効が確定したにもかかわらず、今度は最高裁判所の裁判官の給料をブログに乗せ、「こんなに恵まれている裁判官に正しい判決は出せない。」という意味のコメントをしているという。なんというアナーキー、これは市長としての発言ではない。
 一般公務員の待遇を問題にするのではなく、むしろこの経済下、全く生活できない膨大な人々が生み出されていることを問題にすべきだ。公務員がワーキングプアになり、国民みんながかつかつにしか生きていけない状況が公平で理想とでも言いたいのだろうか。世界は2割の人々が8割の富を分捕り、残り2割の富を8割の人々が分捕りあっているという事実に目を向けなければならない。そして極端な新自由主義の結果、1割の人々が9割の富を分捕り、残り1割の富の分捕り合いを9割の人々がさせられているという現状をこそ問題にしなければ何にも解決しない。株主配当で大資本家がどれほど膨大な金額を労せずして得ているか、大企業の役員配当がどれだけべらぼうに高いかを問題にすべきだ。
 労働することなしに生きていけない膨大な労働者を、恵まれている公務員労働者と恵まれていない民間労働者に分け、むやみに対立させ、問題の本質から目をそらせるやり口にこれ以上だまされてはいけない。

この市長、一度議会から不信任され、失職後再度市長に当選した上での今回のご乱交。こういう人物を市長に押し上げる背景が実は怖いのだ。荒んだ社会が見えてくる。
第一次世界大戦の戦争賠償の重圧の中で、インフレにあえいだドイツ国民は、選挙で排外主義を煽るヒトラーに政権を託し、極めて残虐な戦争犯罪を犯した歴史を想起すべきだ。日本でも保守的路線の新党ができてきた。差別排外主義路線に乗ってはいけない。まさに今は時代の転換期だと言うことがよくわかる。

2010年4月12日月曜日

高崎映画祭終了

昨日で24回高崎映画祭が終わった。今年は15作品しか観れなかった。それでもかなり良い作品があった。最終日は「ハーベイミルク」「デイア・ドクター」を観たがどちらもいいね。同性愛者をカミングアウトし公職に就いた初のアメリカ人ミルクの生涯を描いたドキュメンタリー映画。アメリカ帝国主義は大嫌いだが大衆文化の自由さは本当にすごいと思う。新自由主義で疲弊しきっているアメリカの大衆が本気で怒ったとき時代は変わるね。
そして西川美和監督の「デイア・ドクター」、暮れゆく山村の家々がうっすらと浮かび、そこからバイクの明かりが揺れながら近づくシーンから始まるのだが、これがよかった。信頼されるニセモノと信頼されないホンモノのどっちがいいというのではなく、世間はそんなもんで成り立っているんよ、と言いたいのか。村長が警察手帳をかざす警察官に「そんな手帳見たってホンモノかなんてわからない」というシーンなどもいい。是枝裕和監督の感性と近いところが感じられる。難しいテーマをわかりやすく映画化した作品。

 シテイーギャラリーから市民文化会館に移動するとき、市民市民会館から出てきた土田君とすれ違い、「デイア・ドクター」を観て駐車場から出るとき、「母なる証明」を観るために来た岩城さん夫婦に会った。そして私が行くと必ずいると言っていい中尾司法書士もいた。錯綜する人間の行動が面白いし、それもこの映画祭が作ってくれた。全スタッフに感謝。

土曜日の午後7時からはシネマテークで「頭脳警察」。そして来週は伊勢崎市議選が始まる。

玉村町経営改革実施計画を読み出しているが、どうしても小泉構造改革路線から脱却できていない感じだ。徹底した経費削減と効率、成果を重視した事業の見直しなど「みんなの党」が喜ぶような計画が並ぶが、社会から置き去りにされている人たちにどう手をさしのべるのかも行政の大事な仕事のはず。税金の滞納に対する延滞金の税率年14.6%はどう見ても高すぎる。このあり地獄に入ってしまうと立ち直れる人も立ち直れない。生活再生のため何らかの措置はとれないものか調べたい。

2010年4月11日日曜日

政治の季節が始まるか


昨日「立ち上がれ日本」という新政党ができた。「家出老人の集まり」とか「立ち枯れ日本」とか言われているが、とにかく次の選挙には出られないほどの高齢者が集まり、しかも「国家主義的観念」を前面に押し出しての路線では時代錯誤も甚だしい。他にも新たな政党の話も出ているがどれも右派政党ばかり、これが日本の現状かと嘆くことしきり。新自由主義を問題にすることなしに未来はない。

昨日、高崎音楽センター前広場で蓮舫参院議員を招いて富岡由紀夫議員の街頭演説会が開かれた。7月参院選に向けての演説会だ。民主党には基本軸で自民党と重なる政策がかなりあるため、投げたブーメランが自分の所に飛んでくるような状況になりかねない。リベラル系議員は推すけど保守系は勘弁してよの思いだ。
何度も言うけど小選挙区制度はいけません。民意が政治に反映されないんだから、大雑把に集約されるから、変えるべき大きな所は変わらず、枝葉末節で小競り合いを演じるだけ。イギリスの小選挙区制も座礁しているようだ。
 例えば「普天間問題」。県外移設、国外移設で神経すりつぶしているが、「普天間基地閉鎖、撤去」で腹を固め、これが民意、国民の意思、政権交代の意味としてアメリカと交渉し、押し切るしかない。アメリカの属国として世界中の戦争につきあわされるなんてまっぴら御免という態度で臨むことしかない。


 昨日、ポーランド政府専用機がロシアで着陸に失敗し墜落、大統領夫妻を含む大勢の人々が死亡した。70年前に起きたポーランド将兵2万人以上をソビエト軍が虐殺した「カチンの森」事件の慰霊祭のための訪問だったという。なんと皮肉なことか。「カチンの森事件」は当事者の息子が監督として映画を作り上映されている。期待していた映画だけど複雑な思いで観ることになるだろう。

2010年4月7日水曜日

桜満開の中を国会見学


昨日は天候もよくドライブには最適な一日だった。予定通り50人で満席のバスは一路国会へ、見渡す桜並木は満開で迎えてくれた。参議院会館内の説明を受け、3時過ぎに参議院議長公邸到着、富岡由紀夫議員の出迎えを受ける。公邸の敷地内の桜も満開、記念撮影後、江田五月参議院議長、富岡由紀夫議員のあいさつと懇談のひとときを持った。鋭い質問も飛びだし、単なる表敬訪問とは訳が違うことを示した。新井宏美さんは「人間をモノとして使う社会から、人間として扱う社会に変えるのが新政権の役割だろう」と持論を展開、山口さんは「総理と幹事長の問題の行方は」と鋭く迫った。江田議長はやんわり交わしながらも、「明治維新は下級武士が取って代わったにすぎず、この政権交代こそは国民の意思によるもので、そうならば、そのように結論は導かれるはず」と語った。
 その後NHKの歌謡ショウへ、五木ひろし、橋幸夫、五月みどりだからね。「ダンシングオールナイト」のもんたよしのりも出演していた。結構、締まった公演で、結局、家へ帰ったのが12時。高齢の人も多かったので心配だったが、今の時点で、異常があったという話はない。みんな元気です。

2010年4月4日日曜日

どこも花見


まだ寒さは残るけど、いよいよ桜の花も待ちきれないのでしょうか。
咲き出しました。東部運動公園はまだ咲き始めた状況でまだ早いようです。
町内の桜の見頃は今週半ば以降でしょう。しかし、カレンダーが待ちきれません。
社会体育館の駐車場を利用して桜祭りが開かれました。フラガールもたくさん参加
して賑やかでした。高久さんに声をかけられ、限定100個の龍の玉まんじゅうを
買い込みました。コミュニテイーはセキュリテイ-。

民主党の宣伝カーが町に入ったけど、テープを流しているだけじゃ弱々しくて、思わず
マイクを握りました。「自民党と代わり映えしないのでは政権交代の意味はない。もっとリベラルに。」と。

2010年4月2日金曜日

国会見学の打ち合わせ

6日に予定されている富岡由紀夫事務所の手配による国会見学、参議院議長公邸見学、NHKの歌謡ショウ参観の打ち合わせをバス会社の社長と行った。人数も上限の50名に達しそうだ。桜の花を見ながらのバスツアーもいいでしょう。その後、社長の個人的な相談が長くなってしまった。難しい点もあるので7日以後また考えましょう。
 
夜はシネマまえばしで「国定忠治」を観る。

4日は民主党の宣伝カーが玉村町に入るので、同乗して欲しいとの依頼があり、午前中地元議員として乗り込むことにした。「もっとリベラルに」と叫びたい。

2010年3月31日水曜日

映画「沈黙を破る」から考える事

高崎映画祭の上映映画はやはり観た方がいい作品ぞろいだ。勿論すべては観られないが観た中で、「デイファイアンス」と「沈黙を破る」は特に印象的・示唆的だ。前者はナチスの弾圧と闘うユダヤ人たちの実話を映画化した作品。「誰がため」と両方観るといい。「沈黙を破る」は、2002年イスラエル軍がユルダン川西岸へ侵攻したとき、元イスラエル兵が自らの行為を告発する写真展を開いた。パレスチナ人の実態を撮り続けている土井敏邦監督が占領する側イスラエルの若者や社会に目を向けたドキュメンタリー。
若者たち言う。「イスラエル軍は世界で一番人権を大切にする軍隊というがとんでもない。学校で教わったこととまるで違う犯罪行為を軍はしている」。実体験に基づいた発言だから重い。「沈黙を破る運動」を支援している人も、実は14歳の自分の娘を自爆攻撃により死なせている。可愛い盛りの娘を失った悲しみと怒りは誰とも同じだが、この怒りと悲しみは家族を失ったパレスチナ人も同じだ。「こんな戦争状態の原因を考えると350万人のパレスチナ人を片隅に追いやる政策にある」とイスラエルの政策を批判する。「最後は話し合いで解決するしかない」という。是非、観て欲しい作品だ。

それにしても、第二次大戦時、ナチスに大虐殺されたユダヤ人が今、パレスチナ人をまた大虐殺している現実はいったい何なんだ。ユダヤ人が問題なのではない。シオニズム政策が問題なのだ。

一方の日本、拉致問題に関し、「家族会」の元事務局長だった蓮池透さんが「家族会」から脱退させられたという記事が昨日あった。簡単にいうと除名ということだろう。最近、蓮池透さんが書いた「拉致」という本を読んだ。以前とかなり変わってきた、事実を見る眼をつけてきたと思った。この問題は明治以降の植民地政策から読み解かないと解決不能だと、私は以前から考えている。朝鮮半島の現実は未だ「休戦中」、その中での軍事作戦の一環として行われた事件ということ。日本が軍事作戦でどれほどのことをしたのか、知れば知るほど恐ろしくなる。昨日(過去)のことはすべて伏せておき、今の拉致事件だけ主張しても通らない環境に朝鮮民主主義人民共和国はあることを認識すべきだ。「圧力一辺倒」の家族会の路線は極右路線で、それについて行けない透さんが除名されたならそれでいいではないか。最後は対話路線しかないのだから。
もう一つ、4月に金賢姫が来日し、それが拉致問題の解決になるよう期待する向きもあるそうだが、だめですよ。彼女はすでにすべて語ったし、それ以外のことは出てこないし、国民の感情を対北朝鮮批判一色に染めようとする単なる政治ショーに過ぎない。こんなことをして交渉相手をよりかたくなにさせて解決は遠くなるだけのこと。分かってないよ、中井さん。民主党になっても全く駄目だね。経済制裁で在日を困らせて溜飲を下げているようでは、政治じゃないよ。高校授業料無料化政策から朝鮮学校を排除するなどもってのほか。
 過日、韓国での金賢姫の会見の最後に、彼女は大事なことを言っていたのに、それを無視し、日本で反動的思惑を込めて引き回すのは止めた方がいい。彼女は「北の体面を立てながら交渉するといいですよ」と言った。言葉は正確ではないが、そういう内容のことを確かに言った。誰だってメンツをぶっつぶされて交渉などできますか。我々が逆の立場だったら、どうなのか考えたほうがいい。
 パレスチナとイスラエルの反目の中、イスラエルの元兵士の中から「沈黙を破る運動」が出てきた。日朝関係でも新たな模索と運動が両国から出て来るだろう。日朝国交正常化から南北統一を視野に入れた取り込みの伏線はすでにいくつもある。

2010年3月29日月曜日

是枝裕和監督作品「空気人形」


昨日は高崎映画祭の授賞式で大賑わいだった。
「空気人形」を観るのは2回目だが、是枝作品はいつも繊細で社会の一面を表現している。今の社会には人形としか関われない人が多く存在することを映像で表現し、それだって、何かと関わりながらも社会で生きているのだから、いいのではないかと言っているような気がする。人形(ダッチワイフ)の立場になれば、心を持ったとたんに、ややこしくなり、時に捨てられる運命に、それでも人間の役に立っているんだ、との思いがあるのではないか。何かとの関わりなしには生きていけない人間社会、それが人形でもいいんじゃないの、だったらもう少し人形のことも考えてよ。複雑に絡み合う現代社会を「空気人形」で表現した監督の深い表現行為にはうなるしかない。ペ・ドウナも魅力的な俳優だ。本当にいいですよ。
 受賞記念パーテイーで是枝監督と2年ぶりにお会いし、次回作の話も聞け、自然な雰囲気で話ができたのもよかった。
 常見さんの無理のない健闘をお祈りします。

2010年3月27日土曜日

平居先生を自宅に見舞う。

午前中は藤岡市鬼石町浄法寺の御園保育園の卒園式、17名の子供たちの卒園を祝うファミリィーな雰囲気で保護者、職員、来賓が自然体でいられる雰囲気だった。子供の数が少ないからだろうか。どこへ行っても課題は尽きない。来賓の関口茂樹県議と雑談、この時期どうしても選挙のことや八ツ場ダムの話になってしまう。

 午後は昨日退院した平居先生の自宅を岩城さんと見舞う。先生は元気な様子で病院での治療やら生活を話してくれた。「唯物論者は病気になると大変だよ」。信仰に逃げ込み、現実を紛らすことができないからという意味だ。ベッドのそばには「武装せる予言者・トロツキー」が置いてあり、娘さんに少しずつ読んでもらっているという。奥さんに案内され2階に行くと、窓際以外は本棚でマルクスの資本論は勿論、宇野弘蔵全集、大内力著作集、他社会科学系書籍が整然と並んでいる。学者の研究室のような部屋だ。
 「レーニンがもう少し元気で生きてくれたらロシア革命はこんな状況にはならなかったろう。俗物スターリンが権力を握った事が決定的だった。トロツキーはやはりすごい革命家だね」などと話してくれた。体調が良くなったら最終講義をしたいけど、質問に答える形になるかもしれないので、質問を集めて欲しいということになった。私は先生からいただいた本「戦前のファシズム」さえまだ読み終えていない始末だ。
何はともあれ明日は先生の63歳の誕生日、おめでとうございます。

 一昨日、志尾さんから頂いた「モギマサ日記」を半分ほど読み進んだ。茂木正男さんとは6年ほどだが土田君と含めて結構、本音のつきあいをさせて頂いた。私の後援会ニュースにも映画論を書いてもらったり、玉村町で5回行った映画上映会もみんな茂木さんに手配して頂いたものだ。読み進んで行くと、知っていたことも少しはあるが、むしろ知らなかった事の方が圧倒的に多い。夢多い熱く深い人だった事は確かだ。熱いところに人は集まる。茂木さんは文化ヤクザですよ。その茂木さんを映画をほとんど観ない常見次郎さんがしっかり支えているのも面白い。絶妙の二人、そして意志を継ぐ志尾さんの成長と、それぞれ状況と格闘しながらも映画文化の最先端で市民に勇気を与えてくれている。
明日の授賞式に備え、常見さんが今日退院する。無理をしないで椅子に座っているだけにして下さい。

2010年3月26日金曜日

映画「あんにょん・サヨナラ」

2月から楽しみにしていた映画、群馬県平和運動センターを中心とする実行委員会主催の県内4ケ所上映企画の3会場目の今日は、高崎シティーギャラリー。
 後藤かつみ、角倉邦良両県議が実行委員長を務め、始めと終わりにそれぞれ挨拶をした。二人とも若く問題意識もしっかりしている。何かと荒んだ社会の中で、排外主義や歴史の歪曲で自己満足する風潮に対し、押し返す運動の先頭に立つにはうってつけのコンビだ。
 日本軍に強制的に徴用され、中国で戦死し、靖国神社に合祀された父親を、靖国神社から取り戻すために苦闘する韓国人遺族に寄り添い、ともに闘う日本人の姿を通して、歴史の真実や靖国問題の本質に迫る作品。「靖国神社は軍事施設」と言い切る高橋哲也東大教授の言葉は説得力がある。「韓国併合」から100年目の今年、このような上映会を企画したことに敬意を表したい。
 4回目の上映会は4月10日(土)午後2時から吾妻文化会館。
そして明日からはいよいよ「高崎映画祭」が始まる。

2010年3月24日水曜日

軍服は語るー井上肇の作品


「昭和に生きた人間の証言として、決して陽の当たることはないとしても、描かなければならぬことのひとつと信じて描く」と作者井上肇さんが書き寄せた画集をご子息の井上健先生からいただいた。1枚、1枚の絵の重さに、戦時下を生きた人々の想いをたぐり寄せ、未来を軍服がのし歩く社会にさせないための大きな拠り所の一冊として大事に味わいたい。

午前は芝根小学校の卒業式に参加した。私自身の母校でもあり、知っている子も何人かいたのでより身近な卒業式に感じた。卒業生は73名、「水澄む利根と烏側 相(あい)おう上に開けたる わがふるさとは 上野(かみつけ)の南にあり 名は芝根」の校歌は時代を越えて歌い継がれている。3月は卒業式シーズン、中学校、幼稚園が終わり、29日は保育園の卒園式、そして4月は入学式と続く。

 夕方、シネマテーク高崎で「他がため」の鑑賞後、27日から始まる「高崎映画祭」の準備に余念のない志尾さんたちスタッフを訪ねた。土田君、山田高崎市議がいて、しばらく雑談、28日の授賞式に来る監督や俳優の出迎えの手順などを検討していた。華やかな裏では神経戦が続いているのです。大変だけど止められないんだと思うよ。癖になっちゃってるよ、きっと。映画祭の成功に向け、私も少しくらいのお手伝いはします。

2010年3月22日月曜日

食と農をつなぐいのちの講演会


「食と農をつなぐいのちの講演会」が藤岡市、みかぼ未来館小ホールで、昨年に続き開かれたので参加した。古代米浦部農園、JAたのふじなどの共催での企画だが、午前中は「未来の食卓」という映画上映だった。食卓を自然の味(オーガニック)にしようと南フランスの小さな村が動き出した一年間のドキュメンタリー映画。
昼休みは自然食品の販売がありにぎわった。午後には「有機で未来を拓く」と題し中島紀一茨城大学教授、「子育てはお米のご飯から」と題し宗祥子松が丘助産院院長の講演があった。スローフードと言葉では言いながら、全く実践できていない現実に溜息が出るばかりだ。

 この催しが終わる頃、同じ大ホールでは5時から始まる谷村新司「ココロの学校」の準備で、土田君が宇津木議長と一緒に谷村新司に会い、感激していたのを知ったのは、直後のことだった。9月予定の玉村公演への顔合わせという意味での表敬訪問でしょう。

2010年3月21日日曜日

彼岸花の植え込み作業


天候が不純の状況下、角渕の水辺の森公園に、町長他20人ほどが集まり、彼岸花の植え込みをした。現実に花を楽しむには3年程度かかるそうだが、未来の楽しみのために、仲間が集い汗を流すのはいい感じだ。作業は人数も多かったためか1時間程度で終わった。集まった面々の多士済々ぶりは小さな自治体ゆえかなとも思えた。

2010年3月18日木曜日

「富岡ゆきおを囲む会」が催される


昨日、午後から参議院議員の富岡由紀夫さんと町内を挨拶回りをした。政権交代から、まだ半年というか、もう半年というか、当初の民主党政権に対する期待どうりにはなっていない現実を、会う人ごとに批判された。しかし、政権を自民党に戻すことは時代への逆行に通じる、との共通認識で支持をつないでいる感じだ。
 私自身、民主党は保守党に分類してもいい程度になってきてしまっていると思う。もっとリベラルに方向転換しないと、時代ともかみ合わないことに気づくべきだ。有権者も目先だけで政治を判断してはいけない。どんな未来社会を描くのか、自分自身で考える必要がある。「政治とカネ」と一言で言うが、事務所経費、チラシ作成、機材等にかかる費用は個人でまかなえる金額ではない。大きな選挙は党、支持者を挙げた総力戦になるのは必然だ。建前論だけではすまない現実を見なければいけない。
 7時からは、三和食堂で、町長の参加も得て、「囲む会」を賑やかに開いた。伊藤基隆さんのあいさつやら中沢経吉さんの叱咤激励を受けながら、最後は、夏の陣に勝ち抜く意思統一ができた。

2010年3月16日火曜日

「台湾人生」から戦争の一面を知る

 今日で3日から始まった3月議会が終わった。一般会計規模で99億1500万円。また国民健康保険特別会計は前年度比3.9%増の30億587万円。景気の低迷で加入者は増加傾向、しかも不況下収納率は下がり基金も底をついてきている。今期は赤字になりそうな状況と聞く。そうはいってもこんな経済状況下、すぐ値上げとはいきません。一般質問は13人、昨年12月議会が15人全員だった。競争で一般質問をする雰囲気は問題、とする空気もあったのでその反映ともいえる。玉村町議会は一般質問の人数でいえば県内でも活発な議会のひとつだ。それぞれが色んな角度から町政に問題意識を持っていることの一つの表れとも思う。

明日は午後から、富岡ゆきお民主党群馬県連会長が玉村町に入り、夜には町内で「囲む会」を開き、夏の陣の体制を作る準備をする。鳩山政権には大いに不満だが、富岡ゆきおさんはリベラル派に属し、群馬県民主党にとりなくてはならない議員だ。歴史的使命をすでに終えた自民党に代わり新たな歴史的使命を果たしてもらわなければならない。。

ドキュメンタリー「台湾人生」、日本人として日本軍として第二次大戦を戦った台湾人の語ったそれぞれの人生。茶摘みをしながら鼻歌を歌う女性たちの姿から始まる。日本語はうまく、若い時いかに日本人として、生きたかを語る高齢台湾人の姿に「人間は信じられる」と思わされる。日本人として愛国心を叩き込まれ、中国とまたアメリカと戦い、敗れたとき、日本政府からは感謝の言葉もなく、日本兵としても扱われず、捨てられ、何の保障もない。「日本人は好きだが、政府は許せない」という親日派台湾人の言葉だけに重いものを感じる。戦争の一面を知るのに非常に役立つ映画といえる。シネマテーク高崎で19日まで。

2010年3月14日日曜日

富岡ゆきお後援会事務所開き


午前9時から箱石区の総会、今年度事業報告等を審議、来年度の新役員を決定した。最後に、地元議員として来年度予算と町政を簡単に述べさせていただいた。

午後2時からは、7月参議院選挙に出馬予定の富岡ゆきお後援会事務所開きに参加した。本人は勿論、比例で出馬予定の小寺弘之さんや各産別の候補予定者が紹介された。支援する自治体議員も大勢いたが、玉村町からは備前島議員も参加した。やはり話しは角田義一さんが圧倒する。本人の決意もたたかいの厳しさを感じさせる内容だった。国会議員は他に1区の宮崎、4区の三宅、比例の桑原、中島の各議員が参加、話す機会のあった富岡、桑原、宮崎の3人に、「民主党は高校授業料無料化から朝鮮学校を除外しては絶対いけない。これでは自民党以下になってしまい、政権交代の意味がない」と話した。富岡、桑原両議員は、「困ったもんだ。除外しないよう求めていく」と答え、宮崎議員は「難しい問題もあって」と言葉を濁した。民主党を名乗り群馬県から選出された議員も半分くらいは朝鮮学校を適用除外してもいいと考えている感じだ。庶民が感情的になって後先を考えないことをいうのは仕方ないとしても、政治家はそれをただすのが役割のはずだ。「朝鮮学校だけ除外されたとき、その子ども達は将来どんな気持ちで日本人と接するようになるか考えてみろ。教育はあくまで平等だ」くらいのことは言って欲しい。民主党も前途多難、リベラル派議員を増やし声を強める事が必要だ。政党再編も完全に視野に入れておく必要がある。

 昨日は、昼にテレビをつけると、藤沢周平原作の「山桜」を放映していたので、最後まで観てしまった。「幸せへの回り道」を描く藤沢作品は庶民の生活があり、人間もまんざらではないことを教えてくれる。

その後、高崎シネマテークで「マラドーナ」。人間マラド-ナを多面的にとらえたエミール・クストリッツア監督作品で大変面白い。「神の手」さえ使え、サッカーもうまいが、「人間のクズ・ブッシュ大統領に抗議する」「フイデル・カストロのためなら俺は死ねる」など発言録がなかなか痛快。19日まで上映。

夜もたまたまBSチャンネルで「パッチギ」を観てしまった。これまで10回ほど観たが名作だとつくづく思う。ということで、一日に3本観ちゃいました。まるで映画祭だね。
 その井筒和幸監督の最新作「ヒーローショー」は映倫からRー15指定つまり15才未満は鑑賞不可というもの。セックスシーン、暴力シーンが過激ゆえとか。土田君、井筒監督からお呼びがかかり、先日、調布での試写会に臨んだ。上映後会場から出るときは、内容があまりに重くて下を向いていたそう。「いいとか、わるいとかでなく、とにかく重くて」との感想。朝、4時まで監督と飲んでいたとか。井筒監督、危ない映画をついに作ちゃいましたね。いつかやると思っていたけど。

2010年3月11日木曜日

普天間基地問題は閉鎖、撤去しかない。

政権交代の真価を全く発揮できていない民主党を中心とする連立政権。自民党とその本質なところで対決する政策がまるでない。その例が普天間基地問題。「日米同盟の深化」などと自民党と寸分違わない政策をとろうとしている。社民党は県外、国外移設と声を上げるが、県外移設を言ったとき、その地の社民党が反対するのは決まっている。国外のグアム移転については、グアムの人々がこれ以上犠牲になってもいいのか、差別排外主義ではないかということになる。国民新党は保守党だから、はじめから屈服して現行計画の微調整。民主党には保守派だけでなくリベラル派もたくさんいるはずなのに、その声が聞こえてこない。北朝鮮の脅威、中国の脅威を声高に叫んでいればすむと考えているなら、まるで自民党と同じ、政権交代の意味がない。労働組合出身議員は何を考えているのだろうか。しかし、2大政党制とは実はこんなもの、政権が変わったとき、安全保障政策が正反対になったらどうにもならない、という考えがはじめからあり、そのために小選挙区制を導入したのだ。自民党と民主党の違いはA党かB党かの違いではない。AかA’程度の差にいずれ集約されていく。それが小選挙区制の本質だ。
 前橋、渋川上空を米軍機が飛ぶ時、住民からの騒音被害の苦情が絶えない。しかし、沖縄の苦しみはそんなものではない。日常間断なく爆音と危険にさらされ、誰にも苦情すら言えない。その事を思えば、危険な普天間基地は閉鎖・撤去しか選択肢はない。そのために政権交代したはずだ。新政権は腹をくくってアメリカにその意志を伝え、国民は集会・デモで基地閉鎖・撤去を求め、マスコミはそれを正しく報道すれば道は開ける。アメリカ万能神話はすでに終わっていることに、気づこうとしない人がまだまだいるようだ。
 また、高校授業料無料化に関し、朝鮮学校を除外するようなことになれば、政治の差別・敵視政策を教育の現場にまで持ち込むことになり、自民党以上の極めて反動的、無展望、無責任な政策を民主党がとることになってしまう。
 私たちは基本政策を変える政権交代を求めていたのであり、基本政策はそのままの政権移動を求めていたのではない。

2010年3月10日水曜日

今年の高崎映画祭のポスター到着

3月27日から始まる24回高崎映画祭のポスターや上映日程が載っている八つ折りの広告が土田君から束で届いた。又、春が来たな、と思える配りものだ。チケット協力をしなくては。しかし、なんと、外は雪景色だからこれも驚き。茂木正男さんとの出会いやいくつかの企画を思い出しながら、どんな映画を見ようかと考えている。始まれば、5時以降から2作品観る勢いだから20本は観る。是枝裕和監督もいいし、「ポチの告白」も観たい。

昨日は、予算特別委員会で各予算案が可決された。一般予算に関しては、一人反対者がいた。理由のひとつが広島への小中学生代表派遣事業、代表派遣が差別という理由で反対した。エレンズバーグ派遣も代表だが、こちらはいいのか。広島での平和教育に反対しているとしか思えない。
修学旅行の日程に広島を入れたらと提案していた私に取り、代表派遣はその一歩と考えている。評価したい。

今日から3日間は一般質問、今日の最後は自分の番だ。こつこつ働けばそこそこ生きられる社会がいいという観点から執行に問いたい。

2010年3月8日月曜日

中野洋さんの冥福を祈る。

昨日、新自由主義と最も良く闘った中野洋さんの通夜に参加した。個人的に親しかったわけでは勿論ないが、国鉄分割民営化前後から国鉄千葉動力車労組の委員長として、現在は顧問として、非妥協に時代と対峙してきた。著書「甦る労働組合」は熟読した。現場労働者をとことん信頼し、情勢を語り合い、悩み苦しみながらも、最も厳しい闘いの方針を選択していった経緯が書かれている。楽天主義で仲間を徹底的に信頼する任侠の人だ。昨年の政権交代を「平成維新」と言う程度でしか表現できない軽い政治家とはまるで違う本当の意味での時代の先駆者だ。彼に続く人がたくさんいることも力強い。冥福を祈る。

2010年3月6日土曜日

ルポ 貧困大陸アメリカⅡ

 こつこつ働けばそこそこ暮らせる社会が本物社会と考えているが、今はがつがつ働くのは当然でそれでも生きていけない状況になっている。誰もが目先の成果という幻想に追いまくられて、何かをしていないと不安に陥ってしまう。出口をふさがれた若者に至っては就職すらできないという重い現実が待つ。子供への凄惨な虐待や殺人事件が絶えず、社会は崩壊過程に入る。新自由主義の果ての姿が人間の未来を奪っていると感じる。
 新自由主義の現実を書いた堤未果著「ルポ 貧困大国アメリカ」と「同Ⅱ」を買い込んだ。目次だけ拾っても読み出したくなる。「第1章 公教育が借金地獄に変わる 第2章 崩壊する社会保障が高齢者と若者を襲う 第4章 刑務所という名の巨大労働産業」
 
表紙まえがきの一部を記すとこうなる。「経済危機のアメリカでは、社会の貧困化が加速している。職がみつからず、学費ローンに追い立てられる若者たち。老後の生活設計が崩れた高齢者たち。教育や年金、医療、そして刑務所までもが商品化され、巨大マーケットに飲み込まれていく。オバマ登場で状況は変わったのか。」

この本は、どのような社会をつくれば人間の未来を保障することになるのか考える意味で、絶望ではなく希望を見いだすきっかけをつくる力を与えてくれそうだ。

2010年3月3日水曜日

富岡ゆきお、夏の参院選に向け動き始まる

今日から始まった3月議会は16日までの予定。今日は補正予算の審議、採決を行い全員一致で可決した。
そして特別委員会に来年度予算案の審議を付託した。委員長を私が務めることになった。副は浅見議員、いつものコンビだ。厳しい財政のなかでどれだけ知恵を絞り、住民の暮らしの安定に寄与できるかが問われる。

3月定例会閉会の翌日、富岡ゆきお参議院議員が玉村町に入り、動きを開始する。議員で表立って支援するのは私だけだ。こういうのってとても気持ちがいい。選挙は支援議員の人数なんかで勝ち負けは決まらない。庶民感覚、時代の先見性が問われているんだ。未来を誰が獲得するかだ。

2010年3月1日月曜日

平居塾長を再度見舞う


療養中の平居先生から先週、資本論講義に載せる写真の件で電話があった。
声の張りもあり元気な様子だったので、みんなで顔を見に行きたい、というと
快諾してくださり、昨日の訪問となった。83才の小林悟先生をはじめ8人での
賑やかなお見舞いとなった。先生は少しやせたかなと感じる程度で、話の調子は元気そのもの。
「資本論を学ぶことにより、社会の主体は資本=金ではなく、人間なんだと言うことを理解して欲しい。人間を疎外する社会はたださなければならない。」と講義調の話。窓からの景色も良く、短いながら和気あいあいの交流だった。桜の咲く季節には自宅に帰り、我々も最終講義を楽しみにしている。


4時からは伊勢崎市の境総合文化センターで「ミュージカルきみにとどけ」を鑑賞、同級生の関根一正君や青木孝彰さんもそれぞれの、はまり役を演じていた。演技の世界はまた格別難しく厳しいのだろう、くらいは想像できる。
 
これから、3日からの議会に向け予算書などの検討にはいる。