みんな寿命を全うしようぜ

みんな寿命を全うしようぜ
西表島で会った昼の蝶

2011年6月22日水曜日

国政がメルトダウンしても地域はどっこい生きている。芝根地区懇談会

芝根地区懇談会が保護者を中心に地元区長、民生委員、学校評議員、議員も参加し開かれた。毎年開催されるもので、子ども達の安全・安心の地域づくりをみんなで図ろうとする懇談会だ。今年はやはり原発事故が話題になった。放射能被害の本当のところがなかなか判らないので小さな子どもを持つ人たちの不安は大きい。技術としての安全すら疑われている今、安心感ある社会を築くのは本当に難しいと実感する。政治が信用されていないのだ。
地域から政治を取り戻さなければならないとつくづく思う。地域から真っ当な議論を発信することだと思う。

6月8日、横須賀を母港とする原子力空母ジョージ・ワシントンから放射性廃棄物を入れたコンテナが運び出された。「放射能にさらされた物質は、通常、外国の港にある間は、原子力潜水艦から搬出される事はない」
これは1967年アメリカが日本政府に対し提出した覚書「エード・メモワール」に記載されている。
アメリカは、陸揚げしないから良い、と言うが艦船そのものから出た時点で違反行為となる。そもそも放射性廃棄物が発生したのは、本来、横須賀基地では行わないとされた空母のメンテナンスが行われたためだ。
母港化を図る際、アメリカが横須賀市に差し出した「エード・メモワール」もどんどん骨抜きされているのが実態だ。国政がメルトダウンしていると、日本のどこで原発災害が起こるかわからない。危険なのは福島だけではない。

2011年6月19日日曜日

あぜ道のダンデイ

シネマテーク高崎で「あぜ道のダンデイ」を観る。上映初日、しかも監督・俳優の舞台あいさつもあるとのことで早速足を運んだ。
光石研さんとは玉村小学校をロケ地とした井筒監督の映画撮影で会ったのが初めて。その後、「それでも僕はやってない」「キャッチボール屋」の上映会をしたとき、わざわざ町まで足を運んで頂いた。演技のうまさと人柄の良さのためか映画の出演本数は数え切れない。しかし、今度は30年ぶりの主役だ。50男の見栄と優しさを描く家族の話だが、子どもが成長する過程での葛藤を含め描いている。ロケ地は高崎、前橋が多いが玉村町の医院での撮影もある。
その監督が「川の底からこんにちは」を作った27才の石井裕也さんだ。映画館の外で話を聞くと光石さんをとても高く評価している。光石研さんのための映画で全精力を注いで作ったそうだ。
「タラッタラッタラッタウサギのダンス」がいい。

2011年6月16日木曜日

久しぶりの梅の収穫

昨年は時期を外してしまったが今年は何とか大粒の梅がなった。ほとんど手入れをしない梅畑には申し訳ないが今年は頂きます。もう少し手をかければもっと元気な梅林になるとは思うのだがそこは天性のものぐさ、根が続きません。しかし、自然の巡りはすばらしいものを生み出してくれるとつくづく思う。一秒一秒の歩みがあらゆるものを生み出し、成長させ、命の限り生きさせ、そして最後は死滅する循環のなかで生きている。そのことを理解できれば、もう少し謙虚に穏やかにみんな生きられると思うのだけど、現実はすさまじいばかりの喧噪と闘争、嫌ですねえ。

 福島原発事故を契機にイタリアでは原発の是非を問う国民投票が行われ圧倒的多数(9割以上)が脱原発を選択した。すごいねえ。逆の事が、ヨーロッパで大きな原発事故が起きたとして、日本では国民投票とはならないだろう。過酷な原発事故が進行中にもかかわらず、全く頼りにならない政治状況に多くの人が苛立ちを深め、政治を民衆の手に取り戻すその道を歩み出したことも事実で、このことはメデイアからは意図的に伏せられる。
「この道を行け、人にはその言うにまかせよ」だ。

2011年6月12日日曜日

脱原発全国一斉100万人行動を前橋で打ち抜く

福島原発の過酷事故が全く収まらないなか、全国で事故から3ヶ月の昨日を期して反原発集会が催された。前橋では原子力資料情報室の古川路明さんの講演が行われた。「放射線が安全なわけがない」が基調の話だが、どこまで進行するか全く予想もできない状況を反映して参加者も真剣なまなざしで話を聴いていた。若い人の参加も多く、彼らの世代の問題なんだということが分かる。しかし、若い彼らにその責任はない。我々の世代が原発政策を押しとどめることができなかった事が重大なので、これだけの事故を経験している今、全世代の未来への責任として脱原発社会を目指し社会そのものの有り様を変えていかなければならない。
若い世代のデモ感覚はすごい。不安と怒りをうまく表現している。
 8月21日、玉村町文化センターで広瀬隆さんをお呼びしての講演会とイベントを予定している。何をしようかなどは全く今のところ未定なのでアイデアを出して頂きたい。

2011年6月11日土曜日

「後藤あらた」玉村集会から「6.11脱原発全国一斉100万人アクション」へ

昨日、県知事選に向けた「後藤あらた」玉村支部集会が開かれた。急な呼びかけにかかわらず多くの参加者があり、発言者もそれぞれの思いを伝える話をしていた。前橋での2000人集会を終えた角倉県議も来賓として発言に立ち、「何故、今後藤あらたなのか」を訴えた。
後藤さん自身も「脱原発」を大きな政策の柱として積極的に県政を変えてゆく熱意を訴える有意義な集会となった。圧倒的な現職の壁に立ち向かう彼の胆力はすごいものがある。それは確かな展望を確信しているからだ。
16日の告示後は25日午前10時から玉村町文化センター小ホールで総決起集会を開く。

 誰が言い出したか知らないが、震災から3ヶ月の今日は「6.11脱原発全国一斉100万人アクション」の統一行動日だ。原発の過酷事故が全く収束できないなか、市民が反原発の強い意志を表明し運動として形成し、政治を獲得するのものとして勝ち取られなければなならない。これから前橋教育会館に行く。

2011年6月7日火曜日

東京電力群馬支店への申入れと記者会見

今日から議会のため参加できなくて全く申し訳なかったが、我が友・角倉邦良県議を先頭に9人の個性的な面々が東電群馬支店への申し入れ行動を行った。
一連の福島原発での重大事故を受けて5点の事項を申し入れた。
1.東電は、原発の全情報を開示すること。
2.東電は事故責任を認め謝罪し、全被害への補償を直ちにすること。
3.放射能汚染の原因者として放射性物質の除去、除染を行うこと。
4.ただちに東電の運転するすべての原発を停止・廃止すること。
5.東電と関連会社の労働者の待遇を改善すること。賃下げ、リストラをしないこと。
  概略すると以上のような内容だ。
加賀谷さんは「脱原発ダルマ」持参だからその思いの強さが理解できる。9人のうち女性が7人という構成もいい。東電の対応はまずまずだったとか、そりゃ居直れる状況じゃないよ。どんどん深刻な事態になっているのだから。収束と言葉では言うけどかなりそれも厳しいようだ。
 申入れ行動の後、県庁で記者会見をした。東電への申入れと11日午後1時から教育会館で行われる原発勉強会(講師は原子力資料情報室の古川路明さん)とその後の「原発なくてもエエジャナイカ大行進」のお知らせだ。

シネマまえばしで鎌仲ひとみ監督作品「原発を考える三部作」を緊急上映している。「六ヶ所村ラプソデイー」「ヒバクシャ・世界の終わりに」「ミツバチの羽音と地球の回転」だ。全部見たがどれもいい。監督の目線の正しさと真面目さが伝わってくる。特に「ミツバチ・・・」は24日まで上映しているから是非観て欲しい。勇気がわくぜ。11日の勉強会ではその映画の紹介もさせてもらうつもりだ。

悲しい程、既成政党が原発事故に対して何の行動も起こせない中、個人の呼びかけ人形式で始めた運動だが、大きな力に突き動かされている感じがする。このままじゃ社会が終わってしまうという現実的な危機感からだろう。政党のために社会があるのでは断じてない。人間がつくった矛盾に満ちた社会なら人間が変えればいい。「人の前に道はない」のだ。細くても確かな道を若い人たちを先頭につくりだそう。その道筋をつくり出す運動にしたい。

2011年6月5日日曜日

北信州植樹祭と志賀高原

4日、玉村町と姉妹提携している長野県山ノ内で開かれた北信州植樹祭にバス1台で参加した。朝7時頃町を出発したバスは9時30分前には現地に到着し、会場で知り合いの山ノ内町の人たちと歓談した。特に、姉妹提携当時、議長だった小林議員とは、当時からのつきあいになるので4年ほどになる。元気そうだった。天候も良く植樹祭には絶好の日和だ。式典の後、「玉村町民の森」へ歩いて移動し植樹した。私が議長当時植樹した木も元気に生長している。
途中、鳥の声に混じりセミのような声も聞こえるので係の人に尋ねると、「春蝉」だという。山ノ内はもう夏模様だ。「町民の森」は夕日山(1050メートル)への遊歩道もあり、歩いて1時間程度という。山歩きをする機会を是非つくり、温泉で1泊という計画を立てたい。とりで街道という古い街道の碑などもあり、ここにも人々の歴史があることを教えられる。
 午後からは志賀高原(1600メートル程度)散策。専門ガイドさんの説明を受けながらの「森林セラピー」も良かった。森に癒されるとはこういう事か。

2011年6月2日木曜日

永田町の茶番につきあっていられません。

昨夜から今日の昼頃までは、小沢一郎を中心としたグループは菅首相不信任の可決に向け息巻いていたが、「震災対応に一定のめどがついたら自発的に辞任するという」菅発言の後には、全く腰砕けになり不信任反対に寝返り、自民・公明の提出の不信任案を否決した。小沢は欠席、造反議員はひとりだけという惨憺たる状況。
この国の政治はどん底だ。被災地と被災民を人質にして権力闘争をしている。それも次の「名ばかり指導者」さえ示せないなかで高い税金使っての「お遊び」には怒りしか沸かない。
 福島原発事故の収束のため命がけで働いている日雇い労働者群のことを思えば、犯罪的ともいうべき政争をくり返している国会議員連中を訓練し、原発労働に従事させた方がいい。しかし、そんな大変な作業ができるわけないから国会議員をしているなんて事になったら、ホント目も当てられない現実だ。

こちとら、昨夜は物資販売オルグで群馬に入った国鉄千葉動力車労組長田書記長と懇親会を開いていた。国会議員のお偉いさんより彼からの方が現代の情勢分析、歴史認識、組織論、運動論等学ぶものが多く、この混迷した時代を未来に向け突き破っていく力を持っているのは一般労働者なのだということが理解できる。事実を見つめる姿勢、勇気が求められる時代だ。

2011年5月30日月曜日

映画「六ヶ所村ラプソデイー」と「100000年後の安心」

話題の映画「100000年後の安心」をシネマテークたかさきで、「六ヶ所村ラプソデイー」をシネマまえばしで観た。
「10万年」は、大量高レベル放射性廃棄物を永久地層処分という方法で地下深く埋めこむフィンランドの計画を追ったもの。
廃棄物が一定量になると、施設は封鎖され二度と開けられることはない。しかし、10万年の間、誰がそれを保証できるだろうかという話。ここは危険ですよ、と表示し、語り続けることで10万年の未来まで現在の危機感は正しく届けられるだろうか。4000年前のピラミッドさえその建設の意味を我々は知らないから勝手に謎解きのように言い合うだけだ。むしろ、人里離れた山の中なのだからなにも言わず忘れさせた方がいい、という議論も本気である。それほど、時代の危機を未来につないでいくことは難しい事を教えている。
 話題の映画だから観た方がいい。
そして「六ヶ所村」は、何故、今まで観なかったのかと悔やんでしまうほどの作品だ。福島原発事故を予言しているような場面もある。
 核施設誘致に反対し続けた坂井留吉さんや花作りをしながら反核を訴える菊川慶子さん。今注目の原子力安全委員会委員長斑目春樹(当時、東大工学部原子力専攻の教授)も出ている。「原子力は安全じゃないからどこも引き受けない。しかし最後は金で、莫大な金で決着できる。原発はすごく儲かるんだよね」などと当時もふざけた事を言っていたんだ。これでも学者か。
一方、これまた注目されている小出裕章京都大学原子炉実験所助手も登場し、原子力政策を批判する。
 反対運動の強力な指導者はたしかにいない。しかし、ひとりひとりが反核を肝に据えて、つましくともその生活を営み続けるとき、大きな権力に立ち向かうことができることを示している。「ミツバチの羽音と地球の回転」の登場人物もそうだ。

 話はそれるが俳優の山本太郎が所属事務所を辞めたそうだ。理由は、原発反対を表明し、被災地の人々とつながったとき、事務所へ嫌がらせの電話が殺到し、芸能界での仕事が妨害を受け、廻りの人々に迷惑をこれ以上かけられないと思ったからという。「何も行動しなければ、僕は自分を許せない」という山本の良心と行動のどこが問題なんだ。彼は、福島の親たちが文科省職員と緊迫したやりとりをした場面に参加していた。自分の意思くらいみんな表明できなくて、原発が止められるか。

鎌仲ひとみ監督の3部作は6月も上映される。

2011年5月28日土曜日

第8回「記憶・反省そして友好」の追悼碑を守る会

雨模様かと心配したが何とか傘をささずにすんだ集会だった。もう8回目の集会になる。県施設に建てられている貴重な追悼碑は、群馬県民として、戦前の朝鮮植民地政策の歴史を正しく認識しキチンと反省・謝罪し、姿勢を正し、今後の友好につなげる強い意味を持っている。碑は守り続けなければいけないし、現在、在日朝鮮・韓国人の置かれている環境をなんとしても改善させなければならない。これは日本人の責務であり、このことを自らに課す集いだ。
建設当時群馬県議会議長として尽力して頂いた星野沼田市長も毎年参加している。なによりも星野さんの心を動かした猪上さんや横田さん達の強い意志と粘り強い執念が、在日の人々の信頼を獲得し、今もこの碑を守り続けている事が良く分かる。
 建設には全く係わらなかった私でも、その歴史的意味を理解し、今後も見守っていきたい。

2011年5月24日火曜日

1時30分より古川路明さん(原子力資料情報室)の講演

6月11日群馬県教育会館大ホール
開場12時45分
(原子力資料情報室)放射線の専門家です。
3時15分出発!!!
原発なくてもエエジャナイカ大行進
終了後交流会もあります。

2011年5月23日月曜日

さまざまなイベントで春を味会う



21日には高崎市内の公園で開催された「日・朝友好東日本大震災復興支援バザー」に顔を出した。知り合いが何人もいて、話に花が咲く。被災地では在日の人々も例外なく被害にあい苦しんでいる様子だ。在日韓国・朝鮮人と日本人の関わりは深く長い割には、溝が大きいのが不思議でならない。東北の被災県のひとつでは、朝鮮学校への補助金を取りやめた、との話を聞いたが、それが事実なら、人倫に反すると言うほかない。日本と朝鮮の友好の歴史こそを正史とするのが現代日本人の責任と考えている。「高校授業料無償化」から朝鮮高校だけを排除してしまった現実から押し返していかなければいけない。
 22日は、玉村町役場東側のJA駐車場での「朝市」、商工会とJAの共催ともあり、結構な人は集まったが、朝市を定期的にするには課題が余りに多いようだ。まして、町西部に高崎市との連携でつくるスマートインターチェンジ周辺に道の駅(直売所)をつくる構想があるが再考した方が良さそうだ。特産物もそれと言ってなく、町民がしらけているなかで、無理はしないほうがいい。そもそも俺がやる、という熱気がないのだ。
 10時からは伊勢崎市の東総合公園で連合群馬主催の「群馬ふれあいフェテイバル」へ。天候も良かったが午後からは雨になってしまったのは残念なことだった。もう少し政治的なメッセージが欲しい。労働者を取り巻く環境に何も問題がないならともかく、雇用環境、生活環境等どこをとっても問題だらけの現状を直視して欲しい。

2011年5月19日木曜日

「善意・善意」の合唱だけで本質を見なくていいのかい

大震災以来、どこを見ても「善意」と「善人」でこの国はあふれかえっているようだ。しかし本当か。余りの被害の大きさとどこまで続くか分からない原発事故で本質を見る目を曇らされているのではないか。善意の支援金支払とボランテイア活動だけで、どこかごまかしてしまっている自分に気づかないでいいのだろうか。特に原発事故に関しては全くの人災ということ、この責任をハッキリさせないと先に進めないのだ。「今は批判ではなく収束を」ということだけを言う人がいる。この手の人は、一層原発を改良して原発政策を今後も続けようとする人に多い。
この事故の教訓は「原発は人類とは相容れない。エネルギー政策を原発から脱却させること」だ。
 東電の役員報酬は半分にしても3600万円だそうだ。ということは7200万円も取っているんだ。その連中は政府に言われ渋々減額するという状況。補償の姿勢も「善意」からは程遠い。事故現場で働かされている作業員も虫けら扱いだ。彼ら現場労働者こそが全役員報酬全額をもらっても足りないくらいの仕事をしている。
 仕事も故郷も家族も未来も奪われている原発周辺の人々を思えば、私たちは「原発容認」とは行かない。これが善意だ。しかし、悲惨な実態を知りながらも政府や自民党、財界は原発から手を引くつもりはない。これでも善意か。
 新自由主義政策の中で、いくらも稼げない(生活に余裕のない)所に追い込まれてしまった多くの労働者・農民・自営業者、中小企業者が、善意のない政府の言う「国難・善意の嵐」に飲み込まれてしまっている。勿論、善意は悪いことじゃないが、それだけでは、この悪い状況から解放されないことを指摘したい。
「自分が変われば社会も変わる」のだ。

ということで勉強会のお知らせ。
6月11日(土)午後1時30分から前橋市の教育会館大ホールで原子力資料情報室の古川路明さんを招いて講演をしていただく事になりました。不都合な真実にも目を向けるいい機会と思います。そして3時15分から「原発なくてもエエジャナイカ大行進」となります。この日は「脱原発全国一斉100万人アクション」の日です。今、未来をかけてひとりひとりが動き出す時と考えます。

2011年5月17日火曜日

東電に入ろう(倒電に廃炉)を東京電力の社歌にしよう

民衆はしたたかだ。歌で抗議する。これもそうだ。髙田渡の「自衛隊に入ろう」の替え歌。

皆さん方の中に 東京電力に入りたい人はいませんか
ひと旗上げたい人はいませんか 東電じゃ人材求めてます

東電に入ろう 入ろう 入ろう 東電に入れば この世は天国
男の中の男はみんな 東電に入って花と散る

スリルを味わいたい人いたら いつでも東電にお越しください
ウランでもプルトニウムでもなんでもありますよ
下請け使えば平気です

東電に入ろう 入ろう 入ろう 東電に入れば この世は天国
男の中の男はみんな 東電に入って花と散る

原発推進派のみなさんは 原子炉の真下にお集まり下さい
いますぐ体に悪いわけじゃありません シャワーで洗えば平気です

東電に入ろう 入ろう 入ろう 東電に入れば この世は天国
男の中の男はみんな 東電に入って花と散る

原発はクリーンなエネルギーです。プルトニウムはそんなに悪いわけじゃありません
放射能出すといっても半減期は たったの2万と4000年です

東電に入ろう 入ろう 入ろう 東電に入れば この世は天国
男の中の男はみんな 東電に入って花と散る

日本のエネルギーを支えるには 原子力に頼らないといけません
多少の犠牲はやむをえません イソジン飲んでおけば平気です

東電に入ろう 入ろう 入ろう 東電に入れば この世は天国
男の中の男はみんな 東電に入って花と散る

使用済みの核燃料は全部まとめて ドラム缶に詰めたら大丈夫
六ヶ所村のプールで冷やしてます たったの300年のガマンです

東電に入ろう 入ろう 入ろう 東電に入れば この世は天国
男の中の男はみんな 東電に入って花と散る

水が漏れてるけど騒ぐんじゃない 煙が出ているけどあわてるな
屋根が吹っ飛んだけど全然大丈夫。とにかく塩水で冷やしてます

東電に入ろう 入ろう 入ろう 東電に入れば この世は天国
男の中の男はみんな 東電に入って花と散る

今すぐ危険ってわけじゃないけど 牛乳も野菜も捨てましょう
政府のおエライさんが言ってます 補償は税金で払います

東電に入ろう 入ろう 入ろう 東電に入れば この世は天国
男の中の男はみんな 東電に入って花と散る

ガイガーカウンタは売れ切れてます 君たちそんなもの持っちゃダメですよ
放射能の値はこちらで発表します 信じる者は救われる

東電に入ろう 入ろう 入ろう 東電に入れば この世は天国
男の中の男はみんな 東電に入って花と散る

2011年5月16日月曜日

ポーゴ軍団のプロレス興行から井筒監督との語らいの場へ






町内でのジャズコンサートもあったが、何しろ久しぶりのポーゴ軍団のプロレス興行を優先した。ポーゴこと関川さんは高校の2年先輩、60才だぜ。まだやってんだからすごいよ。10年ほど前、本庄市で観たのが最後だった。あの時は場外乱闘どこではなく、会場の外まで追いかけ回し、あらかじめ決めていた車をボコンボコンにするという大騒ぎぶり。よくできた見せ物だった。翌日スポーツ紙には「ポーゴ・駐車場で車を徹底破壊し大暴れ」と出る。
八百長相撲で頭を痛めている相撲界だが、「国技・神技」などと格調高く納めようとするから、あたふたするのだ。楽しい見せ物興行くらいに考えればいい。
プロレスを八百長批判する人はいない。そんなことわかりきっているからだ。大仁田厚、グラン浜田、ジャガー横田にダンプ松本とくれば名前ぐらいは誰でも知っている。まだ現役の豪華スター勢揃いのショーだから楽しめばいい。さすがにキューテイー鈴木はいなかった。八百長試合とはいえ光る技を持っていなければ観客は入らない。随所に切れ技をみせてくれるレスラー集団の興行はやはり相当の鍛えがないと持続できない。
 メインイベントの8人タッグはすごい、ほとんどルールなしの一本勝負、ポーゴは火を吐き、鎌で相手の額を切り、鉄条網で殴りかかる。リング上でたたかっている者はいない状態。それがまた楽しみで慣れた客は「これを使って下さい」と椅子を渡し、また「これを使って下さい」とゴングを差し出す。セコンドの女子プロレスラーが「これは勘弁して下さい」と返す場面もある。みんな楽しんでいるんだ。栗原君は初めてのプロレス観戦だったがいたく満足のご様子。
 会場入口で小川晶さん、会場内で後藤あらたさんに会った。こういう猥雑な見せ物興行に来る人は面白い。「石川さん、知事選への支援お願いします」と言われれば「怪しい場所であったのも何かの縁」と妙な親近感すら覚え、「任せなさい」と言ってしまうところが失敗の始まりと分かりながら言ってしまった。

 夜は井筒和幸監督が来るとの連絡があり、ホルモン屋へ行ってみれば、すでに始まっていた。しかし今回はちと違う。新作映画の出演者の役どころのイメージを深めるため、山田ゆきお高崎市議とジックリ話し込んでいた。国鉄の分割民営化当時の労働運動の現場を知っているということで、監督がわざわざ来たのだが、山ちゃんに会うなら高崎で会えばいい。しかし、玉村町へ来るには監督なりの理由があるのだ。群馬県のマネージャー役土田文月がいるし、懇意のホルモン屋がある。合併しない町ということも気にいっているのだ。
くせ者とは決して思わないが、私以外、色の濃い連中が結集した夜だった。
 追伸、6月11日の「原発なくてもエエジャナイカ大行進」の呼びかけ人を井筒和幸監督は喜んで受けてくれた。原発はコントロールできない。いよいよ危険だぞー。

2011年5月8日日曜日

実力派工務店「翼創建・THINKS」の新装社屋拝見



もうかれこれ20年以上のつきあいになるが、無理のない自然な関係できてしまったので、節目が分からない。しかし10年程前、高崎市問屋町に店舗を出してからは、実力派工務店として一段ステップアップしたことは間違いない。その本店(伊勢崎市冨塚町)がオープンした。四角い建物の空間利用は他に類をみない。社員も30代、40代を主体とした責任世代でプロ意識も抜群。稲津幸司社長の地道な努力が社員、関連業者に信頼されていることは、登記をさせてもらっていると良く分かる。税理士の評判もいい。大手ハウスメーカーが幅を利かせている昨今だが、エコ感覚豊かな中小工務店を伸ばしていくのも地域の責任だと考える。夜の本社の景観はなかなかなもの。
 仕事柄いくつかの建設業者とのつきあいはあるが、「翼創建・THINKS」は建築思想がしっかりしたおすすめ工務店である。
和風建築なら玉村町の五料産業だろう。この社長もこだわりを持つ。何に?

今年も竹の子狩りに富岡市内の山に4人で登った。不作だったがまあまあ採れた。竹の子もいいが春の山歩きで汗を流した後の風呂とビールが格別なんだねえ。

2011年5月7日土曜日

菅首相ついに「浜岡原発の全原子炉停止」を要請

福島原発事故の実相の深刻さと多くの国民の「浜岡原発は特に危険だ」という声に付き動かされて菅首相は遂に「浜岡原発の全原子炉の停止要請」を中部電力に行った。本当に期待はずれな首相だが、この決断だけは、中途半端だが評価したい。それに対し自民党が批判を行っている。とんでもない話だ。
1.原発がなくても電力は間に合う。2.原発建設から維持、将来の廃炉後の見通しのなさ、事故時の補償等を考えると、費用的にも採算が合わない。3.高レベル放射性廃棄物の処理の不確実さ等からだけ考えても原発はそもそもいらない。未来に膨大な危険を及ぼすだけだ。4.原発は核兵器への転用を可能にする。

 悲しいことに、原発誘致地域は原発関連の交付金なしでは自治体として生きていけない「麻薬漬け」状況にされ、とまどっている。政府の責任で真っ当な自治体運営ができる補償をすることは必須の課題だ。
 「期限を区切る停止要請」ではなく、全ての原発を廃止し、自然エネルギーへの全面転換を図る決断こそが求められる。そのためにも、我々は声をあげ続けなければいけない。力を抜けば原発推進派にすぐ追い込まれてしまう。
震災から3ヶ月の6月11日、前橋市の群馬教育会館で集会を開く。「原発なくてもエエジャナイカ大行進」でもっと熱い状況を作り出そう。

2011年5月5日木曜日

高峰秀子主演「稲妻」成瀬巳喜男監督はいいねえ

午前中は「藤川をきれいにする会」主催の恒例になったマスの放流に顔をだした。曇り空であったがこのくらいが川遊びにはいいのかと言う感じだ。
 午後は、シネマまえばしで「稲妻」主演高峰秀子を観た。高峰ファンはさすが高齢になっているが30人程の入りなのだから、なかなかなもの。4人兄妹は同じ母親(浦辺粂子)のこどもだが、父親はみんな違い、性格も暮らしぶりも全く違うなかでの末娘・清子(高峰)の自立を描いている。何を言われても最後は子どものことを均しく心配し、愛している母親の姿と過去へのこだわりのなさがいい。
 帰りがけに支配人の小見さんに声をかけると、「活気があり生きる力を見せつけてくれますよね」。
好きになった男に捨てられ続けても、一途についていく女性を描いた「浮き雲」とはまた違った作品だ。

そしてまた原発のことだが、今日の朝日新聞に加納時男東電顧問と河野太郎自民党議員の話が載っていた。加納は、原子力を選択したことは間違っていなかった。地元の強い要望で原発ができ、地域の雇用や所得があがったなどと居直っている。貧しい地域にカネで押し付けたのが最初だろうに。反原発論者の河野に対しては反原発の社民党で活躍すればいいとし、「低線量の放射線はむしろ健康にいい」という研究者の声を説得力があるなどという。あきれた話だが、この論調の人が結構いるのも事実だ。人間がコントロールできない原発の事態がどのような結果を招き出すのか丁寧に明らかにする必要がある。原発がなくても電気は間に合うことをまず知ることは大切。
それにしても河野太郎の反原発論は的確だ。「核のゴミを捨てる場所がないのに原発をふやしていいのか、電力業界から多額の金をもらい政・官・産・学・メデイアが「安全神話」をつくった」と暴露する。彼も自民党だからわかりにくい。

2011年5月2日月曜日

やっぱり原発 ダメ絶対



「やっぱり原発 ダメ絶対」のデモコールはよかったねえ。昨日のデモに何人くらい集まるのかと思っていたら、あれよあれよと500人規模のデモになっていた。廻りを見ても8割方は知らない人ばかり。やたらと乗りのいい一群が全体を引っ張ってくれていた。東電前での「ずっとウソだった」もよかったよ。
デモ後の集会にも300人以上の人が整然と参加するなど、その意識の高さにも驚いた。都合4時間を共有していた訳だから、パフォーマンスだけではないんだ。
今日になっても、友人から、講師の「太陽光発電はまるで採算が取れないという発言は2年前のデータで今は違う。また火力発電でのCO2問題につき地球環境温暖化とは直接関係がないような発言は間違っている」と指摘された。とにかく参加者は真剣なのだ。
 「絶対安全」だった原発の怖さを実感しつつあるだけに、これからどうなるんだ、どうすればいいんだ、と切実な問題として考えているのだろう。

毎日、世界中のいたるところで原発から出される大量の高レベル放射性廃棄物、これらは暫定的な集積所に蓄えられている。余りに長い半減期に実際のところ「結果は未来へ先送り」というところ。未来に社会が残っていたら、人々は「20世紀のご先祖様はなんて危険なものを私たちに置き土産してくれたのだろう」と嘆くだろう。
シネマテークたかさきで28日から上映される「10万年後の安全」は放射性廃棄物の埋蔵を巡ってのドキュメンタリーだ。必見の事。

今夜は「ミツバチの羽音と地球の回転」という映画のパンフレットを買い込んだので、映画を思い出しながら読もう。山口県の上関原発に反対し続けている祝島の人々の姿を描いたもので、未来社会をイメージする資料になるのではと思う。
 この不幸な原発事故を期に、ひとりひとりが勇気をもって歩み出し、国策としての原子力政策の転換を行なわなければならない。政治を動かさなければならない。群馬県知事候補者はどうするんだ。

2011年4月30日土曜日

原発とめよう・群馬署名用紙できました


5月1日高崎駅西口12時20分原発なくてもええじゃないか大行進。2時高崎市労使会館反原発集会(講演元群馬大学工学部教授 五十嵐高さん)を行います。みなさん集まってください。
署名用紙の準備ができました。
使ってください。

2011年4月29日金曜日

「月を指差したとき、愚者は指先を見る」ではいけません


斉藤和義の「ずっと好きだった」の替え歌聴いたことがあるかい、と友人が歌詞を持ってきた。これまでの政府を上げての原発反対運動つぶしに対し、いよいよ多方面から「異議あり」の声が堰を切ったように吹き出している。みんな未来を見ているのだ。この道を進め。
運動の見せかけだけで物事を判断するな。少々粗野でも未来に対する希望を見据えた運動こそ歩むべき道だ。「月を指差したとき、愚者は指先を見る」と仏陀が言ったかどうかは知らないが、5月1日の「集会・デモ」にはその言葉が当てはまる。

「ずっとウソだった」

この国を歩けば、原発が54基
教科書もCMも言ってたよ、安全です。

俺たちを騙して言い訳は「想定外」
懐かしいあの空、くすぐったい黒い雨。

ずっとウソだったんだぜ やっぱばれてしまったな
ホント、ウソだったんだぜ 原子力は安全です

ずっとウソだったんだぜ ほうれん草食いてえな
ホント、ウソだったんだぜ 気づいてたろ、この事態。

風に舞う放射能はもう止められない

何人が被爆すれば気がついてくれるの
この国の政府

この街を離れて、うまい水見つけたかい
教えてよ、やっぱいいや

もうどこも逃げ場はない

ずっとクソだったんだぜ
東電も、北電も、中電も、九電も
もう夢ばかり見てないけど

ずっとクソだったんだぜ

それでも続ける気だ

ホント、クソだったんだぜ

何かしたいこの気持ち

ずっと ウソだったんだぜ

2011年4月26日火曜日

5.1原発なくてもエエジャナイカ大行進


原発事故がどこまで拡大するか全く予想もつかないなか、5月1日のメーデーに合わせ高崎市で反原発集会とデモを敢行する。ここまでやられて黙っていられますか、ということのお知らせのため、今日、県庁5階の記者クラブを石川、角倉県議、加賀谷さんの3人で訪問その趣旨を説明してきた。
 待ち合わせ場所の議会棟に入ってみたが、それはそれは豪華なもので、ここへ頻繁に出入りしていると(長く議員をしていると)民衆の気分から遊離してしまうのでは、と直感した。贅沢ですよ。せめて原発事故のような大問題にはハッキリ、シッカリ声を上げる県議が複数必要だ。頼みますよ。

5月1日正午、高崎駅西口集合,30分頃からデモ出発、高崎市役所をとおり東京電力前から高崎労使会館までのコース、その後2時から五十嵐高さん(元群馬大学工学部教授)の講演会を中心に集会を開く。盛り上げて被災地に想いを届けたいものです。

2011年4月25日月曜日

いきなりの保坂展人世田谷区長誕生のニュースに驚き

統一選挙も被災地を除いて終わった。悲喜こもごもだが、今朝のテレビで保坂展人が世田谷区長選で当選したことを知った。彼のブログ「どこどこ日記」には注目していたはずだが、出馬を見逃してしまった。しかし、石原都知事にはまいっているが、保坂展人区長誕生には喝采をしたい。彼の政治感覚は絶賛したいものがある。無駄な公共工事としての八ッ場ダムに対する実地探索や見識の深さには誰もがうなってしまうほどだ。だから国会で活動して欲しかったが、なにせ今の社民党の党勢ではいかんともしがたく落選の憂き目を何度となく味わっていた。古巣での区長として真っ当な政策をすることにより、「政治は変わるもの、変えるもの」ということを区民が実感して欲しい。
エネルギー政策の転換は可能だというトップをついに誕生さることができた。多いに期待したい。

2011年4月23日土曜日

福島原発周辺から子ども達を避難、疎開させよ。

すべての原発をとめよう!
日本には54基の原子力発電所があり、現在東京電力では柏崎刈羽原発の4基が稼働しています。福島第一
原発の事故をうけて、見直し・撤退の声が強まるなか、東京電力・エネルギー庁は電力不足を理由に8月の定
期検査も延期して運転を継続しようとしています。静岡県にある浜岡原発は直下型の東海大地震による甚大な
被害が警告されています。今も震度5、6の余震が続いています。手遅れになる前に、すべての原発をとめろ
の声をあげていきましょう。

原発がないと電気が足りなくなる?
原発を廃止したら電力不足になる、と言われます。しかし最大電力が「火力+水力」の発電能力を超えたことはありません。東電の2009年度末実績では発電設備出力は7769キロワット、そのうち原子力は1819キロワットです。しかしここには「揚水発電」(夜間の余剰電力を利用して下貯水池から上貯水池にポンプで水をくみ上げ日中のピーク時に水力発電する仕組み)の1050万キロワットが計算されていません。昨年夏の電力消費量のピークは5999万キロワット。原発をすべてとめても電気は足ります。

原発は安上がり?エコ?
原発の発電コストが安いという話も、福島第一原発の事故でウソであることが明らかになりました。何よりも廃炉にする、いわばリサイクル料が莫大です。最終処分場も存在しない使用済み核燃料を何百年も管理しなければなりません。また今回の事故の損害賠償額がいくらになるのか想像もつきません。
 原発はエコで環境にやさしい、というのもウソです。原発の出力は0か、100です。調整はできません。
つくった電気はムダだろうと使うしかないのです。またつくられるエネルギーの3分の2を温排水として海に
捨てています。海を熱し続けているのです。

福島県が公表した「福島県放射線モニタリング小・中学校等実施結果」等から、県内の小中学校・幼稚園・保育所等(以下「小中学校等」)における放射能汚染状況が把握されてきました。
同モニタリングの結果、調査対象の小中学校等の75.9%が、法令で定めるところの「管理区域」基準を超えうる放射線が観測され、また、全体の20.4%では職業人の被ばく限度を超えうる「個別被ばく管理」が必要な放射線が観測されています。
本来、「管理区域」とは“一般公衆”の被ばく防止のため立ち入りを制限する区域であり、「個別被ばく管理」とは“放射線業務従事者”が被ばく線量限度を超えないよう法令により管理義務が定められているものです。放射線の感受性が高い子供たちの場合、さらに厳しい基準により保護すべきことは、放射線防護の常識であります。

2011/04/19 投稿: 福島市:二児の母
今まで国、県、県のアドバイザーが安全だというのを信じて逃げたい気持ちを抑えて仕事を続けてきまし
た。2人の子供も福島市内で保育園と小学校に通っております。1ミリから20ミリシーベルトへ安全基準の
引き上げ?非常におどろきました。私の子供は私が守らなくてはと思い知らされました。
職場では既にパニックになって逃げて行った人達をあいつは逃げた…と恨みつつ、でも子供を持つ親は自
分も子供を連れて避難したいとみんな思っているのです。学童疎開、無理なら授業停止でもいい、なにか
職場に対して公然と避難の理由となるものがほしいです。みんなきっかけを待っているのです。
子供を守るために、避難してもまたいつか福島に希望を持って戻ってこれるように。お父さん、お母さん、
立ち上がりましょう。私達が動かなくては誰も子供達を守ってくれないのです。

2011年4月19日火曜日

満開の桜にも どこか心虚ろなこの4月

散歩コースの東部運動公園沿いの桜並木の満開の勢いにはなんとも圧倒される。自然は時期が来れば見事に花を咲かせるのだ。春の到来はやはり気持ちの切り替えにも役立つ。しかし今年は桜の写真を全く撮らなかった。
気持ちのざわつきが自分でも分かる。10日投票の県議選の余韻もあるだろうが、やはり、東日本大震災と福島原発の事故、特にどこまで拡大するか予想もできない原発事故と、原発に対する本質的なな議論を遠ざけてしまっている現状に対する不安と不満が多くを占めている。
 佐高信が玉村町での講演の時、「藤沢周平作品のなかで何が一番気にいっているか」との質問に「海鳴り」と一言答えたその「海鳴り」を半分ほど読み進めていた。なるほど、当時の庶民の暮らしぶりを生き生きと描くその姿に、今にも作品の中の人々の息づかいが聞こえるような感覚になる。もう一つ、週間金曜日に鎌田慧が連載中の「残夢」も楽しみの作品だ。「大逆事件」を扱ったもので、幸徳秋水ではなく坂本清馬を描いている。「日韓併合」と「大逆事件」は歴史的に見るとセットだった。外に対し侵略行為を行うときは国内的には「思想弾圧」をしている。反対者とみなされた者を徹底弾圧しなければ外に対し「悪事」などできようがないからだ。
 昨日、事務所に帰ると佐藤栄佐久著「知事抹殺」が机の上に置いてあった。土田君だろう。また読みかけの本が増えそうだ。東京電力とたたかってプルサーマル計画を白紙撤回した佐藤福島県知事は東京地検特捜部に無実の罪を着せられてその地位を失った。「国策捜査」の典型としての事件を暴き出している。只今控訴審だ。この際だから東電と特捜の犯罪性を逆に満天下に暴き出したい。世論も支援すべきだ。その佐藤栄佐久本人は、現在最も危険と言われている浜岡原発の即時停止を強く求めている。目が醒めた人は強くなる。
 藤岡市の知人から「すべての原発を中止させるための緊急署名」の用紙が送られてきた。
また、3月まで、「小島慶子キラ☆キラ」での15分間コーナーで「電気事業連合会は情報隠蔽しているんじゃないですか」と発言した直後、「3月いっぱいで止めて下さい」と番組プロデユーサーから仕事を外されたジャーナリスト上杉隆が、4月6日に衆議院第一議員会館で開かれた鳩山由紀夫前首相主催の勉強会での講演テープもある。
5月1日のデモを呼びかけるリングメールとやらも来るし何か回りがせわしくなっている。当然だろう。
 それにしてもだ。東京電力労働組合は何をしている。

2011年4月13日水曜日

今度は1万テラベクレルの放射能だと。ふざけるな。

県議選も終わり、一段落したかと思ったが、いきなり、原発事故発生時、1時間あたり1万テラベクレルの放射能が放出されていたと発表された。
どれほどの単位かと思えば、10の12乗の1万倍、1の後ろに0が16個だそうだ。めまいがするような数字がいきなり飛び出してきて、チェルノブイリと同じ「レベル7」、それも、未だ事故は終わっていないのだから、チェルノブイリを越えることは間違いない。
原発からかなりの範囲の農林魚業をはじめ全ての産業はつぶれ、大倒産と大失業の局面が到来する。今までの社会のあり方では立ちゆかない事態に全日本が直面する。
 ことここに至っても原発を推進していこうというのが、財界、民主党政府や自民党の本音だ。人間がコントロールできない原発から手を引くことを求める運動が必要になる。
 怒りの反原発集会をキチンとこの辺で打ち上げておかないと、グズグズと事態は最悪の方向に進行していきかねない。最悪とは、これだけひどい原発事故にもかかわらず、将来において、何もなかったかのように原発がこのまま維持され未来社会を脅かしていくことだ。
 5月1日、若い人々に声掛けをしながら、手作りの反原発集会を開こう。これから一気に具体化させる。
 怒っていいんだよ。こういう時に怒りの声を上げなければいつ上げるの。

2011年4月11日月曜日

県議選と映画祭が同時に終わった

昨日投票の県議選の結果は、支持した候補者のほとんどが当選しほっとした。しかし前橋で本郷候補が届かなかった。選挙は厳しいもので数字できっちり表れる。各人、1昨年の政権交代時と様変わりの逆風のなかでそれぞれ全力でたたかい抜いたことに敬意を表したい。
昨年は支援した候補が落選続きだったこともあり、久しぶりに爽快感を味わった。ベテランの塚越紀一さん、新人の小川あきらさんなど多彩な面々が群馬県の未来を語り、日本社会の有り様を語る姿が目に浮かぶようだ。
 
時期を同じくした高崎映画祭では今年は9本の作品しか観られなかった。なかでも「ヒトラー最後の12日」はよかった。戦争は始めると止めることがいかに困難か教えてくれている。ヒトラー夫妻、最後は自殺、その取り巻き連中の多くも自殺、これが戦争遂行した者たちの責任の取り方か。犠牲になった者たちはたまったものじゃない。
日本も同じことがいえる。原爆を落とされ膨大な犠牲者を出さなければ敗北を認めようとしなかった。国益、国策のもとで大衆に徹底的な犠牲を強いるのが戦争だ。そのことも喚起させてくれる。
そして原発も現在進行している福島原発事故がとことん危険な方向に進まないと止められないのか。この辺で大衆の意志を表現した方がいい。
東京都知事に78才の石原慎太郎をまたまた選んでいるようなことではいけません。

2011年4月9日土曜日

選挙戦最終日


県議選の今日が最終日、午前中は角倉事務所に顔を出し、2時からの伊勢崎市内での塚越県議の総決起集会に行く途中、藤岡の食堂で偶然、秋山局長と出くわし一緒に食事、少し遅れて土田君も来るということだったが、彼に会っている時間はなかった。それにしても秋山局長の原発事故に対する怒りはものすごいものがある。「放射能被害の深刻さは政府や御用学者がテレビで言っている軽さでは全くない。俺たちには逃げ場がないんだ。こんな原発政策を進めてきた奴らを許せない」と息巻く。全くそのとおり。
 そして夜8時、小川あきらの事務所で街宣カーの帰るのを待つ。元気に帰ってきた本人は何か吹っ切れた様子だった。厳しく長いたたかいをやりきった爽快感が漂っていた。後は結果待ち、そこへ角倉先生から「石川さん、もう一息応援頼みます」の電話、このひつこさが大事なんよねえ。

2011年4月6日水曜日

混沌情勢を突き破れ・県議選




県議選もいよいよ中盤、情勢は混沌としてきた。これからが力勝負だ。思いっきり訴えて最後の勝利をもぎ取ろう。
 4日午後6時半から角倉邦良陣営は高崎シテイーギャラリー横の広場で総決起集会を開いた。春といっても相当寒い中での集会となったが、高崎市のど真ん中で断固と訴える角倉陣営の姿勢は強い意気込みを感じさせる。厳寒の中400人程度集まったのではないか。この熱気が市内全域に一気に広がることを期待する。
 そして昨日5日には午後7時から小川あきら陣営がロイヤルチェスター前橋で総決起集会を開催した。どれほどの人が来るかと心配したが、会場は立ち見の人であふれるほどの盛況ぶり。300人から400人程度の集まりか。特徴的なことは、選挙区以外の人も相当数いたこと。この間、八ッ場ダム問題に係わっている真下さんに話を聞くと、小川あきらさんへの強い期待を寄せていた。普段から民主党を批判している人たちも相当参加している。彼女の持っている真面目さとその方向性の正しさを感じているのではないか。
私も昨日、藤岡市内の金融機関の知り合いに、そっと小川さんを依頼してみたところ、彼女は前橋在住で自宅にすでにポスターを貼っていて、父親も熱心に応援しているという。小川あきらの本当の良さを多くの人が感じ取っているようだ。だからこそ、一段力を込め最後の勝利に集中する必要がある。

 原発事故がどんどん拡大している。これまでのあり方では対応できない時代に生きていることを我々自身が認識した上で、新しい時代に対応できる議員を登場させよう。混沌情勢を突き破れ。

2011年4月3日日曜日

大震災下だからこそ大切な県議選、叫べ、訴えろ。




いよいよ県議選が始まった。私も数陣営を支持し顔出ししているが、そのなかにも宣伝カーを止め自転車遊説している陣営がある。自転車遊説はきめ細やかにゆっくり回れるという点では意味はある。しかし、被災地の人々に対する配慮からであればそれは違う。
 大震災で東日本が総崩れになろうとし、ましてや自民党・財界が推し進めてきた原子力政策が福島原発大事故という形で完全に破綻する中で、群馬県自体が放射能汚染下になりかねない状況が現にある。このような時期だからこそ県議選のもつ重要性がある。これからの対処方法や市民・県民に本当に責任を持つ政治のあり方を、これまでとは全く違った形で対応することが求められている。これまで原子力政策を推進してきた自民党や公明党には少なくてもこれからの政治は任せられないことをハッキリさせたい。彼らには対応などできっこないのだ。彼らが取るべきは、原子力政策を唯々諾々と進めてきたことに対する大きな責任だ。保守県とはいえ自民党を勝たせるなどということをしたら、原発政策さえ、若干の改善をしたうえでこれまで通り推進するに決まっている。
 現在の福島原発の危機的状況の中で体を張ってたたかい抜いている人々を誰もが賞賛する。私もその一人だ。東電社員、関連会社社員、その下請け、孫請け会社の社員、自治体労働者、消防署員や自衛官等さまざまな人たちだ。この人々は、平たく言えば「賃金労働者」だということ。労働の対価としての賃金なくして生活ができない人々によって現在の危機に対する対処がなされているという事実。原発で莫大な利益を得ている経営者(資本家)連中は東京の安全圏で、「直ちに健康に被害が出ることはない」などと世論をなだめているだけだ。
危険な現場に立ち会うこともせず賃金労働者に危ないことを押し付けているこの社会体制こそ問題にする必要がある。言葉を換えれば、現場を知り、現場で生き働く人々が政治の中心に座れば、安全・安心な社会は築かれるということ。

 これらを考えた時、自粛どころではない。安全・安心社会は自民党を中心とした政治ではないことを徹底的に烈しく訴える選挙になってしかるべきで、そのことにより被災地とつながっていくことだ。
 昨日は、後藤かつみ事務所、角倉邦良事務所を訪ね、午後は伊勢崎選挙区の塚越紀一さんと市内の社会福祉法人にあいさつに行った。私自身、長年おつきあいをさせて頂いている施設だが、ここの玄関に「喜ぶ少女」という像がある。あまりに可愛いので写真に撮ってみた。
 塚越さんは5期目を目指しているが、ハッキリ格差社会を産んだ新自由主義からの転換を訴えている。本郷高明候補も弱者の側に立った政治を訴え、小川あきらさんも勿論そうだ。働く人々の代表としてなんとしても勝利したい。
 小川あきらさんは5日(火)午後7時から前橋市のロイヤルチェスター前橋(大友町1-2-11)で総決起集会を開く。自粛なんぞしていない。総結集を訴える。

2011年3月31日木曜日

自粛なんてするな、思いっきり訴えろ県議選



大震災とどこまで行くか分からない原発事故のなか、世の中自粛ムードだが、とんでもないことだ。しっかり発言、しかり行動しなければならない。
 明日からの選挙戦、宣伝カーも走らせない候補もでるらしいがそれは違う。こういう時こそ、断固、訴えなければならない。安全・安心社会は原子力政策の中にはないことはハッキリした。「想定外の事故」という面々もいるが、実際には想定されていたことも明らかになっている。「想定したくなかった」だけのことだ。半減期24000年のプルトニウムも出てきた。福島原発は廃炉に向け石棺を準備する方向にいくだろう。

 こんな時、ハッキリ意思表示できない議員など不要だ。上毛新聞のアンケート調査だけを見ても、小川あきらは群を抜いている。主張がはっきりしているのだ。自然の摂理に反する八ッ場ダムに反対し、新自由主義政策としてのTPPに反対する。未来を支える子ども達の教育や子育ての政策には賛成するその姿勢こそが、現在の私たちが望むもの。
 弁護士として3年ほどの経験のなかで、社会的正義を実現するためには政治の改革こそが必要として前橋選挙区からの立候補を決意したその意気は高い。前橋では我が友・本郷たかあき君も頑張っている。ともに勝利したい。
 選挙カーを市内全域に走らせ、叫び、訴え、市民に勇気を与える姿勢こそが震災下の選挙だ。自粛選挙は完全に間違っている。市民に失礼だ。

2011年3月27日日曜日

それでも断固・高崎映画祭開催


大震災と原発事故の渦中で世の中、自粛ムードだが25回目の高崎映画祭が昨日から始まった。最終日は4月10日。
授賞式が中止となり観客はどうなるかと心配したが、結構な人数の人が来ていた。根強い支持があるということだろう。
この4月で市長任期の終わる松浦幸雄市長があいさつをした。松浦市長が就任したときに始まった映画祭が25回を迎えたことに市長自身感慨深いものを感じているようだ。多くの市民の支えなくして継続などできないからだ。そして今後は高崎映画祭運営委員長として協力していただけるということを自身の言葉で語ってくれた。ありがたいこと。
この映画祭の良さは、体制にこびないことに尽きる。良質の作品を選び出し、提供してくれる。
 最優秀作品賞の「ヘブンズ・ストーリー」は長編だが、壊れゆく現代社会が壊れきるまでに、みんなが気づいて立て直せるという思いと希望が込められている。
 最優秀監督賞の「ヒーローショウ」も若さゆえの未熟さのなかで犯してしまった殺人行為に対してさえ、もう一度やり直させてやれないものか、という大人世代としての井筒監督からの思いが見て取れる。
原発事故という大惨事を招いても根底からの反省すらできない大人達によって、「少年達は立ち直れない」などと決めつけられ死刑にされてしまっていいのか、という問いかけでもある。
他にも「善き人のためのソナタ」「ドレスデン、運命の日」「ベルリン・天使の詩」「エス」「4分間のピアニスト」「「カテインの森」や故小林桂樹作品など盛りだくさんだ。特に最終日に上映される「海炭市叙景」は必見の作品だ。

昨日から群馬入りして伊香保温泉で土田夫妻と過ごした井筒和幸監督と舞台あいさつの後食事をした。一二三食堂という大衆食堂だったが結構な味を出していた。
監督とはもう何度となく会っているのでそれなりに気心も知れ、話題も明治維新の不徹底さから原発の危険性とそれを推進してきた業界、政界や御用学者批判となる。原発災害を特集している「金曜日」の今週号、広瀬隆の記事を読みたいというので、「ハイ、どうぞ」

2011年3月21日月曜日

原発事故に関しては広瀬隆の話を聞け

かつてから原発の危険性を指摘していた広瀬隆の話を聞け。彼は「原発がそんなに安全なら東京湾に作るべき」、と主張して都民に原子力発電を自分のこととして考えるよう訴えてきた人物だ。

テレビで「まだまだ安全です。健康被害はありません。」などと口をそろえて説教を垂れている学者たちを「えせ学者」、原子力安全保安院を「バカ連中」とハッキリ言える広瀬隆の主張を聞いて欲しい。チェルノブイリでしたように、福島原発をコンクリートで固め封鎖する準備をした方がいい、という。
 政府や御用学者、東電などは、最悪の事態は回避できると懸命な努力をしているのだろう。国民がパニックにならないよう抑制的にさまざまな事象を発表しているが、それが結果としてより悪い事態を招くことがあるし、今回の事故はまさにそうだ。
 原発推進派によって完全にパージされていても、その危険性を一貫して主張してきた広瀬隆に注目して欲しい。

2011年3月19日土曜日

輪番停電の夜の満月は明るい、思い出すは「じんじろ橋」

日を追うごとに震災の被害の大きさと福島原発の大規模放射能漏れへの危機はつのる一方だ。そもそも原子力発電は安全だなどという発想自体が一から間違っている妄想にすぎない。自然界にないものを作りだし、その処理の方法も見いだせないまま、安全神話を人々に強制し、今、チェルノブイリ状況に至っても、「まだまだ大丈夫」と政府や御用学者はほざいている。「二酸化炭素を出さないという意味ではクリーンな原子力発電」などと原子力発電を賛美した民主党幹部(例えば前原)連中を忘れないぞ。危機的なこの時点でも原発の中で決死でたたかっているのは東電の下請け労働者を主体とした人たちだ。東電社長や原子力安全保安院の連中は東京から移動し、福島原発の敷地内で記者会見し、原発の安全とやらを身をもって証明したらいい。

地元自民党県議は「地震騒ぎ」などという言葉を連発し、ことの重大性を直視できないでいるし、困ったものだ。

輪番停電、計画停電などで1日に2回停電されたらたまったものではない。計画がたたないのだ。「戦時下の暮らし」を強制されていると言っていい。仕方ないなどと従順になってはいけない。ふざけるなという意気が必要だ。

ところで、昨夜は初めての夜の停電、停電地域を逃れ藤岡の千湯で電気がつくまでお風呂にでも、ということで行ってみたら大賑わい。新町に自衛隊駐屯地があるためこの界隈は停電なし、ということがもっぱらの認識。しかし5グループの例外地ということならば、それはそれでまた問題だ。

しかし、真っ暗闇の中の満月は有り難かった。電気のなかった時代、月夜は本当に嬉しかった。あたりがうっすらと見えるのだから。月の満ち引きの中でさまざまな夜を過ごしてきた、余り便利ではなかった時代を生きた人たちを思った。自然の摂理の中で生きることを復活させる必要がある。
 自然と浮かんだのは「じんじろ橋」、かぐや姫の歌だ。こうせつ自身は体制迎合的でなかなか好きにはなれないけれど、ジーンとする曲をつくるんだよね。そこに共感してしまう。

 村のはずれの じんじろ橋は 月の出る夜は ぬれるそうな
 花っ子18 山家の育ち 村の若衆 じんじろさに惚れて
 固い約束 したそうな 

 月が出たなら迎えに来ると  言いし別れた橋だそうな
 花っ子月見て 待ち待ち暮らす 2年3年
 じんじろさは来ずに 恋に命を捨てたそうな

 昔話のじんじろ橋で 今宵待つ人旅の人
 もしや私も 花っ子のように
 先んず月見て 別れたままで 泣いて散るのじゃないかしら 

2011年3月15日火曜日

どうしたことだ、地震、津波、原発事故

11日発生の地震の被災状況の全貌はいまだ分からない。津波の被害もさることながら、福島原発の爆発事故に至っては時々刻々深刻な状況になり、今や放射能が舞跳ぶ事態となっている。
政府は原発の上空を高さ制限をせず飛行禁止にした。
群馬司法書士会事務局から1枚のFAXが届いた。放射能等環境汚染状況によっては明日以降の業務短縮又は停止も余儀なくされる場合があるという通知だ。大げさと思ったがそれほど事態は重大・深刻ということだ。
原発は安全という神話は吹き飛んだ。自然との共生を忘れた社会の行き着いた現実だ。
 この事態に際し「天罰が下った」と発言をした石原慎太郎東京都知事、ふざけた奴だ。東北地方でつましい生活をしている被災者達に対して何という暴言を吐くのか。数々の差別発言、暴言を吐いてきた石原にこそ天罰はふさわしい。
 輪番停電、計画停電も初めての経験で嫌なもの。いつ停電になるのか実は分からないのだ。こんなことを続けたら会社や自営業者、人間社会が成り立たなくなる。計画が立てられないのだ。
 行き着いた資本主義だからこそ、この地点から新たな展望を見いだすしかない。地獄からの生還だ。

2011年3月11日金曜日

議会に缶詰状態の1週間、最後は大地震

予算特別委員会と一般質問で今週はびっしり4階の議場にいた。今日は中学校の卒業式の後の午後2時から一般質問3人ということで5時までには終わる予定だった。ところが3時前、グラグラと議場が揺れるではないか。一昨日も地震で揺れたが、これほどではなかった。揺れも次第に大きくなり天井も音を立ててきしむ。みんなオイオイこれからどうなるんだといった様子。議会は当然、休憩に入り、地震の収まるのを待ったが、職員は町内のパトロールに出るということもあり、本日は延期とし14日に残りの予定を回すことになった。
 五料橋は通行止めという情報が入った。人的な被害はこの町に限って言えば今のところ把握されていないが、東北地方は大変な状況らしい。地震の怖さを改めて知ったが、福島原発、女川原発は大丈夫か、原発政策は止めた方がいい。日本列島自体が活火山なのだから究極の安全対策などない。

2011年3月6日日曜日

カンニング行為はすぐ摘発したのに公安情報漏洩事件はどうした

京都大学入試試験での携帯電話の使用によるカンニングは3日程で摘発された。パソコンなど苦手意識一杯の自分としては、本当にそんなことができるの、という思いが今でもある。右利きの人間が左手だけで短時間に文章だけでなく記号まで書き込むなんて信じられない。また、待ってました、とばかりに回答する人が打合せもせずに存在することもすごい。
「知識のアウトソーシング」化が進んでいるという。自分の頭脳を鍛えるのではなく、回答を呼び込む道具の使用に習熟することにより回答を得る手法だ。かくして人間の能力は衰え、一方、コンピューターはどんどん高度化し、既に数年前チェスの世界チャンピョンを負かし、昨年は将棋の世界でもコンピューターに軍配が上がった。何日か前の新聞に出ていたが、答えを絞り込む事ができるコンピューターつまり相手の問いによっては回答に幅がでることがある場合、それを絞り込むと言うのだ。次は心、気持ちを持つコンピューターが出現したら、心を失いつつある人間にとって代わる時が来てしまうのではないか、と本気で危惧する。
 心も失い感情も退化する人間と感情を持つロボットの出現、どうも嘘じゃないらしいから困った。スピルバーグ監督作品「A・I」を思い出してしまう。最後の人間を知っている人間のように進化したロボットの話だ。すごい予言映画だ。大川隆法の「霊言」とは訳が違う。霊言のお告げは、花見の席での酔っぱらいの戯れ言にも劣る。八つあん、熊さん、花子さんがいた時代がいいね。

 ところで公安機密情報漏出事件のその後はどうなったのか全く報道がない。カンニングと比べものにならない重大犯罪のはずなのに何故真相を明らかにしない。民主党政権は何をしているのか。マスコミは何を恐れているのか。情報収集の方法、被疑者の選定等に明らかに違法性があるだろうに何故追求しないのか。こちらの情報公開こそが重要だ。
浪人生のカンニング行為より権力犯罪を追求するジャーナリズムこそ今求められている。

2011年3月3日木曜日

3月玉村町定例会始まる


2日から15日の予定で3月定例会が始まった。一般会計予算は104億6800万円、特別会計、水道事業会計全部合わせて約176億円規模だ。7日、8日の2日間使ってみっちり審議する。ちなみに国の一般会計予算は92兆4116億円、群馬県は6702億1100万円。
 9日、10日、11日は一般質問、何しろ16人中14人が質問に立つのだから町側も大変だが職員も勉強になるだろう。群馬県内の町村議会で最も一般質問の活発な議会となっているらしいが、私が議員になった10年前は、22人いて多くても10人程度だった。各人思いがあるからだが、変に競争などすることはないと考えている。各人のスタイルで行けばいい。私の出番は10日午前9時から。これ以上の所得格差を是正する観点から「公契約条例の制定」等を質問する。

 夕方からは伊勢崎市内で塚越紀一県議の県政報告会へ参加、4月の選挙では伊勢崎選挙区は新旧交代の大波に洗われる。塚越紀一さんが残らなければみんな一期議員ということになる。5期目を目指す大変厳しいたたかいだが、知恵と経験、実績の人が中心にいなければ伊勢崎市にとっても打撃は計り知れない。塚越さんを「伊勢崎市、群馬県の良心」としてなんとしてももう一度県政に送り出したい。