会場であいさつする藤橋誠監督 |
| 主役の秋山さんたちと撮っちゃいました。 |
群馬県玉村町の町長「石川まさお」のブログです。 「瞬間」と「悠久」は決して対立的な言葉ではなく、「瞬間の中に悠久」が、「悠久の中に瞬間」はあります。何かと対立関係で世の中を見ようとする流れに抗すべく、みんなが集える庵を構えました。 新自由主義政策により社会の格差が広がり、荒んでいくのをくい止めるべく、地域に根ざした活動をします。
会場であいさつする藤橋誠監督 |
| 主役の秋山さんたちと撮っちゃいました。 |
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| 「もうひとりの息子」のワンシーン
昨年11月に買った「原発ホワイトアウト」を年末から正月にかけて読んだ。最初はフムフムという感じだったが後半は一気に読み進んだ。
原発を推進する勢力がどのように政界、経済界に食い込み、反原発勢力の力を弱め弾圧していく様が描かれている。
昨今の政治状況に合わせたように描かれていくので真実みさえある。
国家公務員法違反の恣意的運用で内部告発の困難さも描かれている。
では、原発は今後も安全性を高めての稼働ができるのか、というと、例えば、爆弾低気圧のような状況が起きた場合(いくら想定しても想定しきれない事は起こる)、事故は防げない。
《歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として(カール・マルクス)》を援用し警鐘を打つ。
現実に東電から若い社員がどんどん辞めている状況は決して良いことではない。
原発を止めるにしても、数百年単位で原発技術を継承することが必要だ。
チェルノブイリ事故の現在的課題の大きなひとつも、チェルノブイリ原発を知り尽くした技術者と作業員を大量に数百年継続して確保し続けることと聞いている。
映画「もうひとりの息子」を昨日、シネマテークたかさきで観た。この映画の上映最終日だった。
湾岸戦争の混乱の中、出生時に取り違えられた2人の息子。ひとりはイスラエル、もうひとりはパレスチナ。
18才になった息子とその家族が、厳しい政治状況の中、しかし、対立を乗り越え希望を見いだそうとする姿に心打たれた。
「これは希望の映画です」はロレーヌ・レヴィ監督の言葉。
東京国際映画祭グランプリ&監督賞作品
映画「もうひとりの息子」と若杉冽著「原発オワイトアウト」で始まった一年は好スタートといえようか。
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| 井筒監督とも馬が合っていた山田行雄さん(2010年) |
| 映画取材に来た井筒監督と(2010年) |
| 山田行雄さんの応援を受けてたたかった町議選(2009年10月2日)
友人山田行雄高崎市議(59才)の葬儀が昨日行われた。
3年4ヶ月に及ぶガンとのたたかいだった。 彼に初めて会ったのは山田さんが国労高崎支部書記長をしていた頃だった。 玉村町文化センターでの何らかの催しの会場の後ろの方にひとり座っていた。 髭ずらで大柄、野太い声とあの顔で話しかけられれば、気の小さい人はすくんでしまう。私も例外ではなかったが、いつのまにか、無理なくつきあいは進み、今日に至ったのは、彼の一途さ、シャイな面、気配りがそうさせたのだろう。 外注化、民営化が極端なまでに労働者を犠牲にし、日本社会がここまで荒んだその出発点としての国鉄分割民営化という国策に彼はハッキリ反対し、行動し、誰が味方で誰が裏切り者かハッキリさせてきた。 11月中旬に自宅を訪ねた時も、「組織拡大で運動を展開し、反動を跳ね返そう」とその展望を語っていた。 3期目の玉村町議選(2009年)をその山田行雄さんに支援していただいたことは忘れられない。 こちらがシッカリ立っていないと脇に追いやられそうになるほどの風圧と存在感だった。 井筒和幸監督が「黄金を抱いて翔べ」を製作する過程で、労働組合運動の経験者の話を聞きたい、ということを土田君から聞き、山田さんに連絡すると、闘病中にもかかわらず、玉村町にまで来てくれた。 ホルモン屋で、井筒監督と山田行雄、酒も飲まずに3時間以上話し込んでいたこともあった。 完成後、「役にたったよ。山田さんによろしく」とは井筒監督の言葉。 土田君を通じ井筒監督にも山田さんの訃報を知らせなければならない。 彼が関与した高崎映画祭関係者は、これで茂木正男さん、常見次郎さんに続いて山田行雄さんを見送ることになってしまった。 また、彼が若き日にたたかった成田闘争でも、萩原進事務局次長(69歳)が亡くなり、期せずして同じ日の葬儀となった。 自治体議員としても、初めての選挙以来、大変お世話になった元伊勢崎市議の堀込忠三さん(85歳)もこの暮れに亡くなった。 それぞれの思いを引受け、生き続けることが、生き残った者の責任だろう。 合掌 |
| あいさつする小池康雄代表 |
| コーラスはコンセール・ミア
「仕事人間から地域人間へステップ・アップ」をうたい文句に始まったアクテイブ・シニア玉村の発足5周年記念の集いがJAたまむらの2階で開かれた。
貫井町長、柳澤議長、井田県議、濱口県立女子大学長も参加しての賑やかな集いとなった。
このアクテイブには現役退職後の人たちが集い、積極的にさまざまな企画、運動に参加しているため、町としての協働の町づくり大いに役立っている。
代表の小池康雄さんが癖や欲のないこともあり、人が集まりやすいこともあるだろう。
そして、安保博史女子大教授の力添えも忘れることができない。
今日の講演は短時間だったが、〈与えられた高齢期の時間をいかに過ごすか〉と題し、これまた結構な話をして頂いた。
《60才定年まで約40年の仕事時間は約10万時間、定年後の80才までの20年間の自由時間が10万時間、健康寿命を5万時間として、これを無為に過ごして良いのか、という問題提起。生産性、効率性は関係なく(生活・人生の質)重視の生活設計をすることにより人生の味わいは変わる。
自由時間がそのまま健康に暮らせる時間となるよう、健康寿命を伸ばす努力をしよう。
最後に、「畢(おわり)」、猶(なお)「華(はな)」の面影宿すかな、という吉野弘の歌を紹介する。
華と似た字体の畢(おわり)を使い、畢(おわり)にも華の面影を宿すような人生を送りたい、という意味。》
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| 渋く演じる植宗一郎さんと花火を背景にした五料橋のシーン |

| 上州おにし道の駅 |
| はしご下りは面白い |
| ゴム鉄砲での命中率は低い
いよいよ今年も残り一ヶ月、仕事の関係でいろんな所に行く。昨日は鬼石町、時間調整のため道の駅「上州おにし」に寄った。そこの木工体験教室で土、日だけ仕事をしている小・中時代の同級生の増尾弘明を訪ねた。
ここに寄るのは平日が多く、ここで増尾君に会うのは初めてのこと。
作業台にはカンナ、ノコギリなどの道具類、木工の材料がたくさん置いてあり、お客さん対応の準備は整っている。
どんなものを作っているのか尋ねると、「はしご下り」を見せてくれた。
木でできたコマが木のはしごを一段一段その溝と重力を利用して一気に下っていく。子どもでなくても喜ぶ仕掛けだ。
斜めのはしごを下ることもできる。
はしごの太さ、間隔、コマの溝の大きさ、深さなど絶妙の間合いを作る必要がある。
ゴム鉄砲で的を狙ったが、なかなか命中しない。
他にも楽しそうな木工品がたくさんある。
教員を退職後、自分の作業所でこつこつ作業をしていたが、こういうことだったのか。
今日は玉村八幡宮での「宿サミット in たまむら」。 近在からも多くの参加者を得て、町づくりへの取り組みが話し合われた。 安保博史先生が〈歴史資産を生かした協働のまちづくり〉と題し基調講演を行った。 肝要は「地域の記憶の重要性に注目して」、ということ。 |
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玉村町議会議員 石川眞男
一般質問通告書
次のとおり通告します
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質 問 事 項
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質 問 の 要 旨
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答弁者
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激変する時代へ向けた行政姿勢を問う。
1.介護福祉関係について今後予想される課題への対応を問う。
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1.今後、大介護時代が到来するが、要支援は市町村に任せ、特別養護老人ホームには、例外はあれ、要介護3以上の人でないと入所出来ないなど、家族にとっても町行政にとっても深刻な事態が予想されることについての対応。
2.介護保険制度は「介護の社会化」という理念から始まったものだが、現実の政策は逆になり、個人と家庭の負担が急増し、介護のための休職、退職、失業、生活保護、閉じこもり等々社会問題となってきている。これらに対する行政としての対応。
3.ケアプランは本人だけでなく、家族の生活環境も勘案すべきと考えるが現実はどうなっているか。
4.昨年4月から始まった「24時間地域巡回型サービス」はどの程度実施出来ているか。
5.健康寿命を延ばすことは個人にとっても幸せなこと、この点からの対応。
6.財政安定化基金の取り崩しなどを含めた介護保険料の改定時期への対応。
(既存宅地内建物の建築許可基準の現実的運用、大規模指定既存集落についての準備調査等)
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町長
町長 |
| ライトアップされた金具屋 |
| 夜の温泉街は寒い |
| 今年最後の朝市風景 |
| おばさん、待ちない |
| 川中島の戦跡公園の銀杏
本来まめな性格で、若い頃は、どんどん一人旅をしていたものだ。
もう還暦になったことだし、時間があるときは思いつきで色々な所へ行って見たいと思うようになった。
ということで、長野県は小林一茶記念館から玉村町と姉妹提携している山ノ内町の温泉へと足を伸ばした。
一茶記念館には玉村町(上茂木)出身の中村さんが学芸員として勤務している。
突然の訪問だが、快く応対して頂き、当時の柏原村の様子などをうかがい、ついでにうまいソバ屋さんまで紹介してもらった。
山ノ内町といえば温泉、酒の玉村屋、地獄谷のサル、そして志賀高原などたくさん見所はあるが、今回は古久屋ので一泊、偶然にも通りに面し、小林一茶が泊まったという部屋に案内された。
広くはない道路を隔てた対面に金具屋という古い旅館がある。「千と千尋の神隠し」のモデルになった旅館で夜はライトアップ、多くの人たちが見物に訪れる。
その日は時間もあったので地獄谷まで行きサルに対面、サルもまだ風呂に入る時期ではなさそうだ。
翌朝の朝市は今年最後、リンゴを中心に地元のリンゴ農家のおばさんが完売していた。
朝市の場所から階段で200段ほど上がった所にある寺まで行くとサルの群れが柿を食べに山を下りて来ていた。
尼さんが「食べたらお帰り」とサルの嫌いなフマキラーを持って寺から出てきた。「これも共存の方法よ」
山ノ内から小布施までは車で30分ほど、そこから川中島までゆっくり1時間くらい、少し方向を変えれば善光寺もある。
川中島まで来たら松代まで行き、真田一族記念館やら佐久間象山記念館にも行ける。
歴史満載の小旅行だ。 |
| 刃物屋さんの話に聞き入る |
| 昭和村議員と茶会でひと息 |
| これも収穫祭、鳥に食べられないうちに柿の収穫 |
| 執念の八ッ場ダム反対集会、これが希望だ。 |
| たたかう地理学、これでダム建設を止める
晴天の中、玉村町産業祭が朝から賑わった。私は昭和村議会のお客さんの接待役ということで、会場をくまなく歩いた。
山之内町、昭和村、茨城町、気仙沼からの特産品の販売もあり、年々賑やかになるようで、秋の収穫祭と言えるのではないだろうか。
途中、刃物売り場の前でしばらく、いろいろな種類の刃物の説明を受けたり、そばを食べたり、お茶をたしなんだり、土産を買ったりとそれぞれ楽しんだ。
昼からは瞬悠庵で奥深山農園の秋の収穫祭、奥深山さんを囲み話し込んだ。〈どっこい、まだまだ元気だぜ〉
庭にある柿の木にハシゴをかけての柿もぎは楽しいものだ。
子どもの頃は柿の木によじのぼり、猿にでもなったように柿を取ったものだが、今の子どもたちは、全く無関心のようだ。
柿はうまいよ。
2時からは中里宅での原発勉強会、集まる人は80歳代が多く、しかし、政治的意気込みはすごいものがある。
「何とか原発を止められませんかね。秘密保護法ができたら、戦前の息苦しい社会になってしまうよ。私は体験しているのだから」
日本社会、政治を語らない風潮があるなかで、ここに集う高齢女性たちの元気さに押されて、予定時間をすっかりオーバー。
高崎シテイーギャラリーでの八ッ場集会にたどり着いたときは4時になっていた。
八ッ場ダムの本体工事着工が迫る中、しかし、それを止めたい、と考える人たちが全国にいることがわかる。
ダム建設決定から60年経ってもできないダムは造ってはいけない、ということ。
当時と経済、社会状況は激変し、ダム不要の時代となっている。
推進派はただ、「多額の金をかけて、ここまで工事をすすめてきてしまったのだから、もう完成させるしかない」という論調ばかり。
総工費5000億円になんなんとする問題だらけの八ッ場ダム建設だが、何世代か後には、ダムを壊す時期も来る。
1000兆円の借金国にそんな余裕はない。
後世に残す負の遺産になることは明らかだ。
推進派は頭を冷やせ。
小野有五北海道大学大学院名誉教授の話はよかった。
著書「たたかう地理学」を買い込み読み出した。
まだまだ抵抗の余地あり、何せ、未来が味方している。
あきらめない執念のたたかいこそが最後の勝利をもたらすことは歴史が証明している。
関口茂樹さんにも久しぶりに会えた。
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| 日本海・笹川流れの海岸 |
| 鶴岡市にある藤沢周平記念館 |
| 紅葉に染まる山寺のお堂 |
| 静かなたたずまいを見て芭蕉が「閑かさや」と歌った。 |
| 山寺から見た光景はよくある構図(晩秋はまたいい) |
| 安全に上り下りできるのも参道清掃をする人のおかげ。
一ケ月ほど前から計画していた、山形県鶴岡市の藤沢周平記念館と立石寺(山寺)への旅は決して思いつきではなかった。
しかし、天候はどうにもならない。予想では曇り、雨だったが土曜日は晴天に恵まれ、今日も山寺に登り切るまで(午前9時半頃)は曇り空だった。
藤沢周平記念館に関しては同級生の新井淳一が何年か前、尋ねたが、準備不足で閉館日に行ってしまった。その話を聞いてから、行きたいと計画を立ててきた。
藤沢の本は結構読んでいるがまだ半分にもならない。しかし、どれを読んでも、当時の人々が今、そこで生活しているように思えてくる。
彼は映画やビデオもよく観た。そこに一枚の手書きの注文メモがあった。
「ドクトル・ジバゴ」、「暗くなるまで待って」、「昼下がりの決闘」そして「誓いの休暇」(ソ連映画)と書いてある。
私は「誓いの休暇」は2度観た。藤沢周平も観たのか、と思うと
また身近に感じ、藤沢本を読みたくなる。
しかし、記念館、藤沢作品の本や関連のグッズを何も販売していないようだ。そこで本を販売していれば間違いなく相当売れるのに、なぜ、欲のないことを、と思ってしまう。
そこも藤沢流なのだろうか。
庄内藩校・致道館、鶴岡カトリック教会、大寶館を巡り、閑かに落ち着いた晩秋の街並みを歩いた。
そして今朝は9時前から山寺登山、3度目の山寺だが、今回はそれほど千段の石段が、体調がいいのか、長く感じなかった。
一歩一歩、「煩悩を捨て」奥の院まで行くのだが、そこで突然の雨、しかし、山の木々の葉が傘の代わりをしてくれ、それほど雨には濡れなかった。
地内にある秘宝館も尋ねた。 仏の道は煩悩を捨て、とはいうが、そう簡単でないことは、誰でもわかる。 一方、願えば何でも叶う「如意」という言葉もある。 煩悩を捨てた人間が何を叶えようとするのか、とその矛盾を思うようでは、まだまだ仏道の理解にはほど遠い。 やはり表裏は一体なのだろう。 一段一段参道の落ち葉を掃除し、歩きやすくしているおばさんに会った。「仕事だからね。もう23年してますよ」 仏さんに会ったようだ。 |
| ガツーンと労働者集会(日比谷) |
| アースデイも楽しむ(藤岡) |
| 青原さとし監督の話を聞く(少林山)
なんとも忙しい文化の日だった。
3日は新自由主義に反対する全国労働者集会。
今程、ラジカルな政治集会が求められている時はないだろう。
安倍政権の容赦ない攻撃に対し、中途半端な運動はすべて腰砕けになり消えて行くか、自らを誤魔化して、変節を自己合理化し逃げ出していく。
それほど厳しい政治、社会状況のなか、日比谷野音を埋め尽くす大集会を打ち抜く政治勢力があることは頼もしいかぎりだ。
帰りには、ららん藤岡でのアースデイの集いに合流、バンド演奏を楽しんだ。
そして4日は、休んでいればいいのに、少林山達磨寺でのドキュメンタリー映画「タケヤネの里」(青原さとし監督)上映会に参加。
《日本中の山々に、この地球温暖化ではびこり、放置されている「竹」やその「皮」が、こんなにも深い文化を作り出し、しかも世界につながっているのか、と驚嘆した。》というチラシの言葉だけ読んで、これはいい映画だと勝手に思い込み、何人かの人に声をかけた。
とくに上原夫妻に声をかけたのは午前中のこと。
「竹に関するいいドキュメンタリー映画があるので、しかも無料だから、少林山に来ないか」と誘ったら来たではないか。
無料という言葉に引かれたらしいが、実は1500円だった。
よく見るとチラシに小さく書いてあった。
まあ、作り手も大変だからカンパのつもりで、ということで納得してもらい、ついでに「9日、県立女子大での映画3本の上映会こそは無料だから観なよ」と誘い、シネマテークたかさきで9日から2週間上映される「ハナ」、これだけは観とくれよ、と強く勧めた。
髙階ミチさん、岩城さん、星野さんにも会場で会い、同じことを言った。
最近、何か映画の営業マンみたいだ。
極めて文化的に過ごした文化の日といえよう。 |
| 継続は力、今夜も脱原発
すべての原発が止まる中、今年の冬を迎える。
それは原発なくても電力はまかなえるということを示している。
一方、一度事故を起こしたら、その収束がいかに困難かを福島原発事故は示している。
今後何百年にもわたり、事故原発の構造、技術を熟知する大量の技術者、労働者を継続的に供給できるかどうかが、今後の大きな課題のひとつだ。
交通事故の検証、事故現場の復旧とはわけが違うのが原発事故。
無事故で稼働したとしても大量の放射性廃棄物の最終処分ができない。はじめから、無理な話だった。一刻も早く、原発からのエネルギー転換を進めなければいけない。
毎週金曜日夜の高崎駅西口での集会は昨夜も50人程度の人が集まり、強く脱原発の訴えをしていた。
「継続は力だ」
福島原発事故を過去のもの、日本の一部で起きたことにして後景化させ、原発再稼働、原発輸出に突き進む安倍政権を追い詰めよう。 |