みんな寿命を全うしようぜ

みんな寿命を全うしようぜ
西表島で会った昼の蝶

2014年5月31日土曜日

60万回のトライ/シネマテークたかさき


中央が朴思柔監督

 群馬司法書士会総会を午前の部で失礼し、駆けつけたのがシネマテークたかさき。
 今日から一週間上映される「60万回のトライ」、今日は朴思柔監督の舞台あいさつがあるというので、少しだけでもという思いで駆けつけたが、着いたとき、まさに監督が帰る1分前という状況。それでも東京での試写会のことを少し話すことができた。
 《行政から校庭の明け渡しを求められた大阪朝鮮高級学校、そこには夢に向かって奮闘するラグビー部員たちがいた。
主将のケガ、高校無償化からの除外といった困難にもめげず、全国制覇へ向け挑戦する姿を撮ったドキュメンタリー映画。
 在日朝鮮人の共同体の中で生きていく姿を豊かに見つめている。》
 監督が帰った後、李さんや林さん達と朝鮮飯店で食事、大陸食堂の廉数昭さんにご馳走していただいた。
 高崎での上映に多くの人たちが足を運んで頂きたい。
 《上映はシネマテーク高崎で6月6日まで》
 
 
 

2014年5月25日日曜日

玉村町消防団ポンプ操法大会/連合群馬ふれあいフェスチバル

ほほえましいマジックショー
消防団のポンプ操法

 伊勢崎市のあずま公園での連合群馬主催の「ふれあいフェステイバル」は天候も良く、多くの参加者を迎え賑やかに行われた。五十嵐伊勢崎市長、貫井玉村町長も来賓としてあいさつした。
 恒例になっていることもあり、地域の人たちの参加もあり有意義な一日となった。
 
 午後からは、玉村消防署での消防団消防ポンプ操法大会が行われ、その競技を見守った。
 ポンプ操法は消防訓練のひとつで基本的な操作の習得を目指すための手順であり、2年に一度、全国大会が行われ、ポンプ、ホースなどの操作を速く正確に行うとともに、動きの華麗さを競うもの。今回は9分団、10分団が1位、2位となった。
 これから伊勢崎・佐波大会目指して練習に励むことになる。
 
 

2014年5月21日水曜日

26年度区長会・議会合同研修会

研修会の様子

 今年度の玉村町区長会・議会合同研修会が役場3階で貫井町長、副町長も参加し開かれた。
 今年度はまだ1月半くらいだが、2期、3期の区長もいてなかなかな顔触れ、また人生、それぞれの職を歩いてきただけあり、行政や政治に対する思いも強く、議会に対し活発な質問をした。 
例えば、人口減少、特に若者の人口減少対策は?
2、議会の一般質問で、同じ質問項目を複数の議員がするが、それは答弁者としても同じことを答えることになるので無駄ではないか?
3、地域の人たちが集える居場所づくりを議会としてどのように対処しようと考えているか、等。
 昨年までは、町長同席のため、議会への質問が町長への質問となっていたが、今年は、、それぞれの議員の考え方を示すことができたようだ。
 しかし、人口減対策について言えば、各議員思いを持っているだけに話しだしたら際限なくなるので、時間的制約の中、4人ほどに止めておいた。
 この9月、広幹道が開通することにより、交通事情が著しく変わる。
 広幹道を単なる通過道路にしてはならない、町に賑わいを確保し活きのいい玉村町にする、これが町民の思いだ。
 
 懇親会で、井田県議と岩鼻の群馬の森にある、戦前、強制労働させられた朝鮮人の追悼碑についてお互いの認識を確認し、その存続のために力を尽くすことを要請した。

2014年5月18日日曜日

南京歴史散策(後)/映画「ジョン・ラーベ」

記念館の敷地入り口に建つ、亡くなった子どもを抱いて嘆く巨大な母親像
惨事のモニュメントが入り口まで置かれている
親を殺され泣き叫ぶ子ども
入り口に着くまでに重い気持ちになっていく
それでも現実はもっともっと過酷だった
当時の新聞は侵略を煽っていたことがよくわかる
若者をこのような蛮行に駆り立てるのが戦争だ
後ろで笑う日本兵の顔を見ると全く恐れ入る
ジョン・ラーベの言葉「許すことはできても、忘れてはいけない」
記念館入り口で一枚、30万人だぜ。
当時の骨がそのままに展示されている。
ここで中国人1万人を殺し埋めた。記念館はそこに建つ。
過ちを繰り返さず、との思いを込めた和平像は出口に建つ。
 侵略戦争の悲惨を反省もせず、戦争のむごさも見据えることのできない安倍政権は、集団的自衛権容認に向け、解釈改憲を強行しようとしている。どこの国と戦争しようというのか。これではクーデター政権といえよう。絶対認められない。


 この4月南京に行き、何箇所か歴史的建物や地域を訪ねたが、その主な目的は南京大虐殺記念館に行くことだった。
 14年ほど前にも行ったが、現在の記念館の様子を見ておきたかった。
 チケット売り場まで続く長い建物沿いの水辺に当時の惨劇のモニュメントが並んでいる。
ひとつひとつをじっくり見ながら歩いた。
記念館の中は多くの人々がいたが、誰もが静かにゆっくり歩きながら見ていたのが印象的だった。
 ガイドと日本語で話す私に顔を向ける人もなかったように思う。正気の沙汰ではない「百人斬り」などの写真を見たら、もう声もでない。
私の足が止まったことを中国人ガイドも見ていたのだろう。
「昔のことです。でも事実あったことです」とだけ言葉をかけてくれた。
 出口には大きな「和平」と書かれた塔がある。
南京大虐殺記念館、ここを訪れる日本人観光客は少ないようだ。 今後、仲間に声をかけ、何年か後には団体で南京観光といきたい。
中国の歴史が詰まっている南京は魅力的だ。
 過去に罪ある行為をしてしまった日本人こそ、その事実から目をそらせてはいけない。そして、絶対、戦争などしない友好の思いを重ねる意味でも南京歴史散策は必要だ。

 昨日、江戸東京博物館で映画「ジョン・ラーべ」を観た。
1937年12月、日中戦争の最中の中華民国の首都南京。迫りくる日本軍を前に南京に留まった欧米人たちが南京城内に「南京国際安全委員会」をつくり、20万人の市民を戦火から守った事実を映画化したものだ。
監督はドイツ人で日独仏米中の俳優陣が出演する見ごたえある映画だ。
 井浦新の舞台あいさつ、フローリアン・ガレンベルガー監督のビデオメッセージがあった。
 自国の戦争責任や戦争犯罪に厳しく向き合ってきたドイツの監督とスタッフにより制作されたこの映画はさすがに見ごたえある。 朝香宮中将を演じた香川照之にはこの役で「ジョン・ラーベ平和賞」が授与された。
 日本国内には、その香川を批判する動きがあるというのだから、日本人の器量の狭さにはあきれ果てるとともに、だからこそこちらは燃えるぜ。

「ジョン・ラーベ~南京のシンドラー」の次回上映予定
8月23日(土)文京シビックセンター小ホール
     (主催/南京・史実を守る映画祭)

 

2014年5月9日金曜日

5月17日、南京事件を描いた映画「ジョン・ラーベ」が上映される。/江戸東京博物館


執務中のジョン・ラーベ像(南京大虐殺記念館)
中央がジョン・ラーベ(記念館で撮影)




〈南京のシンドラー〉ジョン・シンドラー
朝香宮鳩彦親王役を演じた香川照之

 中国帰還者連絡会の略称「中帰連」4月号が届いた。そこには2枚のビラが入っていた。
 一枚は、日本軍「慰安婦」問題研究の第一人者、中央大学の吉見義明教授が2013年7月26日、日本維新の会の桜内文城衆院議員を名誉毀損で訴えた裁判の支援を求めるビラ。
 桜内議員は、慰安婦問題に関する吉見教授の本を「ねつ造」と言い、「慰安婦」が性奴隷だというのは「虚構の事実」のねつ造と主張している。
 この裁判で吉見教授は、徹底的に桜内議員の「こうあって欲しいという思い込みから言う意図的なデマ」と真っ向たたかう論陣を張っていく。
 社会の一部で歴史修正主義がはびこる風潮を木っ端微塵に粉砕する大変重要な裁判だ。勿論、支援しますよ。
 
 もう一枚は映画「ジョン・ラーベ」の上映会のビラ。
実はこの映画のことを知らなかった。
 〈香川照之、ARATA,榎本明などが参加した映画だが日本未公開、南京事件70周年に合わせて、世界中では事件に関する映画作品が多く作られたが、しかし、日本ではそのほとんどが一般公開されていない。今回、5年に渡る交渉の結果、この作品の上映にたどり着くことができた。世界中で認められた映画が日本で上映することができない、そんなことがあってはならない、という思いが私達の原点〉と言う上映会関係者。
 
 映画「ジョン・ラーベ」で朝香宮鳩彦親王役を演じた香川照之さんが日本国内で批判を浴びているという。
 「この役は多くの人の批判を招くと思うが、自分がこの役を演じて経験したことはとても意義がある」と香川さん。また日本国内で上映されないことについては、「日本で南京をテーマとした映画は普通上映できないし、日本人も撮影しない。しかしこの映画が少しでも中国の人たちの苦しみを取り除いてくれるよう望んでいます」と話す。泣けてくるではないか。ますます香川照之が好きになってくる。
 
 先月、南京大虐殺記念館に行き、中国の人々と若干だが交流した者として、日本人は歴史の事実から目をそらしてはいけない。中国の人々はそのこと、忘れないことを望んでいるにすぎない。そこから、友情も友好も始まる。
事件をなかったことにしてはいけないのだ。
 南京で撮ってきたジョン・ラーベに関する写真2枚とともに彼の言葉を援用する。
「許すことはできても、忘れてはいけない」
 
「ジョン・ラーベ」上映会場5月17日(土)江戸東京博物館ホール
 

2014年5月7日水曜日

友人と巡った世界遺産群

髙山社
二階から天井を見る
入場に2時間待ち、ということで入場せず近くのかりんとう饅頭の店へ
健康美人のかりんとう娘と無理矢理話を弾ます

この奥が荒船風穴
興味深く説明を聞く見学者
当時はここに建物があった
研ちゃんと一緒
黒煙をあげて走る蒸気機関車にびっくり(碓氷峠鉄道文化村)


 中国旅行の下山祝いも兼ね、都内の友人を群馬まで呼び出し、身近な所への観光となった。
 まずは藤岡の藤の花公園に行き、散策しながら軽く冷や酒
で乾杯、接待係の秋山元局長はまだまだ地元じゃ顔がきくようだ。
 その足で髙山社へ、何度か行ったことはあるが、二階に上がるのは初めて、足下が悪く、注意しないと踏み外しそうになる。養蚕をしていた当時の様子を感じるには2階に上がって見ることがいいだろう。
 それにしても今後の維持管理には大変気を使うことになるだろう。見物に訪れる人たちの対応をするボランティアの待遇も考えた方がいい。
 夜は高崎市内で濃いひとときを過ごし、翌日は富岡製糸場へ、9時過ぎに現地に着いたが、待ち時間2時間、ということで入場をあきらめ、なじみの(と言っても1度しか行ってない)かりんとう饅頭の店に寄り、お茶を飲みながら、店の若いお嬢さんと歓談、勿論、土産も買う。
 その後、下仁田町の荒船風穴へシャトルバスで向かう。神津牧場近くにある風穴だが、ここにも案内人がしっかりいて説明してくれる。
 天然の冷風を利用しての蚕の卵を冷蔵貯蔵する施設で、これを利用することで、蚕のふ化時期を調整することが可能になり、養蚕を年に複数回行うことができるようになった。

 友人が鉄道村へも行きたい、と言うので横川駅近くの碓氷峠鉄道村へと足を伸ばした。
行って見ると、本物の列車がドーン、ドーンと置いてあるその迫力に圧倒された。
群馬に住んでいながら、見たのは初めてなのだから、あきれた話だ。
 ボーッと大きな音をたて黒煙をあげながらの蒸気機関車の登場には驚き、目を見張った。
 遠くの友人は大事にしたい。
 

2014年4月28日月曜日

塙保己一旧宅へ行く/埼玉県児玉町

塙保己一の生家・児玉町
東側道路から見る

 仕事の先々で時間があれば歴史探訪、26日は群書類従を編纂した塙保己一の生家を尋ねた。
 1746年生まれの保己一は、7才で失明するも抜群の記憶力で数万冊の古文書を耳から暗記、歴史や文学、古い法律や制度
についての本を収集し、後世に役立つよう次々に文書保存を行った。
 中でも代表的な事業が群書類従で、日本の政治、経済、社会の出来事などを記録、保存するため、古典や古文書を収集、分類、校正し、木版刷りで出版した666冊に及ぶ日本最大の国書のシリーズ本を完成させ、貴重な書類を散逸から救った。
同書は日本初の大型出版事業であり、ちなみに、400字詰め原稿用紙の体裁は、塙が出版事業を手掛ける際に考案されたものと伝えられている。
 24歳の時から群書類従の編纂を手がけ74歳の時完成させた。
 塙保己一は晩年の賀茂真淵にも師事している。
その保己一の生家が児玉町にある。もう何度か行っているが子孫が実際住んでいるようだ。
 静かなたたずまいの雰囲気を壊すことのないよう気を使いながら歩いた。近くに墓もある。
 富岡製糸場が世界文化遺産登録ということで極端なにぎわいらしいが、こんなところも実にいい。

2014年4月27日日曜日

必見 《ある精肉店のはなし》/シネマテークたかさき

映画「ある精肉店のはなし」
監督の纐纈(はなぶさ)あやさん
緊急集合した光石研さんを囲む会の面々

 大阪貝塚市での屠畜見学会、ここで牛の命と全力で向き合う精肉店との出会いからこの映画は始まった。
「ある精肉店のはなし」という話題の映画を観るつもりだった。
 児玉町で仕事をしていると、土田社長から「今日、監督の舞台あいさつがあるんですけど、無理しなくてもいいですよ」との電話。
無理しなくても、と言いながらも、来て欲しいから電話くれたことは彼の性格からわかる。20分遅れでの観賞となったが、確かに相当いい内容だった。
 最後の牛の屠畜のシーン、その後の家族全員での手際のいい肉捌きの流れは圧巻だった。
牛の皮を太鼓の皮に変えていく作業も見応えがある。
 被差別部落の生業として代々受け継がれてきた家業も時代の流れの中で閉じていくことになる。
 北出家の人たちのおおらかな家族関係、地域での人間関係を映しながら、厳しい仕事と心底、向き合うことのスゴミを見せてくれる。
 レストランで肉を食べるとき、生きものから食べ物へと変えていく屠畜の現場を担う人々がいることを忘れてはいないだろうか。   このようなドキュメンタリー映画は作る側と撮られる側の信頼関係が必須の条件だ。
 熊か野獣のような男連中が作った映画かと思っていたら、なんと、うら若い女性がでてきて舞台あいさつ。それがまたのびのびしていて嫌みもなく映画を紹介してくれた。
 その名を纐纈(はなぶさ)あや監督、「押し込み舞台あいさつ」などと謙遜していた。
1974年生まれで自由学園卒業という。自由学園といえば羽仁もと子が創立した学校だ。のびのび教育を今の公立学校に求めるのは無理なことなのか。
 シネマテークたかさきで5月9日まで上映、必見の価値あり。

 解散し、秋山君と帰ろうとしていると、土田君から電話、ホルモン屋へ行く話かと思ったら、テレビドラマのロケのため光石研さんが高崎に来ているということで、投宿しているホテルロビーへ再結集、志尾さんも立ち会い、1時間ほどだが楽しいひとときを持てた。
 光石さんと会うのは、映画「漂泊」への友情出演のため玉村町に来た昨年7月以来だったが、忙しいなか、几帳面に連絡してくれるなど本当に気配りの人だ。ますます応援したくなる。
 志尾さんには、「60万回のトライ」の高崎での上映をお願いした。

 

2014年4月26日土曜日

「富岡製糸場」世界文化遺産へ

正門から見た富岡製糸場の東繭倉庫
ガッシリとした木造の建物
当時の自動操糸機械のそのまま
 
髙山社の悠然とした建物(藤岡市)

 「富岡製糸場と絹産業遺跡群」を世界文化遺産として登録するようイコモス(国際記念物遺跡会議)がユネスコ(国連教育科学文化機関に勧告した。
 「伝統的な生糸生産から急速に最善の大量生産手法に到達したことを表している。日本が近代工業化世界に仲間入りする鍵となった」と評価している。
 中に入ってみると、広く高い木造ブロック造の建物が当時のまま保存されていることに驚かされる。
 2月の雪で一部壊れた部分もあるが、明治以降の風雪に耐え、所有会社に先見の明があったのか、戦後も取壊しをせず保存をして、固定資産税まで払ってくれていた。その労がこのような形で報われようとしている。
 歴史をそのままの形で現代に生きる者に手渡す意味を考える時だ。
 昨日は、群馬の森にある朝鮮人強制連行の追悼碑の契約更新につき、「歴史的に意味あるものなので、このまま更新し、後世にわたすべき」と公園課課長に申し入れた。
 韓国、朝鮮との友好碑として将来機能することを銘記すべきだ。
 
 
 

2014年4月20日日曜日

「記憶、反省そして友好」の追悼碑を守る会の集会

朝鮮学校の子供たちも歌で参加
群馬の森に立つ慰霊碑こそ国際友好の碑だ。
佐藤知也平壌・龍山墓地墓参団団長
追悼碑を守れ、と訴える猪上輝雄さん

 19日高崎労使会館で「記憶・反省そして友好」の追悼碑を守る会の第11回追悼集会・出版記念会が行われた。
 《20世紀の一時期、わが国は朝鮮を植民地として支配した。また、先の大戦のさなか、政府の労務動員により、多くの朝鮮人が全国の鉱山や軍需工場などに動員され、この群馬の地でも、事故や過労により尊い命を失った人も少なくなかった。
 21世紀を迎えた今、かつてわが国が朝鮮人に対し、多大の損害と苦痛を与えた歴史の事実を深く記憶にとどめ、心から反省し、二度と過ちを繰り返さない決意を表明する。
 過去を忘れることなく、未来を見つめ、新しい相互の理解と友好を深めていきたいと考え、ここに労務動員による朝鮮人犠牲者を心から追悼するためにこの碑を建立する。
 この碑に込められた私たちの思いを次の世代に引き継ぎ、さらなるアジアの平和と友好の発展を願うものである。
    2004年4月24日
       「記憶 反省 そして友好」の追悼碑を建てる会》
 
 この言葉が書かれている追悼碑が群馬の森の県有地にある。
政府の行為による強制労働なのだから、この碑が群馬の県有地に立てられることはむしろ当然のことだ。
 極右・安倍政権下、戦前の歴史を日本の有利なようにねつ造しようとする動きが顕著になり、この碑に対しても撤去を要求する声がある。
 全く歴史に逆行するこれらの動きに対し、群馬県は毅然と跳ね返し、歴史に恥じない対応をする必要がある。
 会場で平壌・龍山墓地墓参団団長の佐藤知也さんと会い短時間だが話をすることができた。
身をもって戦争のことを知っている人だけに、この追悼碑のことを高く評価してくれたことはうれしい。
 
 
 
 
 
 

2014年4月16日水曜日

協同労働の「だんらん」を視察

福祉施設・だんらん上柴

                       とうふ工房前での総務常任委員

「協同労働の協同組合法」法制化への理解を深めるため、朝から深谷市にある「とうふ工房」、「だんらん上柴」、「だんらん」、「ほほえみ」を訪問視察した。
 日本における労働環境の大きな変化により、働くことに困難を抱える人々が増大し社会問題となっている。そんななか、「雇う、雇われる」関係ではなく、働く人々が出資し、経営に参加して仕事を作り出す「協同労働の協同組合」の活動が地域に広がっている。しかし、根拠法がないため、組織を作っても法人格が得られず、金融機関からの融資や自治体からの委託業務を請け負うことなどが困難となっている。
 そのための法制化を求める意見書を提出するよう求める陳情が玉村町議会に提出されたのを受けての視察となった。
 総務常任委員会全員で現実に運営されている協同労働の現場を尋ね、その実態に触れることが出来た。
 まず、全員参加の共同労働現場での参加者の意識の高さに注目したい。
 地域の課題解決に向け雇用やコミュニテイーを創出する積極的な姿勢が目立った。
 利潤追求一辺倒の社会の対極にある本来の労働の意味を考えさせる運動と言えるのではないか。
 そんな時代がそこまで来ていることを気づかせてくれる意味ある視察だった。

2014年4月14日月曜日

南京歴史散策(前)

南京での最後の周恩来記者会見の像
奥が周恩来執務室、横の家の2階から国民党兵士が監視していた。

周恩来が乗った車






気持ちが落ち着く梧桐樹の街路樹
ここを中心に歴史は動いた
孫文の執務室

「革命未だ成らず、同士須く努力せよ」

 歴史散策はやはり南京、10数年前にも一度行ったが、もう忘れかけているので、まして、日本の今の政治があまりにつたないので、確乎とした近代中国の歩みの一部を改めて体感しようと出かけた。
 南京市の中心部に宿を取れば、歩いて15分くらいの所に、孫文が政治を指揮した総統府があり、ここで太平天国の乱から辛亥革命、蒋介石の国民党、日本の侵略、中国共産党の台頭などを学べる。
 学ぶと言っても現地の人にとっては、日本の侵略はとんでもない話であることに違いない。学ぶという言葉を使ってしまう余りの軽さに自分の無学を恥じ入る。
 時間軸をキチンと整理すると、近代中国にとり、日本の侵略は本当に不幸なことだったことがわかる。日本人の私にとっても、なんという過ちをしてしまったのか、歴史を戻すことができれば、戻したい思いになる。
 それほど中国侵略、その象徴としての南京大虐殺事件はすさまじいもので、全く恥ずべき大事件だった。
 その話は次回にするとして、この総統府から歩いてほどない距離に、1946年5月から47年3月まで、国民党政府との交渉を行った周恩来の事務所がある。「梅園新村記念館」だ。
 南京大虐殺のことばかりでは本当に気が滅入ってしまうので、国共内戦、日本の侵略から不屈に中国革命を指導した人間・周恩来の生きた軌跡を知ることで、少しは気持ちを中和しようという思いがあった。
 革命中国の偉大な指導者達は毛沢東を筆頭にたくさんいる。しかし、暴虐の限りを尽くした日本軍兵士を思想改造し、戦犯1000人を無罪とした「撫順の奇跡」を指導し、怒る中国人民を説得したのは周恩来だ。
 彼のことを考えると、涙が出てしまう。本当に尊敬している。
 
 南京博物館での1光景を紹介する。おそらく休暇なのだろう。人民解放軍の若い3人の兵士が、館内で横に一列にすわり、脇目も振らず自分のスマートフォンを指ではじく姿、それが少なくとも1時間以上続いていた。若者はどこも同じだ。