みんな寿命を全うしようぜ

みんな寿命を全うしようぜ
西表島で会った昼の蝶

2015年1月31日土曜日

容器包装リサイクル法の学習会・玉村町議会総務委員会

司会は生活クラブ生協の木村さん
山本さんへの質疑も行われた。

 玉村町議会総務委員会の勉強会は「容器包装リサイクル法」。 群馬生活クラブ生協のゴミ環境問題への意識の高さを学ぼうと、当初は総務委員会単独の勉強会と考えたが、むしろ問題意識の共有化という意味でも、住民との協働という観点からも、議員全体で参加できる形式がいいのではと考え、全員参加の勉強会となった。
 関係課の職員も参加し、午後2時から4時まで、講師の山本義美さんの話を聞いた。

 戦後の高度成長時、大量生産、大量消費のため物質的には豊かになったが、1980年代、処分場が逼迫する事態となった。 ごみを詳しく調べると、約6割が容器包装で、ごみ問題を解決するには「容器包装」を解決することがわかった。
 ところが国は、1995年に「容器リサイクル法」を制定し、大量生産、大量消費の構造を変えずに、「大量廃棄」から「大量リサイクル社会」へと舵をきった。
 しかも、この制定を待っていたかのように、「事業者の小型ペットボトル自粛」が解禁された。結果、ペットボットルやプラスチック制包装容器が溢れかえり、リサイクル費用の86%を負担する自治体が追い詰められている。
 リデュース(発生抑制)が進まない理由のひとつがリサイクル費用の内、2割しか事業者負担していないところにあるとみる。
そこで事業者負担を増やせば、発生抑制の製品開発、販売などに力を入れるようになる。
 またリサイクルびんは自治体が税金で回収するが、リユース(再使用)びんは事業者責任での自主回収のため、価格がどうしても高くなってしまう。
 リサイクルは分別収集で便利なのに、びんのリユース返却は店に返却しなくてはならないので面倒という消費者は増え、店にとっても経費がかかるのでやりたがらなくなる。
 現在、プラスチック製容器包装の分別収集を完全にしている自治体は全国で7割にとどまり、収集費用負担が重いため、今後、焼却に転換する動きが出ている。
 このような状況から考えると、リユース、リデユースの取り組みを強化する必要があり、消費者のライフスタイルの変化に加え、容器包装の軽量化、リターナブル容器の利用、長期間使用できる製品開発等の事業者の積極的取り組みが求められる。
 全国の埋立処分場の容量も次第に少なくなり、ごみ減量化は待ったなしの課題だ。
 玉村町も例外なく抱えている問題ゆえに、意義ある勉強会になったと思う。

2015年1月28日水曜日

安倍政権批判を封じるとはゴンゴドウダン

 人質事件に関し、国会は全くおかしい。
人質を危険な目に合わせたのは、安倍首相の中東訪問と特にイスラエルでの「イスラム国批判」とイスラム国と対決する国々への大規模支援が直接の原因だろう。
 「テロとのたたかい」を当地で、ましてやイスラエル首相と並んで、意気揚々と宣言すれば、どのようなことになるか、誰も取り巻きは考えなかったのか。無思慮としか言いようがない。
 そのことを批判することが悪いのか。
「ゴンゴドーダン、国の内外で命を軽んじ続ける安倍政権、安倍政権の存続こそ言語道断」と共産党女性議員がツイッターに書き込んだところ、反響が起き、志位委員長に「不適切」と指摘され、削除したという。
 「政府が全力で取り組んでいる最中だ。今、あのような発信をするのは不適切だ」という言い分。
 これが共産党の公式見解かと思わず疑った。。
 他にも何人か政権批判をした議員もいるようだが、それぞれの党により自重を迫られているようだ。
 これでは、まるで挙国一致、翼賛国会そのものではないか。
 総翼賛体制で侵略戦争に突入し、国民の批判を一切認めず、ついには焦土と化したあの70年前の歴史を思い出す。
 小沢一郎と山本太郎が、有無を言わさぬ現在の同調圧力に抵抗しているらしいが、今、安倍政権を批判することが、むしろ人質解放のためには必要と考える。
 私達は安倍ではない、ことを主張すべき時だ。

2015年1月27日火曜日

「報道ステーション」イスラム国人質事件報道(転載)

「朝日のあたる家」幻の6分予告編を公開「アイ・アム・ノット・アベ」古賀発言の記.. ブログトップ

「報道ステーション」昨夜のイスラム国人質事件報道。凄かった。 古賀さんの言葉に感動した! [my opinion]

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昨夜の「報道ステーション」イスラム国人質事件のニュースで、

コメンテーターとして出演した古賀茂明さんの話が素晴らしかった。が、それを引き出しキャスターの古舘さんも見事。2人の連係プレーともいえる話に感動し、涙さえ溢れそうになる。

今、日本が日本人がすべきことは何か?を伝えた。他のニュース番組では単に事件の概要を報じるだけなのに、そこから本当に大切なこと。2人は伝えようとした。ご覧になってない方はぜひ、どこかで動画を見て頂きたい。

ネットでは言われているが、

他のテレビ局ではあまり報道しない大事な点を古賀さんは指摘する。記憶に頼って書くので正確ではないが、こんな感じだ。

「人質がとられていることは、昨年から分かっていたことで、それを知りながら安倍首相はイスラム国と敵対する国々に支援金を出し、応援のスピーチまでしてしまった。彼は人質のことより、イスラム国を空爆する国々に仲間入りしたかったのではないか?」

本当にその通りだ。「集団的自衛権」のときは「アメリカの軍艦で避難する日本人を現在の法律では助けに行けない」などと、いかに海外の日本人を救うか?といいうことを、ありえない構図で訴えていたのに、いざ、日本人が人質になると、助けるどころか、より危険に追い込むようなことをしている。

これは同時に集団的自衛権と正体とも思える。

日本を敵対していないテロ国家と争う国を援助したことで、日本人が狙われた。同様に、集団的自衛権で日本とは関わりのない国と敵対する同盟国と共に戦うことで、また日本が標的になるであろうと容易に想像できる。古賀さんの話に戻る。彼はいう。

「日本はどこの国とも戦争するつもりはありません。仲良くしたいと思っています。今こそ、それを伝えるべきではありませんか? アイアム・ノット・安倍。そんなプラカードを掲げたい」

涙が溢れそうになった。ニュース番組であることを忘れて感動した。報道だからと、客観的に事実を伝えるだけでは(それ以前に、客観的って何?という疑問もある)駄目。だから、NHKは駄目なのだ。見識者の意見や言葉を紹介してこそ、テレビ報道の意味がある。

そして、古舘キャスター。

自分の意見を極力抑えながらも、その表情は、昨年の党首討論のときと同じ、真剣な表情。この人。やはり命をかけて番組をやっている。彼の質問。言葉の投げかけがあってこそ。古賀さんもあそこまで話せたのだ。そのあとに意見を述べた局の委員。かなり困惑の表情。「ちょっと報道を超えてないか? ヤバいよ」という感じ。

しかし、多くの視聴者は古賀、古舘に大いなる拍手を送ったはずだ。この番組。やはり、終わらせてはいけない。古舘キャスターを降ろさせてはいけない。みんなで応援したい!

 動画=> https://www.facebook.com/video.php?v=797640020322910&set=vb.100002307591048&type=2&theater

2015年1月25日日曜日

県議選に向け準備はすすむ前橋選挙区

小川あきら新年の集い
本郷たかあき事務所開き

 4月県議選に向け前橋から立候補予定の「小川あきら新年の集い」、本郷たかあきの事務所開きが次々行われ、いよいよ選挙モードになった。
 アベノミクスによる景気後退と一層の格差拡大により、地方や若者、高齢者、言ってみれば99%の弱者は悲鳴をあげている。  戦争政治を進める安部政権への翼賛一辺倒の自民党議席を打ち砕き議席を奪還しよう。
 伊勢崎では「かがや富士子後援会」が、2月8日午後2時から赤堀芸術プラザホールで開催予定の「群馬の食育を考える会」に向けての総行動を開始した。
 地方自治体から安倍政権への異議の声を確実に挙げる体制をつくりだそう。
 
 今朝のニュースによればイスラム国により湯川遙菜さんが殺害されたという。
 なんと言うこと。今できることは後藤健二さん救出に向け全力を挙げること、人質交換でも何でもして後藤健二さんを救出することだ。それの何が問題なんだ。
 日本の良心を体現している後藤さんを救うことが喫緊の課題であるここに及んでも安倍首相はオバマ大統領と電話会談し、「テロとの戦い」を強調している。愚かとしか言えない。
 集団的自衛権行使容認の議論のとき、安倍首相は「国民の生命と財産を守るため」と確かに言ったそのことがウソだったことが今明らかになる。
 今年は敗戦から70年の節目の年、あのときも国家の大義のもと戦争が行われ、アジアの人々2000万人以上、国内でも300万人以上の人々を死なせ、原爆まで落とされ国は滅びた。
 国家の大義や国策は決して国民ひとりひとりを守るものではなかったことを、私達が自覚する必要がある。
 安倍政権は命脈が尽きた。

2015年1月22日木曜日

「日本人殺害予告」まで引き出した安倍積極平和主義外交のアベコベ

極右のお友達、迷惑な話だ。
 イスラム国による日本人人質2人の身代金要求と殺害予告が衝撃を与えている。
 積極的平和主義なるものを高々と掲げ喜々として赴いた中東地域、そこでイスラエルのネタニエフ首相と並び、寛容だの中庸だのを並びたてても、隣にいるネタニエフはパレスチナに無慈悲な戦争と殺戮を繰り返す「アパルトヘイト国家」イスラエルの首相。戦闘地域に入り、一方の支持を表明したようなもの。
 世間知らずで能天気な極右首相の見境のない行動が国民を死地に追いやる。
 集団的自衛権、積極平和主義などと威勢のいい話だが、戦争で懲りに懲りた日本の進むべき道は戦争を否定することを根底に持たなければいけない。
 アメリカとともに世界の警察官気取りになったとたん、地獄を見る。この事件はその始まりだ。
 世界から戦争をなくすためにも、戦争の恐ろしさを全く知らない安倍極右政権を一刻も早く倒そう。そして人質を救出しよう。

2015年1月17日土曜日

映画「お盆の弟」完成、いよいよ公開へ



 映画「お盆の弟」が完成し、試写会を経ていよいよ公開される。具体的日程はこれからだが、
主に玉村町を舞台にした映画なので、その出来具合は気になるところだ。
 ロケ地探しから日程調整、群馬弁の仕込み、実際の撮影現場などを見ているだけに、映画は俳優、スタッフ、協力者の総合力で力あるものになることを若干でも理解したつもりだ。
 昨年夏の密の撮影日程の中で撮られた映画が、どのように編集され、見応えある作品になっているか注目したい。
 《あがいても、あがかなくても時間の刻みは、周囲の状況をぐんぐん変えてゆく。兄弟仲良くボチボチと、といくか分からないが、兄、友人の変化は弟に決断を迫る。時はお盆》

2015年1月15日木曜日

こんな寒い日は珈琲専門店「あんず」でのコーヒーブレイクを思い出す

垂水駅前の珈琲専門店「あんず」
この道一筋のマスターは今も健在、落ち着きのある店内


 今日のように寒い日は熱いコーヒーをゆっくり飲みたいもの。昨年秋に30年ぶりに訪ねた神戸市の垂水駅前の珈琲専門店「あんず」を思い出す。
モーニングセットを注文し、マスターと初めて話した。
 もう当然代替わりをしていると思っていたが、今のマスターがずっと経営してきたと聞き驚いた。年齢も私と同じだそう。
驚きとともに喫茶店一筋に生きてきた姿に凄みを感じた。
「コーヒーしか入れられないんですよ」
 駅前でユッタリとした空間を40年近く提供してきたことに頭が下がる。
 バブル期や阪神大震災も乗り越えて、ひとりでコーヒーをコツコツと入れ続けてきた。
 ここにも多くの理解者がいるのだろう。
身の丈に合った暮らしをしているだろうマスターに敬意を感じないわけにはいかなかった。
 今度行った時は名前くらい教えてもらおう。
 
 

2015年1月12日月曜日

役立たずのダムを取毀せ「ダムネーション」上映/前橋・高崎

八ッ場ダム「それでもつくるんですか」
提供 パタゴヌア

 1月11日は「川の日」、この日に合わせて映画「ダムネーション」の上映が全国で行われた。
 群馬でも高崎、前橋の2カ所開催され、時間の都合上、前橋での上映会に出かけた。主催は「八ッ場あしたの会」「八ッ場ダムをストップさせる市民連絡会」。
 ダムの本体工事が始まろうとしても反対運動を続けることを表明する意味でも、意義ある上映会だった。
 前橋市民文化会館の第5会議室は満員で、高崎会場も大入り、いかに八ッ場ダム建設の異常性に多くの市民が気づいているかを如実に示した。
    映画「ダムネーション」
《無駄なダムを撤去し、川の自由を取り戻そうと活動を続けてきた者たちの姿を追ったドキュメンタリー。アメリカ全土に建設された7万5000基ものダムは、本来あった川の姿を変貌させ、魚を絶滅させ、生態系に影響を与えた。しかし、多くのダムでは期待されるほどの発電、灌漑(かんがい)、洪水防止の効果を得られておらず、維持には高いコストもかかっている。そんな負の側面ばかりのダムを撤去し、地球の血管とも言われる川を解放しようと活動する人々の挑戦を通し、人間も自然の一部であることや、技術によって自然を征服するのではない、新たな未来への可能性を見出していく。
 アウトドア用品メーカー「パタゴニア」の創設者イボン・シュイナードが、製作に名を連ねている。》
 
 3月8日に高崎城址公園で予定されている「さよなら原発アクション」には、八ッ場ダム本体工事反対も訴えたいもの。
 大資本家の醜い手先となり、庶民の声を一顧だにしない安倍政権に堂々立ち向かおう。
 11日は成人式、そして今日は玉村町消防出初め式、いよいよ新年が動き出した。
 それにしても静かな成人式だった。若者がすっかり学校や社会で「反抗しても無駄だ」と調教されてしまったのではないかと危惧する。

2015年1月10日土曜日

なにかにつけ、トホホの安倍政権は「12歳の少年のよう」

 「日本人は言ってみれば12歳の少年」と言ったのはマッカーサーだったが、なるほどということが次々、安倍政権のもとで起きている。
 昨年の沖縄県知事選で当選した翁長沖縄県知事との面会を安倍政権は拒否している。
 辺野古基地建設に反対していることが原因だが、選挙という形のなか、正当に選ばれた知事に対し、「考え方を変えるまでは会わない」そうだ。これが国を預かる最高権力者の対応か。
 まして戦後70年、厳しい基地負担のなかで生きてきた沖縄県に対して、更に辺野古基地建設を受け入れろ、という強権姿勢は見ていて情けない。大人の政治ではない。
 秘密保護法や集団的自衛権容認の閣議決定時も言っていたが、「国民に丁寧に説明し理解して頂く」という言葉はどこへ行った。鼻からそのつもりも、能力もないということ。
 もうひとつ、先日、京大熊野寮に住む学生が他の大学の敷地内に入ったことを口実に、3桁の機動隊を動員して、熊野寮を強制捜索した。
 軽微な行為を口実に学生の政治活動を機動隊の力で弾圧しようとする安倍政権は何を怖がっているのか。
 革命思想の自由すら許さない、という時代錯誤の政権対応はまるで断末魔の幕末のようだ。
 新自由主義のなかで社会が行き詰まり、未来の展望が見いだせないなか、未来を生きる学生が時代を語り、政治を語り、どんな社会に住みたいか考え、行動することは当然のこと。
学生は階級の触覚だ。
 学生運動の高揚をこれほど恐れる政権は、思慮の全くない「12歳の少年」にも劣る。
 マッカーサーも言ってくれたぜ。

2015年1月7日水曜日

公選法違反容疑で石関たかしの元秘書逮捕

 公職選挙法違反容疑で石関たかしの元秘書で伊勢崎市議の山越清彦が逮捕されたニュースには驚いた。連座制も視野にいれているという。
 石関に関しては、いろいろありすぎて、もうあきれ果てていたが、とうとう自分のところへ回ってきたな、という感じだ。
 もう10年近くなるのだろうか、自民党から国政に出られないので、ちょうど空いていた群馬2区から民主党で挑戦し、比例復活した。
 その直後から、人の道を外す行動ばかりで、周囲からの信用を全く失っていった。
 それは恩を仇で返す見本市のような10年だった。
 県連の経理処理に発した問題を無理矢理長引かせ、事務局員の自殺すら招いたことさえあった。
県連を何年も機能喪失させた張本人は石関たかしだ。
 自民党で相手にされないから、まずは民主党を使い、分が悪くなると、維新にくら替え、その時の民主党への悪態もひどいものだった。
 一時期、小沢一郎を革命家とすら呼んでいた石関は、当然、小沢と行動を共にするのか、と思えば、当時の維新ブームにちゃっかり乗り込み議席獲得。一方の小沢グループはヘロヘロ状態。
 そういえば、八ッ場ダム反対を声高に唱えていた時もあった。
しかし、建設続行が決まると、手のひらを返したように、賛成に回った時には恥ずかしくないのか、と心底あきれた。
こういう神経回路は理解できない。もう性に合わないのだ。
 政権交代時の選挙では、証紙の貼ってない相手陣営のポスターを写真に撮り、選管に乗り込み、「違反だ、違反だ」と責めあげ、挙げ句の果てには、当選証書の受取りを拒否するなどの醜態をさらした。
 今回はアントニオ猪木を呼んでの見世物興行、これが命取りとなった。

 一番世話になった角田義一さんを参議院副議長辞任にまで追い込んだ際、「議員も辞職すべきだ」といった言葉をよもや忘れてはいまい。
 盟友山越清彦がお縄頂戴となった今、人の非ばかり声高に責め立ててきたことに見合う形で、自ら議員辞職するのは当然だろう。
 最後くらい「身を切る改革」をしてもらいたいものだ。

2015年1月2日金曜日

新年もマイペースで生きます。

利根川にかかる五料橋から見た浅間山
今年も締まっていきましょう。彩乃はこれから青春(永源寺)
正月の手伝いに来ていた忍もいい大人(控え目に言っても青春後期)
仏に仕える者の正月は忙しく、ちと休憩。
こちら最晩年まで手が届きそう、とほほの年頃年季入り

 新年は自宅箱石の貫前神社境内にある公民館での地区総会から始まる。そこで来賓として挨拶をさせていただき、1時間ほどの懇親の後、総会を閉じ、その足で檀家として養命寺に行き新年の挨拶をし、御札を頂戴し、母親の住んでいた家の仏壇に手を合せる。
 妹のつくったうどんにキンピラゴボウをたくさんのせ、芋焼酎のお湯割りを飲んで一寝入りするのが何よりの元日。
 しかし、今年は元日から藤岡の親戚宅へ行くことになった。
 そのかわり2日は自由時間となり、映画鑑賞の一日となる。代休のようなもの。
 つれあいの実家では、はしっこい中学生の娘が、言葉にはしないがお年玉を当然にも期待している。その目つきが可愛い。近所の親戚廻りをして、お年玉を集める姿は銀行の集金係のよう。
 その後、恒例になったトランプ遊びが今年は特に面白かった。13歳から88歳までの7人での「7並べ」、最後のどんでん返しにみんな「ワッ」と声を出してしまう。この遊び、大人にも広げよう。 
 
  藤岡に来た勢いで浄法寺にある曹洞宗永源寺に行き、新年の挨拶。
 午後4時近くなので人の出入りは一段落していたが、まだポツポツ檀家の挨拶は続く。毎年手伝いに来る忍にも会えた。
 13歳の娘と30代後半の娘をみると、その成長ぶりが手に取るようにわかる。
 その姿をみながら、証道和尚と人生論。
成長の後は老化、そして世代交代、時の刻みの中で万物は生き死にを繰り返していく。「諸行無常、悩みは尽きません。」
 今年も自分のペース生きることとしよう。