みんな寿命を全うしようぜ

みんな寿命を全うしようぜ
西表島で会った昼の蝶

2015年7月31日金曜日

《反骨のエキスパートへ》のポスターは面白い。

反骨のエキスパートへ

 民主党の今度のポスターは気にいった。
《反骨のエキスパート募集》、国会議員候補者募集ということだが、「休みはなくなる。批判にさらされる。からだはきつい。収入は減る。当選の保証なし。しかも民主党だ。それでも日本を救う気概があるなら是非応募を」だって。
 「民主党には対案があります」?
戦争法案に対案は入らない。廃案あるのみ。どこが反骨?

2015年7月25日土曜日

沼田市内で山田正彦さんを招いてのTPP講座

主催した髙山敏也沼田市議
山田正彦元農林水産大臣

 かねてから髙山さんから聞いていた山田正彦さんを招いての「TPP って何?」の講演会出席は私の予定に入っていたので、24日は国会周辺での大規模な安倍政権への抗議行動もあったが、沼田に車を走らせた。
 高山さんに聞くと、本やインターネットでTPPの情報をとり、山田さんに連絡して今回の講演会となった、会うのは今日が初めてというから、その行動力に驚かされた。
 そういえば高山さんは群馬司法書士会の役員として、このようなチャレンジングな講演企画などを幾度もしていたので、そうたいした事ではないのだろう。

 そして、山田正彦さんの講演内容がスゴイ、五島列島の出身で農業経験もあり農業で相当苦労され、弁護士となり、人生を積み重ねた上で、民主党政権当時の農林大臣として食の安全と自給率向上に力を尽くしてきた。
 TPPは農家だけの問題ではなく、雇用、医療、教育など社会全般に悪影響を及ぼすことを例をあげて説明した。
 メキシコ人は、本来、太った人は少なかったが、アメリカとの経済協定により、経済的に貧しくなった結果、カロリーの高い食べ物を食べざるを得なくなり、肥満と病気が増えてきた。
 遺伝子組み換え作物、成長ホルモン、食品添加物、残留農薬の危険性なども指摘し、規制緩和のなかで遺伝子組み換え食品の表示すら貿易障害として、アメリカは表示義務撤廃を要求している。
 概してTPPはアメリカの多国籍企業のための条約であり、アメリカでもオーストラリアでも6割の反対がある。6割が賛成している日本は、その危険な本質を理解していないからという。
 また、ISD条項は、企業が国を訴えるもので、裁判所はニューヨークにあり、審理は一切公開されず、制度変更や巨額の賠償金支払いを命じられた例もある。
 国の主権すら多国籍企業により侵されかねず、まさにTPPは新自由主義の極地だ。

 「洪水よ、我亡き後に来たれ」と資本主義の無責任な本質を看破したマルクスの言葉が甦る。

 山田正彦弁護士はTPP交渉差止・違憲訴訟を提起している。

2015年7月22日水曜日

夏祭りの準備も祭り

練習も夏祭り(7丁目公民館)

 25日からの玉村ふるさと祭りの練習が各地で行われている。私の事務所の隣の七丁目公民館でも、夜になると子供や若者が集まり、笛と太鼓の音が聞こえる。この音と若い人の声を聞くと、また夏が来たな、という感じになる。今日も暑い一日だったが、練習は欠かさない。
 若い衆中心のふるさと祭り、住民が集う夏祭り、「コミュニテイーこそセキュリティー」、そこには長い歴史がある。
 その後、玉村町各地域での夏祭りが続く。小泉地区は25日、箱石地区は8月1日、下之宮地区は8月2日という調子で。
 いよいよ夏だ。

2015年7月20日月曜日

夏の新潟ひとり旅は五合庵と西生寺

 昨日までのバタバタの忙しさも終わり、明日20日は「海の日」で休日、しかも私用も公用もない。
 静かに昼寝でもしていればいいもの、もう何年も行っていない新潟の海を急に見たくなり、ひとり車で飛ばした。この年をして泳ごうという気にはならない。しかし、若い頃、毎年行っていた寺泊あたりの海が恋しくなり、ひとりで出かけた。
 行った先は良寛さんが20年ほど住んだ国上寺にある五合庵と西生寺。どちらも久しぶりだが変わっていないからいい。
 西生寺では鎌倉時代に66歳で入定した弘智法印即身仏に手を合せた。日本で24体ある即身物はほとんどが江戸時代のものだが、弘智法印即身仏は一番古い。
 戦乱の時代、五穀十穀断ちをし、これから生きる民衆の暮らしの平穏を祈りながらの入定には恐れ入る。
 西生寺には、14世紀の弘智法印と19世紀に生きた良寛が同時に生きている。松尾芭蕉も訪れ、他にも有名無名の人たちがこの寺を支えてきた。
 今日に限ってカメラを忘れたため、青い海も寺の写真もない。しかし、この歴史の深さに比べると写真など陳腐に見えてくるから不思議だ。

2015年7月19日日曜日

憲法踏みにじる戦争法許すな。/夜はたまむら花火大会

高崎城址公園での集会
たまむら花火・カウントダウンは大崎章監督
天候の見方してくれた花火日和

 昨日、午後は高崎城址公園での戦争法反対集会、小雨模様だが1000人が参加し、怒りの声を上げた。
 新国立競技場建替え予算2250億円に対する怒りの声を当初甘く見ていた安倍政権だが、ついに追い詰められ白紙撤回に追い込まれた。
 この安保戦争法案も、我々がこの夏を怒りに燃えた夏に転化すれば、国会は採決不能の立ち往生状態になり、廃案に追い込める。
 憲法蹂躙の国会に対しては、主権者が正しく介入し、廃案に追い込む。これこそ法治国家に生きる人々の責任だ。

 夕方からは昭和村議会を招いての懇親会の後、たまむら花火大会会場へ。
 354バイパス開通のため、昨年の場所では花火の打上げができず、会場は今年から上陽地区、前橋の南側地域が開催場所に変更された。
 カウントダウンは「お盆の弟」の大崎章監督が務め、夏を告げるたまむら花火を楽しんだ。

2015年7月12日日曜日

「かがや富士子」県政報告会

主催者あいさつは塚越紀一さん
小林悟さんも極めてご機嫌
支持者総結集の様相

 93歳で亡くなった田辺誠さんの葬儀が昨日行われ、その葬儀委員長を務めた角田義一さんも駆けつけての「かがや富士子県政報告会」が伊勢崎市内で行われた。五十嵐伊勢崎市長、地元市議会議員7人も含め、300人ほどの大人数の報告会となった。
 思えば、今年の冬は寒く、その中での厳しい選挙活動を思い出す。
 彼女は、今後、特にDV(家庭内暴力)被害からの被害者救済、家庭に恵まれない子どもたちの里親制度の充実に力を入れたい、と訴えた。
 4月の当選後まだ3ケ月程度だが、社会的弱者に向ける眼差しやその発言姿勢に、かがや富士子の成長ぶりを参加者の多くは実感したようだ。
 塚越紀一さんの後継として、また田辺誠さんの思いも継いでいける素質があることを如実に示してくれた。
 育て甲斐のある人だ。

2015年7月8日水曜日

高校時代同窓会幹事会を重ねて

 伊勢崎工業高校昭和46年度機械科卒業生還暦同窓会後最初の同窓会を来年に控え、いつもの友栄で幹事会を開いた。
 一声で10人ほど集まり、正式に全同級生(83名)に往復ハガキでの出欠確認をしても、30人程度の参加が実体。
 来るメンバーは知れているのだから、いつもの幹事会メンバーが手分けして電話で連絡すればいいのではとも考えるが、そこは同窓会、基本通りいくことを確認する会議だ。
 その都度、次の幹事を決めておくが、3年も経つと誰が幹事なのか分からなくなり、結局、このメンバーが幹事団となり、事を進めていく。
 ここに集う連中は少なくとも夏と冬、居酒屋友栄で酒を交わす。ママが日本舞踊の先生で75歳、店を手伝う兄夫婦は80歳という年齢、仲間一同、店を閉めるまでトコトン付き合うつもりだ。
 幹事会といってもほとんどは四方山話、肝心の議題は最初だけ、ということで「来年1月23日午後5時から伊勢崎市のプラザアリア」という期日と次の秋の幹事会を決め解散。
人恋しい同級生の面々
 その後はフィリンピンクラブでワンタイム過ごし、10時過ぎには帰宅、かかった費用は幹事会込みで10000円余だから安いといえよう。 夜は寝るに限る。

2015年7月5日日曜日

「ストロボ ライト」片元監督と鳥久で焼鳥

焼鳥「鳥久」で一献傾ける

「ストロボ ライト」二度目の観賞、よくもまあ自主製作でこういう映画を撮れたものだというのが実感だ。
 舞台挨拶の後、時間があるというので、焼鳥・鳥久で片元監督、槇徹ご両人と一献傾けた。

 出演者は無報酬、主演の宮緒舞子は東京と関西を何度も往復し熱演した。キャストの人数といい、それぞれの撮影当時の立ち位置といい、参加者はこの映画製作に何らかの希望、夢を見ていたことは確かだ。
 しかし、片元監督、当初は「好きなように映画撮れたらいいじゃん。世に出そうという気持ちはゼロだった」そう。しかし、友人の槇徹(宣伝配給担当)は当然公開を考えていた。
 伊丹市を中心ロケ地として撮影された映画の舞台は東京という設定。それらのことも理解してくれた伊丹市や市民の協力を考えると、「撮った、作った、やった」だけでは終わらせられない、というのが現在の思いで、全国にひろげていきたいと考えている。次は名古屋だそうだ。
 低予算とはいえ、名も無き若者にとっては莫大な金額、自分の生活だけに汲汲としている若者が多いなか、自分の可能性を信じてチャレンジする姿は新鮮だし、応援したい。
 片元監督、まだまだ映画のネタはもっている。

 「ストロボ ライト」 シネマテークたかさきで7月10日まで。
 上映時間は午後8時から。一見の価値あり。


2015年7月3日金曜日

「戦後70年」の平和行進

町側に申し入れする行進団代表
行進団に応える重田副町長


 7月2日、平和行進団が玉村町を訪問し町側に平和行政の一層の推進を要望した。
 今年は戦後70年の節目の年、〈政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。(日本国憲法前分)
憲法9条、国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使は国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する〉 
 戦争国家になることを否定した憲法を踏みにじり、再び、政府の行為により戦争の惨禍が起きる状況を安倍政権はこの戦後70年の今年、つくりだそうとしている。
 我々は次の70年も戦争を否定する平和国家としての道筋をつけなくてはならない。本当の意味で平和運動の質と量が問われる今年だ。

2015年7月2日木曜日

大崎監督、片元監督ホルモン屋で暑気払い

急きょの呼び出しでも仲間が集まった。

水道塔を背に立つ大崎監督、いい光景です。




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映画「ストロボ ライト」の宣伝に余念がないふたり様

 「お盆の弟」製作に係わった人たちを取材したいと「パリッシュ」編集局が玉村町へ訪れ、大崎監督も来町し取材を受けた。
 私は東京での仕事がいつ終わるか分らないので、確約はできなかったが何とか4時過ぎに役場に着いた。
 取材中に見た水道塔は町のランドマークとしてとてもいい感じ。一本の映画を作るには実に多くの人の支えが必要なことを改めて実感した。
 そして、夜は監督の同級生を中心にホルモン屋で暑気払い。
ロケ地になった噂のホルモン屋で飲みたい、という映画「ストロボ ライト」の片元亮監督、宣伝広告の槇徹さんも登場し、大いに盛り上がった。「お盆の弟」と「ストロボ ライト」は趣を異にしているが、そこがまたいい。
 自主製作の「ストロボ ライト」、「お盆の弟」もそうだが、国の映画づくりの補助金などに関して、大手製作会社が作る映画には手厚いらしく、自主製作映画は資金繰りに相当苦労しているらしい。
 権威とほど遠いところから文化、芸術はつくられる、まして若者が挑戦しようとする気概に応える支援体制こそ必要なのではないか。
 7月10日まで「ストロボ ライト」はシネマテークたかさきで上映されている。
 片元監督と槇さんは安宿に泊まり込んで毎日上映後に舞台あいさつをする。
期間にもう一度観ようと思っているとてもいい映画だ。
 そして「お盆の弟」はいよいよ8月1日から上映される。