みんな寿命を全うしようぜ

みんな寿命を全うしようぜ
西表島で会った昼の蝶

2015年8月31日月曜日

全国一斉「戦争法」反対集会

国会を取り巻く12万人
廃案を訴える北島伊勢崎市議
簡単に打ち合わせ
玉村チームのトップにあいさつ
中沢さんの訴えは鋭い
伊勢崎チームは多田議員から
矢島征治さんも吠える
かがやの訴えは心に響いた
塚越紀一さんの渾身の訴え

 8月30日は全国で安保法案・戦争法案の廃案を求める集会が開かれ、国会周辺で12万人が結集し、怒りの一日となった。 
 伊勢崎では、伊勢崎市と玉村町の市議、町議などが伊勢崎ベイシアの街頭に集まり、加賀谷富士子県議、元県議の塚越紀一さんも加わり、戦争法案反対の街頭演説を行った。
 それぞれがそれぞれの言葉で語る戦争法案への思いは本当に深いものがある。
 玉村からは石川と宇津木、笠原議員、中沢経吉さん、伊勢崎からは多田、北島、長谷田、矢島市議、かがや富士子県議と塚越紀一元県議の結集となった。
 司会を群馬県平和委員会の岡田愛之助さんが務め、実りある街頭演説となった。企画した人たちに感謝したい。

2015年8月29日土曜日

戦争法案を廃案に 8.29群馬大集会/城址公園

赤石あゆ子弁護士のアピール
2000人集会の迫力は圧倒的
デモのの最先頭は角田義一弁護士

 安保法案を巡る情勢はいよいよ緊迫してきた。戦後日本の歩んできた道を大きく戦争国家へと舵を切る事になるこの法案に対し、全国・全分野で反対の声がわき起こっている。
 そもそも憲法の基本理念を力づくで破り、集団的自衛権の名の下に、世界中へ自衛隊を派遣し、戦争行為を可能にするという空前絶後の悪法を許せるはずがない。 
 70年前の侵略戦争を全く教訓化しない安倍政権の反動政治に対し、さすがに庶民大衆が怒りを表明し出した。
 高崎城址公園に2000人が結集し、市内デモを圧倒的に貫徹し、戦争法の廃案を訴えた。
 集会は、角田義一元参議院副議長の主催者あいさつに続き、民主党・宮﨑岳志衆院議員、共産党・塩川鉄也衆院議員、社民党・又市征治参院議員が発言、それぞれ戦争法の廃案を訴えた。
 明日30日は10万人国会包囲行動、全国で100万人規模の戦争法反対行動がある。
 私は午後4時から伊勢崎市宮子西部モールベイシア店南街頭での8・30共同演説会に行く事になった。

2015年8月22日土曜日

高崎の九官亭で暑気払い

すっかりおいしく頂きました

 李さんの声がけで高崎の九官亭に仲間が集まり暑気払い、有意義な歓談のひとときを過ごした。
 政府間の日朝関係が全く進展しない中で、民衆間の信頼・友好を深める事は極めて重要だが、そんな深い事まで意識する必要はない。同じ地域で暮らす者として楽な関係をつくっていけばいい。
 誰も親を選べない。生まれる国も選べない。誰もが「奇跡」として生まれてきたことを思えば、差別や偏見で生きることのつまらなさを実感できるはずだ。
 歴史を知れば朝鮮と日本の近さは驚くほど。一体と言ってもいいほど。
 戦争などと言う途方もないことを決して選択してはいけない。
20世紀の教訓は、戦争からの忌避だ。
《誰もが寿命を全うできる寛容さあふれる社会を》

2015年8月19日水曜日

長野県山ノ内町、小布施町へ行政視察

山ノ内町柳澤副町長からあいさつをうける
万灯会の祈り(山ノ内町渋温泉)
夜は車を止めて、路上での昔の遊び(渋温泉)
オブセッションの説明を受ける(小布施町)


 今年の総務委員会行政視察は長野県山ノ内町と小布施町。
 8年ほど前に姉妹提携をした山ノ内町への訪問は久しぶりとなった。
 議会としては久しぶりでも、区長会などの団体や個人の山ノ内訪問、温泉宿泊はかなりの数になっているはず。
 温泉が豊富、りんごや果物、スキー場など自然に恵まれている山ノ内町はそれほどの特徴のない玉村町に住んでいるとうらやましい思いがする。しかし、人口減少、観光客確保の難しさは相当なものらしい。見ると住むとでは大違いという事だろうが、顔なじみの議員や職員と交流し、夜は渋温泉の「春蘭の宿 さかえや」でゆるりとひとときを過ごすことができた。
 路上での昔の遊びの再現や「万灯会」の荘厳さも味わった。
行基が開いた温泉、小林一茶、若山牧水の足跡、武田信玄が寄贈した温泉もある。酒造玉村本店に行くことも欠かせない。
 また、北志賀高原の夕日山近くには「玉村町民の森」もある。これからどう有効活用するかも課題だ。
 そして2日目は小布施町で「小布施若者会議」を視察研修した。
 画狂人北斎の肉筆画を展示する北斎記念館は見逃せない。

2015年8月15日土曜日

戦後70年 沖縄は問いかける「沖縄 うりずんの雨」ジャン・ユンカーマン監督

6年ほど前に行った竹富島の浜


映画「沖縄うりずんの雨」

《私たちは沖縄のことを、どれくらい知っているのだろう?

「老人と海」で与那国島の荒々しくも美しい自然と風土を捉え、「映画日本国憲法」で平和憲法の意義を訴えた、アメリカ人映画監督 ジャン・ユンカーマンが真の平和を求め、不屈の戦いを続けている沖縄の人々の尊厳を描いた渾身のドキュメンタリー。
 1945年4月1日、アメリカ軍が沖縄本島に上陸。6月23日(現在の慰霊の日)まで12週間に及んだ沖縄地上戦では4人に一人の住民が亡くなりました。本作は、当時同じ戦場で向き合った元米兵、元日本兵、そして沖縄住民に取材を重ね、米国立公文書館所蔵の米軍による記録映像を交えて、沖縄戦の実情に迫ります。また、戦後のアメリカ占領期から今日に至るまで、米軍基地をめぐる負担を日米双方から押し付けられてきた、沖縄の差別と抑圧の歴史を描き、現在の辺野古への基地移設問題に繋がる、沖縄の人たちの深い失望と怒りの根を浮かび上がらせます。》

「沖縄を『戦利品』としての運命から解放する責任を負っているのは、沖縄の人々ではありません。アメリカの市民、そして日本の市民です。その責任をどう負っていくのか、問われているのは私たちなのです」とはジャン・ユンカーマンの言葉。

 敗戦記念日の今日観るには最適の映画だったかもしれない。
 歴史を誤魔化そうとしても誤魔化しきれず、誰が何を言っているのか分らなくなってしまった安倍首相の「戦後70年談話」は彼自身の混乱の極みを表している。。
 その中で「いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。」と言うなら戦争法案は不要だ。オウンゴールも近い。

「沖縄うりずんの雨」はシネマテークたかさきで8月21日まで上映

2015年8月9日日曜日

すっかり農業づけになった池ちゃん

小玉スイカの収穫も終わり時期
クワガタ、カブトムシが網にひっかかっている
水くれと草むしりそして収穫とフル回転
各種野菜づくりの毎日は健康づくり
自宅で直販

 30年来の友人である池上さんを川越に尋ねた。
退職後、自宅周辺で農地を借りて野菜づくりをしている、とは聞いてはいたが、どんな様子なのか、真夏の一日を尋ねた。
 行ってみれば結構な広さの畑を4ヶ所借りて、オクラ、スイカ、キュウリ、ナス、メロン、ゴマ、トウガラシ、ネギ、ジャガイモなどなど思いつくままに作っているから驚き、全部の広さにして2000㎡はあるかなあ。
 スイカ畑の周りに張った網にはクワガタやカブトムシが引っかかっている。近所には川があり、アライグマも出没するという。
 夏は朝4時起きして、4カ所の畑を回って野菜の朝取りと袋詰め、結構な売れ行きらしい。
 朝食は9時頃、その後、畑の草むしりや水くれ、暑い午後は休んだ後、夕方頃また畑に出るといった毎日。 
 晩酌は缶ビール(350CC)1缶、韓流テレビを少し見て9時半には寝る毎日。
 日曜日は東京でエイサーの踊りの練習等趣味も欠かさない。確かに体は締まり、アルコールの量はかなり減った。
 どこかで食事を、と聞けば、駅近くの韓国人が経営する焼肉店でのランチタイム。韓国通は変わらない。
 高崎にいた頃は、夜、飲みに行けば韓国の店を4軒くらいはしごをしたものだが、今は、朝、4カ所の畑をはしごしている健康の毎日。
 人間、できるときに、したいことはしておかないといかん、と痛切に感じた一日だった。

2015年8月6日木曜日

「戦後70年」と「一億総懺悔」

 今年も8月6日がきた。
原爆投下から70年、外見も内面も風景が変り果て、反戦の思いすら、かき消されそうなあきれ果てた状況だ。
 「一億総懺悔」という言葉を、侵略したアジア諸国の人々に日本国民が詫びたこと、ないしは侵略戦争の責任の所在、と考えている人は多いだろう。私自身もそうだった。
 本当は違った。敗戦直後の東久邇稔彦内閣が唱えたスローガンで、「全国民の総懺悔により天皇に敗戦の失態を詫びよう」という趣旨のものだった。
 当時、連合国の対日責任追及は「開戦責任論」が主流だったが、日本側は「敗戦責任」論に意をくだいていた。
心の芯まで天皇への忠誠で染まり切っていたということ、戦争被害などには考えも及ばなかったということか。

 事実として。
 1945年3月10日、米軍による東京大空襲により一晩で10万人以上が殺された。その8日後、勲章をつけた軍服姿の天皇が「大元帥閣下」として「巡幸」に来た。
 その辺を堀田善衛は「万丈記私記」に記す。
<私が歩きながら、あるいは電車を乗り継いで、うなだれて考え続けていたことは、天皇自体についてではなかった。
 廃墟でこの奇妙な儀式のようなものが開始されたときに、あたりで焼け跡をほっくり返していた、まばらな人影がこそこそというふうに集まってきて、それが集まると実はかなりの人数になり、それぞれが持っていた鳶口や円びを前に置いて、湿った灰の中に土下座をした、その口から出た言葉について、であった。
 私はほうぼうに穴の開いたコンクリート塀の陰にしゃがんでいたのだが、これらの人々は本当に土下座をして、涙を流しながら、陛下、私たちの努力が足りませんでしたので、むざむざと焼いてしまいました、まことに申し訳ない次第です。生命をささげまして、といったことを口々に小声で呟いていたのだ。
 私は驚いてしまった。ピカピカ光る小豆色の自動車と、ピカピカ光る長靴とをちらちらと眺めながら、こういうことになってしまった責任を、いったいどうしてとるものだろう、と考えていたのである。こいつらのぜーんぶを海の中へ放り込む方法はないものか、と考えていた。
 ところがその責任は、原因を作った方にはなくて、結果を、つまりは焼かれてしまい、身内の多くを殺されてしまった者の方になる。そんな法外なことがどこにある。こういう奇妙な逆転がどうしていったい起こり得るのか。>

 この延長線上で戦争責任をあいまいなままにしてきた戦後70年、新たな戦前になるかどうかのターニングポイントだ。
 真っ当に進もうぜ。

2015年8月2日日曜日

「お盆の弟」公開初日/シネマテークたかさき

舞台あいさつには渋川清彦、光石研も駆けつける
恩師はいつも教え子を見守っていた
シネマテーク入り口での一枚
映画案脇の通路での慰労会もよかった

 撮影から1年後で公開となった「お盆の弟」製作関係者が集まり、まずはここまでたどり着いたことを喜び合った。
 大崎監督は勿論、主役の渋川清彦さん、兄役の光石研さんも駆けつけての喜びの一日となった。
 昨日は高崎祭りも重なり、また酷暑の昼間は、喧噪とアッツイというしかないが、そんななか多くの人が映画館に来て、映画館での「お盆の弟」を味わった。
 それぞれの感じ方で映画を体感できればいいのではと思うう。 
 光石研さんを送ってから、地元箱石での納涼祭、そこで何人かの人に映画のことを聞かれた。
 今回は映画完成後の宣伝にも相当力を入れたので、その効果が出ているのだろう。
 製作会社の狩野さんの叔母さんが近所に住んでいるとは夢にも思わなかった。やはり世間は狭い。
 今朝、早速、チケット10枚ほど渡してきた。

「お盆の弟」は8月28日までシネマテークたかさきで上映中

 今日は11時からの上映に間に合うように高崎に行く。
午後は前橋での「戦争展」、夕方は下之宮の納涼祭へ。
 暑い夏だが、今年は安倍の最悪の戦争推進政治との真っ正面対決も重なり、暑いこと、忙しい事極まりない。
 夜の冷えたビールのうまいことこの上ない。