みんな寿命を全うしようぜ

みんな寿命を全うしようぜ
西表島で会った昼の蝶

2014年1月30日木曜日

友好交流都市「茨城町」で視察研修

 総務常任委員会の今年初めての町外視察は、1月7日に友好交流都市提携をした茨城町への表敬訪問を兼ねた町づくりへの取り組みの視察研修となった。
 茨城町は人口約34000人で玉村町(37000人)とほぼ同じ、しかし、面積は5倍近くある広大な町だ。
 
 小林町長、柴副町長、小貫議会議長も温かく迎えてくれ、真家町づくり推進課長から丁寧な説明を受けた。
 
 午後からは、ポケットファームどきどき、茨城中央工業団地、やさしさの町「桜の郷」、涸沼自然公園を案内して頂き、茨城町の一端に触れることができた。
 シジミなどが採れ自然豊かな涸沼(ひぬま)自然公園のラムサール条約登録に向け現在努力中とのこと。
 今後、住民同士の自然な交流にまで発展させていければと考える。
 午前8時に役場を出発、2時間余で茨城町に到着、高速道路のおかげでとても近くになった。

 これで友好都市は長野県山ノ内町、群馬県の昭和村と合わせ3自治体となった。
 それぞれ特徴ある自治体なので刺激し合い、補完の関係が有効に機能する状態を創り出したい。
 

2014年1月26日日曜日

小川あきら新年会/高崎玉村スマートインターチェンジ施設見学会





一旦停止が条件です
主役は市民、大賑わいの会場

締めは角田義一さん

 2月22日開通予定の高崎玉村スマートIC現地施設見学が高崎市議会、玉村町町議会参加の中で開かれた。
 簡易なICということで出入りの際の「一旦停止」が条件だが、現場でみると、大規模な道路工事ということを実感する。
 開通後は車の流れが大きく変わり町づくりにも影響を与えることだろう。
 
 昼からは前橋市内での小川あきら新春の集いに参加、田辺誠さんや角田義一さん、加賀谷富士子さんたち役者連が集う有意義なひとときを持てた。
 来年春の統一選に向け歩み出してる。

2014年1月24日金曜日

映画「漂泊」の試写会

若い出演者も勢揃い
上映前にあいさつする藤橋誠監督

 昨日、映画製作委員会総会を開き、昨年亡くなった小林日出幸前会長の後継に土田文月会長を満場一致で選出した。
今後の大活躍を期待したい。
 
 その後7時から映画関係者等80名ほどが参加しての試写会が行われた。
 誰もがはじめて観るので、どんなできあがりかと、気になっていたが、どんなものだったでしょうか。
 まあ、前向きに考えましょう。
課題を解決すればなかなかなものになるでしょう。
 2月1日と2日は午後3時から、7日までは午後7時からムービックス伊勢崎で上映される。
また、2日は県立女子大学講堂での上映となる。
 一見の価値あり。
 

2014年1月22日水曜日

多々良沼で白鳥見物

多々良沼を優雅に泳ぐ白鳥の群れ
陸に上がり込むグループも
体長1メートル程の白鳥も多い

 所用で太田市に行ったが、予定より早く終わったので、邑楽町の多々良沼湖畔に足を運んだ。この季節の白鳥の群れがどんなものかと思ったからだ。
 昼間でも今日は寒かったが、元気に多くの白鳥が群れをなして泳いでいる。
 そばで黒いカラス群も負けないくらい威勢よく鳴いていた。
カモの群れもいる。
それにしても白鳥の定宿となった多々良沼だ。
散歩しながらカメラを向ける人たちもいる。
この光景を見ると、真冬だと実感する。
 そして我が玉村町の烏川沿いにもこの数年白鳥の群れが訪れるようになった。

2014年1月21日火曜日

突然のベーゴマ遊びに夢中になる

ベーゴマに夢中のおじさんたち

 日曜日、役場庁舎の朝市会場で人だかりが出来ていたので、なんだろうと行ってみれば、売り場の真ん中あたりで、昔なつかしベーゴマをおじさんたちがやっているではないか。
 ひもとベーゴマをわたされ、やってみればなかなかな感じ、子どもの頃の感覚が戻ってきた。
 自慢じゃないけど、周囲にいた人がほめてくれた。実際、これだけは自信がある。大会でも開きたいくらいだ。
 夢中になっているのはおじさんたちばかり、子どもは熱くなっているおじさんたちの様子にむしろ、感心があったようだ。
 当時はパソコンゲームなどはなく、遊びを子どもたちがつくっていた。屋外でベーゴマ、ビー玉、ぶっつけなどで仲間たちと遊んでいた。
 あの頃の子どもたちが集まっていた。

2014年1月19日日曜日

どんど焼き(箱石)から司法書士会研修へ

解説する末光祐一会員
午前8時人が集まりだした
8時半点火、正月は終わり

 18日、箱石のどんど焼きが行われた。例年は午前6時半からだったが今年から午前8時30分点火となった。
 朝の6時半というとまだまだ寒く暗い。子どもも大人も集合が大変ということで今年からの時間変更となった。
 昔はどんど焼きを14日と決めていたので、平日学校へ行く前に、終えることが必要だったために早朝の点火となっていた。
 しかし、すでにどんど焼きを休日に変更したため、早朝点火する必要はなく、時間変更は多くの人に受け入れられた。
 古いダルマなどを持って村人が集まり、火の中で芋や餅を焼いたりする光景もある。子供会からふるまわれたけんちん汁は格別美味しい。
 今年は芝根小学校校長の伊藤先生もわざわざ箱石のどんど焼きの現場を訪れ、その様子を興味深く見ていた。
 どんど焼き、新しかったものが時間の経過のなかで古くなり、新しいものに取って代わられるひとつの儀式かもしれない。
 その毎年の繰り返しの中で、子どもたちは成長し、大人たちは老いに向かう。
 時間の流れのなかで変わっていくもの、守っていくものの峻別が出来る力をつけることが成長というものだろう。
 そんなことを考えさせるどんど焼きだ。

 午後からは群馬司法書士会での研修会。旧民法に関する身分法・相続法の基礎と題し、愛媛県会の末光祐一会員が講義した。
 
 旧民法、応急法施行中(昭和22年5月3日から昭和22年12月31日まで)の事例、旧民法施行中に生じた事項の新民法施行後(昭和23年1月1日から)に与える影響、また、旧民法施行前に生じた事例(明治26年1月1日から明治33年7月15日)などは、なかなか難しい点もあり、会場は満席。
 相続法も時間の経過による時代、社会変化に合わせる形で変わってきた。研修はその時代の考え方に向き合うということ。
 群馬司法書士会は研修と自らの研さんにより能力の向上を目指している。ついて行くのも大変だ。
 

2014年1月17日金曜日

門倉まさる歌集「黄金の月」「短歌の風景」を読む

謹呈を受けた二冊

 門倉まさるさんから先日二冊の本が届いた。「短歌の風景」「黄金の月」の二冊だ。

 中国、韓国は勿論アジア諸国、チベット、アフリカ、南米、ヨーロッパまで自由自在に移動し短歌を作った。

 特に「短歌の風景」はいい。短歌だけでなく、芭蕉一門、伊勢物語、兼好法師家集などの随筆は、時代背景や彼らの人間関係に迫り、人間くささを臭わせてくれる。

 その門倉さんは時間があれば群馬の森を散策している感性の人だ。その中で作った歌もある。
 
 まあ、じ~っくりと味わってください。
《黄金の月出でにけり金閣寺遠山桜の杉戸絵のなか
寂しくてその寂しさが大好きで羅城門跡また来た日暮れ
抱一の絵に見し淡き輪郭の月浮かびけりああ森は海
僧形の清盛座像経を見る黄泉の国でも覗く目をして
てのひらに載せてみたいな室生寺の五重塔が眼下に見える
咳をしても一人と詠みし詩人あり無季自由律咳に似たるや

制服の白きアオザイ女子高生それぞれ白の刺繍異なり

スリランカの茶摘み娘のサリーにもファッションありや青きが目立つ

ヤク歩む肩の筋肉堂々と腰の動きも黒光りして

咳すれば痛みが腰をはしるなりチベットの寺高所が多し

長白山天池を見んと登りたれば山埋め尽くす韓国言語

外国のお金が交じっていましたと外国で言われる日本のお金

若き日のサハラの旅は種赤きサボテンの実の甘き思い出

カシュガルの職人街の賑わいは手づくりの楽器手づくりの柩

7千の高さ越えねば名前などつかぬと言われ名なき山見る

水面に河馬の親子が鼻出してアフリカの陽が鼻にかがやく

国境を軽くまたいで虹が立つ雨また雨のあいまアフリカ

「叫び」とのムンクの絵なる本物はうつろなる眼の奥ぞかなしき

白ひげの旅の僧侶のごとくにもアルパカは来る マチュピチュの道

寝返りも上手になりて泣き寝入り大人の性を児はすでに持ち

クワガタを森へ還して横浜へ4才の孫は帰りゆきたり

子守唄自分で歌い寝入りたり赤児背中に重くなりつつ

乙女らは薄き緑を身に着けて森の夜明けにひっそりと立つ

曇り日の木々は静かに森の中みな平等に影の無きなり

焼まんじゅう紡ぎまんじゅう恋まんじゅう土産の店に人間の知恵

思い出は飢餓と重なる真昼より明るき夜の敵機編隊

わが町に戦車通るを見たりけり50センチも橋沈みたり

本質は骨であるのか冬木立異形鋭く天を刺したり

許すという現在の言葉を信ずるや怒りは醸す時こそかけて

半世紀余りを生きて我が抱く思い政治に届きたるなし

兵隊よススメススメの教科書はスズメスズメと思いいたりし

海ゆがみ津波を起こす 人ゆがみ他国を攻める ゆがむ恐ろし

愛国心愛国無罪となりゆけば他国はすべて鬼が島なり

菩提樹の下に修行を積むとても目覚めた人はただ一人なり

政権がどう変わろうとワッハッハわれらは水よ低きに溜る

化粧してみんなが同じ顔になり若さどこかに忘れてきたか

心まで映す写真機もしあらば魑魅魍魎の群れかこの世は

古稀近く短歌始めて師をしらず 師とは大きな饅頭なるや

遠くでも近くでもなく未来でも過去でもなくて何を見る眼ぞ

いにしえの本読みたれば男たち貴族も武士もよく涙垂る

永遠も無限も我ら生きものに縁なかりけり今日無事がよし

兎萩猿萩鹿萩狸萩狐萩など在りそうな秋》


ああこんなに拾い出してしまった。門倉さんの自在さに魅せられている。群馬の森を歩きたくなった。


 最後にお気に入りの一作の紹介
《みな若く生きているのが嬉しくて古き映画をまたも見るなり》



 

2014年1月13日月曜日

30年ぶりだろうか。久しぶりの友人と会う。

人はなかなか変われないようです。

 30年ほど経っているだろうか。還暦を過ぎ、一段落したのか群馬に戻り、前橋に居を構える友人生方博夫妻が事務所を訪れた。
 大学卒業後、群馬三菱自動車販売(株)に入社した5人の同期生のひとりだ。
 私と生方君とは「車にはほとんど関心無い。動けばいい」というレベルで一致していたが、その彼が最後まで会社に残っていたのが不思議だ。
 辛抱強いのが信条のようで、サンデンに再就職後、北海道、名古屋勤務を経て定年退職、現在も伊勢崎寿町のサンデン勤務だそうだ。
 太めの体型になってはいたが、毛髪はフッサリとうらやましい限りだ。
 話が進むうちに、お互い若い頃のことを思い出し、未だ考え方は全く変わっていないのに気づき、それがまたうれしい。
 早速、仲間に招集をかけよう。

 午後からは消防出初め式。
 
 
 

2014年1月12日日曜日

成人式から「水になった村」上映会場の中之条へ

たまたんもお祝いの成人式




 今年の成人式が晴れやかに玉村町文化センターで行われた。もうすでに平成生まれの人たちが当然成人となるのだから、昭和は遠くなりにけり、ということか。玉村町、今年の成人は533人。
 モラル正しくおとなしい成人式を賞賛の声だけで祝っていいのか。
 よい子、従順さばかりで生きていける平和的な環境が若者達を待っているのか。
 怒りや疑問をぶつけることができる人間に成長することを望む。
 
 
 還暦になっても怒り一杯の私は、一路、中之条ツインプラザホールでの大西暢夫監督作品「水になった村」の上映会へ。
 岐阜県徳山村のダム建設に関し、町から戻り、ダム湖となって沈む村で生活するジジババを撮ったドキュメンタリー映画。
 そこは暮らしの知恵や技の宝庫で、沈むには惜しすぎる豊かな自然界があった。
 しかし、今はもうダム湖となり、昔の面影はない。
 
 八ッ場ダムの本体工事を進めようとする動きがある。治水的にも利水的にももう八ッ場ダムは要らない。
「ここまできたのだから完成させなければ」などという言葉は未来の世代に対しての冒涜だ。
 これまでどれだけの税金を投入し、自然破壊を進めてきたのか、打ち壊された自然と引き替えにできる八ッ場ダムは、地域社会の生活を無視した「洪水よ、我亡き後に来たれ」という無責任なマネー資本主義の姿となって現れるだけだ。
 八ッ場ダム本体工事を止めるための運動はまだまだ続く。

2014年1月7日火曜日

玉村町新年賀詞交歓会/文化センター大ホール


会場であいさつする藤橋誠監督
主役の秋山さんたちと撮っちゃいました。
茨城町との友好協定調印

 今年の新年賀詞交歓会はいつになく華やかなものになった。文化センターに入るなり、映画「漂泊」紹介ビデオが繰り返し流され、テーマソングが響いている。
 会場に早々と駆けつけていた藤橋誠監督、秋山絵里夏さん、原果那恵さんの姿も見える。
 そう、この交歓会に合わせ、舞台で参加者に映画製作完了とムービックス伊勢崎での映画上映のお知らせのため来てもらっていたのだ。
 なかなかの出来映えのようで、町を挙げての応援といったところ。
 もう一つの見所は、茨城県茨城町と玉村町との友好交流都市協定締結式。
 両町が加盟する北関東・新潟地域連携軸推進協議会での出会いが縁で今日の協定となった。
 茨城町の人口は34000人程で37000人の玉村町と同じ程度の人口規模だが面積は5倍近くあるという。
 早速、我が議会総務常任委員会は1月30日に視察研修に出かけ、今後の交流連携の方向を模索することになった。
 
 交歓会の後は箱石少林山祭りに行き、縁起達磨を買い込み、気合いの入った一年とする思いを込めた。


ムービックス伊勢崎からのお知らせ

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玉村町で撮影された映画「漂泊」MOVIX伊勢崎にて上映決定!

群馬県佐波郡玉村町で実際に行なわれている『水神祭』を背景に、地元地域の方々と作り上げた映画「漂泊」を玉村町から程近い当劇場MOVIX伊勢崎にて2014年2月1日(土)から1週間限定上映決定!
漂泊
◆イントロダクション◆
群馬県佐波郡玉村町の五料地区で行なわれている郷土芸能『水神祭』や同町内での様々な祭事を背景にしながら、2013年7月から8月の12日間で玉村町内を中心に撮影を行ないました。
本作の監督には群馬県内を中心に数多くの映画を撮り続ける藤橋誠、音楽監督にはRaiji&Chipsのリーダーである小林頼司が担当。
出演者は群馬県内に在住または通学している方限定で募集を行い、約140名の応募者の中からオーディションよって選ばれた方で配役されました。
また、特別出演として映画やドラマで活躍する光石研、濱本暢博や佐野元哉など個性派俳優で脇を固め、映画を盛り上げていただいております。

群馬県、玉村町、群馬県立女子大学、地元企業と産学官連携、地域の方々との恊働による新たなカタチの映画制作によって1本の青春映画がここに完成しました。
 
◆物語◆
群馬県立女子大学4年の伊藤多美江がこの物語の主人公。
卒業論文の題材として玉村町内で行なわれている郷土芸能を取材しながら、就職活動に四苦八苦する日々。
ある日、女優になると高校卒業後、上京していた多美江の妹の真世が多美江が一人暮らしているアパートに帰ってくる。
多美江はアルバイト先の焼肉店に真世を紹介し、自分は卒論と就活に打ち込むことに。
一方、真世は焼肉店の息子であり映画監督志望の大学生、大森康一の映画に役者として参加することになる。
康一は地元である玉村町のとある伝説に基づいた映画を中間と一緒に制作しているが、間もなく撮影を予定しているラストシーンに違和感を感じ悩んでいる。

真世の帰郷以来、多美江が暮らす環境が少しずつ変化し、運命自体が急速に歪んで行く。
幼き頃から施設で暮らしていた姉妹が、あらゆる人間関係や玉村町内で行なわれている伝統芸能を通じ、蛇行しながらも前へ向かって生きていく、ひと夏を描いた物語です。
 
◆スタッフ◆
プロデューサー 町田昌美
エグゼクティブプロデューサー 小林日出幸/石川眞男
ラインプロデューサー 青木司/土田文月
監督・脚本・撮影 藤橋誠(「トランスミッション」「グラス☆ホッパー」) 
音楽監督 小林頼司
美術 千明慶司/川浦晴信
助監督 原澤芽衣
録音 林大寿
照明 杉内晟人
記録 小林とも実
制作進行 中村尚道
監督助手 高塚翔平/柴田大地 
制作 櫻澤一樹/尾身広夢
メイク 浅井美智恵
メイク助手 富沢あゆみ
衣装 藤橋朋子
制作助手 須藤一也
スチール 濱田淳平
アートディレクション 安田健二
企画 まち映画制作事務所
制作 学校法人有坂中央学園メディア開発センター
後援 群馬県・玉村町・玉村町教育委員会・玉村町商工会
制作協力 群馬県立女子大学/中央工科デザイン専門学校/高崎経済大学映画研究部
製作 玉村町映画「漂泊」製作委員会
 
◆キャスト◆
秋山絵里夏 
加藤愛美 
田中幸城
廣岡沙恵
佐藤慈寛
濱本暢博 
佐野元哉
光石研(特別出演)
植宗一郎
石川映子
都丸ゆき
座間妙子
ほか
 
◆上映期間◆
2014年2月1日(土)~2014年2月6月(金)の1週間限定。
※上映時間は未決定
 

2014年1月4日土曜日

映画「もうひとりの息子」、若杉冽著「原発ホワイトアウト」

「もうひとりの息子」のワンシーン





 昨年11月に買った「原発ホワイトアウト」を年末から正月にかけて読んだ。最初はフムフムという感じだったが後半は一気に読み進んだ。
 原発を推進する勢力がどのように政界、経済界に食い込み、反原発勢力の力を弱め弾圧していく様が描かれている。
 昨今の政治状況に合わせたように描かれていくので真実みさえある。
 国家公務員法違反の恣意的運用で内部告発の困難さも描かれている。
 では、原発は今後も安全性を高めての稼働ができるのか、というと、例えば、爆弾低気圧のような状況が起きた場合(いくら想定しても想定しきれない事は起こる)、事故は防げない。
《歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として(カール・マルクス)》を援用し警鐘を打つ。
 
 現実に東電から若い社員がどんどん辞めている状況は決して良いことではない。
 原発を止めるにしても、数百年単位で原発技術を継承することが必要だ。
 チェルノブイリ事故の現在的課題の大きなひとつも、チェルノブイリ原発を知り尽くした技術者と作業員を大量に数百年継続して確保し続けることと聞いている。
 
 映画「もうひとりの息子」を昨日、シネマテークたかさきで観た。この映画の上映最終日だった。
 湾岸戦争の混乱の中、出生時に取り違えられた2人の息子。ひとりはイスラエル、もうひとりはパレスチナ。
 18才になった息子とその家族が、厳しい政治状況の中、しかし、対立を乗り越え希望を見いだそうとする姿に心打たれた。
「これは希望の映画です」はロレーヌ・レヴィ監督の言葉。
東京国際映画祭グランプリ&監督賞作品
 
 映画「もうひとりの息子」と若杉冽著「原発オワイトアウト」で始まった一年は好スタートといえようか。

 

2014年1月1日水曜日

ひねもすのたりのたりかな

 岩鼻町に住み群馬の森を散策する歌人門倉まさるさんと玉村町在住の神官西園勲先輩の賀状を紹介し新年のあいさつとします。

《 あけましておめでとうございます
「酒飲めばわが身は軽く夢のよう森のカラスと空に遊ばん」

「八百年秋のままなる絵のなかに蛙兎を転がしにけり」

「絵の中の河豚と蛙の大相撲200年経て勝負のつかず」

「無駄の無い綺麗なかたちの卵から凸凹のある雛が生まれる」

           以上 門倉まさる

《賀  華歳

朝(ちょう)より回(かえ)りて日々に春衣典し 毎日 江頭に酔を尽くしてかえる 酒債 尋常 行く処に有り
人生70古稀稀なり

(中国の生んだ最高の詩人とされる杜甫
 朝廷の帰りに春の衣類を質入れし、毎日、曲江のほとりで酔っ払ってから家に帰る。酒の借金はいつものことで、あちこちにあるが、どうせ70歳まで生きられる人は昔から稀なのだ。と言う事ですが、杜甫が40代後半に創った詩、曲江二首の内の一首、退廃的ですが、好きな詩のひとつです。
 私も稀な古稀になりました。今年は社会貢献、奉仕に心がけたいと思います。
 皇紀2674年元旦》
           以上 西園勲

私ときては、「春の海ひねもすのたりのたりかな」の気分。