みんな寿命を全うしようぜ

みんな寿命を全うしようぜ
西表島で会った昼の蝶

2011年9月30日金曜日

鬼石町の町おこし映画上映会

運動会もいよいよ本番、17日小学校3校、24日幼稚園2園、27日の中学校2校に続き明日10月1日は保育園5園、2日(日)は芝根、南小の2校そして9日の町民体育祭となる。暑さも一気に収まり、15日に熱中症で小学生が倒れた酷暑が嘘のような気候の変化だ。秋本番ということか。
 今日は戦没者追悼式、毎年のことだが戦争の風化を恐れる。日本人犠牲者300万人と一言で言うけど、ひとりひとり数えたら数え切れない。まして日本による侵略戦争の犠牲者アジア諸国で2000万人余、これもすごすぎる数だ。誰にも人生、生活があったことを描いた映画「一枚のハガキ」を思い出して欲しい。
 韓国との関係では従軍慰安婦の問題は解決されず(日本政府は日韓協定で解決済みとの見解だが私は違う)、まして北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国とは国交さえも未だになく、拉致事件を理由に経済制裁を課すな


どという悩ましい状況だ。在日朝鮮人は人質であるかのような言論さえもある。このような状況を何とか打開しないといけない。これまでのやり方では一歩も進まなかったくらいのことはわからなくちゃ。「青い拉致バッチ」をつけていれば免罪されるとでも思っているのだろうか。威勢だけいい「軍艦外交」では何もすすまない。方法を変える時だということ、それ以外に打開の道はない。
 中国でも旧日本軍が埋めてきた爆弾や化学兵器の処理が続いている。
海外で犠牲になった兵士の遺骨収集は進まず、「戦後は終わっていない」にもかかわらず日本人犠牲者に対してだけの追悼式であってはならない。戦争犠牲者を英霊という美名で棚上げしてしまうことは、彼らの本意では決してない。「間違った戦争政策には異を唱えろ」と言う言葉が聞こえないか。

そして藤岡みかぼみらい館での「しゃんしゃんしゃんしゃしゃしゃんしゃん」の上映会は満席で藤橋誠監督やオール出演者の舞台挨拶あり、バンドの生きのいい演奏もありと、ご機嫌な試写会だった。
鬼石町を舞台にした、ほとんどの出演者が素人の映画だが完成してみればなかなかなもの、満願石や三波川、古い町並みをうまく使い、アニメ部女子生徒の一夏の祭り体験とその中での少しばかりの成長を描き、鬼石町と若者の未来を希望づける。
「玉村町でも上映してよ」「玉村町でもつくったらいいのに」の声を聞き流していた訳ではない。

2011年9月24日土曜日

ヤッパリ八ツ場ダム ダメ絶対

八ツ場ダムに関しての再検証の結果、ダム建設が経費的に一番安くなるという数字を国交省がとりまとめてきたので、県知事や自民党はとにかく造れという大合唱をしているが、それがいかにペテンで危険なことかよくわかる昨日の集会だった。
 国交省が造ろうとしているダムに対し、国交省が人選した「有識者会議」なるものの「ダム建設が一番経費が安くなります」というお墨付きをもらっての自画自賛の茶番劇に我々はつきあわされているということを暴き出す内容だった。
 例えば、河動堀削1700億円、渡良瀬遊水池越流堤改築+河動堀削1800億円などに比べ八ツ場ダム残事業は700億円とし安上がりという。しかしすでに4000億円を超える金額が投じられ、未だ国道、鉄道の付け替えは終わっていない。ダムの維持費はどうする。
ハゲ山だった当時の山は今や緑となり保水力の高まっているにも関わらず何ら考慮していない。
 もう一つ重要なのが、これが決定的かもしれないが、ダム予定地の地盤問題、地滑りの危険性だ。ダム建設自体の危険性や切り土や盛り土で造成された移転先の地盤問題を出席した専門家は口をそろえて訴えた。
 国交省に丸め込まれた知名度のある学者たちの意見書を盾に「八ツ場ダムは安全です」という姿は原発を闇雲に推進したやり方と同じだ。
 今アメリカでは古くなったダムの取り壊しが行われていることも報告された。
どこから見ても八ツ場ダムは無駄であるばかりか地域にとっても危険なものとなってしまった。本体工事を止めて安全な地域作りと再生にこそ税金は使われるべきだ。 
 参加者もさまざまで深町先輩も熱心にメモをとっていた。しかし、群馬県選出の国会議員は不参加、地元国会議員に緊張感がないのはいつものことながらあきれた事態だ。

2011年9月23日金曜日

僕らもやがて土になり草も茂る 旅の途中の仲間だよ

戦争の悲惨のなかで息子の消息を探すクルド人の母親と孫の姿を追いながら、その中に,イラク戦争で犠牲になった数え切れない人々の姿を投影しようとするかのような作品「バビロンの陽光」に圧倒される。
 戦争の悲劇を繰り返すなと誰もが言いながら、しかし、なくならないのが戦争。
地上400㎞の宇宙ステーションからの地球の姿を見た人もたくさんいたはずだ。雲に一部覆われた水の惑星に多くの動植物が生息している奇跡的な姿だ。それぞれが「生」を謳歌していればいいではないか。しかし、現実は資本主義社会の中で弱肉強食の欲望が支配し、同じ人間に対して貧困や飢餓を強制してまで富を求め続ける。社会のあるべき姿や地球の行く末などまるで考えることさえできない「資本の暴走」という現実、これが戦争を起こし続ける。「洪水よ、我亡き後に来たれ」とは資本主義の無責任さを的確に表している言葉だ。
 我らが野田首相は、「電力不足により日本経済が停滞することのないよう原発の安全性を高め再稼働する」と明言した。「死の町」と化した福島原発周辺の人たちがどれだけの状況に追い込まれているか、今後、大地震があったときまた犠牲者がでることなど彼の頭脳では考えられないのだろう。彼もまた資本の手先だ。
オバマ大統領に普天間基地問題、TPP そして牛肉輸入の規制緩和までせっつかれた。オバマに忠誠など誓わないでおくれや。大きなお世話だくらい言ってやれ。松下政経塾出身者は概して駄目だ。
 しかし、政治が駄目でもしっかり庶民は本質を見て生きている。
南條倖司さんの「春のゆくえ」という歌を紹介する。

 空は夢を映し 雲はそよ風起こす
 その風は雨を生み 森に降る

 種子は風に乗り 花になり実を結ぶ
 熟して香しく 魅力的

 鳥は歌いながら 緑を広げてゆく
 大地の息吹   感じながら

 大きな流れの中 この空いっぱいの星
 生まれては消えてゆく
 そして僕らは ただそこにあるだけ

 深い谷も山に 岩さえも砂に変わる
 力強い日差し 照り続ける

 僕らもやがて 土になリ草も茂る
 旅の途中の 仲間だよ

 大きな流れの中 この空いっぱいの星
 生まれては消えてゆく
 そして僕らは ただ そこにあるだけ

2011年9月20日火曜日

さよなら原発6万人集会(明治公園)

「原発に抵抗する意志を政党幹部や経団連の実力者に思い知らせる必要がある。憲法に認められた権利だ」(大江健三郎)「次は誰が犠牲になるのかと、ストレスを絶え間なく抱いて生きていくのはもう嫌だ」(落合恵子)「原発の安全性と信頼性は破綻した」(鎌田慧)「日本は原発を持ってはいけない国だったはずだ」(澤地久枝)「電力は足りている。このままでは日本は核廃棄物の置き場になる」(山本太郎)
 いずれも発言者の思いを込めた言葉であり参加者の思いも同じだ。
事故原発周辺に大きな犠牲を出しながらも、反対する人々に対し「ヒステリックな感情」などと罵倒し、未だ原発の稼働を進めようとしている連中に思い知らせなければいけない。立錐の余地もないほどの6万人の大結集の集会だったが、これ以上の規模の大集会を今後、何度も繰り返し、街頭を大デモで熱くし、政治を取り戻さなくてはいけない。
 「制服向上委員会」という女子グループが「脱・原発の歌」を歌ってたよ。

2011年9月18日日曜日

残暑見舞い申しあげます。

玉村町の小学校の運動会が昨日、5校のうち3校が無事開催され何とか熱中症で倒れる人もなく終了した。15日、運動会の練習中、大量に子供たちが熱中症で倒れたので誰もが大いに心配していた。残り2校は10月2日を予定している。昨日はたまたま猛暑でなかったと考えた方がいい。それにしても小学校の運動会が9月に開催されるようになったのはいつ頃からだろうか。最近は夏も暑く9月といっても真夏の日差しの日々が続く。年間の学校スケジュールを立てるとき、職員間で議論にならないのだろうか。大人が暑いときは子供はもっと暑い。職員会議で、子供の対場に立ち切った発言がキチンと行われているか気がかりだ。

今日は、朝市を覗き、午前はシネマテーク高崎で「アリス・クリードの失踪」を観る。出演者は3人だけ。しかし、内容はすごい。刑務所で一緒にすごした男2人が金目当てに女性を誘拐する。完

璧に誘拐し、現金受け取り交渉のなかで、状況が変わっていく。犯人の一人と被害女性は愛情関係にあることが判明。もう少しで身代金が手に入るというときの犯人同士の会話「金が手に入ったら高級ホテルを2週間くらい借りてやりまくりてえ」そして犯人男同士のキスシーン。(小生、いかに寛容といえども同性愛に関しては未経験です。誘わないでね)
恐怖、自信、緊張、疑心暗鬼、勇気、怒り、絶望がどんでん返しで襲ってくるクライムサスペンス。誰か知らないけどいい女優だ。

午後は前橋に行き、福島さん主催の「国定忠治を偲ぶ会」での大塚政義先生の講演。忠治の話はもう5回聴いたので、今回は忠治周辺の人々、板割浅太郎、日光の円蔵、女房お鶴、愛妾お町、おとく、お貞、畔上つまの話を聴いた。これまた見てきたような話なのが面白い。本気にしちゃ駄目よ。大塚先生健在なり。その後、下田敏江の歌謡ショーと八木節でにぎやかに少人数だが過ごした。

 ということで残暑見舞い申し上げます。明日は、忠治一家とともに明治公園での「さよなら原発5万人集会」に行く。これから赤城山や大戸の関所へ行き、忠治一家全員集合のお触れに行かなくっちゃ。おっと、派閥は違うけど玉村の金蔵、主馬もいたっけ。

2011年9月15日木曜日

八ツ場ダムを中止し、地元住民の生活再建を優先しろ

八ツ場ダムは自民党時代から利権が絡むダムとして大手建設会社の食い物にされてきた。別名「福田ダム」と言われている。
何しろ58年前に建設決定された年代物のダム計画。同じ時生まれた私が還暦に届こうかという今も完成されていないのだから、それなりの理由があるのだ。
 当時、福田赳夫が推進し、中曽根康弘が反対という構図になっていた。中曽根だって本当に反対していたわけではなかったのだがそういうことになっていた。
地元の絶対反対派も長く奮闘したが、政府、県当局のさまざまな生活妨害等により、そして最先頭で闘っていた豊田さんの死などにより、泣く泣く反対の旗を降ろし、賛成に転じた。
現在、現地に絶対反対を貫いている人がいないのが大変だが、このダムを造ってはいけない。
 何せ、計画当時と社会の状況がまるで変わっている。人口減少社会が進行する中で治水、利水の環境が58年前と様変わりしているのに、未だそのままで推し進めようとしている。
 吾妻川はコンクリートをも溶かす強酸性の水なので、中和するために品木ダムを造った。しかし、そのダムでさえもう沈殿物で満杯になろうとしている。原発ではないが、沈殿物の捨て場がないのだ。そもそも八ツ場はダムを造るべき場所ではなかった。
 ここに来て「八ツ場ダムの中止」を政権交代の一つの公約にした民主党がぐらついている。この政党は何ですか。「後期高齢者医療制度」はそのまま、「普天間基地」はそのまま、「教員免許更新制」もそのまま、「日米同盟の強化」を叫び自民党に限りなく近づいて行く。
落ち目のアメリ帝国主義との関係をこれ以上深入りさせてはいけないのに。
 群馬県民主党の国会議員はまるで頼りにならない。ならば自治体議員が地元県の責任として声を上げ、未来に責任を負っていくしかないだろう。全員に期待はできないが。信念のある人が動き出すしかない。
 小選挙区制度の選挙で社会が変わるなどと言うことがいかに幻想であるかが痛いほどわかる昨今だが、社会を変えるのは選挙だけでは決してないことも理解すべきだ。

2011年9月13日火曜日

地球スイングバイで「はやぶさ」は「イトカワ」へ

宇宙科学ドキュメント「はやぶさ」を観た。高崎シネマテークで16日まで開催しているサイエンスドキュメンタリ-特集の中の一作品だ。
地球の重力を利用して速度を秒速30㎞から34㎞に加速(地球スイングバイ)した「はやぶさ」は地球の軌道を飛び出し「イトカワ」に向かう。過酷環境の広大な宇宙に広がる無数の惑星から「イトカワ」を選び出し、苦労しながらも正確に着地、地表のサンプルをカプセルに入れ、地球へと帰還するまでの7年間を追うものだが迫力がある。
 宇宙で、生物まして人間のような生物が生きられる環境は地球以外にない。
(実は他にもあっていいはずだが、余りに宇宙が広大で、人間の繁栄する期間などを考慮すると、とても巡り会えないらしい。でも会ってみたいね)
 地球まさにオアシス、人間様、この環境をありがたく生きればいいものを、走り出した資本の欲望はとどまることを知らず、核戦争や原発で地球破壊すらして恥じないという世界を作り出してしまった。
 こんな状況と闘わなければならないのが現実だ。人生ノンビリ生きたかったけどね。
 11日のデモでご機嫌な歌が流れていたのでその人に「誰の歌?」と聞くと「あげますよ」と、何も書いてないCDをもらった。桐生から来たという。聴いてみると何曲も入っていて、ほとんどの曲の題名がわからない。「放射能ツヨイ、放射能エライ、誰も差別しない、誰も逃げられない」などとラップ調で続いたりする。どこで探した曲かは知らないが、みんな、それぞれのやり方で闘っているのがうれしい。

2011年9月12日月曜日

原発事故の大きさにに見合った反対運動の強化を図ろう。油断をするな。

原発事故に伴う放射能汚染に対する大規模除染が困難になってきたためか、「放射能は安全です」と言わんばかりの宣伝がなされつつある。権威ある機関とそこに勤務する人物に安全を言いふらしてもらおうとするかのような催しが一部自治体で行われ始めた。怒りなしではいられない。怒りや不安、不満を政治力に変え、原発廃止を実現しなければならない。
「これだけの事故を起こしたんだから、黙っていても原発はなくなるよ」との声はよく聞く。しかし、何もしなければ、声を上げなければ原発は止まらない。原子力政策が国策としてある限り、国策を変更させる「人民の力」が不可欠だ。
小選挙区制度のもとで何度選挙をしても、自民、民主という同じような政党が庶民の思いとかけ離れた政策を実行し続けるだけのこと。
 彼らは「支配階級」の代弁者ということにそろそろ気づこう。両政党とも経団連(資本家階級)の言うことに忠実ではないか。「労働者階級」の言うことを聞くかい?
現実は「資本論」の世界「階級社会」なのだ。勝たなきゃ駄目よ。
 ともかく昨日は全国で反原発集会が開かれた。高崎でも500人を超える人が怒りのデモを楽しくにぎやかにやりきった。根気強く継続して闘える力を蓄える必要がある。
南條さんからCD買っちゃいました。栗拾いにも誘われたけど行けるかなあ。芝生の公園でくつろぐのは最高だ。
 19日は明治公園での6万人集会にいくつもり




だ。

2011年9月11日日曜日

井筒監督迎え9.11前夜祭

井筒監督の突然の来町はいつものことだが、今回もそうだ。昨夜8時過ぎの招集でも行ってみれば三々五々仲間が集まり、熱い話に花が咲いた。内容もラジカル(本質的)だから興味のある人には面白い。前橋からも小川晶さんが来て、井筒節でこってり教育されていた。みんな今日の高崎市内デモ参加予定者で、「デモに監督も来てよ」と言うものの、「甘っちょろいデモなんぞには行かんわ」。
 話題のひとつ、福島原発周辺の町を「死の町」と言った鉢呂発言に対しては、言葉狩りが過ぎるのではないか、実際いつ住民が帰れるか分からず、地域が草むら、山野と化し、ペットや家畜が放射能汚染の中、野生化している状況は「ゴーストタウン」と言っても過言ではない。むしろ「死の町」の現実を見据えた上で、このようになってしまった原発事故の原因と責任を問い、解決する道を探ることに関心を向けるべきで、本質的な意味も含む言葉としての「死の町」という語感に対する反感だけでの批判は当たらない。そこに住んでいた人たちのことを思うと「死の町」という言葉は酷だなどという感情論こそ、危険な原発事故から目をそらすことになってしまうことに気づくべきだ。いつもこのレベルで終わってしまうから日本社会は進歩しない。勿論、鉢呂自身どこまで考えた上での発言か分からないが。
とまあ、賑やかな議論ですよ。
 場所を変えて解散したのは午前1時、最後は朝鮮問題だから時間がかかるのは仕方ないけど、困難な問題を直視する姿勢には敬意を表したい。

2011年9月10日土曜日

群馬県知事へ放射能対策の申し入れ

紹介県議2人を入れて14人で県知事に放射能対策の申し入れをした。知事不在は承知していたが、秘書課職員が入り口で立ったまま要望書を受けようとしたため、強くたしなめ、別室で1時間ほどかけて要望行動をした。
職員からは放射能被害に対するそう強い危機感を感じることはできなかった。川場村等高濃度放射線汚染地域で生活している人たち、特に子供たちを内部被爆から守る強い意志が見えてこない。だからこそ、申し入れる必要がある。
 
午後は、高崎市内で山田市議と情勢分析と今後の方針を協議。 

夜、土田君から情報が入り、もしかしたら11日午後の高崎デモに大物呼びかけ人が参加できる可能性が少し出てきた。あとはオルグだ。

2011年9月7日水曜日

国労原告団の物資販売が思い出させてくれたパチャママの贈りもの

国鉄分割民営化に伴う争議をたたかっている国労原告団の物資販売の要請を受け何品か注文した。なんとそこに「ウユニ塩湖の天然塩」があるではないか。塩の味はともかくボリビアのウユニ湖で生きる家族を描いた「パチャママの贈りもの」という映画を思いだした。彼の地にまだまだ善意があることを暖かく描いた感動作だ。
 その「ウユニ塩湖の天然塩」を商品として売り出してくるとはなかなか視点がいい。「おからのかりんとう」もうまい。
「1047名の解雇撤回」を求めているたたかいだが、たたかいを継続している国労組合員を置き去りにする形で、国労本体が和解決着をして闘争に幕を下ろしたのは昨年のこと。
 和解といっても胸の内は晴れないだろう。条件が悪過ぎるし、将来展望も全くないからだ。敗北感の方が大きく「和解投降」が実態ではないか。
 国鉄分割民営化から20年以上が過ぎ、北海道、九州、四国の三島会社、貨物会社は赤字続き

、これは分割民営化が破綻状態ということを示している。労働者は物言わぬ社員となり、バラバラにされている。今はむしろ攻勢の時だ。
 新自由主義の最たる政策としての国鉄分割民営化のあの時点から、全労働者のうち非正規職が4割にも達する今日の状況は始まった。
 このような状況を打ち破ろうとするなら、現在もたたかい続ける国労原告団を支援する道を選ぶのは必然だ。客観的に見ても打ち返す時期が近づいているように思えるのは楽観的すぎるか。支配者側だって余裕なんか全くないことを知るべきだ。「敵よりも1日長く」だ。

2011年9月5日月曜日

東京からメールが、川崎からの梨が届く

東京に住んでいる小・中学校時代の同級生からメールがきた。「弁護士・布施辰治」に続き「弁護士・角田儀平治」の映画制作がスタートすることを知っているか、という内容。彼女は演劇をしている関係で布施辰治を演じた俳優・赤塚真人とは親しい。今度は赤塚の弟子が主役になるそうだ。この話は初耳ではなかったが本当に作るとまでは思っていなかった。
角田儀平治先生については実際おつきあいさせていただいたこともある。とにかく寛容で差別と貧困を心から憎んでいた歴史的人物だ。あのような人物が今の政界に欲しいものだ。
とにかく、角田義一さんに聞いてみよう。
 
川崎市の持田農園から恒例の「川崎梨」が届いた。都会の川崎から送られてくる梨を食べながら、秋もいよいよかと想うのだからおかしい。持田君は大学の同級生でいまだに毎年同窓会を重ねる仲間のひとりだ。昨年は浜岡原発近くの御前崎で金目鯛を食べた。今年はどうする。
 秋山局長と二人分まとめて送ってくるので、早速、局長を招集するとすぐに来た。「石川、映画制作費が足りないのでカンパ頼むよ」
鬼石町を舞台にした「しゃんしゃんしゃん しゃしゃしゃんしゃん」というややっこしいタイトルの映画だが、地域興しという観点から力が入っているのがよくわかる。「土田君にも協力してもらうつもり」と言ってポスターを置いて帰って行った。

2011年9月4日日曜日

日本風景 思い出は風に乗って 

日本風景 思い出は風に乗ってーこれはシネマまえばしの8、9月号パンフの題だ。古い時代の映画の数々を小見さんが拾い出して見せてくれている訳だがこれが面白い。
「むかしの歌」はもうすでに消えてしまっている当時の町並みや風景、叙情をフィルムに収めていてくれる。「喜劇・大安旅行」は確かに喜劇だが、4両の車両を引いて山を登る時の機関士を演じる伴淳三郎の姿は当時の本物の機関士が見てもうれしく思えるほどの迫力だと思う。車掌を演じるフランキー堺だって、デートの時にさえ、出発駅の時刻から途中駅、終着駅までの時間を口癖のように言う様子はたいしたもの。俳優にはそう簡単に誰もがなれるもんじゃないとつくづく思う。
 今日は「歌う弥次喜多黄金道中」高田浩吉と伴淳だぜ。色男高田浩吉に全然見劣りしない伴淳は本当にすごい。歌はうまいし女にゃ弱い、いいキャラだ、好きだねえ。トニー谷、高峯三枝子、花菱アチャコとかすごい時代の役者がそろっている見応えのある映画だ。
「我が家は楽し」「東京物語」も泣かせる。こういう作品を見て、新自由主義政策でみんな追い込まれている余裕のない現代社会から目を覚ます契機にして欲しい。
 午後は前橋公園で「さよなら原発 繰り返すな原発震災9.4群馬県集会」に参加、開始前ものすごい豪雨があったが集会、デモの時は止み、比較的涼しい中での市街デモとなった。

2011年9月3日土曜日

9.11原発なくてもエエジャナイカ大行進の宣伝

台風12号はこの玉村町にも影響を及ぼし道路冠水、床上、床下浸水という被害がでた。とにかくすさまじい勢いの雨が集中したことにより排水が間に合わないということだ。役場周辺の道路が川のようになってしまったのだから驚く。人的被害がないことがなによりだった。行事などの中止の連絡も次々あった。伊勢崎市内も豪雨で大変だったようだ。
 自宅の風対策をしてこれから高崎シネマテークに11日の原発なくてもエエジャナイカ大行進のチラシを置かせてもらいに行く。ついでに「悲しみのミルク」を観る。
 午後1時30分からは高崎南公民館で「原発推進の歴史と真実、私たちのめざす社会」という脱原発学習会がある。講師は槌田敦氏。主催は自然エネルギーを考える会群馬。

野田内閣が発足した。どんなもんでしょうか。過去の国会決議をもって「A級戦犯は戦争犯罪人ではない」と断じてしまう軽さには辟易してしまう。日本の国会でどんなに決議をしようが、アジアに侵略戦争をしかけ2000万人ものアジア人を死に追いやった事実は消せない。被害国の人々が許すかどうかを一番重視すべきではないのか、加害国が過去を真っ先に忘れてはいけない。余りの「自慰的決議」に過ぎる。こんな歴史認識の新首相なんだぜ。野田君は。
 期待できるとすれば、法務大臣になった平岡秀夫か、彼には本当のところ期待している。頼みたいこともある。いつ会えるかなあ。刑務所の処遇改善も忘れてはならない課題だ。入国管理においても人権を無視する事態がたくさん生じている。リベラル派の平岡さん、頼むよ。

11日のデモは高崎城址公園(高崎市役所正面玄関前)午後1時30分集合、2時15分出発。にぎやかにやりましょう。
19日は東京5万人集会(明治公園)へ。

「保坂のぶと世田谷区長を励ます集い」の案内が届いた。彼は真っ当な人だからこれまでも強く支援していた。八ツ場ダム問題については第一人者だと思う。世田谷区は群馬県川場村と提携しているので、川場村の放射能の問題にも適切に関与してもらえたらと思う。
ヒルトン東京ホテルまではとてもいけないが、エールだけは送ります。

2011年8月31日水曜日

トータルライフアップ学習会と広瀬講演会

8月も今日で終わりだ。お盆もあり色んなイベントもあり、そして9月議会の準備もしなければならない。
 伊勢崎市文化会館でのトータルライフアップ学習会(連合伊勢崎地協主催)に連合議員懇の4人が来賓として参加した。
 第1部の「県政報告会」として塚越紀一県議が30分ほど話をした。驚いたことにそのほとんどの時間を21日の「広瀬隆講演会」の内容に割いた。福島原発事故は津波ではなく地震で起きたということから、原発なくても電気は間に合う等々広瀬さんの話をまとめて話し、電力の自由化の中で今後は特定規模電気事業者の役割も大きくなるはずと閉めた。
 それを聞いていた伊勢崎地協の議長が広瀬さんを講師として呼べませんかねえ、ときた。ええでしょう。2500人会場、そのときは本気に構えて準備しましょう。まずはマネージャーの角倉県議へ塚越県議が電話。

 9月6日から始まる玉村町議会の一般質問には特定規模電気事業者(PPS)の選定について、を質問事項の一つとした。PPSの導入は原発を廃止する意味でもその入り口にあると考えるからだ。おそらく県下で初めての質問事項で当局もとまどうだろうが、電力会社は東電だけではないことを強く喚起していきたい。

2011年8月27日土曜日

全く期待できない民主党代表選

菅降ろしの続編として始まった民主党代表選について語りたくもないが一言で言えば「全く期待なんてできません」ということか。
特に前原には要注意だ。「原発はクリーンなエネルギー」などと外務大臣時代に言ってのける浅はかな認識しかない。震災復興に関し、経済成長によるその果実(利益)を復興財源に当てるなどという小泉政権の新自由主義政策の後追いをしようとしている。今、命の危機にある被災地はこれ以上待てないことに気づかないのか。この間、最小投資で最大利益を上げるという新自由主義政策により地方は置いてきぼりにされ、あげくは原発を金の力で飲まされてきたのだ。貧しい地方を壊滅状態にしておいて都市が栄える光景など見たくもない。「国民の生活が第一」と被災地へ行って言えるか。
同じ松下政経塾出身の野田や小沢派の支持を得た海江田も同じようなもの、ほかの二人も以下チョンチョン、薄っぺらな理念保守ばかりで何の違いもない。
 さて、では今後日本の政治はどうなるか、それが問題だ。既成政党はみんな駄目ということになると、これからは危険度が増す。戦前の日本を考えたらいいだろう。
 威勢のいい言葉を自信満々の様子で連発する例えば橋下大阪府知事のような人物が登場し、閉塞感一杯な社会状況に危険な動きを仕掛けてくる。事実、大阪では「維新の会」が「改革」と称し、安定した身分保証の公務員や教員に攻撃を仕掛けてきている。このようなファシズム的状況が巻き起こる可能性がある。橋下は「今の日本の政治で一番重要なのは独裁。独裁と言われるくらいの力だ」と言ってのけている。
これにきちんと反対行動を起こせる運動こそが必要となる。その一つがこの間進めてきた全国の反原発運動だと考えている。まともな歴史認識と時代認識をもってファシズム運動を跳ね返す力を蓄えなければならない。そこにこそ未来がある。結局、他人任せでは未来を切り開くことはできないということ。

2011年8月22日月曜日

「今すぐ原発を止めよう」と広瀬さんが訴える

歌の南條倖司さんはプロ、フラメンコダンスもプロ、麦わら帽子の会もプロという方々が講演会の前を盛り上げて頂いたので、スムースに1時からの広瀬講演会に入っていけた。それにしても5月1日の高崎デモまでは知らなかった人達だ。反原発の思いは社会の深いところでつながっていることを実感した。
 広瀬さんの話は福島原発の事故の真相、地震、放射能と3時間にわたり全面的に展開された。始まるときは空いていた席もほとんど埋まるほどの盛況だ。真実を武器にたたかってきた広瀬隆さんの話を聞いて、それぞれ何かを始めたいと考えている人も多かったのではないか。他人任せでは何も始まらないということ。
 交流会では更に話しが弾み、南條さんの歌がまた始まるなど大きな達成感を味わうことの出来た1日だった。
 講演会の様子は世界に中継されたということだが、そういうことはなかなか理解出来な


い遅れた自分がいる。

2011年8月20日土曜日

21日(日)広瀬隆講演会 玉村町文化センター

会場11時30分、12時から歌やダンス、麦わら帽子の会による朗読劇「伸ちゃんのさんりんしゃ」等が始まる。
そして、1時からいよいよ広瀬隆さんの講演会となる。時間は約3時間だそうだから、聞く方も構えた方がいい。それほど広瀬さんは訴えたいのだ。
 3月11日の震災と福島原発事故は今だ収束の目途はたたず、一体どこまで広がって今後どのようになってしまうのか、と多くの人が不安と怒りのなかで生活している。
人々をこのような塗炭の苦しみに追い込む原発は人類とは相容れないものとして、改めて認識し直した。
 原発推進勢力が政治と経済を握り、「安全神話」を人々に強制し、その結果、このような惨事を招いた。しかし、彼らは、事ここに至っても原発を推進しようとしている、中には核兵器に転用する能力確保のため原発は止められないなどと明け透けに発言する政治家もいる。
 広瀬隆さんに講演依頼した理由はここにある。中途半端な原発批判ではなく、真実に根ざした徹底批判、そのことにより原発推進派から憎悪の対象となりながらも一歩も引かず闘い続けるその姿勢こそが今、我々にも求められていると考えたからだ。
幸い角倉県議が広瀬隆さんとの人脈をもっていた。そのことにより実現した講演会だ。今後反原発運動をするについても、「確信」をもって運動する事が第一に求められる。その意味でも重要だ。
 たったこの瞬間も、原発事故の収束のため多くの原発労働者が福島原発現地で命がけで働いていることを忘れてはならない。彼らを平然と使い捨てる感性の原発推進派には嫌悪感を覚えるだけだ。
 広瀬隆著「原子炉事件爆弾」を読み終えた。この本は昨年8月に出版された。その一部を書く。
【科学的・論理的に考えれば、周期的に到来する東海大地震は間違いなく起こることであり、これを否定する人間は、電力会社にも一人もいない。その時に、浜岡原発が破壊され、取り返しのつかない末期的な事故が起こる可能性は、ほぼ100%と言ってよい。これは、時限爆弾の爆発を待っている、ということになる。私たちが分からないのは、その時限爆弾が、いつ爆発するようにセットされているか、その時刻だけなのである。】

2011年8月18日木曜日

広瀬隆講演会に向けての準備は進む

いよいよ21日に近くなり盛り上がってきた。上毛新聞、朝日新聞に広瀬講演会の記事が載ったこともあり反響が出てきた。
「放射能検知機を求めたいが斡旋してくれますか」「大泉から電車で行くにはどうしたらいいですか」「車いすでも参加できますか」「チケット○枚予約」等々さまざまな電話だ。来年の町長選に向け身構えている人からも10枚買っていただいた。こわいな。何かあるかな。自分がしっかりしていれば大丈夫だ。現職にも売ってやった。これでチャラ。
昼食のため町内で大賑わいのラーメン屋に入ると、カウンターで玉村文化人の町田さんと隣合わせた。最近、結構偶然に会うから不思議だ。「6日に東京へ行ったら素人の乱がデモをしてましたよ」とお江戸の情勢を聞かせてもらった。
 土田君は高崎市内の呼びかけ人からチケット代を預かってきて、自らも10枚、関口ケアセンターもこのブログを見れば、きっと来るに違いない。田中島夫妻は京都の美味しいせんべいをスタッフのみなさんに、と差し入れながらチケット2枚、西園先輩は得意の法螺話に華を大いに咲かせながらチケット1枚(ちと少ないかなあ)、キリスト者の鈴木さん2枚、関口元教育長も1枚と大変いい雰囲気だ。西園先輩、帰ってから「当日葬式ができちゃった」と電話。もう遅い、代金は返しませんから、先輩、誰か有望な若者に回してください。秋山局長5枚、栗ちゃん3枚、岩城姉さん2枚等々どんどんさばけていく。そして今も川井地区の天田さんから「盛り上げましょう」との激励の電話とチケット予約、勢いでスタッフになってもらった。忘れちゃいけない、アンドレ山ちゃんにも電話で声がけ、けだるい声で「行きますよう」だと。
 当日売る写真雑誌デイズジャパンが95冊届く。東日本大震災救援対策本部ニュース「生きぬくために闘う」も届く。参加者に配るチラシ類も集まりだし、雰囲気だけは盛り上がってきた。 
 広瀬さん本人からもメールが届き、玉村講演会への力の入れようも伝わってきた。パソコンと新しく購入した高性能プロジェクターを持参するとのこと。
角倉県議からも「どんな状況?」おかげさまで順調、当日は確実に広瀬さんを高崎駅からお連れする役をこなして頂きたい。
 明日一日、一声かけましょう。

2011年8月15日月曜日

「前事不忘、後事之師」 中国帰還者連絡会と撫順戦犯管理所

BSNHKで「撫順戦犯管理所」の生活と思想改造の課程が放送された。「中帰連」という雑誌を購読している者として、放送内容のバランスの良さを感じた。昨夜9時からのNHKスペシャルといい、今、我々が知っていなければならない事を放送している。制作現場の人たちの良心を感じ取れる。
 戦時中,中国人の収容所として使われていた施設に1000人近くの日本人戦犯が収容された。 日本軍に家族等を奪われた当時の中国人の日本人戦犯に対する憎しみには厳しいものがあった。
当然,虐待を受け,最後は殺されるものと覚悟していたが,管理所側は当時の中国人の食事より良いものを食べさせ、本や新聞も与えられ、運動、趣味さえも保証された生活が続いた。 中国人管理者、戦犯日本人のインタビューで当時の様子を明らかにしていく。信頼関係の醸成の中,過去の事実を自白した戦犯日本兵は罪を許され帰国した。
 帰国した戦犯達は、共産主義に洗脳された、として日本社会で受け入れてもらうのに相当苦労した。
しかし、中国側は戦犯達に政治活動の要請などは一切していない。それだけに戦犯達は帰国した現在も自らの犯した罪を深く反省し、二度と戦争はしないと誓う。
 一方,撫順戦犯管理所で日本人戦犯と向き合った中国の人たちも文化大革命の時、日本人に対し甘い態度をとった右派、として批判を受けた。しかし、両者は今も交流が続く。
 将来を見据え寛大な政策をとった当時の中国共産党,周恩来という人物の大きさをここでも感じ取れる。確かに建国当時の中国共産党は輝いていた。
 「前事不忘 後事之師」(前の経験を忘れず、後の教訓とする)