みんな寿命を全うしようぜ

みんな寿命を全うしようぜ
西表島で会った昼の蝶

2016年2月27日土曜日

私たちの望むものは

「私たちの望むものは
生きる苦しみではなく
私たちの望むものは
生きる喜びなのだ

...
私たちの望むものは
社会のための私ではなく
私たちの望むものは
私たちのための社会なのだ


私たちの望むものは
与えられたことではなく
私たちの望むものは
奪いとることなのだ


私たちの望むものは
あなたを殺すことではなく
私たちの望むものは
あなたと生きることなのだ


今ある不幸にとどまってはならない
まだ見ぬ幸せに今跳び立つのだ!


私たちの望むものは
くりかえすことではなく
私たちの望むものは
たえず変ってゆくことなのだ


私たちの望むものは
決して私たちではなく
私たちの望むものは
私でありつづけることなのだ


今ある不幸にとどまってはならない
まだ見ぬ幸せに今跳び立つのだ!


私たちの望むものは
生きる喜びではなく
私たちの望むものは
生きる苦しみなのだ


私たちの望むものは
あなたと生きることではなく
私たちの望むものは
あなたを殺すことなのだ


今ある不幸にとどまってはならない
まだ見ぬ幸せに今跳び立つのだ!


私たちの望むものは」


1970年の野外ライブ映像を見ている。岡林信康のシーンだ。
この詩は「私たちの望むものは」だが、「自由への長い旅」もいい。
 ひとりひとりの力、可能性を信じていた時代があった。今も信じているが、選挙目当てだけの変な野党連合は、終わってみると、より右傾化した野党、自民党と相似形の政党ができあがる危険性すらある。

 時代を見据えた職場労働組合や大学、地域でのたたかいを基礎にした大衆運動を抜きに政治は進まない。

2016年2月22日月曜日

箱石地蔵祭り

地蔵堂での早朝供養から始まる一日
このメンバーがこの日の主役
地蔵様を担いで村中を巡る


 昨日、地元箱石の地蔵祭りに神社灯籠番として参加した。
この灯籠番役は初めてだが、正月の少林山、2月の地蔵祭り、3月の春祭り等々と結構忙しい。
 朝7時半に地蔵堂に集まり、清掃をしながら住職の到着を待つ。前日にほとんど準備は整えてあるので、ストーブ、コタツなど暖を取る作業が主。
 このお堂は北向きが特徴で、昨日のような風の強い日は相当寒いので戸を閉めていた。まだ建て直して20年程なので、戸を閉めれば風は入らないが、立て直す前は、それはそれは凍えたそうな。村の長老とゆっくり話のできる有意義な一日でもある。
 地蔵様祭りのいわれは、明治後期に遡る。
〈近在の村々に疫病がはやったが、村境にあった地蔵様のところでぴたりと止まり、箱石に病人が出ることはなかった。〉
それ以来、地蔵様に感謝をする祭りとして今日まで引継がれている。私も勿論、小学生の頃、同級生達とこの地蔵を担いだ。
 今は、家々を回る子供たちの元気な姿をみて、その健やかな成長と地域の人たちのつながりを確認しあえる意味でも大事な祭りだ。
 なにもかも便利になった現代、「子どもの古い遊び」などと言わないで欲しい。大人も楽しんでいるんだ。
 テレビゲームなど何もない中で、風の子として友達と走り回った世代が過去に長くあったことを、今の子供たちが少しでも「肩の痛み」の中で感じてくれればいい。

2016年2月17日水曜日

「朝・日友好親善新春の集い」2016

いつも歌と踊りで盛り上がる
同じ人間同士だから、きっとうまくいくよ
 昨夜は恒例の高崎ビューホテルでの「朝・日友好親善新春の集い」、300人ほどの参加で大いに盛り上がった。
 朝鮮半島情勢が緊張度を増している中での新春の集いとなり、中には参加を見合わせる人もいたようだが、参加しないことにより情勢が好転することはない。
むしろ、どのような政治状況でも人間同士の友好親善を図ることの意義を歴史は教えている。
 歴史の主人公としての立ち居振る舞いがこういうときこそ問われる
 古代日本の中心軸に座ったのは、朝鮮半島からの渡来人。その子孫の我々が、この100年来日本に来た在日朝鮮人と付き合うのは兄弟づきあいのようなもの。
 差別と分断を許さず前へ、前へ。

2016年2月15日月曜日

始皇帝と大兵馬俑/国立博物館

久しぶりの仲間たち
これが紀元前の中国の姿



一度は見ておこうと思っていた兵馬俑を見る機会があった。
国立博物館での「始皇帝と大兵馬俑」展も残り1週間ほど。
一人でゆっくり行こうと思っていたが、友人の秋山君も時間がとれるというので、ならば、もう一人ご学友を、と言うことで、都内の友人に声をかければ、彼も即答で「行くよ」、と3人様での参観となった。
 還暦越えの土・日は暇をもて余している時もあるようだ。
始皇帝が中国を統一したのは紀元前221年、死してこれ程の規模の兵馬俑を残していたそのスケールに言葉を失う。
 この兵馬俑が発見されたのが1974年という「最近」のことで、それも偶然の発見、そして今も発掘中とはめまいがするほど。
 その当時の日本は弥生時代、まだ文字もない頃だった。日本に百済から文字が入ってきたのが、5,6世紀だから、中国大陸の歴史の展開の早いことに恐れ入る。
 金達寿の「日本の中の朝鮮文化」を読んでいるが、古代日本は朝鮮半島からの渡来人の影響下にあったことがよくわかる。
我々はその末裔だ。
 中国と朝鮮・韓国そして日本、好き嫌いの問題ではなく、歴史的事実としてのつながりは切ることができないし、だからこそ一層の好奇心をかきたてる。前向きに生きましょう。

2016年2月11日木曜日

第2回小慧社中展

久々の秋山局長登場、元気です。
現物を見て欲しい作品
卑弥呼伝を記す
 教育会館での沢知恵ピアノ弾き語りコンサートの余韻を残しながら、高崎のユーホールで今日から16日まで開かれている〈第2回小慧社中展〉を秋山局長と尋ねた。 玉村町板井書道会主催だが、羽鳥小慧さんの筆使いはその時代に生きていた人たちが書いたかのように躍動的だ。
 今、読んでいる邪馬台国の本からも筆をとっていただいた。
各作品の説明を御本人から聞けば、政治、文化、歴史等を通じ、日本は近隣国とどれほど豊かな交流をしてきたか理解できる。
 書道会で学んでいる方々26人の60作品が展示されている必見の展示会と言える。

2016年2月2日火曜日

群馬オール野党パネルデイスカッション

野党統一候補の意義を語る中野晃一さん
候補者を見いだせ、と迫る角田義一さん
ここから進めよう

 昨日、高崎市のたまごホールで上智大学教授の中野晃一さんを招いての「群馬オール野党パネルデイスカッション」が開かれた。
 何のためらいもなく暴政を進める安倍政権に対し、保守王国の群馬から野党統一候補を押し立て、その熱気を全国に押し広げ、7月参院選に勝利し、安倍政権を退場に追い込もうという目論みの集会だ。
 民主党、共産党、社民党の群馬県代表、村越芳美弁護士、山田博文群大名誉教授そして中野晃一教授がパネラーとして,それぞれの時代認識と今後の展開を述べた。
 若い村越弁護士は立憲主義を説き、山田名誉教授は経済の面から安倍政治をコテンパンに批判した。アベノミクスはすでに破綻している。
 それらに押される形で3党代表は何とか統一候補までこぎ着けたい、と表明した。
 現在の政治経済の危機的情勢に対応できない政党は、生きんが為に未来を獲得しようとする巨万の大衆の大きな運動のうねりに、飲み込まれるだけの結果になってしまいかねない事を本気で自覚できるかが問われている。
 この集会を企画したのは、「かたつむりの会」の若い人たちだ。

 その「かたつむりの会」企画、座間宮ガレイの勉強会が2月8日夜6時から高崎市八幡原町の圓福寺で開かれる。
 座間宮ガレイの話は一度聞いたが、ものすごくいいぞ。
データに基づいて論を立てる。こういう若者がいるんだねえ。
政党の壁など溶解させて、新たなたたかいの戦線を打ち立てよ。
 

2016年1月31日日曜日

映画「みんなのための資本論」/シネマテークたかさき



《 ビル・クリントン大統領の政権下で労働長官を務めた経済学者で、アメリカをはじめとする先進国の格差社会到来に早くから警鐘を鳴らしてきたロバート・ライシュが、資本主義の大転換のために何をするべきかを説いたドキュメンタリー作品。
 身近な問題と論理的議論を織り交ぜたライシュの講義映像を中心に、アメリカの不平等社会の構造を論理的かつ、わかりやすく構成。
 バラク・オバマ大統領のほか、オックスフォード大学時代のクラスメイトでもあるクリントン夫妻らも登場。
 日本公開版は世界的ベストセラーとなったトマ・ピケティ「21世紀の資本」の翻訳者である山形浩生氏が字幕監修を担当している。》

 彼は大学での最終講義で学生に「社会を変える人になって欲しい」と熱く訴える。
 「革命とまでは言わないまでも、それに近いものが必要ね」と反応する学生の言葉が印象的だ。
 (シネマテークたかさきで2月5日まで)


2016年1月30日土曜日

貫井孝道町長退任式

庁舎ロビーで退任のあいさつ

 24日の町長選で惜しくも敗れた貫井孝道町長の退任式が昨日行われた。総じて4選の壁は厚かったという事だろう。
全町に目配り、気配りしながらの12年の歩みは、その方向として間違ってはいなかったと考える。
 変えるべきものは変え、護るべきものは護る姿勢がいつも求められていることは変わらない。
 日本全体としての困難度が増す中で、この町は生き続けなければならない。新町長には大きな視野での対応を望みたい。
 その後、町内のホルモン屋で総務常任委員会(笠原則孝委員長)の新年会、今後の視察対応などを協議した。

2016年1月24日日曜日

町長選最終日は同窓会と重なる

貫井町長支援の八幡宮前で応援演説
まずは生存確認の記念撮影から同窓会始まる
思い出話やら今後の事やら

 町長選最終日、貫井陣営は町内各所での街頭演説を繰り広げ、必勝の布陣を敷いた。支援議員も総出で貫井選挙勝利の街頭演説を繰り返した。
 貫井町政3期12年の歩んで来た道は、その方向性として全く正しく今後も継続する必要がある。 
 理もなくやみくもに町長交代という、後先を考えない無責任な主張は全く受け入れられない。

 夜は3年に1度開催している伊勢崎工業高校時代の同窓会、さすがに90歳近いお二人の恩師の参加は見送られたが、教え子達はまだまだ熱いものを持っている。しかし、見てくれが老けてきたことは隠しようもない。
 互いの生存確認、所在確認の意味においても、今後も一層頻繁に会う機会をつくるとしよう。

2016年1月22日金曜日

玉村町町長選もいよいよ大詰め

ウグイスを担った加賀谷県議と仲間たち
勝利への気迫全開の集会を打ち抜いた


 午前中は伊勢崎から県議の加賀谷富士子さんが友人と月田均事務所と貫井孝道事務所を訪問、急きょ貫井候補の選挙カーに乗り込んだ。

 二度の選挙で鍛えられた喉を鳴らし貫井孝道支持を訴えた。「張りがあって素晴らしかった」との声が届く。
 6時からは、文化センター大ホールでの総決起集会、集まった満員の人々と、町長選、議員補欠選の勝利を誓い合った。
 発言者は誰も気迫全開、必勝の決起集会となった。残り一日、全力で声かけしよう。

2016年1月19日火曜日

玉村町町長選始まる/貫井孝道町長、月田均町議候補の当選を勝ち取ろう。

八幡宮での出陣式
事務所開きであいさつする連合群馬伊勢崎地協根岸議長
     玉村町町長選、議会議員補欠選が始まった。午前8時から玉村八幡宮で祈願祭を行い、その足で選挙カーに乗り、昨日の雪が残る町内に繰り出して行った。町長選には現職の貫井孝道さん、議会議員補欠選挙には新人の月田均さんが立候補した。
     ただただ「町長交代」などと理もなく叫ぶ候補に勝利しよう。平地に乱を起こすようなものだ。

2016年1月13日水曜日

貫井孝道町長、連合群馬と政策協定を結ぶ

協定書に署名する貫井町長
これから本格的に運動は進む




 24日の玉村町長選挙に向けた貫井孝道町長と連合群馬との政策協定が連合群馬伊勢崎地協事務所で行われた。
1、憲法を守り、平和・人権を尊重する「地方自治の確立」に努める。
2、参加・分権・自治を基本に、「玉村町民の生活と福祉向上を目指す町政」の実現に努める。
3、「ゆとり・豊かさ・社会的公正」の実現に努める。
 という基本理念のもとに13項目の政策大綱が書かれている。

 私にとって「憲法を守り」などということは当然のことだが、昨今の首長には公然と改憲を声高に叫ぶ人もいる。
戦後をなんと心得ているのかと問いたい昨今だからこそ、この政策協定は重要だ。
 密照政彦貫井孝道後援会長立会いの下、連合群馬会長富澤誠、連合群馬伊勢崎地協議長根岸真一の押印が押された。
 すでに連合の運動は進んでいるが、ここから全面展開する。
地域の運動と連携しながら選挙戦に勝利しよう。

2016年1月11日月曜日

大混迷の世界情勢の中、玉村町消防出初め式

伊勢崎とび職組合のはしご乗り
見事というほかない
このあとグっと両手が伸びた

 新年いきなりサウジアラビアとイランの国交断絶、連日の株式相場の大幅下落、北朝鮮の水爆実験、トルコとロシアの対立は激化し、世界は今年も大波乱の幕開けとなっている。
中東シリアからの大量難民はヨーロッパに今もなだれ込んでいる。
 このような全情勢をどう読み解いたらいいのか、現代の時代認識を学習する機会を得た。
 資本主義が全く行き着いたと言うことだろう。資本主義にまだ勢いがあった、余裕があった頃は、新自由主義などという極端な議論は端に追いやられていたが、その矛盾が蓄積される中で、とにかく巨大資本だけでの生き残りをはからざるを得なくなり、新自由主義政策が世界を覆いだし、弱肉強食の戦争と収奪の現在となった。人間の命や再生などお構いなしの世界だ。
 マルクスが資本論で論じている「洪水よ、我なき後に来たれ」という無責任な状況が世界を苦しめている。
 学生の頃読んだ羽仁五郎の本の一節を思い出す。
〈現在の世界で起きている悲惨は、革命が起きない事に原因がある。革命は決して怖いものではないことを学ぶのが歴史学だ。〉
 ああ当時、羽仁五郎の言葉に勢いを得たが、今また、再確認する時が来たようだ。

 今日は玉村町消防出初め式、事故災害がないことを願いながらこの分野でも一年が始まった。

2016年1月10日日曜日

「お盆の弟」大崎章監督、渋川清彦さんらと新年会

関係者が集まり賑やかな新年会
左から大崎監督、渋川さん、狩野さん
プロの撮影の内情を教えてもらった
  映画「お盆の弟」はヨコハマ映画祭で、足立紳さんが脚本賞、渋川清彦さんが主演男優賞、光石研さんが助演男優賞、河井青葉さんが助演男優賞となった。
 玉村町がそのままロケ地として製作され、その映画の製作過程、撮影現場を少しは知っている者として、また低予算の映画ということも知っている者として、このような評価を得たことに感慨を覚える。
 この映画を作った大崎章監督と渋川清彦さん、プロデューサーの狩野義則さんが昨日、玉村町に来た。
 勿論、玉村町も協力したが、中心的に継続的に支えてきた小板橋さん、小池さんたち同級生の力添えがこの映画づくりに大きく寄与したといえるだろう。文化、芸術をつくるのも、育てるのも地域力という事を実感させられた作品だ。
 大崎監督、渋川さんからはプロの役者の演技や撮影について、狩野さんからは、今後の映画製作の予定などを聞くことができた。玉村町でのロケ映画は今後も続きそうだ。...
 3月には高崎映画祭がある。

2016年1月9日土曜日

今年の箱石少林山は役員として。

朝の供養から始まる
小さいけど100年近い歴史をもつ箱石少林山のお堂


 歴史的な文化、遺産を継承するのはむずかしい。何処の地でもそうだろうがここも同じ事。
 古老(といっても私の親程度)に聞けば、100年ほど前、高崎少林山から分家してここに祀られ、以来地域の人たちが少林山として親しんできた。しかし同じ古老の話だが、当の高崎少林山はそのことを認識していないという。
 では少林山の御札はどこから入手するのか聞けば、新町のどこかという。その印刷された御札に押す少林山の朱印をはここにあるのだから、間違いないという訳だが、朱印とてどこでもつくれる。
 たった100年程度のことでも正確に伝えることの難しさを考えれば、古い歴史の修正、ねつ造はそう難しい事ではない。だから歴史学は重要なのだ。
 さてこの箱石少林山の灯籠番という役を1年引受けることになり、6日午後は準備、7日は午前6時半集合、午後3時に撤去するまで、小さなお堂の中で参拝者を待つわけだが、箱石だけでなく、南玉、下之宮といった近在の人も達磨を買いながらこのお堂で手を合せる。
 私が子どもの頃は、いろんな店が並び賑やかだったことを思い出す。
 このお堂は北向きなので、とにかく寒いことが特徴、当日の午前中は穏やかだったが、昼頃からは風も吹き出し、こたつの中でジッとしていた。しかし、そこは昔からの人の知恵、交替で抜け出し、南側の陽差しの当たるところでくつろいだり、酒を飲んだり、と時間を過ごす。
 会計を仰せつかった身としてお賽銭の係もするが、結構な金額になった。
 この時勢、こういう機会がないと世代が離れた人同士の交流がもてないことも事実で、そういう意味では意味ある箱石少林山、これがいつまで、どのように伝承されていくのかはここに生きる人たちの思い次第だ。
 これから氏子の家々に御札を配りに廻ってくる。一札千円、性格上領収書は発行しません。

2016年1月5日火曜日

暖冬の多々良沼に想う。

沼の中央部にある弁天様
極端に少ない水
餌を求めて水辺を歩く白鳥さん



      所要で太田市に行ったついでに多々良沼に寄った。多々良沼は館林市と巴楽町にまたがる位置にあるが、ここへは一年に何回か行く。景観もきれいで気持ちを落ち着けるにはいい場所だから。
     この時期、沼には多くの白鳥が羽を休めているわけだが、今年はいつもより少ない感じだ。まずは水が少ない。例年の3分の1から4分の1というところか。
     真冬の今、コートもいらずセーター姿の人も目立つ極端な暖冬、異常気象による影響は計り知れないだろう。
     政府はTPP大筋合意による経済効果を強調するが、異常気象によるダメージは金額に換算するのは不可能、たとえ金額に換算したとしても、人間が、生物が生きる環境それ自体が破壊されてゆくという計り知れない打撃を受ける。
     無責任な自己過信もいい加減にしろ、と新自由主義の罪を美しい白鳥さんを見ながら思った。

2016年1月1日金曜日

2016 「新年」おめでとうございます。

元日の箱石貫前神社
鬼石町浄法寺にある永源寺で新年供養の説明を受ける

 たった一日が過ぎただけで、人は「新年」と言い、気持ちを新たにこの一年を生きようと再確認する。
 別に「新年」と言わなくてもいいのだろうが、人間様、時間の経過に何か区切りをつけないと、生きたうえでの、生きるうえでの自己点検ができないのだろう。
 天体の動きに合わせての時間の区切りだから、それはそれで納得はできる。しかし、そこまで自然の理に沿った時間の区切りをするのなら、万物争わずといけないものか、ガツガツ争いながら生きようと、誰もがいずれ消えて行く身、無限の宇宙の中での奇跡ともいえる水の惑星・地球に生まれた意味を感ずる時だろう。

 「元日」は早速、地元箱石区の新年の集いに参加、箱石貫前神社の灯籠番という役を1年間授かり、日本酒を頂き、その足で真言宗派養命寺へ「新年」のあいさつとなる。恒例の二股新年が始まった。このいい加減さが日本社会の特徴か。
 妹の家族と「新年」の酒を交わし、連れ合いの家族宅でこの一年の健康を願いトランプ遊び、その後、鬼石町浄法寺にある永源寺に行き、空海と最澄の話を聞く。
 元日に2日分の予定をこなしたので、明日は「「ヒトラー暗殺、13分の誤算」をシネマテークたかさきで観ることができる。
 3日は、玉村町議会議員の補欠選についての具体的な動きをする。
 自分の人生を生きるだけよ。本年もよろしくお願いします。

2015年12月30日水曜日

瞬悠庵で忘年会2015

手作り甲冑で固めました。
貫井町長と握手する加賀谷県議
評判の手作り岡田うどん
町長選勝利に向け団結ガンバロー

 今年も一年が過ぎようとしている。過ぎてしまえば1年は本当に短く早い感じがする。しかし、過ごした365日の一日一日をどんなことをして過ごしたか思い出せる人はそうはいないだろう。
そういう意味では一年は長い。喜怒哀楽の繰り返しで毎日を生きてきたのだ。
その仲間が相変わらずの様子で集えることは大変意義ある事。  
 来年1月の町長選に向け運動している貫井町長、今年4月の県議選で初当選した加賀谷富士子県議も参加しての忘年会は歓談の中にも熱いものを感じさせた。
町政を混乱のるつぼにしてはいけないと。
 自然と町長選勝利に向け団結ガンバローとなったが、我が後援会の忘年会では初めてのこと。

2015年12月25日金曜日

クリスマスは高崎駅西口行動

イマジンでメリークリスマス

 今年もいよいよ大詰め、せわしい師走となってきた。
来年1月の玉村町長選に向け、両者の動きが激しくなりつつある。
 支持の理由は人それぞれでいいと思う。
私は現職の貫井町長を押しているが、まず憲法感覚がまともな事がいい。日本国憲法の意味をわきまえている。
 戦争の歴史もわきまえず改憲を主張する人たちが後押しする新人候補をどうして支持できようか。
平地に乱を起こそうとするようなものだ。
 ここにきて仕事にも追われ、今日一日、法務局だけでも伊勢崎、前橋、高崎、富岡をまわった。
 還暦を過ぎて仕事があるのはありがたいことと自覚しながら毎日を過ごしている。
 高崎に着いたのが夕暮れ時だったので、久しぶりにタカキン集会へ。
 今年最後のタカキンはクリスマス。ジョン・レノンのイマジンが静かに流れていた。
 毎週休むことなく運動を継続していることに頭が下がる。
 背景には、新自由主義が行き着いた社会状況がこのような運動をつくりだしている。あきらめず、未来を見つめている運動だ。

2015年12月23日水曜日

小栗康平監督「泥の河」には泣いた。

     小栗康平監督作品「泥の河」には泣いた。
    戦後まもなくの日本の様子が露わにしかも優しく描かれている。子ども同士の友情と別れをこんな風に描かれると、大人たちのつくった生活環境で生きるしかないこの子たちはその後、どんな大人に成長したのかと、本当に考え込んでしまう。
     政治家といわれる連中は、このような映画を観て、歴史や庶民生活の底の部分を知ることから始める必要がある。
     偉そうに安全保障環境の激変などという口実をつけて、戦争を語るな。
     田村高廣、藤田弓子、加賀まりこもいいが、3人の子どもがなんと言っても素晴らしい。...
     高崎電気館で25日まで上映している。
    その小栗監督の新作「FOUJITA」が12月26日からシネマテークたかさきで上映される。
     ふたつの国、そして戦争の時代に生き、画家を全うした藤田嗣治を描く。